湖国に春を告げる「びわ湖開き」も終わり、直ぐそこに春が迫ってきた。この時期になると、桜の開花状況が話題になる。
この冬は、観測史上最高気温を更新した地域があったように、気温が平年よりもかなり高く、全国的に桜の開花が早いようだ。
ソメイヨシノが咲かない奄美・沖縄地方では、“カンヒザクラ“(寒緋桜)が、1月7日宮古島、1月10日那覇に開花したようだ。3月16日東京都内を歩くと、カンヒザクラとオオシマザクラの雑種である“カンザクラ”などが咲き誇り春爛漫を思わせる風景がそこかしこにあったとの報道がされていた。
ソメイヨシノの桜前線より一足早く春を知らせるのが、寒緋桜。
さて、3月18日、三上山の山麓の近江富士花緑公園を歩いている時、山仲間のMさんの妹さんに久し振りに出合った。立ち話の中で、「桜がきれいネ」と・・・・・。ソメイヨシノの蕾は、固く咲く気配もないのにと一瞬戸惑ってしまった。が、そこは、よく通る道筋に咲く桜だが、桜にしては赤みを帯びていたので、意識して観ていなかったようだ。
帰りに寄ってみると、 桜は、緋紅色の花びらがうつむきがちに開花していた。一味違った趣が漂っていた。緋紅色と云っても分かりにくい色だが、やや黄色みのある鮮やかな赤色である。茜色は「やや暗い赤」のイメージだが、緋色は「鮮やかな赤」である。
この桜の名前が分からなかったので、ふるさと館の方に確認した。やはり、思っていた通りの寒緋桜であった。この桜は、沖縄ではヒカンザクラ(緋寒桜)とも言われるが、本土のヒガンザクラ(彼岸桜)と混同されるためカンヒザクラと呼ぶことが多いらしいとも、教えてもらった。

この冬は、観測史上最高気温を更新した地域があったように、気温が平年よりもかなり高く、全国的に桜の開花が早いようだ。
ソメイヨシノが咲かない奄美・沖縄地方では、“カンヒザクラ“(寒緋桜)が、1月7日宮古島、1月10日那覇に開花したようだ。3月16日東京都内を歩くと、カンヒザクラとオオシマザクラの雑種である“カンザクラ”などが咲き誇り春爛漫を思わせる風景がそこかしこにあったとの報道がされていた。
ソメイヨシノの桜前線より一足早く春を知らせるのが、寒緋桜。
さて、3月18日、三上山の山麓の近江富士花緑公園を歩いている時、山仲間のMさんの妹さんに久し振りに出合った。立ち話の中で、「桜がきれいネ」と・・・・・。ソメイヨシノの蕾は、固く咲く気配もないのにと一瞬戸惑ってしまった。が、そこは、よく通る道筋に咲く桜だが、桜にしては赤みを帯びていたので、意識して観ていなかったようだ。
帰りに寄ってみると、 桜は、緋紅色の花びらがうつむきがちに開花していた。一味違った趣が漂っていた。緋紅色と云っても分かりにくい色だが、やや黄色みのある鮮やかな赤色である。茜色は「やや暗い赤」のイメージだが、緋色は「鮮やかな赤」である。
この桜の名前が分からなかったので、ふるさと館の方に確認した。やはり、思っていた通りの寒緋桜であった。この桜は、沖縄ではヒカンザクラ(緋寒桜)とも言われるが、本土のヒガンザクラ(彼岸桜)と混同されるためカンヒザクラと呼ぶことが多いらしいとも、教えてもらった。

タグ :寒緋桜
平成30年第3回目「初冬の南陵見晴らしコースから源流コース」歩行距離8㎞に参加した。南陵から公園全体を見渡し、第4キャンプで昼食。
この日は、今年一番の冷え込みで、身も心も冷え込んでしまった。
ところで、思いもよらないキノコを目撃した。今まで、観賞用のキノコ(色彩豊かなキノコ達/希望が丘)には、出合ったが、食べられるキノコに出合うとは予想すらしていなかった。
道端に放置されていた短い切株に、ナメコがびっしりついていた。
ボランティア仲間は、少し口にして「間違い無し」と言っていた。
昭和の中頃、東北の山々を巡っていた時、初めてナメコ汁を頂いた。この寒さからか、涼冷なところで育ったナメコは、実に美味しかったことが甦ってきた。


