友人から琵琶湖河畔の鳥の情報を聞き、カメラを手に出かけた。
春の陽光が穏やかに降り注ぐ琵琶湖。その水面には、今日も無数のユリカモメたちの憩いの場となっていた。白い羽を広げ、優雅に舞う彼らの群れは、湖面に映る陽光と相まって、侵しがたいのどかさに満ち溢れていた。湖面を背景に舞う彼らは、まるでバレリーナのようだった。
それぞれが思い思いの方向に羽ばたき、あるいは水面近くを滑空している。平和そのもの、穏やかな時間が流れているように見えた。
だが、そこへ、まさに「異質な影」の黒鳥が現れ、静かな空中バレエは、一瞬で力強いシンフォニーへと変わった。
猛禽類は、強大な翼を広げ、鋭い眼差しで白い舞姫たちの間を突き進んだ。ユリカモメたちの優雅な舞を支配しようとするかのようだった。
愛機、ソニーα7RⅢとFE 2.8/90mm マクロ G OSSのミラーレスカメラは、その一瞬を逃さず捉えようとした。しかし、あまりの出来事に設定を調整する余裕はなく、SCN(シーンセレクション)モードに切り替え、焦点を合わせることなく連写でシャッターを切り続けた。その数、実に470枚。その日、470枚の写真の中から選んだたった3枚に絞った。自然がくれた、一瞬の贈り物だった。
カメラは、時間を閉じ込め、琵琶湖の生き生きとした生命の躍動を切り取れた。それが、この日の私と鳥たちとの一日となった。



春の陽光が穏やかに降り注ぐ琵琶湖。その水面には、今日も無数のユリカモメたちの憩いの場となっていた。白い羽を広げ、優雅に舞う彼らの群れは、湖面に映る陽光と相まって、侵しがたいのどかさに満ち溢れていた。湖面を背景に舞う彼らは、まるでバレリーナのようだった。
それぞれが思い思いの方向に羽ばたき、あるいは水面近くを滑空している。平和そのもの、穏やかな時間が流れているように見えた。
だが、そこへ、まさに「異質な影」の黒鳥が現れ、静かな空中バレエは、一瞬で力強いシンフォニーへと変わった。
猛禽類は、強大な翼を広げ、鋭い眼差しで白い舞姫たちの間を突き進んだ。ユリカモメたちの優雅な舞を支配しようとするかのようだった。
愛機、ソニーα7RⅢとFE 2.8/90mm マクロ G OSSのミラーレスカメラは、その一瞬を逃さず捉えようとした。しかし、あまりの出来事に設定を調整する余裕はなく、SCN(シーンセレクション)モードに切り替え、焦点を合わせることなく連写でシャッターを切り続けた。その数、実に470枚。その日、470枚の写真の中から選んだたった3枚に絞った。自然がくれた、一瞬の贈り物だった。
カメラは、時間を閉じ込め、琵琶湖の生き生きとした生命の躍動を切り取れた。それが、この日の私と鳥たちとの一日となった。



冷たい冬の風がまだ肌を刺す頃、柿の木の木陰で今年も小さな命を見つけた。雪をまとったフキノトウだった。冬場の色彩の少ない景色の中で、若草色は一段と鮮やかで、ひときわ華やかだ。
フキノトウと聞くだけで、その言葉の響きから、まさに早春にふさわしい香りとほろ苦さが思い浮かぶ。その姿には、まるで冬を乗り越えた大地からの贈り物のような懐かしさと力強さを感じさせる。
フキノトウを漢字で「蕗の薹」と書くことを知った時、普段見慣れない漢字「薹」に、なぜか特別な魅力を感じた。
フキノトウの姿は、一見するとその丸みを帯びた形と密集した構造から、どこか「もっさり」とした印象を受ける。しかし、その「もっさり」とした奥には、寒さ厳しい冬の大地から現れた生命力が宿っている。そのギャップが私に気高さを感じさせるのだ。そして雪の残る地面から誰よりも早く命の息吹を伝えようとしている。冬の終わりを告げる使者としての存在感がある。
そのたくましい姿に引き寄せられるように手を伸ばし、小さな春の先駆けに触れてみた。
この「トウ」の文字は、雪が降る「冬」でもなく、形が「頭」に似ているからでもなく、「薹」と書くのだ。「蕗の花芽」とでも言い換えてみたい気持ちもある。成長して「薹が立つ」と形容されるように、食用としての適期を過ぎたことを指しているのに、なぜ「薹」という漢字を用いるのかは興味深い。
蕗の薹の一生を観察すると、ずんぐりした姿で蕗の薹があちらこちらから芽吹くのは、三月の始めごろ、まだ朝晩の冷え込みが厳しい時期に、雪解けの柔らかい土から顔を出す。その脇には後に葉っぱを持った茎がまっすぐに伸び、すらっとした姿で次々と新しい芽を出してきた。あまりにも姿・形が違うので違う植物に見られがちだが、同じ植物なのだ。地下茎でつながって生長しているのである。
毎年、柿の木の周辺で、雑草に負けまいとあちらと思えばこちらと、場所を変えて群生している。昨年は北側の日陰で見つけたのに、今年は東側の斜面で発見した。フキという古名からもそのたくましい生命力がうかがえる。「山生吹(やまふふき)」という日本古来の呼び名には、山に自生し、生い茂り、吹き出すようにして成長するという意味が込められている。
フキノトウが成長し終わった頃、その姿は鱗片に覆われた茶褐色の塊になっていった。やがて綿毛に種子を載せて新たな新天地へと飛散させていく様子を観察できた。子孫を残すためたくましい工夫をしていたのだ。フキノトウの一生涯を考察すると、フキは地下茎を地中に伸ばし増殖していく傍らで、蕗の薹を開花・結実させ新天地を求めているのだ。地下と地上、二つの戦略で生き延びる知恵がある。
ここで注目すべきなのは、「薹」の文字だ。フキノトウの状態全体を記述する際に、単なる味や食用性の変化だけでなく、植物としての成長や自然のリズムを強調している点だ。フキノトウが厳しい冬を越えて芽吹く様子や、その後の変化を捉える際に、「薹」という言葉がその全体像を豊かに描き出す役割を果たしている。
たとえば、「薹立ち」とは、植物が成熟し、次の世代へ命をつなぐ準備をする過程を指す。発芽 → 成長 → 薹立ち → 開花 → 結実 → 枯れるという一連の流れの中で、「薹が立つ」というのは、植物の最終段階へ向かう成長の一部なのだ。
やはり、先人たちは、自然の細やかな変化を捉え、それに相応しい言葉として、「薹」を使ってきたのだ。




