春の野に咲くタンポポは、種を飛ばす時期になると、芸術作品のような姿に変わります。白い綿毛が集まってできた、美しい球体の形を見せてくれます。
花が咲き終わった後に現れるこの白くふわふわした球体は、完璧な「球」の形をしています。中心から放射状に綿毛が伸び、どの方向にも均等に広がっている様子は、カメラで捉えることができる美しい光景です。それぞれの綿毛の先には、次の世代のタンポポとなる種がついています。
しかし、写真では見えにくい秘密が、タンポポにはあります。実は、綿毛が飛び立つ前の黄色い花の状態で見ると、中心部の種の配置には「フィボナッチ数列」という数学的なパターンが隠れているのです。
フィボナッチ数列とは、1, 1, 2, 3, 5, 8, 13...と続く数列で、前の二つの数を足すと次の数になるという単純なルールでできています。この数列に従って種が並ぶと、ちょうど中心から外側へと効率よく密度が調整された美しい螺旋模様が形成されます。写真ではこの精密な配列を捉えるのは難しいですが、実際に花を分解して観察すると、その規則性に驚かされます。
この配置には実用的な意味もあります。中心部が過密になりすぎず、外側がすかすかになることもなく、限られた空間に効率よく多くの種を詰め込むことができるのです。これは、植物が長い進化の過程で獲得した知恵の表れです。
綿毛が風に舞う姿は目に見える美しさですが、その背後には目には見えにくい数学的な美しさが隠れています。タンポポは、目に見える形だけでなく、その成り立ちの原理においても、自然が生み出した芸術作品なのです。




花が咲き終わった後に現れるこの白くふわふわした球体は、完璧な「球」の形をしています。中心から放射状に綿毛が伸び、どの方向にも均等に広がっている様子は、カメラで捉えることができる美しい光景です。それぞれの綿毛の先には、次の世代のタンポポとなる種がついています。
しかし、写真では見えにくい秘密が、タンポポにはあります。実は、綿毛が飛び立つ前の黄色い花の状態で見ると、中心部の種の配置には「フィボナッチ数列」という数学的なパターンが隠れているのです。
フィボナッチ数列とは、1, 1, 2, 3, 5, 8, 13...と続く数列で、前の二つの数を足すと次の数になるという単純なルールでできています。この数列に従って種が並ぶと、ちょうど中心から外側へと効率よく密度が調整された美しい螺旋模様が形成されます。写真ではこの精密な配列を捉えるのは難しいですが、実際に花を分解して観察すると、その規則性に驚かされます。
この配置には実用的な意味もあります。中心部が過密になりすぎず、外側がすかすかになることもなく、限られた空間に効率よく多くの種を詰め込むことができるのです。これは、植物が長い進化の過程で獲得した知恵の表れです。
綿毛が風に舞う姿は目に見える美しさですが、その背後には目には見えにくい数学的な美しさが隠れています。タンポポは、目に見える形だけでなく、その成り立ちの原理においても、自然が生み出した芸術作品なのです。




日が暮れる頃自動車を運転していると、ある一角から溢れんばかりの「赤味かかった紫色」が飛び込んできた。紫色と言えば、赤の持つ活力や生命力というのか、また青の持つ冷静さや深みの相容れない色調が共鳴しあっている色である。
単なる自然の色彩の中での希少性だからこそ視覚的に目立つというだけでなく、見る者にとって何かを訴えかけてくる色合いである。

一旦帰宅して、すぐさまカメラを持参して赤紫色を放っているその場に出かけた。あたりが暗くなってきていたが、赤紫の主は何かと近寄ってみると、赤紫色の小さな筒状の花がお互い負けじと数え切れないほど咲き乱れていた。
この花はよく見ると我が畑にも侵入してきている「ホトケノザ」であることが分かった。葉は茎を抱くような形をしており、それが名前の由来にもなっているので、この草の名前をよく覚えていた。 ここでは競争相手もなく、春になると爆発的に増え、一面を赤紫色で染め上げ、楽園を築いていたのだ。
私は、ある一点のホトケノザに焦点を定めシャッターを切った。写真を撮るだけでなく、ここにしばらく佇んでみた。
この花々が作り出すこの赤紫色は本来は花粉を運ぶミツバチや蝶などを呼び寄せるために進化してきた色だが、その色彩の魅力は昆虫だけでなく、私も呼び込んでいた。昆虫にとってこの色は、蜜のありかを知らせる重要なサインだろう。しかし、私には、それ以上の何かを語りかけてくるようだ。ホトケノザは昆虫以外の生物に興味を持っていたのではないかとの意思さえ感じた。
ここには面白い関係が生まれていた。植物が昆虫を誘うために作り出した色の信号に、人間も同じように反応している。自然が用意した虫たちへの招待状を、人間も受け取ってしまう構図である。
人間の感受性もまた、自然の一部として形作られていると考えれば、「植物の色彩への共鳴も不思議ではないのでしょう」と説明されると、誰もが納得するだろう。そうだろうか。
ミツバチは蜜を求め、ホトケノザは確実に受粉させるために花びらの形状や彩色を進化させてきた。これらは、途方もなく長い時間、何千万年、いや億年にもわたる試行錯誤の中で生み出された色である。単純な話でもない。
私は、人間も生物と一緒でなく、むしろ、畏敬の念が先行すべきか。
その色彩は、目的達成のための手段でありながらも、本来持つ畏敬すべき存在感を秘めている。人間はその存在を単に「割り込む」のではなく、この壮大な自然の営みに対して謙虚に、そして敬意をもって接するべきだと思う。ただし、こうした問いに答えを定めるのは極めて困難だ。なぜなら、進化が何千万年もの時の中で無数の微細な変化を積み重ねた結果として現れた現象と、私たちが抱く美意識とは、時に全く異なる側面を持っている。
このように、ホトケノザの鮮やかな赤紫色は、昆虫との共進化という自然の摂理に加え、人間の美意識というフィルターを通して、新たな価値を生み出しているといえるかもしれない。一枚の花の写真から、自然界の巧妙な戦略と、それに対する人間の感性が織りなす、奥深い関係性を垣間見ることができたかもしれない。それは、単なる植物の生存戦略を超えた、自然と人間との間の静かな対話とも言えるかもしれない。

