2024年12月04日 キッコウハグマの不思議と自然への探求/鏡山
今年の夏は、いくら「暑い」と言っても収まらない日々が続き、「寒い」という言葉がなくなったかのように感じられた。しかし、ようやく紅葉の秋が訪れた。
友人から「キッコウハグマ(亀甲白熊)」をやっと見つけたと、誇らしげなメールが届いた。 この花、意外と咲かないようだ。
名前を聞いたことがなかった私は、特に気に留めなかったが、「ハグマ」という言葉が妙に気にかかった。以前読んだ植物学の本に、「ハグマ」と名のつく植物は、花びらの先端が時計回りに曲がっていると書かれていたのを、ふと思い出したのだ。
その記憶が引き金となり、実物を見に行くことにした。 キッコウハグマ──その名が示す「白熊」という漢字は、シロクマとは読まないこの花は、シロクマのように大きな白色かと勝手に思った。「亀甲」とは亀の甲羅の六角模様だろうか。そんな推測も、薄暗い林内の静寂の中に霧散してしまった。風景と一体化したその花を見つけ出すのは、至難なことであった。
小川の流れる谷筋を何度も行き来しているうちに、茎が15cmほどの高さに直径1cmほどの小さな白い花を見つけた。一つ見つけると次々と群生が確認でき、5~7輪ほど咲いていた。
花びらを注意深く観察すると、花びらの先が曲がっていた。時計回りで、全てが同じ方向に曲がっていた。花びらの先端を心持ち曲げることによって、それほどの意味があるのかなぁと思いつつ、その控えめな曲線に自然の工夫を感じた。
被子植物が地球上に登場したのは白亜紀、およそ1億年前のことだと言われている。キッコウハグマのような植物が現在の形に至るまでには、気の遠くなるような年月が必要だっただろう。その進化を考えると、人間の短い時間の中であれこれと語るのがどれほど小さな行為かと思い知らされた。
キク科のキッコウハグマの花が初めて花開いた時には、たぶんまっすぐな花びらを持っていたのだろう。しかし、悠久の時間が経つにつれ、親からの遺伝子を受け継がれずに突然変異が起きることもある。中には、時計回りに曲がった花弁や、逆方向に曲がったものも現れ始めるのであろう。
次々世代が進むにつれて、時計回りに花びらが曲がることで、生存に有利な特性が、次第に固定されていったのだろうか。
それとも、たまたま時計回りに花びらが偶然発生して、そのまま居ついたのかもしれないとも考えられた。
ヒメハギバハグマは逆方向に曲がっている。さらに、モミジハグマはねじれが少ないと言われている。全てのハグマが時計回りに曲がった花弁でもないのだ。
ランダムな遺伝子変異で生じた様々な花びらの方向性の中で、環境の選択圧力により右向きの花びらを持つものが生き残ったという進化のプロセスなのか、単なる確率的要素でその方向が決まったのかもしれない。どちらにしても、自然はその変化を受け入れながら形を保ち続けてきたのだ。
鏡山の奥深いところで、あたりをきょろきょろしている二人連れの女性に会った。
「キッコウハグマを探しに来た」と尋ねてきた。山野で自生している野草を見つけ出すには、並大抵の努力がいるものだ。 自生しているところを教えてやると、
「ここに、あっちにも」と興奮気味に走り回り、野草を見つけるごとに目を輝かせていた。
自然界の時間軸からすれば、人間の一生は一瞬にすぎない。その短い時間の中でも、自然の仕組みに驚き、進化の背景に思いを馳せることは意義深い。自然に向き合い、その魅力を探求することが、私たちの知識欲を育み、人類がここに生きる意味の一端なのだろう。



友人から「キッコウハグマ(亀甲白熊)」をやっと見つけたと、誇らしげなメールが届いた。 この花、意外と咲かないようだ。
名前を聞いたことがなかった私は、特に気に留めなかったが、「ハグマ」という言葉が妙に気にかかった。以前読んだ植物学の本に、「ハグマ」と名のつく植物は、花びらの先端が時計回りに曲がっていると書かれていたのを、ふと思い出したのだ。

小川の流れる谷筋を何度も行き来しているうちに、茎が15cmほどの高さに直径1cmほどの小さな白い花を見つけた。一つ見つけると次々と群生が確認でき、5~7輪ほど咲いていた。
花びらを注意深く観察すると、花びらの先が曲がっていた。時計回りで、全てが同じ方向に曲がっていた。花びらの先端を心持ち曲げることによって、それほどの意味があるのかなぁと思いつつ、その控えめな曲線に自然の工夫を感じた。
被子植物が地球上に登場したのは白亜紀、およそ1億年前のことだと言われている。キッコウハグマのような植物が現在の形に至るまでには、気の遠くなるような年月が必要だっただろう。その進化を考えると、人間の短い時間の中であれこれと語るのがどれほど小さな行為かと思い知らされた。
キク科のキッコウハグマの花が初めて花開いた時には、たぶんまっすぐな花びらを持っていたのだろう。しかし、悠久の時間が経つにつれ、親からの遺伝子を受け継がれずに突然変異が起きることもある。中には、時計回りに曲がった花弁や、逆方向に曲がったものも現れ始めるのであろう。
次々世代が進むにつれて、時計回りに花びらが曲がることで、生存に有利な特性が、次第に固定されていったのだろうか。
それとも、たまたま時計回りに花びらが偶然発生して、そのまま居ついたのかもしれないとも考えられた。
ヒメハギバハグマは逆方向に曲がっている。さらに、モミジハグマはねじれが少ないと言われている。全てのハグマが時計回りに曲がった花弁でもないのだ。
ランダムな遺伝子変異で生じた様々な花びらの方向性の中で、環境の選択圧力により右向きの花びらを持つものが生き残ったという進化のプロセスなのか、単なる確率的要素でその方向が決まったのかもしれない。どちらにしても、自然はその変化を受け入れながら形を保ち続けてきたのだ。
鏡山の奥深いところで、あたりをきょろきょろしている二人連れの女性に会った。
「キッコウハグマを探しに来た」と尋ねてきた。山野で自生している野草を見つけ出すには、並大抵の努力がいるものだ。 自生しているところを教えてやると、
「ここに、あっちにも」と興奮気味に走り回り、野草を見つけるごとに目を輝かせていた。
自然界の時間軸からすれば、人間の一生は一瞬にすぎない。その短い時間の中でも、自然の仕組みに驚き、進化の背景に思いを馳せることは意義深い。自然に向き合い、その魅力を探求することが、私たちの知識欲を育み、人類がここに生きる意味の一端なのだろう。



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