2023年04月29日   3年越しに「銀ラン」/野洲市

 
  自生している銀ランを見つけた
  
  やっぱり真っ白だった

  もう言葉はいらない




  



タグ :銀ラン


2023年04月26日   身近なところの春蘭探し/滋賀

 春がやってくると、私は待ち遠しくなることがあります。 それは、身近な希望が丘や三上山周辺の水はけのよい尾根筋や傾斜地で“春ラン”が咲きだすのです。 風通しがよく、木漏れ日が当たるところで、葉っぱとあまり変わらない花芽を付けて、ひっそりと春を待っているのです。
 
 ところで、かつて春蘭は、山野や水田の路肩でも見られたそうです。地元のおばさんたちが、「春蘭の花を摘んでは、保存食として塩漬けたものです」といって、昔を懐かしんでいました。希望が丘の職員Kさんも、「花びらの天ぷらや酢漬けの和え物として、自然の風味と香りを楽しんでいた」と話していました。食生活にも取り入れられていた植物だったとはねぇ。

 城山の山頂の登り口では、春蘭にとって環境条件が揃った処だったのでしょう、立派な株に育っていました。ある日突然、鋭利なスコップでえぐられていました。私だけでなく、かなり知る人もおられ、「残念だ」と漏らしていました。
いやいや、春蘭を栽培して数多く枝分けさせて、この地に戻そうと思ったのでしょうか・・・・。そう思いたい。
 出世不動明王近くの区切られたところにも、毎年花を咲かしています。ここは、自生していると言うより、人手により世話をされているようで、人目が行きわたり盗掘は免れています。

 私は、自生している植物に拘っているので、いろいろな場所を探しまわっています。この頃、滋賀県の近江八幡市(おうみはちまんし)に出かけています。今年も行ってきました。そこには、春蘭が4か所ほどの株があり、その内の一か所に、やかましいほど開花していました。
 
近江八幡の山野に自生している春蘭



 そして、今年は新たに、野洲川沿いでこぶりながらも、一輪の花芽を付けている春蘭を見出しました。
葉の間から1本のひょろひょろとした茎が伸び、淡い色の花を一輪開いていました。正面から撮影するのか、横顔がいいのか、右側それとも左側、上下・・・・といろんな角度から眺めていると、花が恥ずかしがっているように見えたその姿を、パチリと撮りました。

最近見つけた野洲川河川敷の春蘭













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2023年03月14日   比良山と菜の花あれこれ

 季節の移ろいを感じるのは、色の変化で察するようだ。

春夏秋冬の色のイメージは、人それぞれだが、黄色は早春がお似合いの色だ。殺風景な白色は淡泊過ぎ、高級感のある紫色や情熱感のある赤色は、重苦しい。その点、黄色は開放的で受け入れ易いのか、人が集まり易い色のように思える。

 琵琶湖の東側にある第一なぎさ公園には、温かみのある黄色の花が咲き出した。ここは、春の訪れをいち早く感じられるところである。
菜の花畑を背にして比良山系の山々が見え、冠雪の山々と黄色の菜の花の絨毯が絶景を生み出している。週末には、黄色に引き寄せられるかのように大勢な人がやってくる。地域興しの菜の花畑は「黄色い花」でなく「菜の花色」という固有の呼び名もつけられているぐらいだ。

 蓮実香佑氏によれば、昆虫にも花の色に好みがある。黄色い色が「アブ」。白い色が「コガネムシ」。紫色の「ミツバチ」、赤色「チョウチョ」と・・・・・。 
早春になると、菜の花・タンポポなど黄色い花が咲き出す。するとこの色を好むアブが蜜を求めて活動し始める。黄色は、開けっ広げで、どうしても移る気な色でもある。アブが黄色と見れば節操なく飛んでいくので、目移りさせないように、黄色い花のじゅうたんとなって群生しているらしい。黄色は、自然の生態にもかかわっているとは、興味深い。

 一週間後にやってくると、春を告げるあのむせるような甘い香りもなくなり、殺伐としていた。菜の花がバッサリ刈られていたのだ。切り忘れたのか、それとも生き返ったのか一本だけ健気に咲いていたのが、痛々しい。
 風景に黄色がなくなると、誰一人も寄り付かなくなっていた。が、渡り鳥がまだ居ついていた。人の注意の喚起にも使われてる黄色は、やはり、危ない要素を含む色かも。

