2015年03月19日 わが畑の雑草その1/雑草は踏まれても諦めない著者稲垣栄洋
野菜を育てていると、避けて通れないのが、草引きである。春先は苦にならない。が、その内、草を引いても、引いてもおっつかなくなる。
そんな中、一冊の本に出合った。「雑草は踏まれても諦めない」である。この本は、踏まれても立ち上がってくる逞しい雑草について語られており、逆境に負けない生き方に憧れを抱いたサラリーマンにも読まれているようだ。
私は、50坪ほどの家庭菜園をしているので、植物についての書籍を図書館で何冊も目を通していた。そんな折、独特の語り口の書籍があった。植物の生き方・生存の方法について、人間ではなく植物の目線から書かれていた。今から思えば、稲垣栄洋氏が執筆されたユニークな書籍を、かなり前から読んでいたようだ。
雑草とは何かを、「雑草は踏まれても諦めない」から引用してみる。
「ニンジン畑に生えてきたジャガイモ は雑草なのか」との問いに
ニンジンを栽培する立場から言えば、それ以外に生えてくるものはすべて邪魔者だ。だから、ニンジン畑のジャガイモは紛れもなく雑草なのである。
しかし、こんな考え方もある。「ニンジンばかりか、ジャガイモまで収穫できる。やれ儲かった」
要は、雑草と言う定義は、考え方しだい。つまり、雑草と言う概念は曖昧でくだらない分類であることを知らされた。 したがって、雑草と言わずに、「野草」と言うべきかもしれない。
また、雑草は、畑が居心地よく、むしろここに住み着いていると述べている。
自然界では沢山の植物の競争相手がいるので、雑草は片隅に追いやられた。しかし、人間がつくり上げた田んぼ、畑、道端、空き地に入り込んできて、はじめて繁栄できたと説いている。そこでは、いつも刈られたり、踏まれて住みにくいと思われるのだが、雑草はそれぞれ個性ある生き延びる戦略・戦術を駆使している。オオバコは「ふまれる」ことで殖えていく、シバの刈り取られてもびくともしない茎の構造・・・・・など興味深い切り口で語られていた。
単に、雑草を敵視するだけでなく、少し親近感をもって、わが畑に生えてくる雑草を徹底的に観察し、敵の正体を知る事にした。
冬の畑は、取り立てた作物の生長もないので、放置気味である。3月上旬になると、まだ肌寒いが、畑の畝と畝間の吹き溜まりは、温かい。冷たい風が吹き荒れていても、僅かな陽だまりは、居心地がいいのであろう。そこにちゃっかりと花を咲かしていた。名前は「オオイヌノフグリ」である。
意味不明の長い名前なので覚えにくい。 オオイヌの「フグリ」とはどういう意味なのか調べてみると、新しい国語辞典には載っていなかったが、かなり古い辞典には「陰嚢」と書いてあった。要するに、花の後につく実が2つ並んでいる形状が、雄犬の「フグリ」、つまり金玉に似ていることから命名したようだ。一方では、可愛い「ベロニカ」ともいう。
普通の植物は、太陽光を求め背丈を競って生長するものだが、オオイヌノフグリは、冬から早春にかけて、人目にもつかないように地面を這うように茎を伸ばし、多数の花を咲かせていた。春の終わりには、人に迷惑をかけないように姿をさっさと消してしまう、この処し方は見事である。他の植物が繁茂する夏場は苦手なのであろ、夏は、種で過ごすようだ。
畑の畝と畝間の陽だまりに繁茂している「オオイヌノフグリ」
日が射さない時の閉花状態 日が射した時の開花状態 虫が寄ってきた「オオイヌノフグリ」
オオイヌノフグリの花びらは何気なく咲いていると思われているが、実は昆虫を呼ぶための知恵に溢れていると、語っている。
日が射していない時には、5mm程度の蕾状態であったが、日が射してくると花びらは一斉に10mmまで開いた。 太陽の光を巧みに集めるパラボラアンテナのようになっていて、花の中の温度を上げている。花弁の中は長い冬を過ごした虫たちにとって、天国になるのであろう。
4枚のコバルトブルーの花びらには中央に向かって濃い瑠璃色の筋が中心に向かっているのが見られる。人が美しい模様と感じるためにつくっているのではなく、虫を蜜のある一番奥まで誘導するためのガイドラインである。 無論、オオイヌノフグリが次世代に命を繋ぐための受粉を促すためである。