単なる自然の色彩の中での希少性だからこそ視覚的に目立つというだけでなく、見る者にとって何かを訴えかけてくる色合いである。

一旦帰宅して、すぐさまカメラを持参して赤紫色を放っているその場に出かけた。あたりが暗くなってきていたが、赤紫の主は何かと近寄ってみると、赤紫色の小さな筒状の花がお互い負けじと数え切れないほど咲き乱れていた。

私は、ある一点のホトケノザに焦点を定めシャッターを切った。写真を撮るだけでなく、ここにしばらく佇んでみた。
この花々が作り出すこの赤紫色は本来は花粉を運ぶミツバチや蝶などを呼び寄せるために進化してきた色だが、その色彩の魅力は昆虫だけでなく、私も呼び込んでいた。昆虫にとってこの色は、蜜のありかを知らせる重要なサインだろう。しかし、私には、それ以上の何かを語りかけてくるようだ。ホトケノザは昆虫以外の生物に興味を持っていたのではないかとの意思さえ感じた。
ここには面白い関係が生まれていた。植物が昆虫を誘うために作り出した色の信号に、人間も同じように反応している。自然が用意した虫たちへの招待状を、人間も受け取ってしまう構図である。
人間の感受性もまた、自然の一部として形作られていると考えれば、「植物の色彩への共鳴も不思議ではないのでしょう」と説明されると、誰もが納得するだろう。そうだろうか。
ミツバチは蜜を求め、ホトケノザは確実に受粉させるために花びらの形状や彩色を進化させてきた。これらは、途方もなく長い時間、何千万年、いや億年にもわたる試行錯誤の中で生み出された色である。単純な話でもない。
私は、人間も生物と一緒でなく、むしろ、畏敬の念が先行すべきか。
その色彩は、目的達成のための手段でありながらも、本来持つ畏敬すべき存在感を秘めている。人間はその存在を単に「割り込む」のではなく、この壮大な自然の営みに対して謙虚に、そして敬意をもって接するべきだと思う。ただし、こうした問いに答えを定めるのは極めて困難だ。なぜなら、進化が何千万年もの時の中で無数の微細な変化を積み重ねた結果として現れた現象と、私たちが抱く美意識とは、時に全く異なる側面を持っている。
このように、ホトケノザの鮮やかな赤紫色は、昆虫との共進化という自然の摂理に加え、人間の美意識というフィルターを通して、新たな価値を生み出しているといえるかもしれない。一枚の花の写真から、自然界の巧妙な戦略と、それに対する人間の感性が織りなす、奥深い関係性を垣間見ることができたかもしれない。それは、単なる植物の生存戦略を超えた、自然と人間との間の静かな対話とも言えるかもしれない。



「タムシバは香りがない」と言われがちだが、そうとも限らない。奥美濃の蕎麦粒山でタムシバに近づいたとき、若い花弁からほのかに高貴な香りが漂っていた。どうやら、咲き始めの花だけが香るようなのだ。それ以来、春先のくすんだ雑木林の中で、この花に心を奪われるようになった。
野洲市には、今も豊かな自然が残っている。希望が丘文化公園の北陵、山城から鏡山へ続く尾根の脇に、小規模ながらタムシバが育つ場所がある。私たちの山仲間はそこを「タムシバ山」と仮称していた。地元では「タムシバ100本」とも呼ばれているらしい。友人O氏によると、実際には50~60本ほどの規模だというが、その後、正式に「タムシバ山」と呼ばれるようになった。
以前、山で見かけた白い花を巡り、「あれはタムシバかコブシか」で、ちょっとした議論になったことがある。「こんな山奥に咲くんだからタムシバだよ」とTさんが言い、みんなうなずいたものの、「どちらに葉がつくか」で話が再燃した。
Tさんが携帯の植物図鑑を確認し、「タムシバは花のすぐそばに葉が一枚つく」と言い出した。しかし、花は高い位置にあり、確かめようがない。目の良いKさんが「葉がついているように見える」と言ったことで、一応「タムシバだね」とまとまった。誰かが「山桜と同じで、花と葉は一緒に出るものだ」と説明を加えたりもした。
ところがOさんが「うちの庭のコブシにも葉っぱがある」と言い出し、また混乱が生じた。私は内心、「タムシバには葉がある場合も、ない場合もあるし、両方あるかもしれない」と思ったが、言葉にはできなかった。まるで、観察するまで状態が定まらない“もつれ”のようなものだ。
結局、森林センターに着いたとき、偶然見つけたコブシの木に「花元に一枚の葉」と書かれた札があり、ようやく全員が納得した。あの時の白い花は、私たちがそれを正確に観察するまでは、タムシバでもありコブシでもあるような、曖昧な存在だったのかもしれない。
まるで「シュレーディンガーの猫」だ。観察するまで正体は不確定で、見た瞬間にひとつに決まる。私たちは、そんな“もつれた量子の世界”に足を踏み入れていたのだ。誰かが言っていた。「神はサイコロを振らない」と——本当にそうだろうか。