フキノトウと聞くだけで、その言葉の響きから、まさに早春にふさわしい香りとほろ苦さが思い浮かぶ。その姿には、まるで冬を乗り越えた大地からの贈り物のような懐かしさと力強さを感じさせる。
フキノトウを漢字で「蕗の薹」と書くことを知った時、普段見慣れない漢字「薹」に、なぜか特別な魅力を感じた。
フキノトウの姿は、一見するとその丸みを帯びた形と密集した構造から、どこか「もっさり」とした印象を受ける。しかし、その「もっさり」とした奥には、寒さ厳しい冬の大地から現れた生命力が宿っている。そのギャップが私に気高さを感じさせるのだ。そして雪の残る地面から誰よりも早く命の息吹を伝えようとしている。冬の終わりを告げる使者としての存在感がある。
そのたくましい姿に引き寄せられるように手を伸ばし、小さな春の先駆けに触れてみた。
この「トウ」の文字は、雪が降る「冬」でもなく、形が「頭」に似ているからでもなく、「薹」と書くのだ。「蕗の花芽」とでも言い換えてみたい気持ちもある。成長して「薹が立つ」と形容されるように、食用としての適期を過ぎたことを指しているのに、なぜ「薹」という漢字を用いるのかは興味深い。
蕗の薹の一生を観察すると、ずんぐりした姿で蕗の薹があちらこちらから芽吹くのは、三月の始めごろ、まだ朝晩の冷え込みが厳しい時期に、雪解けの柔らかい土から顔を出す。その脇には後に葉っぱを持った茎がまっすぐに伸び、すらっとした姿で次々と新しい芽を出してきた。あまりにも姿・形が違うので違う植物に見られがちだが、同じ植物なのだ。地下茎でつながって生長しているのである。
毎年、柿の木の周辺で、雑草に負けまいとあちらと思えばこちらと、場所を変えて群生している。昨年は北側の日陰で見つけたのに、今年は東側の斜面で発見した。フキという古名からもそのたくましい生命力がうかがえる。「山生吹(やまふふき)」という日本古来の呼び名には、山に自生し、生い茂り、吹き出すようにして成長するという意味が込められている。
フキノトウが成長し終わった頃、その姿は鱗片に覆われた茶褐色の塊になっていった。やがて綿毛に種子を載せて新たな新天地へと飛散させていく様子を観察できた。子孫を残すためたくましい工夫をしていたのだ。フキノトウの一生涯を考察すると、フキは地下茎を地中に伸ばし増殖していく傍らで、蕗の薹を開花・結実させ新天地を求めているのだ。地下と地上、二つの戦略で生き延びる知恵がある。
ここで注目すべきなのは、「薹」の文字だ。フキノトウの状態全体を記述する際に、単なる味や食用性の変化だけでなく、植物としての成長や自然のリズムを強調している点だ。フキノトウが厳しい冬を越えて芽吹く様子や、その後の変化を捉える際に、「薹」という言葉がその全体像を豊かに描き出す役割を果たしている。
たとえば、「薹立ち」とは、植物が成熟し、次の世代へ命をつなぐ準備をする過程を指す。発芽 → 成長 → 薹立ち → 開花 → 結実 → 枯れるという一連の流れの中で、「薹が立つ」というのは、植物の最終段階へ向かう成長の一部なのだ。
やはり、先人たちは、自然の細やかな変化を捉え、それに相応しい言葉として、「薹」を使ってきたのだ。




2025年新年の始まり、光を求めて
2025年の正月、年の始めとして、新しい年を迎える日の入りと日の出を三日間眺めに行った。友人が、その場所を設定してくれた。
野洲川にはJR電車の橋から琵琶湖までに7つの橋が架けられている。そのうち、県道48号線沿いに架けられた新庄大橋は、比叡山や近江富士(別名・三上山)を美しく望める絶好のロケーションであるというのである。
術後間もない体調への不安もあったが、気分転換にその友人と元旦の夕方出かけた。午後4時40分頃、夕焼けに染まった空を背に、真っ赤な太陽が、比叡山の左手、大文字山や如意ヶ岳の方へ吸い込まれるように静かに沈んでいった。山並みに近づくと、わずか2分ほどで姿を消した。 ―― 国立天文台暦計算室のデータによれば、この日の大津市付近での太陽の方位角は約242.0°である。
太陽が沈む様子を見つめながら、ふと「それでも地球は動いている」というガリレオ・ガリレイの言葉が脳裏をよぎった。しかし、その瞬間の私には、その言葉を確信をもって口にできなかった。
地球は北極と南極を通る軸を中心に一日をかけて回転しているという科学的な事実は知っている。それでも、目の前に広がる光景はむしろ逆を語りかけてくる。まさに、地球が主軸となった宇宙が存在し、地球の周りに太陽が回っている。私は次第に、古代ギリシャのアリストテレスやプトレマイオスが提唱した世界観へと引き込まれていった。
太陽が完全に姿を消すと、東側に位置する三上山も闇に飲み込まれていった。あたりはたちまち静寂に包まれ、目に映るものは何もなくなった。それでも、心の中では確かな予感が芽生えていた。明日の朝、東の空に再び姿を現し、光とともに新しい一日を告げるだろうと。


