2013年11月17日    黒部の下の廊下に挑戦

 10月12日~14日、黒部峡谷の下ノ廊下(黒部ダムー 欅平)を訪れた。 黒部ダムは旅行好きな人にとっては、よく知られたところである。ところで、黒部ダムから阿曽原温泉小屋までを「旧日電歩道」、阿曽原温泉小屋から欅平までを「水平歩道」と名づけられた、並外れた道があることを知っている人は、あまりいない。 山仲間は、数年前、ここを踏破した。それなのに、再度挑戦するというのである。彼らはもう一度同じコースを辿るというのだから、さぞかし気に入っているのであろう。仲間に入れてもらった。

 さて、このコース、行きたいときに行けるところではない。一年間で、わずかに9月~10月に限られている。残雪が溶けないと道が開けず、また、降雪期は歩行不能となる。まさに秘境中の秘境である。 ここは北アルプスの立山連峰と後立山連峰の間を裂くようにしてできた「黒部峡谷」だ。

 ここはどういうところであるか、カメラが使えず、写メで撮った写真を紹介しよう。
 大正時代に、渓谷の絶壁にひと一人が通れるだけの幅を手掘りで開削された山道である。天井も低い。私の背丈が175㎝だが、勘定できないほど頭を痛打してしまった。きりたった崖に付けられた桟道や岩盤を”コ”のえぐった道などは、整備がさられていると言え、一歩間違えば命が取られてしまう。

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 扇沢駅から関電トロリーバスに乗り込むため、前日泊まったロッジを朝早く出た。すでに大勢の人達であふれ返っていた。始発のトロリーバスは山脈を貫くトンネルを通って、瞬く間に、地下の黒部ダム駅内に着いた。大勢の観光客と別れて、登山者専用の通路から外に出た。そこは、澄み切った青空の中、朝特有の ひんやりとした空気がとても心地良かった。

 まず目に飛び込んできたのは、圧倒的な存在感を示した「黒部の魔神」大タテガビン2076m。谷間はまだ薄暗いが、鋭く切り立った岩峰の頂上付近は朝日が射し込み白け初め、山腹には雲が棚引いていた。この威圧的な雄姿は、すがすがしさと同時に、これから始まることへの緊張感も呼び起こした。
 来ている人達は、最後まで通り抜ける自信がある集まりである。ここは、一本道なので、今晩の阿曽原温泉小屋は相当混雑するに違いないなど、雑多の他愛ないことが、脳裏をよぎった。

黒部の下の廊下に挑戦

 谷底から見上げる光景は、まるで違っていた。 ジグザグの山道を下り、黒四ダム直下の河原に立った。放水で辺りがもやっていた。放水の勢いで川底が削れてしまうのを防ぐため、敢えて霧状にしているらしい。立山連峰に峰々はすでに冠雪したのであろうか、真っ白。それとも、光線の加減でそう見えたのかどうか定かでないが、それらは今まで目にしたことのない光景であった。

 しぶきを受けながら橋を渡って対岸へ。その後、黒部川の左岸の岸壁を辿って行くことになった。白竜峡、十字峡、半月狭、S字狭、竜飛狭と次々と現われる大渓谷が楽しみである。

黒部の下の廊下に挑戦
黒部の下の廊下に挑戦

 ダムから1時間程で内蔵助谷出合に出た。ここは砂沢へ行く分岐点。我々は勿論、右の内蔵助谷へ降りていった。河原が広く明るいので休憩しておられる人も多かったので、我々も一休。内蔵助谷の上には、黒部3大岸壁の一つである丸山東壁の大岸壁が迫っていた。

黒部の下の廊下に挑戦

 新越沢出合~白竜峡間は、秋でもスノーブロックが残っているところである。そして、あまり残雪が多いとルートが途絶えることもあるのだが、今回は、新越沢合流点近くで残雪が見られただけで、順調に通過できた。

黒部の下の廊下に挑戦

 次第に渓相が変わってきた。 川底近くに付けられた桟橋を昇り降りして行く内に、いつの間にか岸壁に付けられた山道となってきた。元々、この道は黒部ダムを建設する為の調査用として峡谷の岩盤を切り開かれたもので、常時通行する道でもない。だから、荒削りである。果敢な気持ちも萎えてしまい、壁に身を摺り寄せるようにして、一歩一歩と踏みしめ前進していった。でも、人はその内、高度感や怖さにも慣れてくるものである。