“滋賀県希望が丘文化公園”が主催する第3回ハイキングの下見に出掛けた。
職員の方とボランティアとして参加している数名の仲間で、案内予定の南陵見晴らしコースを辿った。
ボランティア仲間達とは、年に何回か希望が丘で出会うだけの間柄である。
話の内容と言えば、「今年は穂高にいったとか」「どこそこの山は台風で荒れている」とか山の情報交換をする程度で、もっぱら思い切り植物談義だ。これだけで、盛り上がる心地好い仲間である。
さて、霜月の後半にもなると、さすがに一輪の花もなく、目につくのは低木の赤や黒っぽい木の実だけだ。
兎に角、女性仲間は希望が丘一帯の地形・自生している植物に関して精通している。次から次へと木の実を見つけ出しては、「あまい、すっぱい・にがい」とか味見をしながら、歩を進めた。時折、実の色・葉っぱの形・枝ぶりなどから植物名の見解が違っていると、二人はあれこれ納得するまで論じていた。
私はもっぱら聞き役 。希望が丘の職員も聞き役だ。
ところで、何回聞いても忘れてしまう私の頭に残ったのが、“木イチゴ”だけ。
草イチゴの場合は、“苺”“の字があてられるが、木イチゴは“莓”の字を使うらしい。だから、木莓と書く。
背丈は20~30センチ程度で、這うようにして枝を長く伸ばし、花柄に実をつけていた。一房口にすると、小粒のルビー色に熟した実は、甘酸っぱく野性味そのもの。
大方の野イチゴは夏に実を付けるのだが、 樹々が冬支度をするこの時期に実を結ぶので、わざわざ”フユ”を付け加えて“フユイチゴ”と言われている。


これで、希望が丘・三上山周辺の34番目の山野草(木)になった。
職員の方とボランティアとして参加している数名の仲間で、案内予定の南陵見晴らしコースを辿った。
ボランティア仲間達とは、年に何回か希望が丘で出会うだけの間柄である。
話の内容と言えば、「今年は穂高にいったとか」「どこそこの山は台風で荒れている」とか山の情報交換をする程度で、もっぱら思い切り植物談義だ。これだけで、盛り上がる心地好い仲間である。
さて、霜月の後半にもなると、さすがに一輪の花もなく、目につくのは低木の赤や黒っぽい木の実だけだ。
兎に角、女性仲間は希望が丘一帯の地形・自生している植物に関して精通している。次から次へと木の実を見つけ出しては、「あまい、すっぱい・にがい」とか味見をしながら、歩を進めた。時折、実の色・葉っぱの形・枝ぶりなどから植物名の見解が違っていると、二人はあれこれ納得するまで論じていた。
私はもっぱら聞き役 。希望が丘の職員も聞き役だ。
ところで、何回聞いても忘れてしまう私の頭に残ったのが、“木イチゴ”だけ。
草イチゴの場合は、“苺”“の字があてられるが、木イチゴは“莓”の字を使うらしい。だから、木莓と書く。
背丈は20~30センチ程度で、這うようにして枝を長く伸ばし、花柄に実をつけていた。一房口にすると、小粒のルビー色に熟した実は、甘酸っぱく野性味そのもの。
大方の野イチゴは夏に実を付けるのだが、 樹々が冬支度をするこの時期に実を結ぶので、わざわざ”フユ”を付け加えて“フユイチゴ”と言われている。