1月2日 朝日を待ちながら
翌朝、1月2日午前6時50分頃、稜線が美しいことから『近江富士』の名で親しまれる三上山を背に、朝日が昇ることを期待していたのだが 、実際には、三上山と鏡山の中間に位置する城山の辺りから太陽が現れた。
新庄大橋から三上山の頂上の方位角は約131°、そして1月2日の日の出の方位角は117.8°。このことから、観測地点から日の出が三上山の頂上と重なることは地理的に不可能だと後で分かった。 日の出の方位角は季節によって変化するが、冬至の約120°(東南東)となり、夏至の約60°(北東)からしても、無理だった。
ただ、この日、カメラには望遠レンズを装着していたため、視野が狭く、日の出と三上山を同時にフレーム内に収めることができなかったのが悔やまれる。


1月3日 雲間に隠れた明日への期待
1月3日、より広範囲の視野を確保するため、広角レンズを装着して再び観測に向かった。しかし、東の空には分厚い雲が広がり、日の出そのものを確認することはできなかった。
それでも、自然の中に身を置く時間は特別なものだった。自然が教えてくれる科学の法則、そしてその美しさに感動しつつ、見えなかった太陽の光を求め、次の機会に場所も変えて期待をつなげていきたい。

2025年の正月、年の始めとして、新しい年を迎える日の入りと日の出を三日間眺めに行った。友人が、その場所を設定してくれた。
野洲川にはJR電車の橋から琵琶湖までに7つの橋が架けられている。そのうち、県道48号線沿いに架けられた新庄大橋は、比叡山や近江富士(別名・三上山)を美しく望める絶好のロケーションであるというのである。
術後間もない体調への不安もあったが、気分転換にその友人と元旦の夕方出かけた。午後4時40分頃、夕焼けに染まった空を背に、真っ赤な太陽が、比叡山の左手、大文字山や如意ヶ岳の方へ吸い込まれるように静かに沈んでいった。山並みに近づくと、わずか2分ほどで姿を消した。 ―― 国立天文台暦計算室のデータによれば、この日の大津市付近での太陽の方位角は約242.0°である。
太陽が沈む様子を見つめながら、ふと「それでも地球は動いている」というガリレオ・ガリレイの言葉が脳裏をよぎった。しかし、その瞬間の私には、その言葉を確信をもって口にできなかった。
地球は北極と南極を通る軸を中心に一日をかけて回転しているという科学的な事実は知っている。それでも、目の前に広がる光景はむしろ逆を語りかけてくる。まさに、地球が主軸となった宇宙が存在し、地球の周りに太陽が回っている。私は次第に、古代ギリシャのアリストテレスやプトレマイオスが提唱した世界観へと引き込まれていった。
太陽が完全に姿を消すと、東側に位置する三上山も闇に飲み込まれていった。あたりはたちまち静寂に包まれ、目に映るものは何もなくなった。それでも、心の中では確かな予感が芽生えていた。明日の朝、東の空に再び姿を現し、光とともに新しい一日を告げるだろうと。
比叡山付近の夕日 三上山


1月2日 朝日を待ちながら
翌朝、1月2日午前6時50分頃、稜線が美しいことから『近江富士』の名で親しまれる三上山を背に、朝日が昇ることを期待していたのだが 、実際には、三上山と鏡山の中間に位置する城山の辺りから太陽が現れた。
新庄大橋から三上山の頂上の方位角は約131°、そして1月2日の日の出の方位角は117.8°。このことから、観測地点から日の出が三上山の頂上と重なることは地理的に不可能だと後で分かった。 日の出の方位角は季節によって変化するが、冬至の約120°(東南東)となり、夏至の約60°(北東)からしても、無理だった。
ただ、この日、カメラには望遠レンズを装着していたため、視野が狭く、日の出と三上山を同時にフレーム内に収めることができなかったのが悔やまれる。
三上山と鏡山の中間の山波から日の出 三上山


1月3日 雲間に隠れた明日への期待
1月3日、より広範囲の視野を確保するため、広角レンズを装着して再び観測に向かった。しかし、東の空には分厚い雲が広がり、日の出そのものを確認することはできなかった。
それでも、自然の中に身を置く時間は特別なものだった。自然が教えてくれる科学の法則、そしてその美しさに感動しつつ、見えなかった太陽の光を求め、次の機会に場所も変えて期待をつなげていきたい。
見えない日の出/三上山

希望が丘の入り口付近、小道を辿っていると、しゃがみ込んで写真を撮っている人がいた。彼は群生する三つ葉のクローバーの中から四つ葉を探しているようだった。邪魔をしないように、その場を通り過ぎた。
ー私の少年時代、学校から帰るとランドセルを置き、トンボ取りに出かけたものだった。ある日、田んぼのあぜ道で四つ葉のクローバーを見つけた。その場所は私の秘密の場所となり、四つ葉のクローバーを見つけた時の興奮は今でも鮮明に覚えている。しかし、成長するにつれ、その場所への関心は薄れ、やがて忘れてしまったー
過日、四つ葉のクローバーを見つけたいという衝動に駆られ、再びその場所を訪れた。四つ葉のクローバーは三つ葉のクローバーの中に隠れていて、見つけるのは非常に困難だ。四つ葉のクローバーを見つける確率は約1万分の1から10万分の1とされている。これほど稀なものを見つけることは、まさに奇跡のようだ。
統計的に「1000に3つ」「1000に1つ」という表現は、ビジネスや日常生活で使われる非常に高いハードルを指しているが、「10000に1つ」「100000に1つ」は、さらに稀な事象であることを示している。
さて、友人に「四つ葉のクローバーを見つけに行こう」と誘った。
私はおよその場所を知っていたので、「先に見つけた人がケーキを食べることにしよう」と提案した。見当をつけていた場所で一つ一つ探していたところ、友人があっという間に四つ葉のクローバーを見つけた。
「どうしてそんなに早く見つけたの?」と尋ねると、「一点を見つめるのではなく、全体を漫然と眺めていて、違和感を感じるところがあった」と答えた。確率的には稀な事象を一瞬で見分ける友人にあっけにとられた。
言葉で表現すると、沢山の三角の形状の中で、四角という形状を見抜いていたようだ。確率の数値を超えた人の超能力に驚かされた。
私はその場所に通い続け、ついには五つ葉のクローバーを見つけた。その確率は100万分の1とされ、宝くじが当たる確率に匹敵するが、私は宝くじを買うことはしなかった。四つ葉のクローバーには「復讐」という怖い花言葉もあるようだから。
四つ葉のクローバーを見つけるという小さな出来事を通じて、私をリフレッシュさせる貴重な時間となった。この経験を通じて得たものは、四つ葉のクローバーという小さな幸運以上に価値のあるものだった。また、自然の不思議さや豊かさを再認識し、自然の中で過ごす時間の大切さも感じた。
四つ葉のクローバーの確率が1万分の1と10万分の1がどれほど稀なものかを確認しておいた。
サイコロで1の目を連続して出す確率を計算することにした。
(1/6)^x = (1/10000) の方程式の解は x ≈ 5.14、(1/6)^x = (1/100000) の解は x ≈ 6.43
つまり、1の目を5~7回連続して出さなければならないレベルの難しさだ。この稀な確率を乗り越えて得られる喜びは、四つ葉のクローバーがもたらす幸運そのものである。

