野洲市内を縦断している清い水の川がある。この川は、『平家物語』に登場する祇王にちなんで祇王井川と呼ばれている。
西祇王井川と東祇王井川に分岐している川沿いには、桜の木が植え付けられ、花が咲くと人でにぎわう処である。なお、双方の川のレベルが違っていることから、空気堰(ラバーダム)が設けられているので、幾分流れが遅くなっている。
それはそうと、一度だけ、散った花びらが川面に連なって浮かんだり、筋状になって流れる様を目撃したことがあった。
その後、毎年桜が散る頃になると、この光景を期待して、訪れるのだが、二度と起こらなかった。
どうして、起こったのか、長らく謎であった。
その日は、かなり荒れ模様の天気だった。祇王井川の流れに逆らった方向に、強い風が吹きつけた。
川面を眺めていると、浮いていた花弁が、さざ波に乗って上流に押し戻されていた。
そして、風がないだ時に、この一瞬だけ、珍しい現象が起こっていた・・・・・。
ソメイヨシノ(染井吉野)は、つぼみから満開まで一週間。満開宣言されて僅か4,5日であっけなく散っていく。
古来から桜の様子の表した言葉として、満開の桜は「花盛り」、花びらが舞い散るさまは「桜吹雪」、水面に散った花びらが川面にかたまって浮かんで漂う様を「花筏」と言われている。
花盛りもいいが、私にとっては、命には限りがあると言うことなのか、清く散っていく「花筏」に、潔さ・はかなさを見出し、響いてきたかもしれません。
散った花びらが浮かんでいる様子を“花筏”といわれ、また、散った花びらが水に流れていく様を“桜流し”とも言われている。この様子を言葉にすると、後者が、いいのかもしれない。



西祇王井川と東祇王井川に分岐している川沿いには、桜の木が植え付けられ、花が咲くと人でにぎわう処である。なお、双方の川のレベルが違っていることから、空気堰(ラバーダム)が設けられているので、幾分流れが遅くなっている。
それはそうと、一度だけ、散った花びらが川面に連なって浮かんだり、筋状になって流れる様を目撃したことがあった。
その後、毎年桜が散る頃になると、この光景を期待して、訪れるのだが、二度と起こらなかった。
どうして、起こったのか、長らく謎であった。
その日は、かなり荒れ模様の天気だった。祇王井川の流れに逆らった方向に、強い風が吹きつけた。
川面を眺めていると、浮いていた花弁が、さざ波に乗って上流に押し戻されていた。
そして、風がないだ時に、この一瞬だけ、珍しい現象が起こっていた・・・・・。
ソメイヨシノ(染井吉野)は、つぼみから満開まで一週間。満開宣言されて僅か4,5日であっけなく散っていく。
古来から桜の様子の表した言葉として、満開の桜は「花盛り」、花びらが舞い散るさまは「桜吹雪」、水面に散った花びらが川面にかたまって浮かんで漂う様を「花筏」と言われている。
花盛りもいいが、私にとっては、命には限りがあると言うことなのか、清く散っていく「花筏」に、潔さ・はかなさを見出し、響いてきたかもしれません。
散った花びらが浮かんでいる様子を“花筏”といわれ、また、散った花びらが水に流れていく様を“桜流し”とも言われている。この様子を言葉にすると、後者が、いいのかもしれない。



読売新聞の光画アルバム四季彩々に「大賀のハス」が咲いているとの記事を見たので、地元の野洲市弥生の森歴史公園にでかけた。
古代の竪穴住居を背後にして、一輪の薄桃色の大輪が咲いていた。
このハスは、 2000年も長い間、種子が地中に埋もれていたのだが、大賀一郎博士によって、みごとに蘇生、開花したものを譲り受けたものでる。
地下約6mの泥炭層からハスの種子3粒が発掘された。このうち1粒の発芽に成功し、「大賀ハス」と名づけられた。このハスは「世界最古の花」として、海外でも大きい反響を得ている。
一口に2000年前と言うけれど、日本人がまだ、文字もない時代である。
狩猟生活を経て集団で定住し始め、竪穴住居の近くには、このようにハスも咲いていたのであろう・・・・。
いつの日か当てもないのだが、日の目を見るため生き続けていたのだ。これ程、植物の胚芽が丈夫に出来ていたのか、と驚かされ、太古の眠りから覚めた植物の力強いパワーに圧倒された一日であった。