友人から琵琶湖河畔の鳥の情報を聞き、カメラを手に出かけた。
新春の陽光が穏やかに降り注ぐ琵琶湖。その水面には、今日も無数のユリカモメたちの憩いの場となっていた。白い羽を広げ、優雅に舞う彼らの群れは、湖面に映る陽光と相まって、侵しがたいのどかさに満ち溢れていた。湖面を背景に舞う彼らは、まるでバレリーナのようだった。
それぞれが思い思いの方向に羽ばたき、あるいは水面近くを滑空している。平和そのもの、穏やかな時間が流れているように見えた。
だが、そこへ、まさに「異質な影」の黒鳥が現れ、静かな空中バレエは、一瞬で力強いシンフォニーへと変わった。
猛禽類は、強大な翼を広げ、鋭い眼差しで白い舞姫たちの間を突き進んだ。ユリカモメたちの優雅な舞を支配しようとするかのようだった。
愛機、ソニーα7RⅢとFE 2.8/90mm マクロ G OSSのミラーレスカメラは、その一瞬を逃さず捉えようとした。しかし、あまりの出来事に設定を調整する余裕はなく、SCN(シーンセレクション)モードに切り替え、焦点を合わせることなく連写でシャッターを切り続けた。その数、実に470枚。その日、470枚の写真の中から選んだたった3枚に絞った。自然がくれた、一瞬の贈り物だった。
カメラは、時間を閉じ込め、琵琶湖の生き生きとした生命の躍動を切り取れた。それが、この日の私と鳥たちとの一日となった。



新春の陽光が穏やかに降り注ぐ琵琶湖。その水面には、今日も無数のユリカモメたちの憩いの場となっていた。白い羽を広げ、優雅に舞う彼らの群れは、湖面に映る陽光と相まって、侵しがたいのどかさに満ち溢れていた。湖面を背景に舞う彼らは、まるでバレリーナのようだった。
それぞれが思い思いの方向に羽ばたき、あるいは水面近くを滑空している。平和そのもの、穏やかな時間が流れているように見えた。
だが、そこへ、まさに「異質な影」の黒鳥が現れ、静かな空中バレエは、一瞬で力強いシンフォニーへと変わった。
猛禽類は、強大な翼を広げ、鋭い眼差しで白い舞姫たちの間を突き進んだ。ユリカモメたちの優雅な舞を支配しようとするかのようだった。
愛機、ソニーα7RⅢとFE 2.8/90mm マクロ G OSSのミラーレスカメラは、その一瞬を逃さず捉えようとした。しかし、あまりの出来事に設定を調整する余裕はなく、SCN(シーンセレクション)モードに切り替え、焦点を合わせることなく連写でシャッターを切り続けた。その数、実に470枚。その日、470枚の写真の中から選んだたった3枚に絞った。自然がくれた、一瞬の贈り物だった。
カメラは、時間を閉じ込め、琵琶湖の生き生きとした生命の躍動を切り取れた。それが、この日の私と鳥たちとの一日となった。



冷たい冬の風がまだ肌を刺す頃、柿の木の木陰で今年も小さな命を見つけた。雪をまとったフキノトウだった。冬場の色彩の少ない景色の中で、若草色は一段と鮮やかで、ひときわ華やかだ。
フキノトウと聞くだけで、その言葉の響きから、まさに早春にふさわしい香りとほろ苦さが思い浮かぶ。その姿には、まるで冬を乗り越えた大地からの贈り物のような懐かしさと力強さを感じさせる。
フキノトウを漢字で「蕗の薹」と書くことを知った時、普段見慣れない漢字「薹」に、なぜか特別な魅力を感じた。
フキノトウの姿は、一見するとその丸みを帯びた形と密集した構造から、どこか「もっさり」とした印象を受ける。しかし、その「もっさり」とした奥には、寒さ厳しい冬の大地から現れた生命力が宿っている。そのギャップが私に気高さを感じさせるのだ。そして雪の残る地面から誰よりも早く命の息吹を伝えようとしている。冬の終わりを告げる使者としての存在感がある。
そのたくましい姿に引き寄せられるように手を伸ばし、小さな春の先駆けに触れてみた。
この「トウ」の文字は、雪が降る「冬」でもなく、形が「頭」に似ているからでもなく、「薹」と書くのだ。「蕗の花芽」とでも言い換えてみたい気持ちもある。成長して「薹が立つ」と形容されるように、食用としての適期を過ぎたことを指しているのに、なぜ「薹」という漢字を用いるのかは興味深い。
蕗の薹の一生を観察すると、ずんぐりした姿で蕗の薹があちらこちらから芽吹くのは、三月の始めごろ、まだ朝晩の冷え込みが厳しい時期に、雪解けの柔らかい土から顔を出す。その脇には後に葉っぱを持った茎がまっすぐに伸び、すらっとした姿で次々と新しい芽を出してきた。あまりにも姿・形が違うので違う植物に見られがちだが、同じ植物なのだ。地下茎でつながって生長しているのである。
毎年、柿の木の周辺で、雑草に負けまいとあちらと思えばこちらと、場所を変えて群生している。昨年は北側の日陰で見つけたのに、今年は東側の斜面で発見した。フキという古名からもそのたくましい生命力がうかがえる。「山生吹(やまふふき)」という日本古来の呼び名には、山に自生し、生い茂り、吹き出すようにして成長するという意味が込められている。
フキノトウが成長し終わった頃、その姿は鱗片に覆われた茶褐色の塊になっていった。やがて綿毛に種子を載せて新たな新天地へと飛散させていく様子を観察できた。子孫を残すためたくましい工夫をしていたのだ。フキノトウの一生涯を考察すると、フキは地下茎を地中に伸ばし増殖していく傍らで、蕗の薹を開花・結実させ新天地を求めているのだ。地下と地上、二つの戦略で生き延びる知恵がある。
ここで注目すべきなのは、「薹」の文字だ。フキノトウの状態全体を記述する際に、単なる味や食用性の変化だけでなく、植物としての成長や自然のリズムを強調している点だ。フキノトウが厳しい冬を越えて芽吹く様子や、その後の変化を捉える際に、「薹」という言葉がその全体像を豊かに描き出す役割を果たしている。
たとえば、「薹立ち」とは、植物が成熟し、次の世代へ命をつなぐ準備をする過程を指す。発芽 → 成長 → 薹立ち → 開花 → 結実 → 枯れるという一連の流れの中で、「薹が立つ」というのは、植物の最終段階へ向かう成長の一部なのだ。
やはり、先人たちは、自然の細やかな変化を捉え、それに相応しい言葉として、「薹」を使ってきたのだ。




