2014年10月19日 部屋に迷い込んだトンボ
台風19号が、近畿を襲い、10月14日午前、東北の東の海上を通り抜けた。朝早く、何を間違えたのか、一匹のギンヤンマが迷い込み、部屋中を右往左往。飛び立つ寸前、捕まえていた指をひと噛みして、元気よく青空に飛翔していった。
野洲市の中央を流れている「平家物語」で知られる祇王井川(ぎおいがわ)には、夏になると、銀ヤンマが姿を現した。まだ、幼虫のヤゴが、水中に生息できる昔のままの水質が保たれているようだ。
この銀ヤンマの姿を眺めていると、生駒山山麓の田園地帯に住んでいた私の学童の頃が蘇ってきた。昼間の銀ヤンマは、餌を求めてそれぞれ勝手に行動しているのだが、夕方になると、銀ヤンマの群れが幾層にもなって天を埋め尽くした。それも、ゆったりと同じ方向に向かって。どこに行くのか確かめなかったが、山の方を目指していた。今では到底信じられない光景である。当時夏場になると、毎日繰り返され、見慣れたものであった。野原を駆け巡っていた私も家路につき、その日が終わった。
田んぼには、用水池がいたるところにつくられていた。そこには、自分の縄張りと言わんばかりに、銀ヤンマが池の上を行ったり来たりしていた。一匹で飛んでいるトンボを捕獲するのが難しかった。が、雌雄二匹つながった銀ヤンマを「ぎっちょ」?と呼んでいた。繋がっていると、何かと飛ぶのが不自由で、動きが鈍くなる。そこを網で捉えた。 オスを「らっぽ」と言い、上等なメスを「ドロメン」と言った。「ぎっちょ」でとらまえた「らっぽ」は、どうでも良かった。
メスの翅の色が大切であった。浅い茶色は、まずまず。成熟した「ドロメン」の翅色は、泥をぬったような濃い飴色になっていた。オスにとっては極上の美女なのであろう。兎に角、私は、ドロメンを捕獲したその夜が寝られないほど興奮した。
翌日、糸にくくりつけた「ドロメン」をくるくると飛ばせた。何処からともなく「らっぽー」が現れて、二匹が絡まって落ちたところを素早く捕まえた。「ドロメン」には何匹も何匹も寄ってきた。ガキ同士で竹かごの捕獲した「らっぽ」を見せ合ったものだ。
最近では到底考えられないかもしれないが、夏休みの子供たちは、トンボとりで殆ど毎日を過ごして遊んだものだ。ギンヤンマとこうして遊べたのは、私の夢物語になってしまったようだ。
「100分de名著」の奥本大三郎氏の解説「 ファーブル昆虫記」のテレビテキストを手にした。「命には必ず役割がある」から「昆虫から学んだ生と死」までの項目が書き上げられていた。本の冒頭に、「人類の一部の人々は、快適で便利で清潔な生活を・・・・・でも、人類はそれで、本当に幸せになったのでしょうか?」と『昆虫記』は私たちにそんな問いかけを投げかけていた。そして、命とは何か、人間とは何かという問いに迫ってきた。ファーブルは人間を主体とした視点でなく、昆虫の懸命に・巧みに生きている姿を克明に描いていた。考えさせられた一冊であった。
確かに、私はドロメンを長く生かすため、弱った「らっぽ」を切り裂き、その肉を食わすむごいこともした。これ以上に、直接手を下していないが、人間は知らない間に、あんなにたくさん生きていた”とんぼ”を、今ではすっかりいなくしてしまった。生息域を住宅化し、田んぼに農薬を使ったりした。
人間と同じ生き物の死滅は、いずれ、人間にもしっぺ返しが・・・・・。
野洲市の中央を流れている「平家物語」で知られる祇王井川(ぎおいがわ)には、夏になると、銀ヤンマが姿を現した。まだ、幼虫のヤゴが、水中に生息できる昔のままの水質が保たれているようだ。
ギンヤンマが部屋に飛び込んできた
この銀ヤンマの姿を眺めていると、生駒山山麓の田園地帯に住んでいた私の学童の頃が蘇ってきた。昼間の銀ヤンマは、餌を求めてそれぞれ勝手に行動しているのだが、夕方になると、銀ヤンマの群れが幾層にもなって天を埋め尽くした。それも、ゆったりと同じ方向に向かって。どこに行くのか確かめなかったが、山の方を目指していた。今では到底信じられない光景である。当時夏場になると、毎日繰り返され、見慣れたものであった。野原を駆け巡っていた私も家路につき、その日が終わった。
田んぼには、用水池がいたるところにつくられていた。そこには、自分の縄張りと言わんばかりに、銀ヤンマが池の上を行ったり来たりしていた。一匹で飛んでいるトンボを捕獲するのが難しかった。が、雌雄二匹つながった銀ヤンマを「ぎっちょ」?と呼んでいた。繋がっていると、何かと飛ぶのが不自由で、動きが鈍くなる。そこを網で捉えた。 オスを「らっぽ」と言い、上等なメスを「ドロメン」と言った。「ぎっちょ」でとらまえた「らっぽ」は、どうでも良かった。
メスの翅の色が大切であった。浅い茶色は、まずまず。成熟した「ドロメン」の翅色は、泥をぬったような濃い飴色になっていた。オスにとっては極上の美女なのであろう。兎に角、私は、ドロメンを捕獲したその夜が寝られないほど興奮した。
翌日、糸にくくりつけた「ドロメン」をくるくると飛ばせた。何処からともなく「らっぽー」が現れて、二匹が絡まって落ちたところを素早く捕まえた。「ドロメン」には何匹も何匹も寄ってきた。ガキ同士で竹かごの捕獲した「らっぽ」を見せ合ったものだ。
最近では到底考えられないかもしれないが、夏休みの子供たちは、トンボとりで殆ど毎日を過ごして遊んだものだ。ギンヤンマとこうして遊べたのは、私の夢物語になってしまったようだ。
「100分de名著」の奥本大三郎氏の解説「 ファーブル昆虫記」のテレビテキストを手にした。「命には必ず役割がある」から「昆虫から学んだ生と死」までの項目が書き上げられていた。本の冒頭に、「人類の一部の人々は、快適で便利で清潔な生活を・・・・・でも、人類はそれで、本当に幸せになったのでしょうか?」と『昆虫記』は私たちにそんな問いかけを投げかけていた。そして、命とは何か、人間とは何かという問いに迫ってきた。ファーブルは人間を主体とした視点でなく、昆虫の懸命に・巧みに生きている姿を克明に描いていた。考えさせられた一冊であった。
確かに、私はドロメンを長く生かすため、弱った「らっぽ」を切り裂き、その肉を食わすむごいこともした。これ以上に、直接手を下していないが、人間は知らない間に、あんなにたくさん生きていた”とんぼ”を、今ではすっかりいなくしてしまった。生息域を住宅化し、田んぼに農薬を使ったりした。
人間と同じ生き物の死滅は、いずれ、人間にもしっぺ返しが・・・・・。
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