2025年03月30日    琵琶湖の鳥たちとの出会い/浮御堂

 友人から琵琶湖河畔の鳥の情報を聞き、カメラを手に出かけた。
新春の陽光が穏やかに降り注ぐ琵琶湖。その水面には、今日も無数のユリカモメたちの憩いの場となっていた。白い羽を広げ、優雅に舞う彼らの群れは、湖面に映る陽光と相まって、侵しがたいのどかさに満ち溢れていた。湖面を背景に舞う彼らは、まるでバレリーナのようだった。

それぞれが思い思いの方向に羽ばたき、あるいは水面近くを滑空している。平和そのもの、穏やかな時間が流れているように見えた。

 だが、そこへ、まさに「異質な影」の黒鳥が現れ、静かな空中バレエは、一瞬で力強いシンフォニーへと変わった。
猛禽類は、強大な翼を広げ、鋭い眼差しで白い舞姫たちの間を突き進んだ。ユリカモメたちの優雅な舞を支配しようとするかのようだった。

 愛機、ソニーα7RⅢとFE 2.8/90mm マクロ G OSSのミラーレスカメラは、その一瞬を逃さず捉えようとした。しかし、あまりの出来事に設定を調整する余裕はなく、SCN(シーンセレクション)モードに切り替え、焦点を合わせることなく連写でシャッターを切り続けた。その数、実に470枚。その日、470枚の写真の中から選んだたった3枚に絞った。自然がくれた、一瞬の贈り物だった。

 カメラは、時間を閉じ込め、琵琶湖の生き生きとした生命の躍動を切り取れた。それが、この日の私と鳥たちとの一日となった。










Posted by nonio at 17:24 Comments( 2 ) 滋賀を歩く

2025年03月24日    薹の文字から見るフキノトウ

  冷たい冬の風がまだ肌を刺す頃、柿の木の木陰で今年も小さな命を見つけた。雪をまとったフキノトウだった。冬場の色彩の少ない景色の中で、若草色は一段と鮮やかで、ひときわ華やかだ。

 フキノトウと聞くだけで、その言葉の響きから、まさに早春にふさわしい香りとほろ苦さが思い浮かぶ。その姿には、まるで冬を乗り越えた大地からの贈り物のような懐かしさと力強さを感じさせる。
フキノトウを漢字で「蕗の薹」と書くことを知った時、普段見慣れない漢字「薹」に、なぜか特別な魅力を感じた。

 フキノトウの姿は、一見するとその丸みを帯びた形と密集した構造から、どこか「もっさり」とした印象を受ける。しかし、その「もっさり」とした奥には、寒さ厳しい冬の大地から現れた生命力が宿っている。そのギャップが私に気高さを感じさせるのだ。そして雪の残る地面から誰よりも早く命の息吹を伝えようとしている。冬の終わりを告げる使者としての存在感がある。
そのたくましい姿に引き寄せられるように手を伸ばし、小さな春の先駆けに触れてみた。

 この「トウ」の文字は、雪が降る「冬」でもなく、形が「頭」に似ているからでもなく、「薹」と書くのだ。「蕗の花芽」とでも言い換えてみたい気持ちもある。成長して「薹が立つ」と形容されるように、食用としての適期を過ぎたことを指しているのに、なぜ「薹」という漢字を用いるのかは興味深い。

 蕗の薹の一生を観察すると、ずんぐりした姿で蕗の薹があちらこちらから芽吹くのは、三月の始めごろ、まだ朝晩の冷え込みが厳しい時期に、雪解けの柔らかい土から顔を出す。その脇には後に葉っぱを持った茎がまっすぐに伸び、すらっとした姿で次々と新しい芽を出してきた。あまりにも姿・形が違うので違う植物に見られがちだが、同じ植物なのだ。地下茎でつながって生長しているのである。

 毎年、柿の木の周辺で、雑草に負けまいとあちらと思えばこちらと、場所を変えて群生している。昨年は北側の日陰で見つけたのに、今年は東側の斜面で発見した。フキという古名からもそのたくましい生命力がうかがえる。「山生吹(やまふふき)」という日本古来の呼び名には、山に自生し、生い茂り、吹き出すようにして成長するという意味が込められている。

