2024年12月22日   ひっそりと咲く黄エビネの記憶

 野洲市の自然は、豊かで美しい。「近江富士」と呼ばれる三上山、そして清らかな野洲川がその象徴だ。四季折々の花々が咲き乱れ、野鳥がさえずる中、私は山野草を追い求めた。
その中でも特に心惹かれたのがランの仲間たち。春ラン、カキラン、金ラン、銀ラン、コクラン、オオバノトンボソウ、サギソウ、ミヤマウズラ……。名を挙げるだけでも心が躍る。しかし、「エビネ」だけはどうしても見つけられなかった。

 「希望が丘文化公園自然観察ガイドブック」には、2003年にエビネが確認されている記述があり、また野洲川沿いで生息しているという噂も耳にしていた。ひっそりと人知れず咲いているのだろう――そんな淡い期待を抱き続けた。

 ある日、ついに「キエビネ」が自生していると聞き、その場所を訪れたとき、かなわぬ恋人に出逢ったかのようだった。愛しい恋人と待ち合わせしている時のあの高揚感に包まれた。
湿潤な森林帯の林床、落ち葉に覆われた腐植豊かな土手に、数株のキエビネが身を寄せ合うように咲いていた。その凛とした姿は、まるでこの地が自分たちの領域だと言わんばかりだった。私は花が咲く季節だけでなく、折々に訪れ、その姿を目に焼き付けることで、時を共にした。

 鈴鹿山脈にもキエビネが生息しているという情報がある。その種子が野洲川沿いに流れ着き、ここを安住の地としたのだろうと想像してみた。しかし、どうしてこの一か所だけに咲き、子孫を広げようとしないのだろうか。ここが謎だった。

 鈴鹿山系で夏エビネの大群落を目にした事がある。そのときには、至るところに無造作に咲いていた。それに比べると、この地のキエビネは孤独に見えた。黄エビネは共生菌への依存度が高く、適切な環境が整わなければ生育できないと言われている。それが原因なのかもしれない。
または、誰かが栽培種をここに移植したのかもしれない――そんな考えも浮かんだ。

 「人間はどこから来て、どこへ向かうのか?」という問いが答えを持たないように、「黄エビネはどこから来て、どこへ向かうのか?」という謎も深まるばかりだった。そして私は、もうその詮索をやめることにした。

 ある日を境にキエビネはそこから忽然として姿を消した。花を愛する誰かが持ち去ったのだろうか。それとも、自らの定めに従い、この地を去ったのだろうか。理由は分からない。今はただ、あの凛とした姿と過ごした日々を心に刻み、この自然の記憶を静かに抱き続けたいと思う。

台風後様子を見に行った時のキエビネの葉っぱ


春に黄色い花をつけたエビネ


もうどこかに行ってしまったエビネ


 なお、黄エビネはラン科の植物で、日本国内では特に人気のある野生ランの一つである。純粋なキエビネの野生種は極めて少なくなってきている。環境省のレッドリストでは近い将来に野生での絶滅の危険性が高いとして「絶滅危惧IB類」に分類されている。





2023年11月17日   三上山でホトトギスとの出会い

  数年前から、希望が丘・三上山の登山路入り口に、ひっそりと佇む「ホトトギス」を見つけて以来、その存在に興味を抱いていました。というのは、この花の生息に関する報告書や、この周辺で見かけたという話も聞いたこともありませんでした。山野の一角に潜む希少な花であることを知りながらも、当時はそれほど心を引かれるものではありませんでした。
 たまたま、我が家の庭には台湾系ホトトギスの交配種を植えていました。この花の模様や色彩とが驚くほど類似しており、その生い立ちには特に意識を向けることなく、美しいが、むしろ重ぐるしい印象でした。

 ホトトギスの容姿は、昆虫たちにとっては魅力的なのでしょうが、私にとっては奇妙なものに見えました。雄しべと雌しべの区別が難しく、6本の雄しべが花の中心に寄り添い、雌しべは3分裂し、さらに細かく2分裂する複雑な構造。これはまさに虫を引き寄せ、受粉を促す巧妙な戦略であることは理解していました。これからも、この花の容姿がますます複雑に変化していくのでしょう。