これで、希望が丘・三上山周辺の34番目の山野草(木)になった。
最近、三上山には出かけるが、希望が丘には足が遠のいていた。久しぶりに色づいた[かえでの森」に歩を進めた。その帰り、自転車道路の路肩に、「秋のキリン草」がそこここと随所に見られた。何回も通っていたとろだが、気付かなかったのが不思議なくらいだ。
この花、山地や丘陵部の日当たりのよい場所に行くと、よく見かけたものだ。
黄色い可憐な小花が集まって円筒状の姿をしているので、キリンの首のようにみえるので、「麒麟草」と思い込んでいた。よくよく調べると「黄輪草」であった。
読み方だが、「黄」は訓読の“き”、「輪」の音読の”りん”で「黄輪草」と書いて「きりんそう」と呼ぶ。音訓が混じってはいけないというルールはないが、何となく読みづらい。
この輪は、花など数える言葉として使われ、小さな花がまとまって黄色い一輪の花に見えるので、黄輪草の漢字が与えられている。
この花は取り立て興味を掻き立てることがないが、最後に育った頂部の花から咲くらしい。生真面目と言うか、窮屈な咲き方である。
今迄、全ての花の咲く順番は、花軸の下位から上位へと順次開花すると思っていた。中には、逆方向に咲くものもあるようだ。 自然界の多様性に驚かされる。


秋に黄色い小花を咲かせるキリン草に似たセイタカアワダチソウが天山登口で見られた。黄色の花だが、三角錐なので、見分けがついた。
いっとき、この外来種は、河原や土手などの水辺や空き地、道端や線路沿いなどに進出した。他の植物の抑制する成長阻害物質を出し、猛威を振るったのだ。あまりにも繁殖の勢いが凄かっので、群生してしまうとススキなどの秋風物詩が生えてこなくなってしまうと危惧されたことがあった。環境省が要注意外来生物リストの植物となったものだ。
ところで、自然界は良くしたもので、自分自身の分泌した成長阻害物質が、周囲の植物だけでなく、自らの成長も抑えこまれてしまった。
現在では、落着きを取り戻し、それほどの侵略種ではなくなり、程よく周囲のススキ等と共生している。
このアワダチソウ(泡立草)というのは、日本の在来種アキノキリンソウの別名でもあるのが微笑ましい。


これで、希望が丘・三上山周辺の33番目の山野草になった。
この花、山地や丘陵部の日当たりのよい場所に行くと、よく見かけたものだ。
黄色い可憐な小花が集まって円筒状の姿をしているので、キリンの首のようにみえるので、「麒麟草」と思い込んでいた。よくよく調べると「黄輪草」であった。
読み方だが、「黄」は訓読の“き”、「輪」の音読の”りん”で「黄輪草」と書いて「きりんそう」と呼ぶ。音訓が混じってはいけないというルールはないが、何となく読みづらい。
この輪は、花など数える言葉として使われ、小さな花がまとまって黄色い一輪の花に見えるので、黄輪草の漢字が与えられている。
この花は取り立て興味を掻き立てることがないが、最後に育った頂部の花から咲くらしい。生真面目と言うか、窮屈な咲き方である。
今迄、全ての花の咲く順番は、花軸の下位から上位へと順次開花すると思っていた。中には、逆方向に咲くものもあるようだ。 自然界の多様性に驚かされる。


秋に黄色い小花を咲かせるキリン草に似たセイタカアワダチソウが天山登口で見られた。黄色の花だが、三角錐なので、見分けがついた。
いっとき、この外来種は、河原や土手などの水辺や空き地、道端や線路沿いなどに進出した。他の植物の抑制する成長阻害物質を出し、猛威を振るったのだ。あまりにも繁殖の勢いが凄かっので、群生してしまうとススキなどの秋風物詩が生えてこなくなってしまうと危惧されたことがあった。環境省が要注意外来生物リストの植物となったものだ。
ところで、自然界は良くしたもので、自分自身の分泌した成長阻害物質が、周囲の植物だけでなく、自らの成長も抑えこまれてしまった。
現在では、落着きを取り戻し、それほどの侵略種ではなくなり、程よく周囲のススキ等と共生している。
このアワダチソウ(泡立草)というのは、日本の在来種アキノキリンソウの別名でもあるのが微笑ましい。