 フキノトウが成長し終わった頃、その姿は鱗片に覆われた茶褐色の塊になっていった。やがて綿毛に種子を載せて新たな新天地へと飛散させていく様子を観察できた。子孫を残すためたくましい工夫をしていたのだ。フキノトウの一生涯を考察すると、フキは地下茎を地中に伸ばし増殖していく傍らで、蕗の薹を開花・結実させ新天地を求めているのだ。地下と地上、二つの戦略で生き延びる知恵がある。

 ここで注目すべきなのは、「薹」の文字だ。フキノトウの状態全体を記述する際に、単なる味や食用性の変化だけでなく、植物としての成長や自然のリズムを強調している点だ。フキノトウが厳しい冬を越えて芽吹く様子や、その後の変化を捉える際に、「薹」という言葉がその全体像を豊かに描き出す役割を果たしている。
 たとえば、「薹立ち」とは、植物が成熟し、次の世代へ命をつなぐ準備をする過程を指す。発芽 → 成長 → 薹立ち → 開花 → 結実 → 枯れるという一連の流れの中で、「薹が立つ」というのは、植物の最終段階へ向かう成長の一部なのだ。

 やはり、先人たちは、自然の細やかな変化を捉え、それに相応しい言葉として、「薹」を使ってきたのだ。
 









2025年03月08日    静雪の霊木との出会い/三上山

  2017年、鯖街道沿いの葛川細川過疎集落で行われた「遺された村の美術館」を訪れた際、案内状の背表紙に写された一枚の写真が私を引きつけた。これを機に、樹の枝が幹から分岐する「節」に心を留めるようになった。この自然が織りなす有形物には、独特な力が存在し、私を特異な世界へと誘う入口であることを悟った。

 さて、私は三上山の頂上までいかず、少し手前を到着点と定めている。そこには座り心地の良い出来合いの石座があり、不思議な形をした「樹の節」がある。

 ある冬の朝、この樹が雪をまとい佇んでいた。幹の分かれ目に積もった雪が不思議な表情を浮かび上がらせ、「また来てくれたか」と無言の息遣いが聞こえてくるように思えた。私はふと、この樹に宿るその姿に「木霊」の存在を感じ取った。雪が静かに降り続けると、風の音や木のざわめきさえも雪の結晶に吸収されたのだろうか、耳には「雪の静けさ」として知られる深遠な静穏が満ちていた。

 冷たい空気が肌を刺すその静けさの中で耳を澄ますと、雪が地面や木の葉にあたる微かな音が、無数の小さな声のように囁き合うのが聞こえてきた。この心地よい「不思議な音」は、木霊が私に何かを伝えようとしているかのように感じられた。枝先に積もる雪の重みに耐え、この地に根を張り続ける木霊は、私を見ていた。「誰もいない、と思うなかれ」と。その静穏の中で、私は自分自身と向き合い、心に広がる静かな安らぎを感じ取っていた。目には見えぬ山の精霊と交わる瞬間こそが、自然の醍醐味なのかもしれない。

 木霊に出会ったのは、これが初めてではない。高島市今津町深清水の平池の山中で、カキツバタが盛りを過ぎ、森が静寂を取り戻している頃のことだ。背丈が高い杉林に囲まれた平池一帯には、木々から醸し出される芳醇な匂いと深山特有の冷気が漂い、風に揺れる木々のざわめきや、時折聞こえる鳥の鳴き声が響いていた。その静けさに包まれる森は、ただそこに身を置くだけで癒しを感じられ、木々には時を超えて宿る木霊の存在を深く確信した。

 さらに奥深い森林帯に足を踏み入れると、「上古賀の一本杉」という巨木に出会った。その堂々たる姿の前に立つだけで、自ずと頭が下がった。千年もの長きにわたる巨木の時間感覚と、短い人の一生との対比の中で、魂の深い部分で共鳴する神秘を感じた。この瞬間、「木霊(こだま)」が住んでいると強く確信したのだ。