 私は心の中で、もっと簡潔で美しい姿が好ましいと思いながらも、江戸時代から続くホトトギス愛好者たちがいたことから、人は美しさに異なる視点を抱えているのでしょう。

 そこは、山道の端には崖が迫り、水がにじみ出ていました。木漏れ日も差し射し込み、この花にとっては安住の居場所なのでしょう。当初2本程度育っていましたが、現在6~7本に増えました。そして、今年になり、その花を愛でに訪れる人々が増えてきました。そして皆さん口々に「ヤマジノホトトギス」と語り始めました。私は、園芸種でなかった場合、それは日本固有の「ホトトギス」だと思っていました。その名前には、どうしても馴染めない感覚があり、じっくりと観察し、調査を重ねてみました。

 この自生しているホトトギスの花被片の基部には黄色の班紋が見られますが、ヤマジノホトトギスの基部の黄色の斑点がないことからどうも違うようです。また、ホトトギス類の花被片の反り返る状態でも判断ができますが、茎の繊毛の生え向きに注目してみました。茎の繊毛が上向きに生えていました。ヤマジノホトトギス(ヤマノホトトギス)は、下向きであることから、ヤマジノホトトギスと呼ばれているのは間違いであるとわかりました。さらに、花被片の基部近くの内面が黄橙色になっていることから、園芸種の台湾ホトトギスと日本固有のホトトギスに絞られてきました。

 庭に咲いている園芸種のホトトギスは、花茎は頭頂部で四方に分岐して多くの花を咲かせています。しかし、自生しているホトトギスは、行儀よく順番に葉のわきに花をつけていました。このことから、どうも、日本固有のホトトギスのようです。この内容を仲間に話してみると、何となく納得してもらいました。

 今回は、つぼみから風に任せて花が散るまで、そして実を結ぶまで見守りました。この間、一本も盗掘されることもなく、無事終わりました。来年も楽しみにしています。












2023年10月01日   自然との調和:サギソウの美

 私は、近場の自生している山野草を探して楽しんでいます。時には、「ラン類」に出会ったときは、その日は、大自然をより身近に感じ、心豊かになります。

 野洲市には、近江富士として知られている三上山があります。加えて、鏡山(標高384m)が、湖南地域の北東端、湖東地域に接して、しなやかな丘のような山が張り出しています。そこには、荒川と善光寺川の二つの小川が、谷間を蛇行しながら流れています。その川辺にひっそりと山野草を育んでいるのです。 8月末から9月上旬、日野川に注ぐ善光寺川沿いの支流を遡り、球根性のランである「サギソウ」探しに、何回も足を運んできました。

 さて、ここに自生している「サギソウ」は、園芸種のサギソウと一味違うのです。

 菜園で栽培されたサギソウは、人の好みに合わせて柔らかな顔をしているのです。ところで、野生のサギソウは、シラサギの羽見立てられる細裂したギザギザ部分の花びらの切れ込みが鋭く、際立っているのです。

  と言うのは、サギソウの花粉媒介者である「スズメガ科のガ」が、長いストローのような口を使い、花の蜜を吸いにやってくる際、花弁にとまりやすくしているのです。スズメガが地球上に現れたのはおそらく数千万年前、新生代の初めだったと考えられています。
たったこれだけのことですが、途方もない長い年月の共進化によって出現した姿なのです。
 自然界では、突然変異や自然選択によって、生物の遺伝子が長い時間をかけて変化してきているのです。
植物たちは長年の進化の中で、遺伝子の突然変異がいつも不規則に起き続けていて、その内のどれかが子孫に受け継がれ、その形状や特性を磨き上げてきたのです。真白な花弁といい、シャープな切れ込みが、その結晶と言えるでしょう。
 私は、植物の自生していることに、深い深い畏敬の念を呼び起こされます。

 人が関与し、わずかな時間で創り出された「園芸種のサギソウ」と、自然の進化によってできたものとの対比は、考えさせられるものです。
 人間は自然の神秘的なプロセスを理解しつつも、それを自分たちの都合に合わせて変更しようとします。自然界では、頻繁に起こりえないことを、園芸や育種において、植物の姿を変えてきました。また、自然界では滅多に起こりにくい遺伝子組換えまでおこない、本当に短期間でその姿を変えさせています。遺伝子組み換えで出来上がった美は、いかがなものでしょう。

 自生しているサギソウが教えてくれることは、自然との調和が、本当の美しさと創造性の源であるということです。自然との関係を深め、植物と共存することは、私たちが持つ畏敬の念を育む一歩かもしれません。

 この丘陵地帯に足を踏み入れると、素晴らしい清流と森が織り成す世界に魅了され、何度も訪れています。私がその一人です。








































2023年05月21日   希望ヶ丘で見つけた貴重なキンラン

 私は山野草が大好きで、よく希望が丘・三上山周辺を散策しています。ところで、この地域には「キンラン」が根っから自生していないと思っていました。なぜなら、希望ヶ丘の生態調査レポートにはキンランの名前がなかったからです。

