2022年11月30日 十勝岳・トムラウシ山・旭岳の足跡を追って
「long long ago」の話。
昭和36年夏、十勝岳からトムラウシ経て黒岳へと大雪連峰を縦走していた。
天候が荒れて視界はゼロ。どこをどう辿ったか・・・。
当時、GPSもなかった。たよるは国土地理院の2万5千分1。踏破してきたルートを手繰るにも、現在位置が正確にはわからなかった。
迷い迷って、ゴロゴロした岩場を下っていくと、トムラウシのヒサゴの避難小屋にたどり着いた。
憔悴しきり、小屋の前の水たまりで、なぜか「みなも」を眺めていた。
脳裏に浮かぶことは、取り留めのないことだった。妙に覚えている。
出合ったのは、山岳自衛隊だけ。
布製テントは、雨水防止のため両サイドを掘ったものだ。
彼らは、痕跡を消すように土を埋め戻していた。
わずかの食料しか持っていなと云ってたが、どうしているかなぁ~と。
はたと気がついたことがあった。我々も食料を食い尽く、まさにサバイバル状態に陥っていた。大雪山系の奥座敷トムラウシから一挙に黒岳へ。這う這うの体で層雲峡に下山した。無論ロープウェイがなかった。
ところで、断片的な光景が頭の中。もう一度訪れたいと、長年おもっていた。
近年、旭岳と富良野岳~上ホロカメットク山の山旅のチャンスが訪れた。
険しい山並みのトムラウ山をつぶさに見ることができ、特に、懐かしい長い勾配のある十勝岳の姿は感慨深かった。
旭岳からトムラウシ山の遠望

長い勾配のある十勝岳



昭和36年夏、十勝岳からトムラウシ経て黒岳へと大雪連峰を縦走していた。
天候が荒れて視界はゼロ。どこをどう辿ったか・・・。
当時、GPSもなかった。たよるは国土地理院の2万5千分1。踏破してきたルートを手繰るにも、現在位置が正確にはわからなかった。
迷い迷って、ゴロゴロした岩場を下っていくと、トムラウシのヒサゴの避難小屋にたどり着いた。
憔悴しきり、小屋の前の水たまりで、なぜか「みなも」を眺めていた。
脳裏に浮かぶことは、取り留めのないことだった。妙に覚えている。
出合ったのは、山岳自衛隊だけ。
布製テントは、雨水防止のため両サイドを掘ったものだ。
彼らは、痕跡を消すように土を埋め戻していた。
わずかの食料しか持っていなと云ってたが、どうしているかなぁ~と。
はたと気がついたことがあった。我々も食料を食い尽く、まさにサバイバル状態に陥っていた。大雪山系の奥座敷トムラウシから一挙に黒岳へ。這う這うの体で層雲峡に下山した。無論ロープウェイがなかった。
ところで、断片的な光景が頭の中。もう一度訪れたいと、長年おもっていた。
近年、旭岳と富良野岳~上ホロカメットク山の山旅のチャンスが訪れた。
険しい山並みのトムラウ山をつぶさに見ることができ、特に、懐かしい長い勾配のある十勝岳の姿は感慨深かった。
旭岳からトムラウシ山の遠望

長い勾配のある十勝岳




Posted by
nonio
at
04:14
│Comments(
0
) │
アルプスなど
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。