 木霊は、日本の豊かな自然と、人々の想像力、そして自然への畏敬の念が育んだものである。目には見えないけれど、確かにそこに息づいている木霊の存在は、私たちに自然の神秘と調和の大切さを教えてくれる。現代においても、木霊の概念は日本文化の中に、そして私たちの心の奥底に静かに息づいている。それは自然との対話を忘れた現代人への静かなる警鐘でもあるのだ。

 また、樹の節が見せる形は、私の心の状態や天候によってさまざまに変わることに気づいた。あるときは荒れ狂う獣のように、またあるときは意地悪く微笑む木霊のように。ふと、自分の感情がその姿に投影されているのではないかと思うことがある。怒り、不安、そして穏やかさ。そのすべてを映し出す鏡として、樹の節はそこに在り続けている。 









2025年02月17日    「庭に咲く小さな旅人」草花イオノプシディウム・アカウレ

 我が家の庭の片隅に、ある朝、十字型の花弁を持つ小さな白い花を見つけました。その名は、イオノプシディウム・アカウレ。―はるかポルトガルを故郷とする異国からの訪問者だった。

 約10,770kmもの距離を隔てた地から、風に運ばれ、鳥に託され、あるいは人の営みに紛れて、この地で新たな生命を紡ぎ始めたのです。

 夏の蒸し暑さが残る庭に姿を見せなかったこの花は、秋の気配とともに芽吹き始めました。寒さが増すにつれ、高さ10センチほどの可憐な姿で、ハコベとともにカーペットのように広がっていきました。

 冬の静寂に包まれた朝、雪間から覗く白い花びらに心惹かれ、ガラスの器に水を湛えて一株を移してみました。花は三日間、私の傍らで健気に咲き続けましたが、やがて花びらを落としたので、再び庭土に還してやりました。

 この小さな生命は、私たちに深い気づきをもたらしてくれます。風に乗って種が運ばれ、鳥が大陸を越えて花を繋ぎ、季節の移ろいとともに命が息づいていく―自然界には、人が引いた境界など存在しないのです。だが今日、世界では為政者たちが国境や民族という人為的な壁を築き、争いと破壊の連鎖を生み出しています。

 毛利飛行士が「宇宙からは国境線は見えなかった」と語ったように、イオノプシディウム・アカウレもまた、その可憐な姿で同じ真実を私たちに伝えているのです。もし、あなたの庭にもこの白い花が咲いているのなら、じっくりと観察してみてください。きっと、地球という大きな庭で共に生きることの意味を、問いかけてくれることでしょう。










Posted by nonio at 10:08 Comments( 0 ) 四季

2025年01月30日    「新春の光を追いかけて――比叡山と三上山の風景から」

 2025年新年の始まり、光を求め

 2025年の正月、年の始めとして、新しい年を迎える日の入りと日の出を三日間眺めに行った。友人が、その場所を設定してくれた。
野洲川にはJR電車の橋から琵琶湖までに7つの橋が架けられている。そのうち、県道48号線沿いに架けられた新庄大橋は、比叡山や近江富士(別名・三上山)を美しく望める絶好のロケーションであるというのである。

 術後間もない体調への不安もあったが、気分転換にその友人と元旦の夕方出かけた。午後4時40分頃、夕焼けに染まった空を背に、真っ赤な太陽が、比叡山の左手、大文字山や如意ヶ岳の方へ吸い込まれるように静かに沈んでいった。山並みに近づくと、わずか2分ほどで姿を消した。 ―― 国立天文台暦計算室のデータによれば、この日の大津市付近での太陽の方位角は約242.0°である。

 太陽が沈む様子を見つめながら、ふと「それでも地球は動いている」というガリレオ・ガリレイの言葉が脳裏をよぎった。しかし、その瞬間の私には、その言葉を確信をもって口にできなかった。
 地球は北極と南極を通る軸を中心に一日をかけて回転しているという科学的な事実は知っている。それでも、目の前に広がる光景はむしろ逆を語りかけてくる。まさに、地球が主軸となった宇宙が存在し、地球の周りに太陽が回っている。私は次第に、古代ギリシャのアリストテレスやプトレマイオスが提唱した世界観へと引き込まれていった。