これで、希望が丘・三上山周辺の33番目の山野草になった。
山城と鏡山の縦走路間で、若木のリョウブが山腹を埋め尽くしていた。芽生え前の木だが、樹皮は薄く剥がれやすく、剥がれたあとは滑らかな薄い茶褐色となり、木肌の模様が面白いので、名前がすぐに判った。


このリョウブはどちらかと言えば、森林を構成する樹種でもなく、パイオニア的傾向が強いと言われている。が、 この写真では、リョウブが群生していた。どうしてこうなったのか、頭を絞ってみた。
私は滋賀県の森の女王といわれる数々のブナ林の姿を見てきた。横山岳・音波山の若木・安蔵山の成熟したミズナラとブナ林の原生林・ 音波山のブナ倒木後の世代交代・椿坂峠近くの生き延びた巨木・三重嶽のねじ曲がったブナ・・・・・・など。
若齢林では細いブナがびっしりと林立している。片や、成熟期を迎えているブナ林になると、一本毎の幹は太くなるが、極端に本数が減少している。何年もかかって自然淘汰されたブナ林帯を形成していた。
また、巨木のブナが何らかの原因で倒木していた。 それまで日陰で待機していた若木がこれから成長し、世代交代がこれから始まろうとしていた。ブナ林はいつも同じ姿をしているわけではなく、その時々の発達段階を見せていた。
さればと、「森林の遷移」を多少とも理解できるので、このリョウブ林について、勝手なストーリーを描いてみた。
この一帯は、風化しやすい花崗岩からなり、地滑りしやすい地形である。縦走路の尾根筋で、台風や大雨により多量の土砂崩壊が発生したのだろう。山崩れの証として、緩斜面に大石がかなり堆積していた。
山地の斜面が、根こそぎ土壌が流され、裸地面が露出したと思われる。そして崩落を免れたリョウブの木の種子が、さまざまな方向を裂開して、飛び出したのであろう。発芽・生長し、今の姿を出現させていた。それにしてもおびただしい種子である。
何気ない風景であるが、お互い若木同士は、熾烈な争いが起こっているのだ。
若木は、太陽に向かって、枝葉を競り合い懸命に張り合っているのである。僅かでも、先んじて太陽光を受けることができれば、周りの木を圧倒して、生き残れる。既に競争に負け、何本かの枯れ木もみかけられ、より一層このように感じ取れた。
これから何年もかかって、強いものが、勝ち残っていくのだろう。その上、陽樹のリョウブ林は陰樹に脅かされ、さらに生存が厳しくなるであろう。
希望が丘文化公園内には森・山・川が存在し、自然そのままの姿を残されている。人間よりはるかに永い寿命を持つ樹々の一コマは次のように語っている。
「我々森林が生き残っていく間に、洪水・火災・土砂崩壊などにより破壊されることがある。これを「攪乱」と言われる。人間社会において、これらは災害であると捉えられる。しかし、すでに生えている我々樹木たちには大きなダメージを受ける、一方で、新たに根づき、生育する木が出てくる新しいチャンスを産んでいる。まさに、我々森林は撹乱に適応し、育っているのだ」と。
☞滋賀の印象深いブナ林・ブナ林のある音波山・椿坂峠のブナ巨樹の語らい