 なぜ、ひとがここに集まってきたのか、よくわからなくなった。

「そこまで春がきた」との思いで、人が集まってきたとは、考えにくい。
ここに植えられている菜の花品種は、寒咲花菜(かんざきはなな)という名前の早咲きである。人工的作られた春であることを承知の上できている。

 どうも、黄色に集まったとも一概に言えないようだ。

 A友人に同じことをブツケテみると、「白と黄色のコントラスが素晴らしい」一言が返ってきた。
人を惹きつけているのは、日常生活では出会えない、黄色い花と白色の雪の『異彩な空間』を求めてやってきたかもしれない。
黄色の相性の良い色は青紫である。互いの彩度が増し、より鮮やかになる関係である。黄色と白色は、補色関係では無いが、自然界に余り存在しない彩度の大きい特異な風景を醸しだす組み合わせを期待していたようだ。

  ーひとは、複雑な生物であるー












Posted by nonio at 05:59Comments(2)滋賀を歩く

2023年01月01日   逆さ近江富士

 

 雪がひとしきり降った。
 静安を待っていると、みなもに近江富士が現れた。

 そこには、二つの近江富士と僕がいた。










2022年12月30日   冬に咲かせた秋丁字

 山仲間Mさん達との話の中で、山野草の「アキチョウジュ」について盛り上がった。秋に咲き、丁子(釘という意味)のような形をしているので、こう呼ばれているようだ。

 そこは、鏡山連山の山麓。『ややうみ坂』・『のどの千軒跡』へと通ずる一帯であった。
かつて、薪を調達した古道で、赤ちゃんを産むぐらいの急な坂であったことから、『ややうみ坂』と言われるようになった。が、今では人も入らない森閑とした僻地。それゆえ、山野草も豊かなようである。
 「アキチョウジュの群生は、圧巻だねぇ」との一言から、どうしても一度立ち寄ってみたいと心が動いた。

晩秋のある日、5人で訪れる日がやってきた。

 この花を間近に眺めてみると。
今にも壊れてしまいそうな繊細なガラス細工のような姿態。風が吹けば、お互い触れ合い音を奏でるようだ。そんな中、淡い色合いのアキチョウジュが、私をまねいていた。この色調に、私が翻弄された。
 
 空や海の澄んだ色だが、単なる青色ではない。紺色にしては透明感がない。つゆくさの花にちなんだ明るい薄青色だから露草色なのであろう。いやいや、水のような青色を縹色(はなだいろ)と言われている。その濃さによって「深縹、中縹、次縹、浅縹」さらに淡い青は「水縹」と呼ばれている。
この色合いにも多少違和感が・・・・。回りまわって水の色を模した淡い青色は、「水色」に落ち着いた。

 このアキチョウジュは、私を魅惑した「秘色」であった。

 「水色」をしたこの花は、さえ冴えと凍った氷柱ように見えたので、とうとう真冬に咲かせてみた。
山野草は四季の移り変わりにしたがって、花が咲くのだが、私にとっての咲く時期は、気分次第。時には咲くことも咲かないこともある。

     ー自然の摂理に抗うのも、また楽しいー






    



2022年11月09日   三上山周辺のコクランを求めて

 
 私は、 身近な希望が丘や三上山周辺を珍しい葉っぱを探しながら、自生している山野草を、ずっと追っかけてきた。
とりわけ、林内を歩いていて、ラン類に出くわした時は、愛しい恋人と待ち合わしているかのような高揚感に包まれたものだ。 
シュンラン・カキラン・コクラン・銀ランそしてサイハイランと・・・・・。

 そんな中、どうしても出会ってないのが、エビネ。
希望が丘文化公園 自然観察ガイドブック(2004年発行)によれば、自生しているとの記録があるのだが。
いずれにしても、簡単に、出会えないのがいいのかもしれない。