 太陽が完全に姿を消すと、東側に位置する三上山も闇に飲み込まれていった。あたりはたちまち静寂に包まれ、目に映るものは何もなくなった。それでも、心の中では確かな予感が芽生えていた。明日の朝、東の空に再び姿を現し、光とともに新しい一日を告げるだろうと。

    比叡山付近の夕日              三上山

 
1月2日 朝日を待ちながら

 翌朝、1月2日午前6時50分頃、稜線が美しいことから『近江富士』の名で親しまれる三上山を背に、朝日が昇ることを期待していたのだが 、実際には、三上山と鏡山の中間に位置する城山の辺りから太陽が現れた。

 新庄大橋から三上山の頂上の方位角は約131°、そして1月2日の日の出の方位角は117.8°。このことから、観測地点から日の出が三上山の頂上と重なることは地理的に不可能だと後で分かった。 日の出の方位角は季節によって変化するが、冬至の約120°(東南東)となり、夏至の約60°(北東)からしても、無理だった。
ただ、この日、カメラには望遠レンズを装着していたため、視野が狭く、日の出と三上山を同時にフレーム内に収めることができなかったのが悔やまれる。
 
三上山と鏡山の中間の山波から日の出       三上山 


 1月3日 雲間に隠れた明日への期待

 1月3日、より広範囲の視野を確保するため、広角レンズを装着して再び観測に向かった。しかし、東の空には分厚い雲が広がり、日の出そのものを確認することはできなかった。
それでも、自然の中に身を置く時間は特別なものだった。自然が教えてくれる科学の法則、そしてその美しさに感動しつつ、見えなかった太陽の光を求め、次の機会に場所も変えて期待をつなげていきたい。

             見えない日の出/三上山






2025年01月08日    輪を描く木/岩尾山

 ある日、滋賀県南部と三重県境近くにある岩尾山へ、Aさんと出かけた。山麓には「一本杉」の名で親しまれている古木がある。
 この杉には、「最澄がここで食事をした後、地面に挿した箸が成長して大木になった」という伝説がある。平安時代に生まれ、1200年もの時を経たこの木は、日本の歴史そのものを見つめ続けてきた古木だ。その姿に会いたいと、ずっと願っていたのだが……。 

 この山は双耳峰なので、2つのピークを踏んで下山してきた。
Aさんが、何か珍しいものを見つけたのか、指をさした。指さした先に、それはあった。
木は太陽に向かって真っ直ぐに伸びていくのが常だ。だけど、その木
「すごいね、あんな形になっても、また太陽に向かって伸びていくなんて。自然の力強さを感じるよ」と、Aさんが驚いていた。

 私は、その窮屈な姿に、不意に胸が締めつけられるような思いを抱いた。
なぜ木は輪を描いたのだろう?その曲がりは、風に押されたからか、誰かに踏まれたからか、それとも大自然のいたずれなのか。

 もし金子みすゞさんがこの木を見たなら、どんな詩を綴るだろうか。そんな思いが頭をよぎった。

     ぐるりと回る木は
     涙顔なのか、それとも笑顔なのか。
     その顔は、いつまでも
     太陽を見つめていた。

     「まわり道しても、空へ行くんだ」
     そっと、太陽が囁く。
     「まっすぐじゃなくても、いいんだよ」



 若くして亡くなった金子みすゞさんの詩の中で、私は「大漁」と「曼珠沙華(ヒガンバナ)」が特に好きだ。自然の力に感嘆し、その背後に隠された切なさを描く視点に、心を揺さぶられる。
 目の前に広がるぐるりと回る木。その姿に、金子みすゞさんの詩の中に通じる「自然へのリスペクト」と「隠れた切なさ」を感じた。そして、その木が教えてくれたような気がする――「どんな道を辿っても、空に届くことができる」と。

                 