ー私の少年時代、学校から帰るとランドセルを置き、トンボ取りに出かけたものだった。ある日、田んぼのあぜ道で四つ葉のクローバーを見つけた。その場所は私の秘密の場所となり、四つ葉のクローバーを見つけた時の興奮は今でも鮮明に覚えている。しかし、成長するにつれ、その場所への関心は薄れ、やがて忘れてしまったー
過日、四つ葉のクローバーを見つけたいという衝動に駆られ、再びその場所を訪れた。四つ葉のクローバーは三つ葉のクローバーの中に隠れていて、見つけるのは非常に困難だ。四つ葉のクローバーを見つける確率は約1万分の1から10万分の1とされている。これほど稀なものを見つけることは、まさに奇跡のようだ。
統計的に「1000に3つ」「1000に1つ」という表現は、ビジネスや日常生活で使われる非常に高いハードルを指しているが、「10000に1つ」「100000に1つ」は、さらに稀な事象であることを示している。
さて、友人に「四つ葉のクローバーを見つけに行こう」と誘った。
私はおよその場所を知っていたので、「先に見つけた人がケーキを食べることにしよう」と提案した。見当をつけていた場所で一つ一つ探していたところ、友人があっという間に四つ葉のクローバーを見つけた。
「どうしてそんなに早く見つけたの?」と尋ねると、「一点を見つめるのではなく、全体を漫然と眺めていて、違和感を感じるところがあった」と答えた。確率的には稀な事象を一瞬で見分ける友人にあっけにとられた。
言葉で表現すると、沢山の三角の形状の中で、四角という形状を見抜いていたようだ。確率の数値を超えた人の超能力に驚かされた。
私はその場所に通い続け、ついには五つ葉のクローバーを見つけた。その確率は100万分の1とされ、宝くじが当たる確率に匹敵するが、私は宝くじを買うことはしなかった。四つ葉のクローバーには「復讐」という怖い花言葉もあるようだから。
四つ葉のクローバーを見つけるという小さな出来事を通じて、私をリフレッシュさせる貴重な時間となった。この経験を通じて得たものは、四つ葉のクローバーという小さな幸運以上に価値のあるものだった。また、自然の不思議さや豊かさを再認識し、自然の中で過ごす時間の大切さも感じた。
四つ葉のクローバーの確率が1万分の1と10万分の1がどれほど稀なものかを確認しておいた。
サイコロで1の目を連続して出す確率を計算することにした。
(1/6)^x = (1/10000) の方程式の解は x ≈ 5.14、(1/6)^x = (1/100000) の解は x ≈ 6.43
つまり、1の目を5~7回連続して出さなければならないレベルの難しさだ。この稀な確率を乗り越えて得られる喜びは、四つ葉のクローバーがもたらす幸運そのものである。
四つ葉と五つ葉のクローバー


私は、取り立てた用事もなく、湖周道路を長浜へと北上していた。別名「さざなみ街道」とも呼ばれている。この道路は湖岸沿いに取り付けられ、物静かな景色が広がり、人気もめったにないところだ。
突然、海老原漁港近くで道路脇に人が群がっている光景が目に飛び込んできた。駐車場が満車で、人々は興奮気味に漁港へと向かっていた。私は好奇心に駆られ、その流れに従ってみることにした。
漁港の脇に備え付けられた階段を下り、背丈ほどの生い茂る枯れ草の中に人々が消えていったので、その踏み跡に続いた。ぬかるんだ小道を通り抜けると、そこには湖畔と小島が陸続きになり、幻想的な光景が目の前に広がっていた。
行く途中、ぬかるみで引き返そうとしていたおばさんに、「せっかく来たので行こう」と言って手助けしてやった。この人は、この近くに住んでいるのか、いろいろ話してくれた。
「琵琶湖の水が引くと、湖底に隠れていた砂利が現れ、水はけが良い遠浅ができるの。奥の洲と呼ばれる小島と湖辺とが陸続きになる」と話しながら、約200メートルの幻の道を指さしながら、あれこれ説明してくれた。
「左に見える島が竹生島だよ。でもねぇ、今は水位低下で船の着岸に苦労しているの」
「・・・・・・・」
「今回が初めて幻の道が現れたわけではないの。30年ほど前かなぁ、私も元気だった頃、貝をひらいにきたことがあるの。そうそう、一昨年も道が出現したの。毎年楽しみにしていますが、起こらない年もあるので、あまりあてにできないの」とほほ笑んでいた。
私は「来年も出現したらいいのにねぇ」と言って別れた。
この出会いは、水位の低下がもたらすこの特別な瞬間が、私にとって琵琶湖の新たな魅力を発見することになった。
ところで、琵琶湖は近畿地方に住む人々にとって欠かせない水源であり、この近畿の水瓶の水位低下は由々しき問題でもあります。1986年、1994年、そして2021年に琵琶湖の水位が異常低下しています。琵琶湖の水位は、流入する河川が100以上ある中、水の流出量は瀬田川の洗堰で一定のルールに従ってコントロールされているようです。もう少し天候の長期予想などを組み込んでみるといいのかもしれません。