古代の竪穴住居を背後にして、一輪の薄桃色の大輪が咲いていた。
このハスは、 2000年も長い間、種子が地中に埋もれていたのだが、大賀一郎博士によって、みごとに蘇生、開花したものを譲り受けたものでる。
地下約6mの泥炭層からハスの種子3粒が発掘された。このうち1粒の発芽に成功し、「大賀ハス」と名づけられた。このハスは「世界最古の花」として、海外でも大きい反響を得ている。
一口に2000年前と言うけれど、日本人がまだ、文字もない時代である。
狩猟生活を経て集団で定住し始め、竪穴住居の近くには、このようにハスも咲いていたのであろう・・・・。
いつの日か当てもないのだが、日の目を見るため生き続けていたのだ。これ程、植物の胚芽が丈夫に出来ていたのか、と驚かされ、太古の眠りから覚めた植物の力強いパワーに圧倒された一日であった。
2000年前の古代日本を彷彿させる風景

古代の色合いをしていた大賀ハス

5月連休 三上山の麓にある滋賀県立近江富士花緑公園では、シャクナゲが咲いていた。0.5ヘクタールに県花のホンシャクナゲをはじめ外国で改良された園芸品種など450本が生育され、 4月中旬から5月下旬(月曜日休み)まで咲いているようだ。



4月25日、 三上山の麓に広がる滋賀県野洲市にある近江富士花緑公園(ふるさと館)へ。
ソメヨシノの桜は判で押したように一斉に咲き一斉に消え去った。
駐車場の臨時警備員もいなくなり、ひとも来なくなった。
三上山登山口の遅咲きのサトザクラが、2~3日前から色づき始め満開に・・・。
サトザクラと呼ばれた八重桜
花はやや大きめで丸くふんわりとしているので、
正式名は関山のようだ。



ソメヨシノの桜は判で押したように一斉に咲き一斉に消え去った。
駐車場の臨時警備員もいなくなり、ひとも来なくなった。
三上山登山口の遅咲きのサトザクラが、2~3日前から色づき始め満開に・・・。
サトザクラと呼ばれた八重桜
花はやや大きめで丸くふんわりとしているので、
正式名は関山のようだ。



タグ :三上山
田中山から三上山を望む

案内してもらった山仲間O氏が、この山が、かつて金儲けにかかわることで脚光を浴びていた時があった、と説明してくれた。
話は江戸時代中期まで遡るのだが、大阪の堂島には日本全国の年貢米が集められた。当時この米価が全ての物件の基本となっており、船場のあきんど達 は、米相場をいち早く知ろうとしていた。その方法として、見通しのよい山から山へと旗振り通信が行われていたと言うのである。そんな山のひとつであった。 明治26年3月に大阪に電話が開通すると次第に電話にとって代わられ、大正時代には完全に廃れてしまった。
相場旗振山(野洲)の岩場

この三上山周辺の山々には、堂島から桑名方面への旗振り通信が滋賀県を経由して三重県に伝達されていた桑名ルートもあった。その中継地点として、菩提寺山も旗振り山であった。案内してもらった山仲間O氏が発見にかなり関与していた。旗振り山 「著者 柴田 昭彦」に詳細に記述されている。
いずれにしても、この辺りは商魂逞しい近江商人の土地柄、お蝶と言う米相場師が大儲けした話など伝わっており、色んなルートがあった。
野洲の相場旗振山周辺の相場に関った山々

写真1 相場旗振山(野洲)の岩場にある旗を立てた穴
写真2 相場旗振山(野洲)から安養寺山
写真3 岩戸山(十三仏)から三上山を望む
写真4 岩戸山頂上での受信方向を示した矢印
写真5 菩提寺山の展望岩から安養寺山