 せんだって、「ややうみ坂ではキンランの株を見つけ、楽しみにしていましたが、盗掘されてしまった」と、顔見知りのYさんが残念がっていたことがありました。この思いも寄らない言葉から、「金蘭」がこの場所に生息しているのではないかとの淡い期待感を持ち始めました。

 それ以降、あれこれ調べているうちに、希望が丘文化公園公式ブログにて金蘭の写真が、掲載されていることを知りました。「希望ヶ丘リッチランド登山口をスタートし、鏡山までは約3km。まずは鳴谷池を目指します」と書かれていたことから、いずれこの付近で見つかるだろうと予測していました。

 今年になって、突然Kさんから「金蘭が鳴谷池付近で自生しているらしい」との一報が届きました。矢継ぎ早に、山友達のMさんからも、いとも簡単に「三上周辺にも金蘭を見つけた」と配信されました。また、顔見知りのKOさんからも写真を見せられ、納得しました。一気に慌ただしくなりました。
誰が最初に見つけたかはわかりませんが、とにかく2か所で発見され、山野草を愛でる人達に一気に広まっていったようです。私だけでなく、待ち望んでいた人が他にもいたことを知りました。

 早速出かけてみました。そこで見た光景は、私の目を疑うほど美しかったです。黄色い花びらが太陽の光を受けて輝き、緑の葉が風に揺れていました。

 キンランは滋賀県レッドデータブック2020年度版で絶滅危惧Ⅱ類に指定されています。野洲市では確認されていない貴重な植物です。私はこの発見に感動しましたが、同時に盗掘や開発などの脅威にも心配しました。キンランは私たちの財産です。大切に守っていきたいと思います。




※「滋賀県レッドデータブック2020年度版」 キンランは、県内の全域にわたって自生地が確認されている。だが、近隣の近江八幡市・草津市では、見つかっているが、野洲市はなかった。
「希望が丘文化公園 自然観察ガイドブック」の2004年生物リストにはキンラン・ギンランの記載されていない。なお、1971年「希望が丘の自然」の植物目録には、ギンランのみ報告がされていた。























2023年04月26日   身近なところの春蘭探し/滋賀

 春がやってくると、私は待ち遠しくなることがあります。 それは、身近な希望が丘や三上山周辺の水はけのよい尾根筋や傾斜地で“春ラン”が咲きだすのです。 風通しがよく、木漏れ日が当たるところで、葉っぱとあまり変わらない花芽を付けて、ひっそりと春を待っているのです。
 
 ところで、かつて春蘭は、山野や水田の路肩でも見られたそうです。地元のおばさんたちが、「春蘭の花を摘んでは、保存食として塩漬けたものです」といって、昔を懐かしんでいました。希望が丘の職員Kさんも、「花びらの天ぷらや酢漬けの和え物として、自然の風味と香りを楽しんでいた」と話していました。食生活にも取り入れられていた植物だったとはねぇ。

 城山の山頂の登り口では、春蘭にとって環境条件が揃った処だったのでしょう、立派な株に育っていました。ある日突然、鋭利なスコップでえぐられていました。私だけでなく、かなり知る人もおられ、「残念だ」と漏らしていました。
いやいや、春蘭を栽培して数多く枝分けさせて、この地に戻そうと思ったのでしょうか・・・・。そう思いたい。
 出世不動明王近くの区切られたところにも、毎年花を咲かしています。ここは、自生していると言うより、人手により世話をされているようで、人目が行きわたり盗掘は免れています。

 私は、自生している植物に拘っているので、いろいろな場所を探しまわっています。この頃、滋賀県の近江八幡市(おうみはちまんし)に出かけています。今年も行ってきました。そこには、春蘭が4か所ほどの株があり、その内の一か所に、やかましいほど開花していました。
 
近江八幡の山野に自生している春蘭



 そして、今年は新たに、野洲川沿いでこぶりながらも、一輪の花芽を付けている春蘭を見出しました。
葉の間から1本のひょろひょろとした茎が伸び、淡い色の花を一輪開いていました。正面から撮影するのか、横顔がいいのか、右側それとも左側、上下・・・・といろんな角度から眺めていると、花が恥ずかしがっているように見えたその姿を、パチリと撮りました。

最近見つけた野洲川河川敷の春蘭













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Posted by nonio at 07:19Comments(0)希望が丘近隣の山