 さて、コクラン(城山裾野)には、あちらこちらで、出会っている。しかし、果柄(かへい)の残骸だけ。どうも相性が悪く、花が咲く時機を逸してしまうようだ。
今年は、三上山山麓の林縁の薄暗いところで、エビネに似た、対になって生えている5~6株のコクランの葉っぱを見つけた。様子をずっと見守ってきた。







 この植物の花弁は、色合いと言い、容姿が地味なので、あまり見向きもされない。が、「滋賀の山野に咲く花700種」の書籍に、コクランは「見ていてあきない山野草」と記されていた。私もそう思う。キュートな姿に引き寄せられ、ただただ、自然界の多様性に驚かされた。

 花のつくりを眺めていると、黒く四角い部分が唇弁で、虫が乗りやすいような仕掛けになっているようだ。でも、あまりにも花の構造が複雑で、あれこれ仔細に詮索してもいかがなものか。

 むしろ、「どうしてこのような姿に進化していったのか」に興が乗った。
 
 花の形が蜘蛛に似ているとかで、クモキリソウ属に分類されている。差し詰め、蜘蛛などの昆虫に花粉を運んでもらうために、このような姿を目指したのであろう。
また、陽光が降り注ぐところが苦手であり、この花名は、黒く見えるのでコクランと呼ばれている。暗いイメージだが、実際は暗紫色である。神秘的であり、 ミステリアス世界にさそいこんでいる、とても気になる色をえらんでいる。

 この姿・色が理想とする究極なものなのか。それとも、まだまだ進化の道半なのか・・・・。

 指向する花被が昆虫だけでなく、同じ生物の仲間“ひと”をも対象になると、どうなるだろう。
ひとは、形状、形態、色合いといった造形要素から、実在の下に隠れた世界を見だしていく。それ故、人と関わりあうと、現実世界に見かけない優れたアート像を志向するかも。
 将来、コクランがどのように変貌していくのか、想像するだけでも、楽しい。いや、人が介してくると、意外にも夢物語でもなさそう。





2022年10月25日   小さい秋見つけた/コスモス

 

   地平線付近から放射状のすじ雲をバックにして、
   小さい秋、小さい秋をみつけた。

 コスモスが満開になる時期が秋で、花弁の形が桜に似ているところからコスモスの和名は「秋桜」と書く。
「あきざくら」または「しゅうおう」と読むのであろう。

 今では「秋桜」を何の疑問もなく「コスモス」と読む人が多い。
1977(昭和52)年、山口百恵の歌詞の「秋桜」でを「コスモス」と読ませた当て字だが・・・。

秋の到来を告げるコスモス



 
 その日は、朝早くから山野に出かけた。大空に刷毛でさっと撫でたような感じの横に筋雲が現れた。上層雲の中では最も高い高度に出現することが多い雲でもある。
多分上層部に強い偏西風が吹き荒れていたのであろう、天空はいつもと違っていた。

 何かがお起こっていると思い、夕方になって、雲の様子を観察に出掛けた。朝と打って変わって西空から放射状の雲が、大空を覆いつくしていた。幸運にも、コスモス一輪を背景にして、放射状雲の写真が撮れた。

 朝の毛状雲と言い、夕方の放射状雲は、まったく違った形状をしているのだが・・・。

「天空の一点から雲が放射状に見えているだけで、高層の氷晶が強い風に流された同じ平行状の筋雲である」と言っても、分かりにくいかも。
 
 例えば、同じ幅の線路の2本のレールなのに、遠い所で一点に交わっているように見えることを経験したことがあるだろう。人は同じ間隔で平行に並んでいる線路でも、遠くの線路の間隔は小さく見え、近くの線路の間隔は大きく見え、放射状に見えてしまう。こうして奥行きを認知しているからでもある。
つまり、大空一杯に張り出した雲は、近い雲と遠い雲との距離が相当ある。その結果、朝方見た筋雲を放射状にしてみていた。

 3次元の世界を2次元に投影された網膜像の錯視によって、同じ現象を違った姿でとらまえていたことに、気づかされ、驚いた。

 後日、調べてみると、2022年10月11日の天気は、北海道の上空に寒気を伴った低気圧の影響で、ジェット気流が強く吹いていて、各地で「ハロ」も出現したとの報道もあった。

           毛状雲                 放射状雲


 