Posted by nonio at 18:50 Comments( 0 ) 樹木

2024年12月22日    ひっそりと咲く黄エビネの記憶

 野洲市の自然は、豊かで美しい。「近江富士」と呼ばれる三上山、そして清らかな野洲川がその象徴だ。四季折々の花々が咲き乱れ、野鳥がさえずる中、私は山野草を追い求めた。
その中でも特に心惹かれたのがランの仲間たち。春ラン、カキラン、金ラン、銀ラン、コクラン、オオバノトンボソウ、サギソウ、ミヤマウズラ……。名を挙げるだけでも心が躍る。しかし、「エビネ」だけはどうしても見つけられなかった。

 「希望が丘文化公園自然観察ガイドブック」には、2003年にエビネが確認されている記述があり、また野洲川沿いで生息しているという噂も耳にしていた。ひっそりと人知れず咲いているのだろう――そんな淡い期待を抱き続けた。

 ある日、ついに「キエビネ」が自生していると聞き、その場所を訪れたとき、かなわぬ恋人に出逢ったかのようだった。愛しい恋人と待ち合わせしている時のあの高揚感に包まれた。
湿潤な森林帯の林床、落ち葉に覆われた腐植豊かな土手に、数株のキエビネが身を寄せ合うように咲いていた。その凛とした姿は、まるでこの地が自分たちの領域だと言わんばかりだった。私は花が咲く季節だけでなく、折々に訪れ、その姿を目に焼き付けることで、時を共にした。

 鈴鹿山脈にもキエビネが生息しているという情報がある。その種子が野洲川沿いに流れ着き、ここを安住の地としたのだろうと想像してみた。しかし、どうしてこの一か所だけに咲き、子孫を広げようとしないのだろうか。ここが謎だった。

 鈴鹿山系で夏エビネの大群落を目にした事がある。そのときには、至るところに無造作に咲いていた。それに比べると、この地のキエビネは孤独に見えた。黄エビネは共生菌への依存度が高く、適切な環境が整わなければ生育できないと言われている。それが原因なのかもしれない。
または、誰かが栽培種をここに移植したのかもしれない――そんな考えも浮かんだ。

 「人間はどこから来て、どこへ向かうのか?」という問いが答えを持たないように、「黄エビネはどこから来て、どこへ向かうのか?」という謎も深まるばかりだった。そして私は、もうその詮索をやめることにした。

 ある日を境にキエビネはそこから忽然として姿を消した。花を愛する誰かが持ち去ったのだろうか。それとも、自らの定めに従い、この地を去ったのだろうか。理由は分からない。今はただ、あの凛とした姿と過ごした日々を心に刻み、この自然の記憶を静かに抱き続けたいと思う。

台風後様子を見に行った時のキエビネの葉っぱ


春に黄色い花をつけたエビネ


もうどこかに行ってしまったエビネ


 なお、黄エビネはラン科の植物で、日本国内では特に人気のある野生ランの一つである。純粋なキエビネの野生種は極めて少なくなってきている。環境省のレッドリストでは近い将来に野生での絶滅の危険性が高いとして「絶滅危惧IB類」に分類されている。





2024年12月04日    キッコウハグマの不思議と自然への探求/鏡山

 今年の夏は、いくら「暑い」と言っても収まらない日々が続き、「寒い」という言葉がなくなったかのように感じられた。しかし、ようやく紅葉の秋が訪れた。  
 友人から「キッコウハグマ(亀甲白熊)」をやっと見つけたと、誇らしげなメールが届いた。 この花、意外と咲かないようだ。  
名前を聞いたことがなかった私は、特に気に留めなかったが、「ハグマ」という言葉が妙に気にかかった。以前読んだ植物学の本に、「ハグマ」と名のつく植物は、花びらの先端が時計回りに曲がっていると書かれていたのを、ふと思い出したのだ。

 その記憶が引き金となり、実物を見に行くことにした。 キッコウハグマ──その名が示す「白熊」という漢字は、シロクマとは読まないこの花は、シロクマのように大きな白色かと勝手に思った。「亀甲」とは亀の甲羅の六角模様だろうか。そんな推測も、薄暗い林内の静寂の中に霧散してしまった。風景と一体化したその花を見つけ出すのは、至難なことであった。