突然、海老原漁港近くで道路脇に人が群がっている光景が目に飛び込んできた。駐車場が満車で、人々は興奮気味に漁港へと向かっていた。私は好奇心に駆られ、その流れに従ってみることにした。
漁港の脇に備え付けられた階段を下り、背丈ほどの生い茂る枯れ草の中に人々が消えていったので、その踏み跡に続いた。ぬかるんだ小道を通り抜けると、そこには湖畔と小島が陸続きになり、幻想的な光景が目の前に広がっていた。
行く途中、ぬかるみで引き返そうとしていたおばさんに、「せっかく来たので行こう」と言って手助けしてやった。この人は、この近くに住んでいるのか、いろいろ話してくれた。
「琵琶湖の水が引くと、湖底に隠れていた砂利が現れ、水はけが良い遠浅ができるの。奥の洲と呼ばれる小島と湖辺とが陸続きになる」と話しながら、約200メートルの幻の道を指さしながら、あれこれ説明してくれた。
「左に見える島が竹生島だよ。でもねぇ、今は水位低下で船の着岸に苦労しているの」
「・・・・・・・」
「今回が初めて幻の道が現れたわけではないの。30年ほど前かなぁ、私も元気だった頃、貝をひらいにきたことがあるの。そうそう、一昨年も道が出現したの。毎年楽しみにしていますが、起こらない年もあるので、あまりあてにできないの」とほほ笑んでいた。
私は「来年も出現したらいいのにねぇ」と言って別れた。
この出会いは、水位の低下がもたらすこの特別な瞬間が、私にとって琵琶湖の新たな魅力を発見することになった。
ところで、琵琶湖は近畿地方に住む人々にとって欠かせない水源であり、この近畿の水瓶の水位低下は由々しき問題でもあります。1986年、1994年、そして2021年に琵琶湖の水位が異常低下しています。琵琶湖の水位は、流入する河川が100以上ある中、水の流出量は瀬田川の洗堰で一定のルールに従ってコントロールされているようです。もう少し天候の長期予想などを組み込んでみるといいのかもしれません。





数年前から、希望が丘・三上山の登山路入り口に、ひっそりと佇む「ホトトギス」を見つけて以来、その存在に興味を抱いていました。というのは、この花の生息に関する報告書や、この周辺で見かけたという話も聞いたこともありませんでした。山野の一角に潜む希少な花であることを知りながらも、当時はそれほど心を引かれるものではありませんでした。
たまたま、我が家の庭には台湾系ホトトギスの交配種を植えていました。この花の模様や色彩とが驚くほど類似しており、その生い立ちには特に意識を向けることなく、美しいが、むしろ重ぐるしい印象でした。
ホトトギスの容姿は、昆虫たちにとっては魅力的なのでしょうが、私にとっては奇妙なものに見えました。雄しべと雌しべの区別が難しく、6本の雄しべが花の中心に寄り添い、雌しべは3分裂し、さらに細かく2分裂する複雑な構造。これはまさに虫を引き寄せ、受粉を促す巧妙な戦略であることは理解していました。これからも、この花の容姿がますます複雑に変化していくのでしょう。
私は心の中で、もっと簡潔で美しい姿が好ましいと思いながらも、江戸時代から続くホトトギス愛好者たちがいたことから、人は美しさに異なる視点を抱えているのでしょう。
そこは、山道の端には崖が迫り、水がにじみ出ていました。木漏れ日も差し射し込み、この花にとっては安住の居場所なのでしょう。当初2本程度育っていましたが、現在6~7本に増えました。そして、今年になり、その花を愛でに訪れる人々が増えてきました。そして皆さん口々に「ヤマジノホトトギス」と語り始めました。私は、園芸種でなかった場合、それは日本固有の「ホトトギス」だと思っていました。その名前には、どうしても馴染めない感覚があり、じっくりと観察し、調査を重ねてみました。
この自生しているホトトギスの花被片の基部には黄色の班紋が見られますが、ヤマジノホトトギスの基部の黄色の斑点がないことからどうも違うようです。また、ホトトギス類の花被片の反り返る状態でも判断ができますが、茎の繊毛の生え向きに注目してみました。茎の繊毛が上向きに生えていました。ヤマジノホトトギス(ヤマノホトトギス)は、下向きであることから、ヤマジノホトトギスと呼ばれているのは間違いであるとわかりました。さらに、花被片の基部近くの内面が黄橙色になっていることから、園芸種の台湾ホトトギスと日本固有のホトトギスに絞られてきました。
庭に咲いている園芸種のホトトギスは、花茎は頭頂部で四方に分岐して多くの花を咲かせています。しかし、自生しているホトトギスは、行儀よく順番に葉のわきに花をつけていました。このことから、どうも、日本固有のホトトギスのようです。この内容を仲間に話してみると、何となく納得してもらいました。
今回は、つぼみから風に任せて花が散るまで、そして実を結ぶまで見守りました。この間、一本も盗掘されることもなく、無事終わりました。来年も楽しみにしています。