そんな中、一冊の本に出合った。「雑草は踏まれても諦めない」である。この本は、踏まれても立ち上がってくる逞しい雑草について語られており、逆境に負けない生き方に憧れを抱いたサラリーマンにも読まれているようだ。
私は、50坪ほどの家庭菜園をしているので、植物についての書籍を図書館で何冊も目を通していた。そんな折、独特の語り口の書籍があった。植物の生き方・生存の方法について、人間ではなく植物の目線から書かれていた。今から思えば、稲垣栄洋氏が執筆されたユニークな書籍を、かなり前から読んでいたようだ。
雑草とは何かを、「雑草は踏まれても諦めない」から引用してみる。
「ニンジン畑に生えてきたジャガイモ は雑草なのか」との問いに
ニンジンを栽培する立場から言えば、それ以外に生えてくるものはすべて邪魔者だ。だから、ニンジン畑のジャガイモは紛れもなく雑草なのである。
しかし、こんな考え方もある。「ニンジンばかりか、ジャガイモまで収穫できる。やれ儲かった」
要は、雑草と言う定義は、考え方しだい。つまり、雑草と言う概念は曖昧でくだらない分類であることを知らされた。 したがって、雑草と言わずに、「野草」と言うべきかもしれない。
また、雑草は、畑が居心地よく、むしろここに住み着いていると述べている。
自然界では沢山の植物の競争相手がいるので、雑草は片隅に追いやられた。しかし、人間がつくり上げた田んぼ、畑、道端、空き地に入り込んできて、はじめて繁栄できたと説いている。そこでは、いつも刈られたり、踏まれて住みにくいと思われるのだが、雑草はそれぞれ個性ある生き延びる戦略・戦術を駆使している。オオバコは「ふまれる」ことで殖えていく、シバの刈り取られてもびくともしない茎の構造・・・・・など興味深い切り口で語られていた。
単に、雑草を敵視するだけでなく、少し親近感をもって、わが畑に生えてくる雑草を徹底的に観察し、敵の正体を知る事にした。
冬の畑は、取り立てた作物の生長もないので、放置気味である。3月上旬になると、まだ肌寒いが、畑の畝と畝間の吹き溜まりは、温かい。冷たい風が吹き荒れていても、僅かな陽だまりは、居心地がいいのであろう。そこにちゃっかりと花を咲かしていた。名前は「オオイヌノフグリ」である。
意味不明の長い名前なので覚えにくい。 オオイヌの「フグリ」とはどういう意味なのか調べてみると、新しい国語辞典には載っていなかったが、かなり古い辞典には「陰嚢」と書いてあった。要するに、花の後につく実が2つ並んでいる形状が、雄犬の「フグリ」、つまり金玉に似ていることから命名したようだ。一方では、可愛い「ベロニカ」ともいう。
普通の植物は、太陽光を求め背丈を競って生長するものだが、オオイヌノフグリは、冬から早春にかけて、人目にもつかないように地面を這うように茎を伸ばし、多数の花を咲かせていた。春の終わりには、人に迷惑をかけないように姿をさっさと消してしまう、この処し方は見事である。他の植物が繁茂する夏場は苦手なのであろ、夏は、種で過ごすようだ。
畑の畝と畝間の陽だまりに繁茂している「オオイヌノフグリ」
日が射さない時の閉花状態 日が射した時の開花状態 虫が寄ってきた「オオイヌノフグリ」
オオイヌノフグリの花びらは何気なく咲いていると思われているが、実は昆虫を呼ぶための知恵に溢れていると、語っている。
日が射していない時には、5mm程度の蕾状態であったが、日が射してくると花びらは一斉に10mmまで開いた。 太陽の光を巧みに集めるパラボラアンテナのようになっていて、花の中の温度を上げている。花弁の中は長い冬を過ごした虫たちにとって、天国になるのであろう。
4枚のコバルトブルーの花びらには中央に向かって濃い瑠璃色の筋が中心に向かっているのが見られる。人が美しい模様と感じるためにつくっているのではなく、虫を蜜のある一番奥まで誘導するためのガイドラインである。 無論、オオイヌノフグリが次世代に命を繋ぐための受粉を促すためである。
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