フキノトウと聞くだけで、その言葉の響きから、まさに早春にふさわしい香りとほろ苦さが思い浮かぶ。その姿には、まるで冬を乗り越えた大地からの贈り物のような懐かしさと力強さを感じさせる。
フキノトウを漢字で「蕗の薹」と書くことを知った時、普段見慣れない漢字「薹」に、なぜか特別な魅力を感じた。
フキノトウの姿は、一見するとその丸みを帯びた形と密集した構造から、どこか「もっさり」とした印象を受ける。しかし、その「もっさり」とした奥には、寒さ厳しい冬の大地から現れた生命力が宿っている。そのギャップが私に気高さを感じさせるのだ。そして雪の残る地面から誰よりも早く命の息吹を伝えようとしている。冬の終わりを告げる使者としての存在感がある。
そのたくましい姿に引き寄せられるように手を伸ばし、小さな春の先駆けに触れてみた。
この「トウ」の文字は、雪が降る「冬」でもなく、形が「頭」に似ているからでもなく、「薹」と書くのだ。「蕗の花芽」とでも言い換えてみたい気持ちもある。成長して「薹が立つ」と形容されるように、食用としての適期を過ぎたことを指しているのに、なぜ「薹」という漢字を用いるのかは興味深い。
蕗の薹の一生を観察すると、ずんぐりした姿で蕗の薹があちらこちらから芽吹くのは、三月の始めごろ、まだ朝晩の冷え込みが厳しい時期に、雪解けの柔らかい土から顔を出す。その脇には後に葉っぱを持った茎がまっすぐに伸び、すらっとした姿で次々と新しい芽を出してきた。あまりにも姿・形が違うので違う植物に見られがちだが、同じ植物なのだ。地下茎でつながって生長しているのである。
毎年、柿の木の周辺で、雑草に負けまいとあちらと思えばこちらと、場所を変えて群生している。昨年は北側の日陰で見つけたのに、今年は東側の斜面で発見した。フキという古名からもそのたくましい生命力がうかがえる。「山生吹(やまふふき)」という日本古来の呼び名には、山に自生し、生い茂り、吹き出すようにして成長するという意味が込められている。
フキノトウが成長し終わった頃、その姿は鱗片に覆われた茶褐色の塊になっていった。やがて綿毛に種子を載せて新たな新天地へと飛散させていく様子を観察できた。子孫を残すためたくましい工夫をしていたのだ。フキノトウの一生涯を考察すると、フキは地下茎を地中に伸ばし増殖していく傍らで、蕗の薹を開花・結実させ新天地を求めているのだ。地下と地上、二つの戦略で生き延びる知恵がある。
ここで注目すべきなのは、「薹」の文字だ。フキノトウの状態全体を記述する際に、単なる味や食用性の変化だけでなく、植物としての成長や自然のリズムを強調している点だ。フキノトウが厳しい冬を越えて芽吹く様子や、その後の変化を捉える際に、「薹」という言葉がその全体像を豊かに描き出す役割を果たしている。
たとえば、「薹立ち」とは、植物が成熟し、次の世代へ命をつなぐ準備をする過程を指す。発芽 → 成長 → 薹立ち → 開花 → 結実 → 枯れるという一連の流れの中で、「薹が立つ」というのは、植物の最終段階へ向かう成長の一部なのだ。
やはり、先人たちは、自然の細やかな変化を捉え、それに相応しい言葉として、「薹」を使ってきたのだ。