2023年02月15日   希望が丘の奇岩探し

 「希望が丘の南陵コースらしいが、高さがひとの3倍ぐらいの岩がある」と“ラインで”一報が入った。写真も添付されていた。
 私は、すぐさま、この奇岩に引き寄せられた。
見たこともなく、こんなものが希望が丘に存在しているとは、にわかに信じられなかった。
希望が丘の広範囲の丘陵地帯を熟通しているHさんに、うかがってみると、「10年前、たまたま歩いていた時、オベリスク状の花こう岩を見つけ、このことを希望が丘の職員の方に伝えた」と言っていた。

 さて、Cさん、南陵コースの笹尾ヶ岳(P251M) 辺りを探しに行ったが、見当たらなかったのか、仔細に練り直して来たようだ。 
希望が丘の中央部には、東西方向にゆるやかな谷が走り、二本の川が流れている。東側へ流れている荒川谷に目を付けた。
林道 荒川谷線は、かつて西・東ゲートがなかった時代の希望が丘への入口である。荒川橋の手前の山道から、国土地理院の地図では無名の山(P242.9M)を目指した。
 
 人が滅多に入らないルートだが、木に赤テープがしっかりと取り付けられていた。積雪で歩きにくい山道を登りつめていくと、昭和58年の白色の標示杭が打たれた4等三角点に出合った。山頂らしきところに点名笹尾ケ嶽(P242.9)の表示札があった。古図ではこの辺りをそう呼ばれていたようだ。さらにうねうねと続く尾根筋を辿っていくと、待望の棒状の奇岩が現れた。谷側に回り込むと、高さが10mほどあった。

 ひとは、長い年月による侵食などにより、自然がつくりあげた造形に、畏敬の念を抱くものだ。さらに単なる無機物を物体だが、そこには精霊が宿っていると感じ取るようだ。
神社仏閣には賽銭を投げ入れているCさん、「観音像に見える」と言い出した。「岩が少しくびれているので」と。
 岩が少し曲がっている箇所に謙虚さを感じ取り、なお、その形に慈悲深さのイメージを持ったのであろう。やはり、大自然のなせるわざなのか。私も眺めていると、観音さんに見えてきた。
ところで、この奇岩、仮名「天突き岩」とも呼ばれているようだ。

 帰路は「希望の橋」の下に辿り着き、菩提寺方面へ流れる荒川沿いの林道を下り、出発点に戻ってきた。
 
点名笹尾ケ嶽(P242.9)付近にある観音岩











Posted by nonio at 03:36Comments(0)希望が丘

2022年12月30日   冬に咲かせた秋丁字

 山仲間Mさん達との話の中で、山野草の「アキチョウジュ」について盛り上がった。秋に咲き、丁子(釘という意味)のような形をしているので、こう呼ばれているようだ。

 そこは、鏡山連山の山麓。『ややうみ坂』・『のどの千軒跡』へと通ずる一帯であった。
かつて、薪を調達した古道で、赤ちゃんを産むぐらいの急な坂であったことから、『ややうみ坂』と言われるようになった。が、今では人も入らない森閑とした僻地。それゆえ、山野草も豊かなようである。
 「アキチョウジュの群生は、圧巻だねぇ」との一言から、どうしても一度立ち寄ってみたいと心が動いた。

晩秋のある日、5人で訪れる日がやってきた。

 この花を間近に眺めてみると。
今にも壊れてしまいそうな繊細なガラス細工のような姿態。風が吹けば、お互い触れ合い音を奏でるようだ。そんな中、淡い色合いのアキチョウジュが、私をまねいていた。この色調に、私が翻弄された。
 
 空や海の澄んだ色だが、単なる青色ではない。紺色にしては透明感がない。つゆくさの花にちなんだ明るい薄青色だから露草色なのであろう。いやいや、水のような青色を縹色(はなだいろ)と言われている。その濃さによって「深縹、中縹、次縹、浅縹」さらに淡い青は「水縹」と呼ばれている。
この色合いにも多少違和感が・・・・。回りまわって水の色を模した淡い青色は、「水色」に落ち着いた。

 このアキチョウジュは、私を魅惑した「秘色」であった。

 「水色」をしたこの花は、さえ冴えと凍った氷柱ように見えたので、とうとう真冬に咲かせてみた。
山野草は四季の移り変わりにしたがって、花が咲くのだが、私にとっての咲く時期は、気分次第。時には咲くことも咲かないこともある。

     ー自然の摂理に抗うのも、また楽しいー






    