このリョウブはどちらかと言えば、森林を構成する樹種でもなく、パイオニア的傾向が強いと言われている。が、 この写真では、リョウブが群生していた。どうしてこうなったのか、頭を絞ってみた。
私は滋賀県の森の女王といわれる数々のブナ林の姿を見てきた。横山岳・音波山の若木・安蔵山の成熟したミズナラとブナ林の原生林・ 音波山のブナ倒木後の世代交代・椿坂峠近くの生き延びた巨木・三重嶽のねじ曲がったブナ・・・・・・など。
若齢林では細いブナがびっしりと林立している。片や、成熟期を迎えているブナ林になると、一本毎の幹は太くなるが、極端に本数が減少している。何年もかかって自然淘汰されたブナ林帯を形成していた。
また、巨木のブナが何らかの原因で倒木していた。 それまで日陰で待機していた若木がこれから成長し、世代交代がこれから始まろうとしていた。ブナ林はいつも同じ姿をしているわけではなく、その時々の発達段階を見せていた。
さればと、「森林の遷移」を多少とも理解できるので、このリョウブ林について、勝手なストーリーを描いてみた。
この一帯は、風化しやすい花崗岩からなり、地滑りしやすい地形である。縦走路の尾根筋で、台風や大雨により多量の土砂崩壊が発生したのだろう。山崩れの証として、緩斜面に大石がかなり堆積していた。
山地の斜面が、根こそぎ土壌が流され、裸地面が露出したと思われる。そして崩落を免れたリョウブの木の種子が、さまざまな方向を裂開して、飛び出したのであろう。発芽・生長し、今の姿を出現させていた。それにしてもおびただしい種子である。
何気ない風景であるが、お互い若木同士は、熾烈な争いが起こっているのだ。
若木は、太陽に向かって、枝葉を競り合い懸命に張り合っているのである。僅かでも、先んじて太陽光を受けることができれば、周りの木を圧倒して、生き残れる。既に競争に負け、何本かの枯れ木もみかけられ、より一層このように感じ取れた。
これから何年もかかって、強いものが、勝ち残っていくのだろう。その上、陽樹のリョウブ林は陰樹に脅かされ、さらに生存が厳しくなるであろう。
希望が丘文化公園内には森・山・川が存在し、自然そのままの姿を残されている。人間よりはるかに永い寿命を持つ樹々の一コマは次のように語っている。
「我々森林が生き残っていく間に、洪水・火災・土砂崩壊などにより破壊されることがある。これを「攪乱」と言われる。人間社会において、これらは災害であると捉えられる。しかし、すでに生えている我々樹木たちには大きなダメージを受ける、一方で、新たに根づき、生育する木が出てくる新しいチャンスを産んでいる。まさに、我々森林は撹乱に適応し、育っているのだ」と。
☞滋賀の印象深いブナ林・ブナ林のある音波山・椿坂峠のブナ巨樹の語らい
三上山の山麓に、手入れもされず半野生化したガクアジサイが植えつけられていた処を見出し、熊蜂などが飛びまわり、カナブンが花粉にまみれていた。こんな身近なところに、とてつも長い時の連なりをした自然に触れることができ、一週間ほど、熊蜂を追い続けた。
望遠カメラ越しに熊蜂を覗き込んでみると、
つぶらな瞳まんまるな胴体に黄色い胸が何ともおしゃれだ。ずんぐりした体型に似合わず、花から花へとせわしなく飛びまわっていた。
真黒な個体でブーンと羽音をたて威嚇をしてきたが、襲うことはしなかった。
初日、一匹の熊蜂が蜜を求めて、自らのテリトリーの花から花へと飛びまわっていた。一頻りこの作業が終わると、急に空高く舞い上がっていった。蜜を巣に持ち運んでいたのであろう。半時間ほど、あたりを伺っていると、いつの間にか舞い戻っていた。
次の日は仲間を連れてきたのか二匹になった。でも何だか仲が悪そうだった。
その後は、また一匹となった。なんとなく、私の存在を認めたようになった。彼を追っかけて何枚もの写真を撮った。
鬱陶しい長雨の季節になり、我が家の庭にアジサイが咲きだした。