2025年新年の始まり、光を求めて
2025年の正月、年の始めとして、新しい年を迎える日の入りと日の出を三日間眺めに行った。友人が、その場所を設定してくれた。
野洲川にはJR電車の橋から琵琶湖までに7つの橋が架けられている。そのうち、県道48号線沿いに架けられた新庄大橋は、比叡山や近江富士(別名・三上山)を美しく望める絶好のロケーションであるというのである。
術後間もない体調への不安もあったが、気分転換にその友人と元旦の夕方出かけた。午後4時40分頃、夕焼けに染まった空を背に、真っ赤な太陽が、比叡山の左手、大文字山や如意ヶ岳の方へ吸い込まれるように静かに沈んでいった。山並みに近づくと、わずか2分ほどで姿を消した。 ―― 国立天文台暦計算室のデータによれば、この日の大津市付近での太陽の方位角は約242.0°である。
太陽が沈む様子を見つめながら、ふと「それでも地球は動いている」というガリレオ・ガリレイの言葉が脳裏をよぎった。しかし、その瞬間の私には、その言葉を確信をもって口にできなかった。
地球は北極と南極を通る軸を中心に一日をかけて回転しているという科学的な事実は知っている。それでも、目の前に広がる光景はむしろ逆を語りかけてくる。まさに、地球が主軸となった宇宙が存在し、地球の周りに太陽が回っている。私は次第に、古代ギリシャのアリストテレスやプトレマイオスが提唱した世界観へと引き込まれていった。
太陽が完全に姿を消すと、東側に位置する三上山も闇に飲み込まれていった。あたりはたちまち静寂に包まれ、目に映るものは何もなくなった。それでも、心の中では確かな予感が芽生えていた。明日の朝、東の空に再び姿を現し、光とともに新しい一日を告げるだろうと。


1月2日 朝日を待ちながら
翌朝、1月2日午前6時50分頃、稜線が美しいことから『近江富士』の名で親しまれる三上山を背に、朝日が昇ることを期待していたのだが 、実際には、三上山と鏡山の中間に位置する城山の辺りから太陽が現れた。
新庄大橋から三上山の頂上の方位角は約131°、そして1月2日の日の出の方位角は117.8°。このことから、観測地点から日の出が三上山の頂上と重なることは地理的に不可能だと後で分かった。 日の出の方位角は季節によって変化するが、冬至の約120°(東南東)となり、夏至の約60°(北東)からしても、無理だった。
ただ、この日、カメラには望遠レンズを装着していたため、視野が狭く、日の出と三上山を同時にフレーム内に収めることができなかったのが悔やまれる。


1月3日 雲間に隠れた明日への期待
1月3日、より広範囲の視野を確保するため、広角レンズを装着して再び観測に向かった。しかし、東の空には分厚い雲が広がり、日の出そのものを確認することはできなかった。
それでも、自然の中に身を置く時間は特別なものだった。自然が教えてくれる科学の法則、そしてその美しさに感動しつつ、見えなかった太陽の光を求め、次の機会に場所も変えて期待をつなげていきたい。

2025年の正月、年の始めとして、新しい年を迎える日の入りと日の出を三日間眺めに行った。友人が、その場所を設定してくれた。
野洲川にはJR電車の橋から琵琶湖までに7つの橋が架けられている。そのうち、県道48号線沿いに架けられた新庄大橋は、比叡山や近江富士(別名・三上山)を美しく望める絶好のロケーションであるというのである。
術後間もない体調への不安もあったが、気分転換にその友人と元旦の夕方出かけた。午後4時40分頃、夕焼けに染まった空を背に、真っ赤な太陽が、比叡山の左手、大文字山や如意ヶ岳の方へ吸い込まれるように静かに沈んでいった。山並みに近づくと、わずか2分ほどで姿を消した。 ―― 国立天文台暦計算室のデータによれば、この日の大津市付近での太陽の方位角は約242.0°である。
太陽が沈む様子を見つめながら、ふと「それでも地球は動いている」というガリレオ・ガリレイの言葉が脳裏をよぎった。しかし、その瞬間の私には、その言葉を確信をもって口にできなかった。
地球は北極と南極を通る軸を中心に一日をかけて回転しているという科学的な事実は知っている。それでも、目の前に広がる光景はむしろ逆を語りかけてくる。まさに、地球が主軸となった宇宙が存在し、地球の周りに太陽が回っている。私は次第に、古代ギリシャのアリストテレスやプトレマイオスが提唱した世界観へと引き込まれていった。
太陽が完全に姿を消すと、東側に位置する三上山も闇に飲み込まれていった。あたりはたちまち静寂に包まれ、目に映るものは何もなくなった。それでも、心の中では確かな予感が芽生えていた。明日の朝、東の空に再び姿を現し、光とともに新しい一日を告げるだろうと。
比叡山付近の夕日 三上山


1月2日 朝日を待ちながら
翌朝、1月2日午前6時50分頃、稜線が美しいことから『近江富士』の名で親しまれる三上山を背に、朝日が昇ることを期待していたのだが 、実際には、三上山と鏡山の中間に位置する城山の辺りから太陽が現れた。
新庄大橋から三上山の頂上の方位角は約131°、そして1月2日の日の出の方位角は117.8°。このことから、観測地点から日の出が三上山の頂上と重なることは地理的に不可能だと後で分かった。 日の出の方位角は季節によって変化するが、冬至の約120°(東南東)となり、夏至の約60°(北東)からしても、無理だった。
ただ、この日、カメラには望遠レンズを装着していたため、視野が狭く、日の出と三上山を同時にフレーム内に収めることができなかったのが悔やまれる。
三上山と鏡山の中間の山波から日の出 三上山


1月3日 雲間に隠れた明日への期待
1月3日、より広範囲の視野を確保するため、広角レンズを装着して再び観測に向かった。しかし、東の空には分厚い雲が広がり、日の出そのものを確認することはできなかった。
それでも、自然の中に身を置く時間は特別なものだった。自然が教えてくれる科学の法則、そしてその美しさに感動しつつ、見えなかった太陽の光を求め、次の機会に場所も変えて期待をつなげていきたい。
見えない日の出/三上山