これほど張り巡らされた通信ルートが出来上がり、1日何回もおこなわれた。一刻を争って米相場を知る必要があるのであろうか疑問に思えた。 どうして、そこまでしてやるのか。よくわからなかった。
調べていくと、米の移動に伴う取引だけでなく、もう1つ、帳合米取引所も行われていた。帳簿だけの取引、つまり敷銀という証拠金を積むだけで、差金決済する先物取引が行なわれていた。米は不作もあれば豊作もあって価格は常に動いた。それを船場商人が予測して、買いつけては、売りつけていた。収穫前での帳簿の上の投機的取引である。思惑通りなら、大儲けになるが、逆の値動きになれば破産してしまう。だから、一攫千金を狙って、誰よりも一刻も早い情報がほしかったため、旗振通信を編み出していった。この方法は世界でも例を見ない方法らしい。
参考資料 旗振り山 著者 柴田 昭彦
おうみの旗振り山 中島伸男
野洲市には、「生」の文字が付けられた地名が3つほどあります。 ところで、この「生」は漢字の中で一番読み方の多い字なのです。 ですから、地名の読み方も難しいのです。
「生」の読み方は、どのぐらいあるかと言いますと人名・地名まで含めると、ただただ呆れます。158種あると言われています。因みに、この対義語で「死」の読みは音、訓とも同じで、「し」の一つしかありません。「生」は色んな読み方ができるように、生まれてくる時には、色んな可能性をひめているように思えます。一方、読み方が、ひとつしかない「死」は、やはり、寂しいものです。
さて、中山道沿いの史跡公園に、桜生と書いて「さくらばさま」と読みます。この文字を読んで「さくらばさま」と読める人は、滅多にいないでしょう。
野洲市には、続いて、虫生を「むしゅう 」、竹生を「たけじょう」と「生」の文字を組み込んだ地名があます。このように、「生」と言う漢字をなぜ用いられたか、その由来はわかりませんが、古くからその土地の生活や文化に深く根付いているものでしょう。いずれにしても、野洲に読み方のややこしい「生」の文字を使った地名を持ち込んだものです。
今日は、竹生にやってきました。ここを「たけじょう」とも「たけんじょ」と呼ばれています。以前、野洲川の南流と北流の分岐点。ここに、野洲市の紅葉の街路樹の中で、群を抜いたビューポイントがあります。この樹は「ふうの木」。漢名は「楓」ですが、音読みすればフウ、訓読みすればカエデということになります。
フウの紅葉は誠に美しい。緑から黄色味を帯び、やがて紅色となり、色んな色合を見せてくれます。
野洲と守山の境界地に植えつけられた街路樹。守山側は、理由があったにせよ伐採されたようですが、野洲川は保存されたようです。ボランティアの仲間は、保存するように嘆願したといっていました。
樹は伐採するのは簡単なこと、でも、育てるのは50年、いや人間の一生以上の時間が、かかります・・・・・。だから、「生」を大事にしなければなりません。
「生」の読み方は、どのぐらいあるかと言いますと人名・地名まで含めると、ただただ呆れます。158種あると言われています。因みに、この対義語で「死」の読みは音、訓とも同じで、「し」の一つしかありません。「生」は色んな読み方ができるように、生まれてくる時には、色んな可能性をひめているように思えます。一方、読み方が、ひとつしかない「死」は、やはり、寂しいものです。
さて、中山道沿いの史跡公園に、桜生と書いて「さくらばさま」と読みます。この文字を読んで「さくらばさま」と読める人は、滅多にいないでしょう。
野洲市には、続いて、虫生を「むしゅう 」、竹生を「たけじょう」と「生」の文字を組み込んだ地名があます。このように、「生」と言う漢字をなぜ用いられたか、その由来はわかりませんが、古くからその土地の生活や文化に深く根付いているものでしょう。いずれにしても、野洲に読み方のややこしい「生」の文字を使った地名を持ち込んだものです。
今日は、竹生にやってきました。ここを「たけじょう」とも「たけんじょ」と呼ばれています。以前、野洲川の南流と北流の分岐点。ここに、野洲市の紅葉の街路樹の中で、群を抜いたビューポイントがあります。この樹は「ふうの木」。漢名は「楓」ですが、音読みすればフウ、訓読みすればカエデということになります。
フウの紅葉は誠に美しい。緑から黄色味を帯び、やがて紅色となり、色んな色合を見せてくれます。
野洲と守山の境界地に植えつけられた街路樹。守山側は、理由があったにせよ伐採されたようですが、野洲川は保存されたようです。ボランティアの仲間は、保存するように嘆願したといっていました。
樹は伐採するのは簡単なこと、でも、育てるのは50年、いや人間の一生以上の時間が、かかります・・・・・。だから、「生」を大事にしなければなりません。

三上山の麓にある滋賀県立近江富士花緑公園には、四季折々に咲く花を求めてよく出かけた。しかし、今まで.県花の「シャクナゲ」が奥の山手に植えつけられていることを知らなかった。
先日、園芸サークル活動で無駄話をしている時「近江富士花緑公園にある植物園の東側斜面一帯にシャクナゲが、今咲いていることを聞いた。ここでボランティア活動をされているのか、よく知っておられた。シャクナゲの森には、0.5ヘクタールに県花のホンシャクナゲをはじめ外国で改良された園芸品種など450本が生育している。 4月中旬から5月下旬(月曜日休み)まで咲いているらしい。
この話を聞き、少し遅いかもしれないが、5月16日、兎に角、訪れてみた。
滋賀県立近江富士花緑公園前にある無料駐車場に自動車を止め、公園噴水広場の奥を通り越し、そのままシャクナゲの森に入った。朝早く出かけたので 人影はほとんどなかった。整備された散策路を辿っていくと ホンシャクナゲの花はすでに終わっていたが、これから本番を迎えているシャクナゲもあった。