紫陽花の花を求めて、余呉駅から北に3㎞紫陽花と達磨寺として知られている全長寺へ向かった。更に余呉湖畔の「あじさい園」まで足をのばした。
全長寺には色とりどりのアジサイが植えつけられていたが、最盛期には早すぎだった。余呉湖畔では京都新聞の者だと名乗り、「写真を撮っている姿を撮ってもいいか」と話しかけてきた。意外にも人で賑わい、記事取材まで行われていた。
その後も、あじさい園・あじさい寺などに赴いたが、人ひとだった。その殆どの花は、極彩色に彩られゴージャスな大輪の丸形であった。
ところが、私にとってのアジサイ花のイメージとは、随分かけ離れていた。
かつて、三重県~滋賀県の山へ出かけて、山深い谷筋から流れ出る清流沿いの斜面に楚々と咲くアジサイと出合った。その形は、四角であった。中央に雄しべと雌しべの小さい花が密集しており、この花を引き立てるように飾り花が周辺部を縁取っていた。この形、額縁に似ているのでガクアジサイと呼ばれている。
昆虫と花の共生関係は、人類が地球上に存在すらしていない中生代の後期、白亜紀 まで遡る。年数にしてなんと1億年とも言われている。
受粉の手助けをしてもらうため、気の遠くなる歳月をかけて四角の形に進化してきたのであろう。
ところで、日頃街並みで目にする丸いアジサイは 江戸時代後期、より美しいものを求めて、野生植物の栽培化と品種改良が行われきた。昆虫を誘引する役目をしていた飾り花を球状に肥大化させたものである。今や、丸形が主流なり、手毬アジサイと呼ばれて、大勢の人に愛でられている。
「昆虫と花」の共生から花が多彩に進化してきたが、 「人と花」の関係が生まれて、その形を四角から丸に激変させたのだ。それも、短期間に・・・・・。
その結果、人好みに作られた丸形アジサイには人が集まってくる。だが、昆虫が全く寄り付かない妙な世界が出現している。
三上山の山麓に、手入れもされず半野生化したガクアジサイが植えつけられていた処を見出し、熊蜂などが飛びまわり、カナブンが花粉にまみれていた。こんな身近なところに、とてつも長い時の連なりをした自然に触れることができ、一週間ほど、熊蜂を追い続けた。
望遠カメラ越しに熊蜂を覗き込んでみると、
つぶらな瞳まんまるな胴体に黄色い胸が何ともおしゃれだ。ずんぐりした体型に似合わず、花から花へとせわしなく飛びまわっていた。
真黒な個体でブーンと羽音をたて威嚇をしてきたが、襲うことはしなかった。
初日、一匹の熊蜂が蜜を求めて、自らのテリトリーの花から花へと飛びまわっていた。一頻りこの作業が終わると、急に空高く舞い上がっていった。蜜を巣に持ち運んでいたのであろう。半時間ほど、あたりを伺っていると、いつの間にか舞い戻っていた。
次の日は仲間を連れてきたのか二匹になった。でも何だか仲が悪そうだった。
その後は、また一匹となった。なんとなく、私の存在を認めたようになった。彼を追っかけて何枚もの写真を撮った。
私が最も気に入った日陰のアジサイを選び、カメラのISO感度4000まで上げて、熊蜂を待った。
やっと撮ったが、シャッタースピードが1/250秒では羽根の写りが悪かった。
翌日、羽根が見えるように1/640秒にセットして、連写を試してみた。これが悪かった。連写音を警戒しだし、すぐさま、空高く舞い上がってしまった。
それ以降私を完全に毛嫌いされてしまったようだ。私の存在を知るや空高く舞い上がっていくことが多くなった。それでも、密を見つけ夢中にむさぼっている時には、連写を許してくれた。
何日も通っていると、周縁の飾り花がだらりと下がってきた。熊蜂も素通りしていくようになった。
この花には密がなくなったことを知っているようだ。 ありのままの自然界に自生している紫陽花に心癒された。
手毬アジサイが結実しない無性花。雄しべや雌しべは退化し、人間の手によって挿し木や株分けで増やされている。
だから、勝手に一人歩きできないようだ。太古の昔から綿々と繋がってきた生態系を乱さないことを祈る。
ガクアジサイ(シャッタースピード1/640秒)