希望が丘の入り口付近、小道を辿っていると、しゃがみ込んで写真を撮っている人がいた。彼は群生する三つ葉のクローバーの中から四つ葉を探しているようだった。邪魔をしないように、その場を通り過ぎた。
ー私の少年時代、学校から帰るとランドセルを置き、トンボ取りに出かけたものだった。ある日、田んぼのあぜ道で四つ葉のクローバーを見つけた。その場所は私の秘密の場所となり、四つ葉のクローバーを見つけた時の興奮は今でも鮮明に覚えている。しかし、成長するにつれ、その場所への関心は薄れ、やがて忘れてしまったー
過日、四つ葉のクローバーを見つけたいという衝動に駆られ、再びその場所を訪れた。四つ葉のクローバーは三つ葉のクローバーの中に隠れていて、見つけるのは非常に困難だ。四つ葉のクローバーを見つける確率は約1万分の1から10万分の1とされている。これほど稀なものを見つけることは、まさに奇跡のようだ。
統計的に「1000に3つ」「1000に1つ」という表現は、ビジネスや日常生活で使われる非常に高いハードルを指しているが、「10000に1つ」「100000に1つ」は、さらに稀な事象であることを示している。
さて、友人に「四つ葉のクローバーを見つけに行こう」と誘った。
私はおよその場所を知っていたので、「先に見つけた人がケーキを食べることにしよう」と提案した。見当をつけていた場所で一つ一つ探していたところ、友人があっという間に四つ葉のクローバーを見つけた。
「どうしてそんなに早く見つけたの?」と尋ねると、「一点を見つめるのではなく、全体を漫然と眺めていて、違和感を感じるところがあった」と答えた。確率的には稀な事象を一瞬で見分ける友人にあっけにとられた。
言葉で表現すると、沢山の三角の形状の中で、四角という形状を見抜いていたようだ。確率の数値を超えた人の超能力に驚かされた。
私はその場所に通い続け、ついには五つ葉のクローバーを見つけた。その確率は100万分の1とされ、宝くじが当たる確率に匹敵するが、私は宝くじを買うことはしなかった。四つ葉のクローバーには「復讐」という怖い花言葉もあるようだから。
四つ葉のクローバーを見つけるという小さな出来事を通じて、私をリフレッシュさせる貴重な時間となった。この経験を通じて得たものは、四つ葉のクローバーという小さな幸運以上に価値のあるものだった。また、自然の不思議さや豊かさを再認識し、自然の中で過ごす時間の大切さも感じた。
四つ葉のクローバーの確率が1万分の1と10万分の1がどれほど稀なものかを確認しておいた。
サイコロで1の目を連続して出す確率を計算することにした。
(1/6)^x = (1/10000) の方程式の解は x ≈ 5.14、(1/6)^x = (1/100000) の解は x ≈ 6.43
つまり、1の目を5~7回連続して出さなければならないレベルの難しさだ。この稀な確率を乗り越えて得られる喜びは、四つ葉のクローバーがもたらす幸運そのものである。

ー私の少年時代、学校から帰るとランドセルを置き、トンボ取りに出かけたものだった。ある日、田んぼのあぜ道で四つ葉のクローバーを見つけた。その場所は私の秘密の場所となり、四つ葉のクローバーを見つけた時の興奮は今でも鮮明に覚えている。しかし、成長するにつれ、その場所への関心は薄れ、やがて忘れてしまったー
過日、四つ葉のクローバーを見つけたいという衝動に駆られ、再びその場所を訪れた。四つ葉のクローバーは三つ葉のクローバーの中に隠れていて、見つけるのは非常に困難だ。四つ葉のクローバーを見つける確率は約1万分の1から10万分の1とされている。これほど稀なものを見つけることは、まさに奇跡のようだ。
統計的に「1000に3つ」「1000に1つ」という表現は、ビジネスや日常生活で使われる非常に高いハードルを指しているが、「10000に1つ」「100000に1つ」は、さらに稀な事象であることを示している。
さて、友人に「四つ葉のクローバーを見つけに行こう」と誘った。
私はおよその場所を知っていたので、「先に見つけた人がケーキを食べることにしよう」と提案した。見当をつけていた場所で一つ一つ探していたところ、友人があっという間に四つ葉のクローバーを見つけた。
「どうしてそんなに早く見つけたの?」と尋ねると、「一点を見つめるのではなく、全体を漫然と眺めていて、違和感を感じるところがあった」と答えた。確率的には稀な事象を一瞬で見分ける友人にあっけにとられた。
言葉で表現すると、沢山の三角の形状の中で、四角という形状を見抜いていたようだ。確率の数値を超えた人の超能力に驚かされた。
私はその場所に通い続け、ついには五つ葉のクローバーを見つけた。その確率は100万分の1とされ、宝くじが当たる確率に匹敵するが、私は宝くじを買うことはしなかった。四つ葉のクローバーには「復讐」という怖い花言葉もあるようだから。
四つ葉のクローバーを見つけるという小さな出来事を通じて、私をリフレッシュさせる貴重な時間となった。この経験を通じて得たものは、四つ葉のクローバーという小さな幸運以上に価値のあるものだった。また、自然の不思議さや豊かさを再認識し、自然の中で過ごす時間の大切さも感じた。
四つ葉のクローバーの確率が1万分の1と10万分の1がどれほど稀なものかを確認しておいた。
サイコロで1の目を連続して出す確率を計算することにした。
(1/6)^x = (1/10000) の方程式の解は x ≈ 5.14、(1/6)^x = (1/100000) の解は x ≈ 6.43
つまり、1の目を5~7回連続して出さなければならないレベルの難しさだ。この稀な確率を乗り越えて得られる喜びは、四つ葉のクローバーがもたらす幸運そのものである。
四つ葉と五つ葉のクローバー