Posted by nonio at 07:01Comments(0)滋賀を歩く

2021年12月08日   琵琶湖六郎知っている

 友人Aさんと雲についての話題を瑣談していた時、
「琵琶湖六郎と言う言葉知っている」と聞かれた。
「・・・・・・・」。私は琵琶湖に関連する男の名前が浮かんだが。

 友人は、スマホを取り出し、『琵琶湖六郎』の画面を開けて話し出してくれた。昨年11月、光泉カトリック高校の自然探究部顧問で気象予報士の村山保さんが、学校上空に長く延びる特徴的な雲を見つけたそうだ。

 「この雲は、西寄りの季節風が比叡山や比良山の山並みにぶつかって越えていく際、気流が上空千メートル付近で波が打った雲が発生するらしい。ただ、色んな条件がそろった時だけ見られる」という。
「滋賀だけに見られる特別な雲だと聞いた部員たちが、興味を持ち、観測をし始めた」
「その雲を『琵琶湖六郎』と名付けた」と解説してくれた。

 最近、私は雲の写真を撮り続けているので、この話、引き寄せられた。
「空を見上げると色んな形をした雲が浮かんでいるが、その中で不思議と気になる形が目に飛び込んでくるものである。立ち位置と言うか、視点が少しでもずれると、平凡な姿になってしまう。その面白さに惹きつけられていた。その上、瞬く間にその姿が崩れてしまう厄介な代物である」と、話しながら 一枚の写真を見せた。

その写真を見たAさん。「一度、自然探究部の生徒に連絡しては」と、後押しをされた。

比叡山から 2本の雲筋


学校法人 聖パウロ学園
総務本部 事務室殿

先日、光泉カトリック高の自然探究部の生徒たちが、秋から冬に滋賀県だけで見られる特別な雲の存在を、『琵琶湖六郎』と名付けられましたことを知りました。
琵琶湖越しに吹いてくる風によってローター雲と呼ばれる雲の一種が、発生するらしい。
日頃、何気なしに琵琶湖越しの比叡山を眺めている私にとっては、驚きと、興味を深めました。

さて、2020年9月25日、西風が強く雲が発達していましたので、写真を撮りに出かけました。
野洲川の「稲荷大橋」のたもとから、不思議な光景に出合いました。
2本の雲筋があったのです。どのような方角の風が、吹いているのかと思いながら
シャッターを切っていました。
撮影しているわずかな時間1~3分で、形がどんどん崩れていきました。
兎に角、撮影することができましたので、添付ファイルに写真を載せました。
厚かましいお願いでは、ありますが、同自然探求部の方々に見ていただき、この写真も『琵琶湖六郎』であるかどうか判断してほしいと思っております。

 ー丁寧な返答があった。ー
 
2020年9月25日の天気図を見ると、低気圧が通過して、瞬間的に形として西高東低の冬型の気圧配置になっています。つまり、滋賀県では西の風が強くなったと思われます。
この季節は、まだ気温が高く積雲が中心ですが、風が強いために写真のようなローター雲が発生したのだと思われます。
結論としては、この雲は『琵琶湖六郎』です。
との返答があった。

 光泉カトリック高校自然探究部顧問の村山さんから、この写真が『琵琶湖六郎』であるとのお墨付きをもらった。
 
 ところで、2017年10月29日、既に私のブログで、ローター雲の存在を確認していた。
早朝。野洲市街から西方を眺めると、地上からそれ程高くないところに、層雲がたなびいていた。珍しい形状の雲だが、最近何回か目にしていたと綴ってある。 琵琶湖にたなびく細長い雲
 村山さんによると、ローター雲は岩手県などでも観測例があるが、これほど高頻度で鮮明に出現するのは全国的に珍しく、「琵琶湖の存在と比叡・比良の山並みが、滋賀特有の雲を生んでいる」と解説されていた。















 





Posted by nonio at 01:18Comments(4)滋賀を歩く

2021年05月17日   現れた比良山系のモルゲンロート

 
 現在の私は、もっぱら手短な三上山に出かけるくらいだ。 かつて、北・南アルプスなどに出かけた。夜が明けきらない早朝に、出現する『モルゲンロート』に感激したものである。どうしてドイツ語の「Morgenrot」と言うことになったのか知らないが、「Morgen」とは「朝」、「rot」は「赤い」と言う意味だ。