ガクアジサイ(シャッタースピード1/250秒)

ガクアジサイに集まる昆虫達


装飾花の球状に咲く艶やかな手毬アジサイ達




滋賀県には400~500本さらに1000本と立派な梅林がある。この規模からすると滋賀県希望が丘文化公園は、少貧な梅林である。でも、私にとっては、春への移り変わりが、いち早く感じられるところである。
2月22日、里の家から希望が丘文化公園へとつづく散策路の脇にある梅林に出向いた。
紅梅がチラホラ咲きはじめ、白い梅はまだ鱗片 で覆われているが、幾らかふっくらし、開花も間近だ。
3月4日、穏やかに晴れ渡り、南寄りの暖かい空気が流れ込み、朝からぐんぐん気温が上がった。
紅梅が一輪咲くとまた一輪と。白梅もいい香りを漂わし、一輪だけ咲きだした。
その後、少しずつ暖かさが増したようだが、雨が降ったりして嫌な天気が続いた。
寒が戻った日、様子を見に行ったが、花は寒さですぼむこともなく、凜としていた。
・・・・・・・・・・
梅の花が咲き、三寒四温を繰り返して夏へと季節が巡って行く。”とわに”とは言い難いが、これからも、同じリズムで毎年四季が繰り返されていくだろう。
さて、地球上のどこにでも、この四季の変化があると思われがちだが、そうではない。
そもそも地球は少しかたむいた姿勢で太陽を回っているので、四季ができる。日本列島は中緯度に位置し、島国ということもあり、海流・季節風や地形などの影響で、季節ごとの気候に明確な差ができる非常に恵まれた地域なのだ。
夏には、蒸し暑い晴天の小笠原気団、冬には、冷たい季節風と日本海側へ大雪をもたらすシベリア気団、梅雨時期にオホーツク海気団の梅雨、春・秋には、さわやかな晴天の揚子江気団という様々な気団が生じている。
日本人ほど四季と関わりを持ちながら、生活している国民はいないだろう。 そうして、この季節の移ろいの暮らしの中で育まれた日本ならではの独自の文化が生まれている。それが、俳句である。
なぜ、私は俳句が興味深いかと言うと、
たった文字数17文字の中に、季節を表す「季語」をはめこんでいるからだ。
この四季の移ろいは、我々生きていく上での生活のリズムになっており、環境遺伝子となって日本人に組み込まれたのであろう。
「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」
松尾芭蕉の弟子、服部嵐雪


先日、今年の梅の見納めとして、鈴鹿の森庭園に赴いた。ここは、鈴鹿山系を借景にして日本全国から枝垂れ梅が集められ、艶やかなたれた姿は圧巻だった。
「梅と桜」どちらがお好き?
「桜は“ぼーっと”しているが、梅は”シャキン”としている」と誰か言っていた。
今では、花見といえば、桜だが、奈良時代は桜より好かれた花があった。それは梅だそうだ。



紅梅がチラホラ咲きはじめ、白い梅はまだ鱗片 で覆われているが、幾らかふっくらし、開花も間近だ。
3月4日、穏やかに晴れ渡り、南寄りの暖かい空気が流れ込み、朝からぐんぐん気温が上がった。
紅梅が一輪咲くとまた一輪と。白梅もいい香りを漂わし、一輪だけ咲きだした。
その後、少しずつ暖かさが増したようだが、雨が降ったりして嫌な天気が続いた。
寒が戻った日、様子を見に行ったが、花は寒さですぼむこともなく、凜としていた。
・・・・・・・・・・
梅の花が咲き、三寒四温を繰り返して夏へと季節が巡って行く。”とわに”とは言い難いが、これからも、同じリズムで毎年四季が繰り返されていくだろう。
さて、地球上のどこにでも、この四季の変化があると思われがちだが、そうではない。
そもそも地球は少しかたむいた姿勢で太陽を回っているので、四季ができる。日本列島は中緯度に位置し、島国ということもあり、海流・季節風や地形などの影響で、季節ごとの気候に明確な差ができる非常に恵まれた地域なのだ。
夏には、蒸し暑い晴天の小笠原気団、冬には、冷たい季節風と日本海側へ大雪をもたらすシベリア気団、梅雨時期にオホーツク海気団の梅雨、春・秋には、さわやかな晴天の揚子江気団という様々な気団が生じている。
日本人ほど四季と関わりを持ちながら、生活している国民はいないだろう。 そうして、この季節の移ろいの暮らしの中で育まれた日本ならではの独自の文化が生まれている。それが、俳句である。
なぜ、私は俳句が興味深いかと言うと、
たった文字数17文字の中に、季節を表す「季語」をはめこんでいるからだ。
この四季の移ろいは、我々生きていく上での生活のリズムになっており、環境遺伝子となって日本人に組み込まれたのであろう。
「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」
松尾芭蕉の弟子、服部嵐雪