 小川の流れる谷筋を何度も行き来しているうちに、茎が15cmほどの高さに直径1cmほどの小さな白い花を見つけた。一つ見つけると次々と群生が確認でき、5~7輪ほど咲いていた。
 花びらを注意深く観察すると、花びらの先が曲がっていた。時計回りで、全てが同じ方向に曲がっていた。花びらの先端を心持ち曲げることによって、それほどの意味があるのかなぁと思いつつ、その控えめな曲線に自然の工夫を感じた。

 被子植物が地球上に登場したのは白亜紀、およそ1億年前のことだと言われている。キッコウハグマのような植物が現在の形に至るまでには、気の遠くなるような年月が必要だっただろう。その進化を考えると、人間の短い時間の中であれこれと語るのがどれほど小さな行為かと思い知らされた。

 キク科のキッコウハグマの花が初めて花開いた時には、たぶんまっすぐな花びらを持っていたのだろう。しかし、悠久の時間が経つにつれ、親からの遺伝子を受け継がれずに突然変異が起きることもある。中には、時計回りに曲がった花弁や、逆方向に曲がったものも現れ始めるのであろう。
 次々世代が進むにつれて、時計回りに花びらが曲がることで、生存に有利な特性が、次第に固定されていったのだろうか。
それとも、たまたま時計回りに花びらが偶然発生して、そのまま居ついたのかもしれないとも考えられた。
ヒメハギバハグマは逆方向に曲がっている。さらに、モミジハグマはねじれが少ないと言われている。全てのハグマが時計回りに曲がった花弁でもないのだ。
ランダムな遺伝子変異で生じた様々な花びらの方向性の中で、環境の選択圧力により右向きの花びらを持つものが生き残ったという進化のプロセスなのか、単なる確率的要素でその方向が決まったのかもしれない。どちらにしても、自然はその変化を受け入れながら形を保ち続けてきたのだ。

 鏡山の奥深いところで、あたりをきょろきょろしている二人連れの女性に会った。
「キッコウハグマを探しに来た」と尋ねてきた。山野で自生している野草を見つけ出すには、並大抵の努力がいるものだ。 自生しているところを教えてやると、
「ここに、あっちにも」と興奮気味に走り回り、野草を見つけるごとに目を輝かせていた。

 自然界の時間軸からすれば、人間の一生は一瞬にすぎない。その短い時間の中でも、自然の仕組みに驚き、進化の背景に思いを馳せることは意義深い。自然に向き合い、その魅力を探求することが、私たちの知識欲を育み、人類がここに生きる意味の一端なのだろう。








2024年06月18日    四つ葉のクローバーが教えてくれたこと

 希望が丘の入り口付近、小道を辿っていると、しゃがみ込んで写真を撮っている人がいた。彼は群生する三つ葉のクローバーの中から四つ葉を探しているようだった。邪魔をしないように、その場を通り過ぎた。

 ー私の少年時代、学校から帰るとランドセルを置き、トンボ取りに出かけたものだった。ある日、田んぼのあぜ道で四つ葉のクローバーを見つけた。その場所は私の秘密の場所となり、四つ葉のクローバーを見つけた時の興奮は今でも鮮明に覚えている。しかし、成長するにつれ、その場所への関心は薄れ、やがて忘れてしまったー

 過日、四つ葉のクローバーを見つけたいという衝動に駆られ、再びその場所を訪れた。四つ葉のクローバーは三つ葉のクローバーの中に隠れていて、見つけるのは非常に困難だ。四つ葉のクローバーを見つける確率は約1万分の1から10万分の1とされている。これほど稀なものを見つけることは、まさに奇跡のようだ。
統計的に「1000に3つ」「1000に1つ」という表現は、ビジネスや日常生活で使われる非常に高いハードルを指しているが、「10000に1つ」「100000に1つ」は、さらに稀な事象であることを示している。

 さて、友人に「四つ葉のクローバーを見つけに行こう」と誘った。
私はおよその場所を知っていたので、「先に見つけた人がケーキを食べることにしよう」と提案した。見当をつけていた場所で一つ一つ探していたところ、友人があっという間に四つ葉のクローバーを見つけた。

