あるものを見せるため、孫を連れて希望が丘の中央道を上って行った。坂道になってくると、
「じいちゃん、まだなの」と喘ぎながら訴えてきた。
「もうすぐだよ」と苦しさを紛らすため、そう言った。また少し登って行くと、同じことを聞き直してきた。でも同じことを言った。
「どこに行くの」と孫が聞いてきたので、
「爺は一枚の葉っぱを10年近く見守っている。この道を通るときには必ず寄っているところだ」と話した。
「ふ~、どうして」と聞き直してきた。
「花が咲くのを待っているのだが、なかなか咲かないよ」
・・・・・・・
「どうして、咲かないの。栄養が足らないかも。その草花の名前は何というの」
「サイハイランだよ。山の中でひっそりと元気に暮らしていたのに、誰かが掘り起こして持って行ってしまった。その後、葉っぱ一枚にまでなってしまった」
「葉っぱも出なくなったのであきらめていた。が、最近また葉っぱ一枚が生き返ってきた」と説明してやった。
「かわいそうなサイハイランだね。花が咲いたらいいのにねぇ」と、孫は健気に相槌を打った。

2016年2月4日、Hさんからサイハイランの場所を教わった。野洲市には唯一の自生している貴重な植物である。その後、希望が丘の中央道を登る度に、あの場所へと足を運んだ。その年のある日、突然元気をなくした姿を見て胸が痛んだ。周囲の枯葉を取り除くと、鋭利にスコップで土がえぐられ、何者かによって持ち去られた跡が明らかだった。
サイハイランはラン菌との共生なしには生きられない繊細な山野草である。自然の姿を愛でるはずの人が、なぜこんな行為に及ぶのか、理解に苦しんだ。それから数年間、葉すら見られない時期があった。諦めかけていた矢先、小さな緑の芽を見つけた時の喜びは言葉にならなかった。
唯一の望みは、1枚の葉っぱが生きながらえることだ。きっといつか、美しい花を咲かせる日が来るはずだから。


「じいちゃん、まだなの」と喘ぎながら訴えてきた。
「もうすぐだよ」と苦しさを紛らすため、そう言った。また少し登って行くと、同じことを聞き直してきた。でも同じことを言った。
「どこに行くの」と孫が聞いてきたので、
「爺は一枚の葉っぱを10年近く見守っている。この道を通るときには必ず寄っているところだ」と話した。
「ふ~、どうして」と聞き直してきた。
「花が咲くのを待っているのだが、なかなか咲かないよ」
・・・・・・・
「どうして、咲かないの。栄養が足らないかも。その草花の名前は何というの」
「サイハイランだよ。山の中でひっそりと元気に暮らしていたのに、誰かが掘り起こして持って行ってしまった。その後、葉っぱ一枚にまでなってしまった」
「葉っぱも出なくなったのであきらめていた。が、最近また葉っぱ一枚が生き返ってきた」と説明してやった。
「かわいそうなサイハイランだね。花が咲いたらいいのにねぇ」と、孫は健気に相槌を打った。
2025年25月1日撮影1枚の葉っぱ

2016年2月4日、Hさんからサイハイランの場所を教わった。野洲市には唯一の自生している貴重な植物である。その後、希望が丘の中央道を登る度に、あの場所へと足を運んだ。その年のある日、突然元気をなくした姿を見て胸が痛んだ。周囲の枯葉を取り除くと、鋭利にスコップで土がえぐられ、何者かによって持ち去られた跡が明らかだった。
サイハイランはラン菌との共生なしには生きられない繊細な山野草である。自然の姿を愛でるはずの人が、なぜこんな行為に及ぶのか、理解に苦しんだ。それから数年間、葉すら見られない時期があった。諦めかけていた矢先、小さな緑の芽を見つけた時の喜びは言葉にならなかった。
唯一の望みは、1枚の葉っぱが生きながらえることだ。きっといつか、美しい花を咲かせる日が来るはずだから。
2016年2月4日撮影4枚の葉っぱ

2016年5月21日撮影1枚の葉っぱになった

春の野に咲くタンポポは、種を飛ばす時期になると、芸術作品のような姿に変わります。白い綿毛が集まってできた、美しい球体の形を見せてくれます。
花が咲き終わった後に現れるこの白くふわふわした球体は、完璧な「球」の形をしています。中心から放射状に綿毛が伸び、どの方向にも均等に広がっている様子は、カメラで捉えることができる美しい光景です。それぞれの綿毛の先には、次の世代のタンポポとなる種がついています。
しかし、写真では見えにくい秘密が、タンポポにはあります。実は、綿毛が飛び立つ前の黄色い花の状態で見ると、中心部の種の配置には「フィボナッチ数列」という数学的なパターンが隠れているのです。
フィボナッチ数列とは、1, 1, 2, 3, 5, 8, 13...と続く数列で、前の二つの数を足すと次の数になるという単純なルールでできています。この数列に従って種が並ぶと、ちょうど中心から外側へと効率よく密度が調整された美しい螺旋模様が形成されます。写真ではこの精密な配列を捉えるのは難しいですが、実際に花を分解して観察すると、その規則性に驚かされます。
この配置には実用的な意味もあります。中心部が過密になりすぎず、外側がすかすかになることもなく、限られた空間に効率よく多くの種を詰め込むことができるのです。これは、植物が長い進化の過程で獲得した知恵の表れです。
綿毛が風に舞う姿は目に見える美しさですが、その背後には目には見えにくい数学的な美しさが隠れています。タンポポは、目に見える形だけでなく、その成り立ちの原理においても、自然が生み出した芸術作品なのです。




花が咲き終わった後に現れるこの白くふわふわした球体は、完璧な「球」の形をしています。中心から放射状に綿毛が伸び、どの方向にも均等に広がっている様子は、カメラで捉えることができる美しい光景です。それぞれの綿毛の先には、次の世代のタンポポとなる種がついています。
しかし、写真では見えにくい秘密が、タンポポにはあります。実は、綿毛が飛び立つ前の黄色い花の状態で見ると、中心部の種の配置には「フィボナッチ数列」という数学的なパターンが隠れているのです。
フィボナッチ数列とは、1, 1, 2, 3, 5, 8, 13...と続く数列で、前の二つの数を足すと次の数になるという単純なルールでできています。この数列に従って種が並ぶと、ちょうど中心から外側へと効率よく密度が調整された美しい螺旋模様が形成されます。写真ではこの精密な配列を捉えるのは難しいですが、実際に花を分解して観察すると、その規則性に驚かされます。
この配置には実用的な意味もあります。中心部が過密になりすぎず、外側がすかすかになることもなく、限られた空間に効率よく多くの種を詰め込むことができるのです。これは、植物が長い進化の過程で獲得した知恵の表れです。
綿毛が風に舞う姿は目に見える美しさですが、その背後には目には見えにくい数学的な美しさが隠れています。タンポポは、目に見える形だけでなく、その成り立ちの原理においても、自然が生み出した芸術作品なのです。