私は、取り立てた用事もなく、湖周道路を長浜へと北上していた。別名「さざなみ街道」とも呼ばれている。この道路は湖岸沿いに取り付けられ、物静かな景色が広がり、人気もめったにないところだ。
突然、海老原漁港近くで道路脇に人が群がっている光景が目に飛び込んできた。駐車場が満車で、人々は興奮気味に漁港へと向かっていた。私は好奇心に駆られ、その流れに従ってみることにした。
漁港の脇に備え付けられた階段を下り、背丈ほどの生い茂る枯れ草の中に人々が消えていったので、その踏み跡に続いた。ぬかるんだ小道を通り抜けると、そこには湖畔と小島が陸続きになり、幻想的な光景が目の前に広がっていた。
行く途中、ぬかるみで引き返そうとしていたおばさんに、「せっかく来たので行こう」と言って手助けしてやった。この人は、この近くに住んでいるのか、いろいろ話してくれた。
「琵琶湖の水が引くと、湖底に隠れていた砂利が現れ、水はけが良い遠浅ができるの。奥の洲と呼ばれる小島と湖辺とが陸続きになる」と話しながら、約200メートルの幻の道を指さしながら、あれこれ説明してくれた。
「左に見える島が竹生島だよ。でもねぇ、今は水位低下で船の着岸に苦労しているの」
「・・・・・・・」
「今回が初めて幻の道が現れたわけではないの。30年ほど前かなぁ、私も元気だった頃、貝をひらいにきたことがあるの。そうそう、一昨年も道が出現したの。毎年楽しみにしていますが、起こらない年もあるので、あまりあてにできないの」とほほ笑んでいた。
私は「来年も出現したらいいのにねぇ」と言って別れた。
この出会いは、水位の低下がもたらすこの特別な瞬間が、私にとって琵琶湖の新たな魅力を発見することになった。
ところで、琵琶湖は近畿地方に住む人々にとって欠かせない水源であり、この近畿の水瓶の水位低下は由々しき問題でもあります。1986年、1994年、そして2021年に琵琶湖の水位が異常低下しています。琵琶湖の水位は、流入する河川が100以上ある中、水の流出量は瀬田川の洗堰で一定のルールに従ってコントロールされているようです。もう少し天候の長期予想などを組み込んでみるといいのかもしれません。




突然、海老原漁港近くで道路脇に人が群がっている光景が目に飛び込んできた。駐車場が満車で、人々は興奮気味に漁港へと向かっていた。私は好奇心に駆られ、その流れに従ってみることにした。
漁港の脇に備え付けられた階段を下り、背丈ほどの生い茂る枯れ草の中に人々が消えていったので、その踏み跡に続いた。ぬかるんだ小道を通り抜けると、そこには湖畔と小島が陸続きになり、幻想的な光景が目の前に広がっていた。
行く途中、ぬかるみで引き返そうとしていたおばさんに、「せっかく来たので行こう」と言って手助けしてやった。この人は、この近くに住んでいるのか、いろいろ話してくれた。
「琵琶湖の水が引くと、湖底に隠れていた砂利が現れ、水はけが良い遠浅ができるの。奥の洲と呼ばれる小島と湖辺とが陸続きになる」と話しながら、約200メートルの幻の道を指さしながら、あれこれ説明してくれた。
「左に見える島が竹生島だよ。でもねぇ、今は水位低下で船の着岸に苦労しているの」
「・・・・・・・」
「今回が初めて幻の道が現れたわけではないの。30年ほど前かなぁ、私も元気だった頃、貝をひらいにきたことがあるの。そうそう、一昨年も道が出現したの。毎年楽しみにしていますが、起こらない年もあるので、あまりあてにできないの」とほほ笑んでいた。
私は「来年も出現したらいいのにねぇ」と言って別れた。
この出会いは、水位の低下がもたらすこの特別な瞬間が、私にとって琵琶湖の新たな魅力を発見することになった。
ところで、琵琶湖は近畿地方に住む人々にとって欠かせない水源であり、この近畿の水瓶の水位低下は由々しき問題でもあります。1986年、1994年、そして2021年に琵琶湖の水位が異常低下しています。琵琶湖の水位は、流入する河川が100以上ある中、水の流出量は瀬田川の洗堰で一定のルールに従ってコントロールされているようです。もう少し天候の長期予想などを組み込んでみるといいのかもしれません。