2022年11月18日   秋リンドウ/希望が丘

 
ひと肌が恋しい時期になりました。
秋も深まり、木々は紅葉真っ盛りに。

地面に這いつくばるようにしたリンドウを一株見つけました。
寒かろう、一輪だけ花弁が開いていた。

木々の冬支度の行く秋に、どうして、花を咲かせるのだろうか。







タグ :秋リンドウ


Posted by nonio at 04:14Comments(0)希望が丘山野草

2021年09月29日   貴重な青いキノコ「ソライロタケ」/希望が丘

   三上山の裏山道沿いのCコースと呼称されている道筋を下山していった。

私にとって、このルートは、コロナ禍での重宝している秘道である。出合う人もなく、檜林に覆われ、深山の雰囲気が漂っているところだ。
森林特有の冷気が満ち満ちている。樹木が吐き出す空気を吸うのが楽しみである。
 
 今回も、思い切り山中の山気を体に取り込むと、瞬く間に心身ともにすがすがしい爽快感に包まれた。

 ずり落ちそうな傾斜を懸命に前に前にと踏み出していった。

Sさんが、倒伏した樹木もそのまま放置された木陰から、指をさした。 「黄色いキノコが・・・」と。
黄色のキイボカサタケらしい、小さなキノコが重なり合っていた。ここは手つかずの大自然がそのままだ。

通称Cコースの途中でキイボカサタケが自生


 ────今年も、いつの間にかキノコが育つ秋になってきたようだ。────

 過日、『9月14日兵庫県豊岡市で、高さは約5センチ、傘の直径は3センチほどの青いキノコ「ソライロタケ」が見つかりました』とのニュースを二度も。豊岡市で10数年ぶりに発見された大変貴重なキノコ「ソライロタケ」らしい。

 私は、この映像を見て、咄嗟に空色のキノコの情景が頭をよぎった。
7年前、黄色のキイボカサタケ・赤色のアカヤマタケ(アカイボガサタケ)のカラフルなキノコ達に出合った。それから脇道を辿っていくと一本の空色のキノコがひっそりと生えていた。

 早速、「希望が丘」の中央道の天山登口から入山して、少し進んだところの脇道を辿ってみた。形が崩れたキノコが散乱していたが、念入りに山野を押し入ってみた。

 既に最盛期を過ぎた「ソライロタケ」を見出した。

天山山麓の青色のキノコ「ソライロタケ」


7年前出会った「ソライロタケ」

2015年09月18日ブログ 色彩豊かなキノコ達/希望が丘で「ソライロタケ」。

 尚、「ソライロタケ」は珍しいキノコのため研究が進んでおらず、詳しい性質はまだわかっていません。尚、研究者は近縁種に毒キノコがあるため「食べずに眺めるだけにしてほしい」と呼びかけられていた。











 
 



















 







Posted by nonio at 06:38Comments(5)希望が丘

2020年12月06日   野に咲く瑠璃色のリンドウ

 
 自生している「ツルリンドウ」を求めて、三上山山麓を徘徊した。やっと一株見出すと、その辺りに次々と・・・。
でも、蕾を付けていたが、すでに寒いのか、とうとう
花弁を開くことがなかった。

 そうこうしている内に、「リンドウ」に関心が移った。場所はほぼ判っても探し出すとなると、一筋縄ではいかない。
Kさんの適格なるアドバイスを得て、思わぬ場所で見出した。

 11月中旬、群れるのを拒むように、一株のリンドウがぽつねんと咲いていた。
美しいリンドウの花が野山に一輪で咲く姿から、『悲しみに寄り添う』や『寂しい愛情』の言葉が引き合いにされるのだが、私は、視点をそこにもっていくべきでない。

 「異花どもみな霜枯れたるに、いとはなやかなる色」とリンドウの色を賞賛されている。 辺りがくすんだ褐色に染まる頃、紫みを帯びた深い青色の花姿は「いとをかし」と。 

 この見事な色彩はほっておけない。
美しい青色した草花の色合いを文字で表してみたかった。行き着いたのが、群青色と瑠璃色。
どうも「青が群がったような色」という意味からつけられた群青色は、孤高を好む花に対して違和感がある。
リンドウには、濃紺色よりは明るく、紺色でもない瑠璃色の言葉を贈りたい。
一週間後、再訪したが、リンドウは、すでに褐色にその姿を潜めていた。いかにも晩秋に咲く花であった。

 いずれにしても、自然界には、しみじみとした味わい深い色彩があるものだ。
 










Posted by nonio at 17:34Comments(0)希望が丘近隣の山