たまたま、我が家の庭には台湾系ホトトギスの交配種を植えていました。この花の模様や色彩とが驚くほど類似しており、その生い立ちには特に意識を向けることなく、美しいが、むしろ重ぐるしい印象でした。
ホトトギスの容姿は、昆虫たちにとっては魅力的なのでしょうが、私にとっては奇妙なものに見えました。雄しべと雌しべの区別が難しく、6本の雄しべが花の中心に寄り添い、雌しべは3分裂し、さらに細かく2分裂する複雑な構造。これはまさに虫を引き寄せ、受粉を促す巧妙な戦略であることは理解していました。これからも、この花の容姿がますます複雑に変化していくのでしょう。
私は心の中で、もっと簡潔で美しい姿が好ましいと思いながらも、江戸時代から続くホトトギス愛好者たちがいたことから、人は美しさに異なる視点を抱えているのでしょう。
そこは、山道の端には崖が迫り、水がにじみ出ていました。木漏れ日も差し射し込み、この花にとっては安住の居場所なのでしょう。当初2本程度育っていましたが、現在6~7本に増えました。そして、今年になり、その花を愛でに訪れる人々が増えてきました。そして皆さん口々に「ヤマジノホトトギス」と語り始めました。私は、園芸種でなかった場合、それは日本固有の「ホトトギス」だと思っていました。その名前には、どうしても馴染めない感覚があり、じっくりと観察し、調査を重ねてみました。
この自生しているホトトギスの花被片の基部には黄色の班紋が見られますが、ヤマジノホトトギスの基部の黄色の斑点がないことからどうも違うようです。また、ホトトギス類の花被片の反り返る状態でも判断ができますが、茎の繊毛の生え向きに注目してみました。茎の繊毛が上向きに生えていました。ヤマジノホトトギス(ヤマノホトトギス)は、下向きであることから、ヤマジノホトトギスと呼ばれているのは間違いであるとわかりました。さらに、花被片の基部近くの内面が黄橙色になっていることから、園芸種の台湾ホトトギスと日本固有のホトトギスに絞られてきました。
庭に咲いている園芸種のホトトギスは、花茎は頭頂部で四方に分岐して多くの花を咲かせています。しかし、自生しているホトトギスは、行儀よく順番に葉のわきに花をつけていました。このことから、どうも、日本固有のホトトギスのようです。この内容を仲間に話してみると、何となく納得してもらいました。
今回は、つぼみから風に任せて花が散るまで、そして実を結ぶまで見守りました。この間、一本も盗掘されることもなく、無事終わりました。来年も楽しみにしています。





彼岸花の色はピンクやクリーム色など華やかな色も存在するようですが、自然界に自生しているのは三つです。
赤、白、黄色の色が見られると言われていましたので、身の回りを丹念に探してみました。
ヒガンバナの色は主に「赤」ですが、白色が少しだけ、やっと「黄色」の彼岸花を一本見つけました。
花弁は妙に反り返り、縁のフリルが長々と同じように見えますが、これほどの印象の変化があるのでしょうか。
べにの彼岸花: 別れと再会、紅の花が語る。
白い彼岸花: 一途な思い、白い花が誓う。
黄色い彼岸花: 陽光の中で、黄色い花が笑っているようです。


赤、白、黄色の色が見られると言われていましたので、身の回りを丹念に探してみました。
ヒガンバナの色は主に「赤」ですが、白色が少しだけ、やっと「黄色」の彼岸花を一本見つけました。
花弁は妙に反り返り、縁のフリルが長々と同じように見えますが、これほどの印象の変化があるのでしょうか。
べにの彼岸花: 別れと再会、紅の花が語る。
白い彼岸花: 一途な思い、白い花が誓う。
黄色い彼岸花: 陽光の中で、黄色い花が笑っているようです。



タグ :彼岸花
その日は、日曜日だったのか、滋賀県草津市にある植物園の駐車場が満車になっていた。少し高台にある第2駐車場に行っても、自動車を駐める場所を探し回らなければならなかった。
入場券を購入するのももどかしく、目当ての植物のところに直行した。そこには豊かな緑が広がっており、その中でもニューサイランは一際目立っていた。名前を呼んでみると、その植物は微かに揺れながら返事をした。
「私がニューサイランです。ここは私の新しいホームです」と言った。そして自らの行きがかりを説明し始めた。「私はニュージーランドで生まれ、数年前にここに移植されました。この植物園で育つことで、新たな命を与えられたのです。でもねぇ、美しい花を引き立てる役割を果たすために植え付けられたのです」
「どうして」と相づちを打つと、
ニューサイランは微笑みながら答えた。「実は私は珍しい植物で、滅多に花を咲かせることはありません。─まあ脇役だね─」
「今日はたくさんの人がやってきたのは、どうしてでしょうか」と怪訝な様子で聞き返してきた。
私はその訳を話してやった。
「ユーを世話しているボランティアさんが、6月6日、ニューサイランが花を咲かせている」とTVで放映されたからだ。『30年から40年に一度しか咲かないと言われるニューサイランが、滋賀県草津市にある植物園で初めて開花し、見頃になった』」と騒ぎだしたから人が集まってきた。
「ユーが主役になったのだ」と明かしてやった。
次の日も、気になることがあったので、再び同じところに出向いた。
たまたま、ガイドさんがおられたので、見たことがある葉っぱについて、話しかけてみると、「ニューサイランの葉っぱは、生け花にされている。葉っぱの色は多彩で、ライムグリーンや深緑、シルバーグリーン、銅、赤色など多彩で珍重されている」と説明を受けた。
「なるほどなぁ」と私の疑問が解消した。
花を咲かせ、実をつけて子孫を繋いでいくためには、40年という単位はあまりにも長すぎる。 自然界は、私の理解を遥かに超えているなぁと思っていました。ところが、人の手で株分けされ、園芸種として栽培されることによって、世界的規模で繁殖する術を持ったようだ。植物の生き残りの多様性には驚かされた。
ただ、寿命を全うするときに、花を咲かせると言われている。もしかしたら、来年も咲くのか、今年だけなのかはまだ分からない。この植物の様子を、少し見守りたいと思っている。