 「どうしてそんなに早く見つけたの?」と尋ねると、「一点を見つめるのではなく、全体を漫然と眺めていて、違和感を感じるところがあった」と答えた。確率的には稀な事象を一瞬で見分ける友人にあっけにとられた。
言葉で表現すると、沢山の三角の形状の中で、四角という形状を見抜いていたようだ。確率の数値を超えた人の超能力に驚かされた。

 私はその場所に通い続け、ついには五つ葉のクローバーを見つけた。その確率は100万分の1とされ、宝くじが当たる確率に匹敵するが、私は宝くじを買うことはしなかった。四つ葉のクローバーには「復讐」という怖い花言葉もあるようだから。

 四つ葉のクローバーを見つけるという小さな出来事を通じて、私をリフレッシュさせる貴重な時間となった。この経験を通じて得たものは、四つ葉のクローバーという小さな幸運以上に価値のあるものだった。また、自然の不思議さや豊かさを再認識し、自然の中で過ごす時間の大切さも感じた。


 四つ葉のクローバーの確率が1万分の1と10万分の1がどれほど稀なものかを確認しておいた。
サイコロで1の目を連続して出す確率を計算することにした。

    (1/6)^x = (1/10000) の方程式の解は x ≈ 5.14、(1/6)^x = (1/100000) の解は x ≈ 6.43

つまり、1の目を5~7回連続して出さなければならないレベルの難しさだ。この稀な確率を乗り越えて得られる喜びは、四つ葉のクローバーがもたらす幸運そのものである。

四つ葉と五つ葉のクローバー





Posted by nonio at 07:17 Comments( 0 ) 滋賀を歩く

2024年03月10日    使い切ったボールペン

 筆記用具は、私たちの思考やアイデアを形にするための重要な道具です。文字や図形を通じて他人と情報を共有し、後で振り返ることで新たな気づきや発見を得ることができます。筆記用具は単なる道具以上のものであり、私たちの生活や思考を豊かにしてくれる存在だと思います。

 かつて、筆記用具と言えば、「えんぴつ」でした。三菱・トンボ鉛筆の名前は懐かしいですね。鉛筆の芯の硬さと色の濃さを「HB」と「B」で表されます。「B」は鉛筆の芯のBlackの頭文字をとったもので、HBよりも1段階芯が柔らかいものです。
昔、たいていの人は、「HB」が定番でしたが、私は柔らかく濃い「B」を使っていました。最近では、2Bが主流になっていると言われており、私に追いつき、越していくのは不思議な感覚です。
 私はもっぱら、小刀を使用していました。鉛筆を削るという行為が、文字を探りながら文章を繋ぐには、ちょうどいい“間”をもたらしてくれた。だから、黒鉛の芯を繰り出す「シャーペン」も便利ですが、私はあまり使ったことがありません。

 最近の文房具店では、ボールペンが多くのスペースを占めています。鉛筆はほとんど見かけません。私も、いつの間にかボールペンを使うようになりました。ボールペンは文章を書くだけでなく、日常生活のメモやリスト作成にも欠かせないものになっています。
油性ボールペンと水性ボールペンがありますが、水性ボールペンはインクの粘度が低く、なめらかな書き心地が良いため、私はどちらかと言えば水性ボールペンを使っています。

 さて、ボールペンに関することですが、私にとって中々達成できなかったことがありました。それは、「ボールペンのインクを完全に使い切る」ことです。

インクチューブ内に空気が入ったり、ペン先のボールが回転が悪くなったり、使用期間が過ぎ詰まってしまったりすると、様々なトラブルに見舞われ、机の引き出しなどに使い物にならないボールペンが転がっています。

 先日、ボールペンのインクを使い切るという、ささやかな快挙を成し遂げました。そうですね、ボールペンのインクを使い切ることは、物事の完遂ができた爽快感に通じると言えるでしょう。 

 ボールペンは私にとって、創造性を発揮する手段でもありますし、特別な存在でもあります。ボールペンのインクの減り方で、過ごした時間がわかる私の記憶でもあります。だからこそ、私の暮らしに向き合ってくれる相棒なのです。






Posted by nonio at 09:59 Comments( 0 ) その他