数年前から、希望が丘・三上山の登山路入り口に、ひっそりと佇む「ホトトギス」を見つけて以来、その存在に興味を抱いていました。というのは、この花の生息に関する報告書や、この周辺で見かけたという話も聞いたこともありませんでした。山野の一角に潜む希少な花であることを知りながらも、当時はそれほど心を引かれるものではありませんでした。
たまたま、我が家の庭には台湾系ホトトギスの交配種を植えていました。この花の模様や色彩とが驚くほど類似しており、その生い立ちには特に意識を向けることなく、美しいが、むしろ重ぐるしい印象でした。
ホトトギスの容姿は、昆虫たちにとっては魅力的なのでしょうが、私にとっては奇妙なものに見えました。雄しべと雌しべの区別が難しく、6本の雄しべが花の中心に寄り添い、雌しべは3分裂し、さらに細かく2分裂する複雑な構造。これはまさに虫を引き寄せ、受粉を促す巧妙な戦略であることは理解していました。これからも、この花の容姿がますます複雑に変化していくのでしょう。
私は心の中で、もっと簡潔で美しい姿が好ましいと思いながらも、江戸時代から続くホトトギス愛好者たちがいたことから、人は美しさに異なる視点を抱えているのでしょう。
そこは、山道の端には崖が迫り、水がにじみ出ていました。木漏れ日も差し射し込み、この花にとっては安住の居場所なのでしょう。当初2本程度育っていましたが、現在6~7本に増えました。そして、今年になり、その花を愛でに訪れる人々が増えてきました。そして皆さん口々に「ヤマジノホトトギス」と語り始めました。私は、園芸種でなかった場合、それは日本固有の「ホトトギス」だと思っていました。その名前には、どうしても馴染めない感覚があり、じっくりと観察し、調査を重ねてみました。
この自生しているホトトギスの花被片の基部には黄色の班紋が見られますが、ヤマジノホトトギスの基部の黄色の斑点がないことからどうも違うようです。また、ホトトギス類の花被片の反り返る状態でも判断ができますが、茎の繊毛の生え向きに注目してみました。茎の繊毛が上向きに生えていました。ヤマジノホトトギス(ヤマノホトトギス)は、下向きであることから、ヤマジノホトトギスと呼ばれているのは間違いであるとわかりました。さらに、花被片の基部近くの内面が黄橙色になっていることから、園芸種の台湾ホトトギスと日本固有のホトトギスに絞られてきました。
庭に咲いている園芸種のホトトギスは、花茎は頭頂部で四方に分岐して多くの花を咲かせています。しかし、自生しているホトトギスは、行儀よく順番に葉のわきに花をつけていました。このことから、どうも、日本固有のホトトギスのようです。この内容を仲間に話してみると、何となく納得してもらいました。
今回は、つぼみから風に任せて花が散るまで、そして実を結ぶまで見守りました。この間、一本も盗掘されることもなく、無事終わりました。来年も楽しみにしています。





たまたま、我が家の庭には台湾系ホトトギスの交配種を植えていました。この花の模様や色彩とが驚くほど類似しており、その生い立ちには特に意識を向けることなく、美しいが、むしろ重ぐるしい印象でした。
ホトトギスの容姿は、昆虫たちにとっては魅力的なのでしょうが、私にとっては奇妙なものに見えました。雄しべと雌しべの区別が難しく、6本の雄しべが花の中心に寄り添い、雌しべは3分裂し、さらに細かく2分裂する複雑な構造。これはまさに虫を引き寄せ、受粉を促す巧妙な戦略であることは理解していました。これからも、この花の容姿がますます複雑に変化していくのでしょう。
私は心の中で、もっと簡潔で美しい姿が好ましいと思いながらも、江戸時代から続くホトトギス愛好者たちがいたことから、人は美しさに異なる視点を抱えているのでしょう。
そこは、山道の端には崖が迫り、水がにじみ出ていました。木漏れ日も差し射し込み、この花にとっては安住の居場所なのでしょう。当初2本程度育っていましたが、現在6~7本に増えました。そして、今年になり、その花を愛でに訪れる人々が増えてきました。そして皆さん口々に「ヤマジノホトトギス」と語り始めました。私は、園芸種でなかった場合、それは日本固有の「ホトトギス」だと思っていました。その名前には、どうしても馴染めない感覚があり、じっくりと観察し、調査を重ねてみました。
この自生しているホトトギスの花被片の基部には黄色の班紋が見られますが、ヤマジノホトトギスの基部の黄色の斑点がないことからどうも違うようです。また、ホトトギス類の花被片の反り返る状態でも判断ができますが、茎の繊毛の生え向きに注目してみました。茎の繊毛が上向きに生えていました。ヤマジノホトトギス(ヤマノホトトギス)は、下向きであることから、ヤマジノホトトギスと呼ばれているのは間違いであるとわかりました。さらに、花被片の基部近くの内面が黄橙色になっていることから、園芸種の台湾ホトトギスと日本固有のホトトギスに絞られてきました。
庭に咲いている園芸種のホトトギスは、花茎は頭頂部で四方に分岐して多くの花を咲かせています。しかし、自生しているホトトギスは、行儀よく順番に葉のわきに花をつけていました。このことから、どうも、日本固有のホトトギスのようです。この内容を仲間に話してみると、何となく納得してもらいました。
今回は、つぼみから風に任せて花が散るまで、そして実を結ぶまで見守りました。この間、一本も盗掘されることもなく、無事終わりました。来年も楽しみにしています。





彼岸花の色はピンクやクリーム色など華やかな色も存在するようですが、自然界に自生しているのは三つです。
赤、白、黄色の色が見られると言われていましたので、身の回りを丹念に探してみました。
ヒガンバナの色は主に「赤」ですが、白色が少しだけ、やっと「黄色」の彼岸花を一本見つけました。
花弁は妙に反り返り、縁のフリルが長々と同じように見えますが、これほどの印象の変化があるのでしょうか。
べにの彼岸花: 別れと再会、紅の花が語る。
白い彼岸花: 一途な思い、白い花が誓う。
黄色い彼岸花: 陽光の中で、黄色い花が笑っているようです。


赤、白、黄色の色が見られると言われていましたので、身の回りを丹念に探してみました。
ヒガンバナの色は主に「赤」ですが、白色が少しだけ、やっと「黄色」の彼岸花を一本見つけました。
花弁は妙に反り返り、縁のフリルが長々と同じように見えますが、これほどの印象の変化があるのでしょうか。
べにの彼岸花: 別れと再会、紅の花が語る。
白い彼岸花: 一途な思い、白い花が誓う。
黄色い彼岸花: 陽光の中で、黄色い花が笑っているようです。



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