先日、今年の梅の見納めとして、鈴鹿の森庭園に赴いた。ここは、鈴鹿山系を借景にして日本全国から枝垂れ梅が集められ、艶やかなたれた姿は圧巻だった。
「梅と桜」どちらがお好き?
「桜は“ぼーっと”しているが、梅は”シャキン”としている」と誰か言っていた。
今では、花見といえば、桜だが、奈良時代は桜より好かれた花があった。それは梅だそうだ。
3月13日鈴鹿の森庭園にて


5月26日希望が丘敷地内の鏡山の善光寺川源流で、竹が花を咲かせていた。奥鳴谷広場から鳴谷池にいく途中の小規模な竹林である。この辺りは、倒木したり、枯れた樹々が放置され、自然があるがままになっているところだ。
竹は60年~120年に一度花を咲かせ、その一生を終わるということは聞いていたが、実際、目の当たりにしたのは初めてであった。
「竹の花は、きれいな色をしているらしいが、この花は既に時間が経って、くすんでいる」、と誰かが言っていた。
辺り一帯の竹が枯れかかっているのを見ながら、
「竹は地下茎でつながっているので、 若い竹も古い竹も一斉に花を咲かせる。そして、花が咲くと全部枯れてしまう」、と職員の方が話していた。
竹は花を咲かせなくても、長い年月地下茎によって子孫を殖やしていけるのだが、自分の死期を感じとったのであろう、オシベとメシベが交配をして、種に変身して新しく出直す準備をしていたのであろうか?それとも、人には感じ取れない天変地異を感じ取って、その備えをしているのであろうか。
昔から、竹に花が咲くと凶事の前触れと恐れられたようだが、ミステリーに富んだ出来事に遭遇してしまった。
竹は60年~120年に一度花を咲かせ、その一生を終わるということは聞いていたが、実際、目の当たりにしたのは初めてであった。
「竹の花は、きれいな色をしているらしいが、この花は既に時間が経って、くすんでいる」、と誰かが言っていた。
辺り一帯の竹が枯れかかっているのを見ながら、
「竹は地下茎でつながっているので、 若い竹も古い竹も一斉に花を咲かせる。そして、花が咲くと全部枯れてしまう」、と職員の方が話していた。
竹は花を咲かせなくても、長い年月地下茎によって子孫を殖やしていけるのだが、自分の死期を感じとったのであろう、オシベとメシベが交配をして、種に変身して新しく出直す準備をしていたのであろうか?それとも、人には感じ取れない天変地異を感じ取って、その備えをしているのであろうか。
昔から、竹に花が咲くと凶事の前触れと恐れられたようだが、ミステリーに富んだ出来事に遭遇してしまった。


5月連休 三上山の麓にある滋賀県立近江富士花緑公園では、シャクナゲが咲いていた。0.5ヘクタールに県花のホンシャクナゲをはじめ外国で改良された園芸品種など450本が生育され、 4月中旬から5月下旬(月曜日休み)まで咲いているようだ。



4月25日、 三上山の麓に広がる滋賀県野洲市にある近江富士花緑公園(ふるさと館)へ。
ソメヨシノの桜は判で押したように一斉に咲き一斉に消え去った。
駐車場の臨時警備員もいなくなり、ひとも来なくなった。
三上山登山口の遅咲きのサトザクラが、2~3日前から色づき始め満開に・・・。
サトザクラと呼ばれた八重桜
花はやや大きめで丸くふんわりとしているので、
正式名は関山のようだ。



ソメヨシノの桜は判で押したように一斉に咲き一斉に消え去った。
駐車場の臨時警備員もいなくなり、ひとも来なくなった。
三上山登山口の遅咲きのサトザクラが、2~3日前から色づき始め満開に・・・。
サトザクラと呼ばれた八重桜
花はやや大きめで丸くふんわりとしているので、
正式名は関山のようだ。



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