入場券を購入するのももどかしく、目当ての植物のところに直行した。そこには豊かな緑が広がっており、その中でもニューサイランは一際目立っていた。名前を呼んでみると、その植物は微かに揺れながら返事をした。
「私がニューサイランです。ここは私の新しいホームです」と言った。そして自らの行きがかりを説明し始めた。「私はニュージーランドで生まれ、数年前にここに移植されました。この植物園で育つことで、新たな命を与えられたのです。でもねぇ、美しい花を引き立てる役割を果たすために植え付けられたのです」
「どうして」と相づちを打つと、
ニューサイランは微笑みながら答えた。「実は私は珍しい植物で、滅多に花を咲かせることはありません。─まあ脇役だね─」
「今日はたくさんの人がやってきたのは、どうしてでしょうか」と怪訝な様子で聞き返してきた。
私はその訳を話してやった。
「ユーを世話しているボランティアさんが、6月6日、ニューサイランが花を咲かせている」とTVで放映されたからだ。『30年から40年に一度しか咲かないと言われるニューサイランが、滋賀県草津市にある植物園で初めて開花し、見頃になった』」と騒ぎだしたから人が集まってきた。
「ユーが主役になったのだ」と明かしてやった。
次の日も、気になることがあったので、再び同じところに出向いた。
たまたま、ガイドさんがおられたので、見たことがある葉っぱについて、話しかけてみると、「ニューサイランの葉っぱは、生け花にされている。葉っぱの色は多彩で、ライムグリーンや深緑、シルバーグリーン、銅、赤色など多彩で珍重されている」と説明を受けた。
「なるほどなぁ」と私の疑問が解消した。
花を咲かせ、実をつけて子孫を繋いでいくためには、40年という単位はあまりにも長すぎる。 自然界は、私の理解を遥かに超えているなぁと思っていました。ところが、人の手で株分けされ、園芸種として栽培されることによって、世界的規模で繁殖する術を持ったようだ。植物の生き残りの多様性には驚かされた。
ただ、寿命を全うするときに、花を咲かせると言われている。もしかしたら、来年も咲くのか、今年だけなのかはまだ分からない。この植物の様子を、少し見守りたいと思っている。



金ランを探していた友人から、「今は、ウツギに癒されています」と報せてきた。「白・黄色・ピンク・少し赤と色んな色合いに夢中になっています」とも。
先日も、かつて乙女だった3人が、連れ添って花緑公園に行き、サラサウツギの下で長々とよもやま話をしていたようだ。
ウツギは普段、庭木や生垣として目にするので、それほど気が惹かれる木ではなかった。それで、友人に「ウツギねぇ~」と返信をしたものの、何となく花緑公園に出かけてみた。
ウツギは漢字で「空木」と書く。この漢字を読める人は少ないようだ。私は中央アルプスの空木岳に行っているので、「ウツギ」という読み方を知っていたが、確かに読みにくい文字だ。ウツギとは、幹や枝の中心が「髄」ではなく、空洞になっていることから「空木(うつろぎ)」がウツギと呼ばれるようになったと言われている。
花緑公園の案内板にはウツギの表示がなく、なかなか見つけられなかった。木の下に散らばっている枯れ木をひらい上げては、中空の枝を探した。一本ずつ確認するのに骨がおれた。何周も公園内を歩き回り、ついに空洞の枝を見つけた。ウツギの葉は細長い卵形で先が尖り、対生で生えており、まさにウツギであった。
その樹木は私よりも少し高く、根元から多くの枝が分かれていた。枝には純白の花弁が重なり合っており、花弁の付け根あたりにはわずかに愛くるしいピンク色が残っていた。花弁は中心部に密集し、外側に向かって複数の層になっていた。重なって咲いている花なので、何かを隠しているような秘密めいた雰囲気が漂っていた。そして、花弁は全て下を向いていた。枝から垂れ下がる花姿は、古風というよりも謙虚で温和に思えた。
この控えめで安心感のある花姿に、彼女らは自分たちの人生の思い出を重ねていたのであろう。
友人は「ピンク色の花が満開を過ぎると、薄くなっていました」と。季節の移ろいの中で、時の流れを感じ取っていたようだ。
そして、友人は「色々お医者さんと仲良くするような歳になりました」と結んでいた。歳を重ねたわが身を悔いるのでなく、この花の一枚一枚に、過ぎ去った自分たちの歴史を投影しては、「今」を楽しんでいたようだ。
ウツギに出会った友人の言葉は、思いもよらないところに、人生の意味を考えさせてくれた。
なお、ウツギの枝は全て中空だと思っていたが、実際にはそうでもなかった。庭にウツギを植えている別の友人に「ウツギの枝が中空か確認して」とラインを送ったところ、「山で見かけるウツギに似ているけど、枝は詰まっていた」と返信があった。「空木じゃなくて宇津木かもしれないね(笑)」と茶化してきた。


サラサウツギは園芸種である。私にとっては、力強く自生しているウツギ探しに、鏡山へ向かった。善光寺川沿いに「タニウツギ」や「キバナウツギ」に出会えた。三上山は檜の二次林に覆われているが、北尾根縦走路には雑木林が多く、「タニウツギ」「コツクバネウツギ」「ノリウツギなどが自生していると聞いていたので、出かけたが、花がすでに散っていた。来年には、三上山周辺を散策したいと思っている。


先日も、かつて乙女だった3人が、連れ添って花緑公園に行き、サラサウツギの下で長々とよもやま話をしていたようだ。
ウツギは普段、庭木や生垣として目にするので、それほど気が惹かれる木ではなかった。それで、友人に「ウツギねぇ~」と返信をしたものの、何となく花緑公園に出かけてみた。
ウツギは漢字で「空木」と書く。この漢字を読める人は少ないようだ。私は中央アルプスの空木岳に行っているので、「ウツギ」という読み方を知っていたが、確かに読みにくい文字だ。ウツギとは、幹や枝の中心が「髄」ではなく、空洞になっていることから「空木(うつろぎ)」がウツギと呼ばれるようになったと言われている。
花緑公園の案内板にはウツギの表示がなく、なかなか見つけられなかった。木の下に散らばっている枯れ木をひらい上げては、中空の枝を探した。一本ずつ確認するのに骨がおれた。何周も公園内を歩き回り、ついに空洞の枝を見つけた。ウツギの葉は細長い卵形で先が尖り、対生で生えており、まさにウツギであった。
その樹木は私よりも少し高く、根元から多くの枝が分かれていた。枝には純白の花弁が重なり合っており、花弁の付け根あたりにはわずかに愛くるしいピンク色が残っていた。花弁は中心部に密集し、外側に向かって複数の層になっていた。重なって咲いている花なので、何かを隠しているような秘密めいた雰囲気が漂っていた。そして、花弁は全て下を向いていた。枝から垂れ下がる花姿は、古風というよりも謙虚で温和に思えた。
この控えめで安心感のある花姿に、彼女らは自分たちの人生の思い出を重ねていたのであろう。
友人は「ピンク色の花が満開を過ぎると、薄くなっていました」と。季節の移ろいの中で、時の流れを感じ取っていたようだ。
そして、友人は「色々お医者さんと仲良くするような歳になりました」と結んでいた。歳を重ねたわが身を悔いるのでなく、この花の一枚一枚に、過ぎ去った自分たちの歴史を投影しては、「今」を楽しんでいたようだ。
ウツギに出会った友人の言葉は、思いもよらないところに、人生の意味を考えさせてくれた。
なお、ウツギの枝は全て中空だと思っていたが、実際にはそうでもなかった。庭にウツギを植えている別の友人に「ウツギの枝が中空か確認して」とラインを送ったところ、「山で見かけるウツギに似ているけど、枝は詰まっていた」と返信があった。「空木じゃなくて宇津木かもしれないね(笑)」と茶化してきた。


