2025年01月30日 「新春の光を追いかけて――比叡山と三上山の風景から」
2025年新年の始まり、光を求めて
2025年の正月、年の始めとして、新しい年を迎える日の入りと日の出を三日間眺めに行った。友人が、その場所を設定してくれた。
野洲川にはJR電車の橋から琵琶湖までに7つの橋が架けられている。そのうち、県道48号線沿いに架けられた新庄大橋は、比叡山や近江富士(別名・三上山)を美しく望める絶好のロケーションであるというのである。
術後間もない体調への不安もあったが、気分転換にその友人と元旦の夕方出かけた。午後4時40分頃、夕焼けに染まった空を背に、真っ赤な太陽が、比叡山の左手、大文字山や如意ヶ岳の方へ吸い込まれるように静かに沈んでいった。山並みに近づくと、わずか2分ほどで姿を消した。 ―― 国立天文台暦計算室のデータによれば、この日の大津市付近での太陽の方位角は約242.0°である。
太陽が沈む様子を見つめながら、ふと「それでも地球は動いている」というガリレオ・ガリレイの言葉が脳裏をよぎった。しかし、その瞬間の私には、その言葉を確信をもって口にできなかった。
地球は北極と南極を通る軸を中心に一日をかけて回転しているという科学的な事実は知っている。それでも、目の前に広がる光景はむしろ逆を語りかけてくる。まさに、地球が主軸となった宇宙が存在し、地球の周りに太陽が回っている。私は次第に、古代ギリシャのアリストテレスやプトレマイオスが提唱した世界観へと引き込まれていった。
太陽が完全に姿を消すと、東側に位置する三上山も闇に飲み込まれていった。あたりはたちまち静寂に包まれ、目に映るものは何もなくなった。それでも、心の中では確かな予感が芽生えていた。明日の朝、東の空に再び姿を現し、光とともに新しい一日を告げるだろうと。
1月2日 朝日を待ちながら
翌朝、1月2日午前6時50分頃、稜線が美しいことから『近江富士』の名で親しまれる三上山を背に、朝日が昇ることを期待していたのだが 、実際には、三上山と鏡山の中間に位置する城山の辺りから太陽が現れた。
新庄大橋から三上山の頂上の方位角は約131°、そして1月2日の日の出の方位角は117.8°。このことから、観測地点から日の出が三上山の頂上と重なることは地理的に不可能だと後で分かった。 日の出の方位角は季節によって変化するが、冬至の約120°(東南東)となり、夏至の約60°(北東)からして、地理的にも不可能だと解った。この日、カメラには望遠レンズを装着していたため、視野が狭く、日の出と三上山を同時にフレーム内に収めることができなかったのが悔やまれる。
1月3日 雲間に隠れた明日への期待
1月3日、より広範囲の視野を確保するため、広角レンズを装着して再び観測に向かった。しかし、東の空には分厚い雲が広がり、日の出そのものを確認することはできなかった。
それでも、自然の中に身を置く時間は特別なものだった。自然が教えてくれる科学の法則、そしてその美しさに感動しつつ、見えない太陽の光を求め、次の機会に期待をつなげていきたい。
2025年の正月、年の始めとして、新しい年を迎える日の入りと日の出を三日間眺めに行った。友人が、その場所を設定してくれた。
野洲川にはJR電車の橋から琵琶湖までに7つの橋が架けられている。そのうち、県道48号線沿いに架けられた新庄大橋は、比叡山や近江富士(別名・三上山)を美しく望める絶好のロケーションであるというのである。
術後間もない体調への不安もあったが、気分転換にその友人と元旦の夕方出かけた。午後4時40分頃、夕焼けに染まった空を背に、真っ赤な太陽が、比叡山の左手、大文字山や如意ヶ岳の方へ吸い込まれるように静かに沈んでいった。山並みに近づくと、わずか2分ほどで姿を消した。 ―― 国立天文台暦計算室のデータによれば、この日の大津市付近での太陽の方位角は約242.0°である。
太陽が沈む様子を見つめながら、ふと「それでも地球は動いている」というガリレオ・ガリレイの言葉が脳裏をよぎった。しかし、その瞬間の私には、その言葉を確信をもって口にできなかった。
地球は北極と南極を通る軸を中心に一日をかけて回転しているという科学的な事実は知っている。それでも、目の前に広がる光景はむしろ逆を語りかけてくる。まさに、地球が主軸となった宇宙が存在し、地球の周りに太陽が回っている。私は次第に、古代ギリシャのアリストテレスやプトレマイオスが提唱した世界観へと引き込まれていった。
太陽が完全に姿を消すと、東側に位置する三上山も闇に飲み込まれていった。あたりはたちまち静寂に包まれ、目に映るものは何もなくなった。それでも、心の中では確かな予感が芽生えていた。明日の朝、東の空に再び姿を現し、光とともに新しい一日を告げるだろうと。
比叡山付近の夕日 三上山
1月2日 朝日を待ちながら
翌朝、1月2日午前6時50分頃、稜線が美しいことから『近江富士』の名で親しまれる三上山を背に、朝日が昇ることを期待していたのだが 、実際には、三上山と鏡山の中間に位置する城山の辺りから太陽が現れた。
新庄大橋から三上山の頂上の方位角は約131°、そして1月2日の日の出の方位角は117.8°。このことから、観測地点から日の出が三上山の頂上と重なることは地理的に不可能だと後で分かった。 日の出の方位角は季節によって変化するが、冬至の約120°(東南東)となり、夏至の約60°(北東)からして、地理的にも不可能だと解った。この日、カメラには望遠レンズを装着していたため、視野が狭く、日の出と三上山を同時にフレーム内に収めることができなかったのが悔やまれる。
三上山と鏡山の中間の山波から日の出 三上山
1月3日 雲間に隠れた明日への期待
1月3日、より広範囲の視野を確保するため、広角レンズを装着して再び観測に向かった。しかし、東の空には分厚い雲が広がり、日の出そのものを確認することはできなかった。
それでも、自然の中に身を置く時間は特別なものだった。自然が教えてくれる科学の法則、そしてその美しさに感動しつつ、見えない太陽の光を求め、次の機会に期待をつなげていきたい。
見えない日の出/三上山
四つ葉のクローバーが教えてくれたこと
水位の低下が紡ぐ琵琶湖の幻の道
三上山でホトトギスとの出会い
彼岸花の多彩な色彩と意味
40年に一度の花が咲いた/水生植物公園みずの森
ウツギの魅力と思い出/花緑公園にて
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三上山でホトトギスとの出会い
彼岸花の多彩な色彩と意味
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