 東の空の地平線から赤い光が山を照らし始めると、急峻な岩稜や岩峰が赤く染まり、山がこの上なく美しく見える瞬間がある。でも、瞬く間に元の色に褪せてしまう。
この限られた時にしか見ることのできない光景を眺めていると、大自然の神秘であり、畏敬の念など様々な感情を呼び呼び起こしてくれる。
 そして、「地球が動いているのだ」とひときわ実感できた────

やはり、その場所は、涸沢カール。主峰奥穂高岳をはじめとして、涸沢岳、北穂高岳、前穂高岳、西穂高岳の山々からなっている穂高連峰が、赤く染まる様は圧巻であった。

 それはそうと、「滋賀県の山々でも、真っ赤な山肌」との思いを秘めながら、それとなく伺っていた。
そんな矢先、夕方、三上山から帰宅途中、真紅のバラのように染まった“城山”を眼にした。アーベントロートの出現だ。咄嗟にシャッターを切った。アーベントロートとは、ドイツ語で「abend」は「夕方」、「rot」は「赤い」。

 これを契機に、野洲川から比良山系にモルゲンロートを求めて、朝焼けが起これば日参した。そんなことを繰り返していた時だった。いとも簡単に、比良山系が赤く染まり、瞬く間に消えていった。

 どのような条件が揃ったら真っ赤な山肌が発生するのか、そのメカニズムはよくわからないけど推察してみると。
太陽光は、空気層を通過する際、波長が短い青色は散乱しやすいが、波長が長い赤い色はかいくぐってくる特性をもっている。
例えば、太陽光が地球に対しての入射角が浅いと、大気層の通過距離が長くなる。朝夕がこの状態になる。
とは言うものの、必ず空が赤くなる朝焼け・夕焼けが出現するわけでもない。
雲や霧があると、大気の分子や水蒸気分子など遮蔽物によって、一層短い波長が散乱して、初めて赤く染まった朝焼け、夕焼けになるようだ。
 更に、山肌が真っ赤に見えるには、この長い波長の光が山肌から反射してこなければならない。極めて条件がそろわなければならない。

比良山系のモルゲンロート

これらの写真は、「城山のアーベントロート」・「北岳のアーベントロート」・「穂高連峰モルゲンロート」
  









2021年05月03日   祇王井川の珍しい花筏

 
 野洲市内を縦断している清い水の川がある。この川は、『平家物語』に登場する祇王にちなんで祇王井川と呼ばれている。 
西祇王井川と東祇王井川に分岐している川沿いには、桜の木が植え付けられ、花が咲くと人でにぎわう処である。なお、双方の川のレベルが違っていることから、空気堰(ラバーダム)が設けられているので、幾分流れが遅くなっている。

 それはそうと、一度だけ、散った花びらが川面に連なって浮かんだり、筋状になって流れる様を目撃したことがあった。
その後、毎年桜が散る頃になると、この光景を期待して、訪れるのだが、二度と起こらなかった。
どうして、起こったのか、長らく謎であった。

 その日は、かなり荒れ模様の天気だった。祇王井川の流れに逆らった方向に、強い風が吹きつけた。
川面を眺めていると、浮いていた花弁が、さざ波に乗って上流に押し戻されていた。
そして、風がないだ時に、この一瞬だけ、珍しい現象が起こっていた・・・・・。

 ソメイヨシノ(染井吉野)は、つぼみから満開まで一週間。満開宣言されて僅か4,5日であっけなく散っていく。
古来から桜の様子の表した言葉として、満開の桜は「花盛り」、花びらが舞い散るさまは「桜吹雪」、水面に散った花びらが川面にかたまって浮かんで漂う様を「花筏」と言われている。
 花盛りもいいが、私にとっては、命には限りがあると言うことなのか、清く散っていく「花筏」に、潔さ・はかなさを見出し、響いてきたかもしれません。 

 散った花びらが浮かんでいる様子を“花筏”といわれ、また、散った花びらが水に流れていく様を“桜流し”とも言われている。この様子を言葉にすると、後者が、いいのかもしれない。