サラサウツギは園芸種である。私にとっては、力強く自生しているウツギ探しに、鏡山へ向かった。善光寺川沿いに「タニウツギ」や「キバナウツギ」に出会えた。三上山は檜の二次林に覆われているが、北尾根縦走路には雑木林が多く、「タニウツギ」「コツクバネウツギ」「ノリウツギなどが自生していると聞いていたので、出かけたが、花がすでに散っていた。来年には、三上山周辺を散策したいと思っている。


私は山野草が大好きで、よく希望が丘・三上山周辺を散策しています。ところで、この地域には「キンラン」が根っから自生していないと思っていました。なぜなら、希望ヶ丘の生態調査レポートにはキンランの名前がなかったからです。
せんだって、「ややうみ坂ではキンランの株を見つけ、楽しみにしていましたが、盗掘されてしまった」と、顔見知りのYさんが残念がっていたことがありました。この思いも寄らない言葉から、「金蘭」がこの場所に生息しているのではないかとの淡い期待感を持ち始めました。
それ以降、あれこれ調べているうちに、希望が丘文化公園公式ブログにて金蘭の写真が、掲載されていることを知りました。「希望ヶ丘リッチランド登山口をスタートし、鏡山までは約3km。まずは鳴谷池を目指します」と書かれていたことから、いずれこの付近で見つかるだろうと予測していました。
今年になって、突然Kさんから「金蘭が鳴谷池付近で自生しているらしい」との一報が届きました。矢継ぎ早に、山友達のMさんからも、いとも簡単に「三上周辺にも金蘭を見つけた」と配信されました。また、顔見知りのKOさんからも写真を見せられ、納得しました。一気に慌ただしくなりました。
誰が最初に見つけたかはわかりませんが、とにかく2か所で発見され、山野草を愛でる人達に一気に広まっていったようです。私だけでなく、待ち望んでいた人が他にもいたことを知りました。
早速出かけてみました。そこで見た光景は、私の目を疑うほど美しかったです。黄色い花びらが太陽の光を受けて輝き、緑の葉が風に揺れていました。
キンランは滋賀県レッドデータブック2020年度版で絶滅危惧Ⅱ類に指定されています。野洲市では確認されていない貴重な植物です。私はこの発見に感動しましたが、同時に盗掘や開発などの脅威にも心配しました。キンランは私たちの財産です。大切に守っていきたいと思います。


※「滋賀県レッドデータブック2020年度版」 キンランは、県内の全域にわたって自生地が確認されている。だが、近隣の近江八幡市・草津市では、見つかっているが、野洲市はなかった。
「希望が丘文化公園 自然観察ガイドブック」の2004年生物リストにはキンラン・ギンランの記載されていない。なお、1971年「希望が丘の自然」の植物目録には、ギンランのみ報告がされていた。
せんだって、「ややうみ坂ではキンランの株を見つけ、楽しみにしていましたが、盗掘されてしまった」と、顔見知りのYさんが残念がっていたことがありました。この思いも寄らない言葉から、「金蘭」がこの場所に生息しているのではないかとの淡い期待感を持ち始めました。
それ以降、あれこれ調べているうちに、希望が丘文化公園公式ブログにて金蘭の写真が、掲載されていることを知りました。「希望ヶ丘リッチランド登山口をスタートし、鏡山までは約3km。まずは鳴谷池を目指します」と書かれていたことから、いずれこの付近で見つかるだろうと予測していました。
今年になって、突然Kさんから「金蘭が鳴谷池付近で自生しているらしい」との一報が届きました。矢継ぎ早に、山友達のMさんからも、いとも簡単に「三上周辺にも金蘭を見つけた」と配信されました。また、顔見知りのKOさんからも写真を見せられ、納得しました。一気に慌ただしくなりました。
誰が最初に見つけたかはわかりませんが、とにかく2か所で発見され、山野草を愛でる人達に一気に広まっていったようです。私だけでなく、待ち望んでいた人が他にもいたことを知りました。
早速出かけてみました。そこで見た光景は、私の目を疑うほど美しかったです。黄色い花びらが太陽の光を受けて輝き、緑の葉が風に揺れていました。
キンランは滋賀県レッドデータブック2020年度版で絶滅危惧Ⅱ類に指定されています。野洲市では確認されていない貴重な植物です。私はこの発見に感動しましたが、同時に盗掘や開発などの脅威にも心配しました。キンランは私たちの財産です。大切に守っていきたいと思います。


※「滋賀県レッドデータブック2020年度版」 キンランは、県内の全域にわたって自生地が確認されている。だが、近隣の近江八幡市・草津市では、見つかっているが、野洲市はなかった。
「希望が丘文化公園 自然観察ガイドブック」の2004年生物リストにはキンラン・ギンランの記載されていない。なお、1971年「希望が丘の自然」の植物目録には、ギンランのみ報告がされていた。