先日、園芸サークル活動で無駄話をしている時「近江富士花緑公園にある植物園の東側斜面一帯にシャクナゲが、今咲いていることを聞いた。ここでボランティア活動をされているのか、よく知っておられた。シャクナゲの森には、0.5ヘクタールに県花のホンシャクナゲをはじめ外国で改良された園芸品種など450本が生育している。 4月中旬から5月下旬(月曜日休み)まで咲いているらしい。
この話を聞き、少し遅いかもしれないが、5月16日、兎に角、訪れてみた。
滋賀県立近江富士花緑公園前にある無料駐車場に自動車を止め、公園噴水広場の奥を通り越し、そのままシャクナゲの森に入った。朝早く出かけたので 人影はほとんどなかった。整備された散策路を辿っていくと ホンシャクナゲの花はすでに終わっていたが、これから本番を迎えているシャクナゲもあった。






それは、一瞬の出来事であった。
神々が住むという天空の雲の切れ間から、薄明の光線が漏れ出した。光線の柱が放射状に地上へ降り注いでいた。
大自然の畏敬を覚えながら、いく筋もの光芒を辿り、悠久の自然に自らを同化させていた。
2013年4月1日、野洲にて

神々が住むという天空の雲の切れ間から、薄明の光線が漏れ出した。光線の柱が放射状に地上へ降り注いでいた。
大自然の畏敬を覚えながら、いく筋もの光芒を辿り、悠久の自然に自らを同化させていた。
2013年4月1日、野洲にて

TVを見ていると、2013年1月ごろから放映開始したトヨタのCMで「いつ買うか?今でしょ!」のフレーズを耳にした。この元は、現代文を教える予備校の林修先生で、以前に東進ハイスクールのCMで発言した「ぢゃ、いつやるか?」「今でしょ」の決めセリフ。
同じニュアンスの「何をしてくれるかではなく、何が出来るか」J.Fケネディ大統領就任演説の言葉も気になる。
平凡な毎日を送っている私にとっては、貧しい体験しかない。この問いを詰め寄られても返答に困る。が、いろいろ考えあぐんだ結果、最近行ったボランティアの植樹かなー。
小説家、開高健が色紙に好んで書いた言葉
明日、世界が滅びるとしても
今日、君は林檎の樹を植える
野洲川河川には、ケヤキ、エノキ、ムクなどの木々で自然森を形成している。ここに生育している大木のケヤキの種から、2~3年に育った苗木を、荒地のひろばに移植する作業の手伝いをしている。この一帯の森林は、整備の最中で、まだまだ粗削りであるが、森特有の発するさわやかな空気が流れ、気持が和むところである。
「ここが整備されるのは、どのぐらいかかるの」と世話人に尋ねると、
「よくわからないな~。次の世代が継ぐよ」と、気の長い話だ。
「ケアキの樹齢は」と尋ねると、
「ケヤキ、長寿の木であり、場合によっては樹齢が2000年ともいわれている」と返答。
100年後「私」の存在すら皆無
ケアキ、どこまで大きくなるだろ
2000年後を託したこの樹は、私を覚えているだろうか


同じニュアンスの「何をしてくれるかではなく、何が出来るか」J.Fケネディ大統領就任演説の言葉も気になる。
平凡な毎日を送っている私にとっては、貧しい体験しかない。この問いを詰め寄られても返答に困る。が、いろいろ考えあぐんだ結果、最近行ったボランティアの植樹かなー。
小説家、開高健が色紙に好んで書いた言葉
明日、世界が滅びるとしても
今日、君は林檎の樹を植える
野洲川河川には、ケヤキ、エノキ、ムクなどの木々で自然森を形成している。ここに生育している大木のケヤキの種から、2~3年に育った苗木を、荒地のひろばに移植する作業の手伝いをしている。この一帯の森林は、整備の最中で、まだまだ粗削りであるが、森特有の発するさわやかな空気が流れ、気持が和むところである。
「ここが整備されるのは、どのぐらいかかるの」と世話人に尋ねると、
「よくわからないな~。次の世代が継ぐよ」と、気の長い話だ。
「ケアキの樹齢は」と尋ねると、
「ケヤキ、長寿の木であり、場合によっては樹齢が2000年ともいわれている」と返答。
100年後「私」の存在すら皆無
ケアキ、どこまで大きくなるだろ
2000年後を託したこの樹は、私を覚えているだろうか