 自然の織りなす景観に、素掘りの道であり、丸太の桟橋は、そのまま自然に一体となって馴染んでいた。だが、地中深くまで坑道が切り開かれ、発電所など人工的設備が一切見えずに備えられているとは・・・・粋な計らいである。

黒部の下の廊下に挑戦 
 
 大へツリの高巻きにやってきた。見下ろした白く泡立って流れる激流のさまは迫力満点だ。
 何年か前に、道の岩盤に割れ目が入り通行不可となったようだ。 そのために、垂直に近い岩盤に、縦のはしごや横のはしごを丸太で組んである。ここを通過するには、予想以上に時間がかかり、体力も消耗してしまう。 以前、仲間が行った時には高巻きが3か所もあったようだが、今回は、幸いにもここ一か所だけで助かった気分になった。いずれにしても、毎年、自然のなすがままにしたがって、ルートも変わって行くようだ。

黒部の下の廊下に挑戦
黒部の下の廊下に挑戦
黒部の下の廊下に挑戦
黒部の下の廊下に挑戦
 今年は、海洋海水温度が高いため、次々台風が発生していた。日本列島を襲った台風24号と26号の合間を縫って訪れたので、鉄砲水が気がかりであった。だが、心配するほど、シャワーをあびなかった。

 白竜峡の難関を通り越すと、今までの緊張感もいくらか和らいだ。谷間は広くなり、歩きやすい道を進むと、休んでいる人も多く見かけられる十字峡広場にでた。ここが下の廊下で最も有名な場所である。

 TVで十字峡を何回も目にして、わかってはいたのだが、目前の実物の迫力には、より一層強く感動を受けた。
黒部川本流に対して、左から剣沢、右から棒小屋沢が合流し、十字を形づくっていた。この写真は撮れなかったが、剱沢にかかっている常設つり橋からの光景では、棒小屋沢に向かって 青緑色の釜へ激流となって流れ込んでいた。ここは、紅葉の隠れた名所と言われているところであった。でも、紅葉の時期にはまだ時間がかかりそう。

黒部の下の廊下に挑戦
 
 S字峡の対岸に黒四発電所からの二つの送電線の出口が見えた。この奥には巨大な発電所設備が据付られて、送電線が関西へ電力を供給しているところだ。

黒部の下の廊下に挑戦
 
 半月狭やS字峡を進んでいくとやがて急坂を下り東谷吊り橋を渡り、仙人谷ダムまで車道歩きとなった。
 黒四ダムを7時出発して最後の登りでへとへとになり、夕方4時30分頃に阿曽原温泉小屋に到着。下廊下において、ここが唯一の山小屋であるので、部屋には登山者で溢れていた。色んな人が、あっちこっちで輪になって、お互いの健闘をたたえあい、長かった1日を振り返っていた。このコースにやってくる人達の話を聞いていると、山をこよなく愛し、色んな山に入っているようだ。

黒部の下の廊下に挑戦 山小屋就寝時間は何時のこと20時。布団1枚に2人でいささか窮屈であった。「それでも屋根の下で泊まれればよし」とすぐに眠りについた。当然、目が覚めるのも早く、3時半。目が覚め、寝ているのも苦痛なので、露天風呂に出かけた。高熱隧道からパイプにより湯が引かれている温泉である。やはり、寝られない人もおるようで、先客が湯船につかっていた。

 大自然に包まれた湯船は、長方形の質素な造りである。脱衣所なんかなくて、”スノコ”が周りに置いてあるだけだ。
 程よい湯加減の中で、開放感が抜群の中で、時を過ごした。真黒な夜空を埋め尽くすように恐ろしいほどの幾千の星が瞬いていた。湯船につかりながら星を眺めていると、首がだるく、身体も火照ってくる。と、周りに敷いてある”すのこ”で一服しながら、飽きもせず、満点の星と湯を楽しんだ。
  「野天湯へGo!」山田べにこさんも、ここに来ているようだ。

 入山後2日目、キャンプ場にはところ狭しとテントが張ってあったが、すでに、畳んで出発していた。さほど、喘ぎながら登るとい厳しい登りではなかったが、水平歩道に出るまで、上り坂であった。テント泊は若者ばかり。この中の一組の老夫婦だったのであろう。負いかぶるような荷物を持った夫を、いたわるように見守りながら、共にゆっくりとした足取りで、欅平へ向かっていた。通り越していくのは申し訳なかった。でも、追い抜いたのはこの2人だけ。若者達にはぶっちぎりに、抜かれていった。 

 そそり立つ「黒部の怪人」、奥鐘山が姿を現した。
 
黒部の下の廊下に挑戦

 やがて、坂道から、垂直の岩肌を”コ”の字型にえぐった水平歩道が始まった。ここから欅平まで高低差の少ない文字通の水平歩道が続いた。大太鼓のあたりは道幅も狭くなり緊張感も増してきた。足元は、黒部の谷底に200~300m落ちている断崖は、迫力満点。谷底を覗き込むと吸い込まれるようだ。自ずと山側に延々這わされた針金に、とうとう最後まで厄介になった。左手の皮手袋も赤茶け、傷だらけとなってしまった。
 その上、この天井の高さだ。このコースでの頭突きを何回喰らったか、脳震盪気味。ここを命がけでノミをふるい、この断崖を刻んで頂いた先人に申し訳ないが、もう少し高さを・・・・。

黒部の下の廊下に挑戦
黒部の下の廊下に挑戦
黒部の下の廊下に挑戦

 大太鼓を過ぎると志合谷に入った。この急斜面の谷筋には、崩落してきた土砂・岩・雪が堆積するのでトンネルが掘られていた。素掘りの身をかがめないと頭を打ちそうなトンネル入口は、以前通ったので、よく覚えていた。
 ヘッドランプの備品も売られていない時代、不用意に携帯用ライトも持たずに、剱沢から阿曽原温泉小屋を経由して、ここを一人で難儀して通過したことがあった。真っ暗な志合谷トンネルを通過するか、野外の スノーブリッジを越えていくべきか散々迷った挙句に、天井が低く曲がり狭く、明かりのないところを手探り通過。40年前も、足元には水が溜まっていてドロドロになった。

黒部の下の廊下に挑戦

 送電線の鉄塔で水平歩道は終わり、欅平まで急坂が始まった。トロッコ電車の場内アナウンスが聞こえ出すと、里心がついたのか、到着した気分となった。でも現実は、簡単に許してもらえなかった。半ば諦めの境地に達した頃にやっと終わりを告げた。
 
訪れたいと思っていた下の廊下を無事通り抜け、充実感で一杯であった。

黒部の下の廊下に挑戦



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Posted by nonio at 11:00 │Comments( 2 ) アルプスなど
この記事へのコメント
それは良かったですねぇ。
このルートを通過できる季節と言うか期間が短く、出発すと最後まで到着しなければなりません。だから、達成感があります。

そうだね、人生ぶらりと一日をすごしても一日。生きていることを感じる一日も素晴らしい一日だ。
100年生きたとして、人はたった3万7千回、朝起きて寝ると、一生を終える。
Posted by noniononio at 2023年12月06日 07:23
こんにちは!
この記録やネットのあちこちの記録を参考にさせてもらって、今年の10月に下ノ廊下に行ってきました。
お礼に書き込みにきました。ありがとうございます。

黒部ダム近くのロッジくろよんで一泊、阿曽原で一泊、二泊三日の黒部ダムから欅平のルートです。
私が行った日は黒部ダムが初雪の日でしたが、今年は暖かくて雪渓は早々に消えたみたいです。
温泉は周りにスノコがあるだけでした。同じですね。
大へつりの梯子も10年前と同じようでした。さらに40年前は水平に歩けたのでしょうかね。
私はさほど登山経験はなくて、登山をやっている高齢の父と行きました
いい道がつけられていて危ないとは思いませんでしたが、エスケープルートの無い長い道を歩き通して、達成感はすごくありました。今も満足感があります。
見どころも多かったですが、登山の魅力というのはこのような達成感満足感かしらと感じた次第です。
Posted by フン at 2023年12月04日 13:33
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