2019年04月24日    琵琶湖湖畔のハマダイコン

  
 4月中ごろ、今津町の浜分~桂浜園地付近の湖岸道路を自動車でゆっくり走っていると、白い花を目にした。

 湖畔の砂地に降り立つと、野生化したハマダイコンが、春風にゆたゆたと。
真っ白の群れに混じって、薄い紫色の花弁も仲間入りしていた。

 遠くに見える竹生島から、さざなみが筋状にのたりのたりと浜へ打ち寄せていた。
水際で、二人連れのおじさんが、投網を小脇に抱えて突っ立っていた。

 小鮎が、群をつくって浅瀬の藻をはみに来るのを待っていたようだが、日が悪そう。 
網を打つことなく、その場を去っていった。
バツが悪そうに、一言、「投網の打つポーズを写真に撮りたいと言う声もかからなかった」と。










Posted by nonio at 06:48Comments(0)山野草

2017年06月25日   七変化のアジサイあれこれ

 
 2017年6月7日 近畿地方の梅雨入りが宣言された。だけど、空からは一滴の水滴すら落ちてこない日々。カエルが「雨、降れ降れ」とケッケッケッケッの鳴き声すらしなくなって久しい。
確かに、暖かい空気、冷たい空気のかたまりがぶつかっている境目が、日本列島の南の海上にできていることからして、海には雨が降っているのであろう。
でも、日本列島に降らない梅雨入りは、「梅雨入り」と言うのだろうかと陰口を叩いたら、土砂降りとなった。

 この時期の花はやっぱり、アジサイだ。
我が家の小さな庭にも咲いている。毎年咲くのだが、庭の片隅で申し訳なさそうに。昨年、家庭菜園用のぼかし肥を作った際、アジサイの根元に残ったものをやったのか、大きな花を幾つも付けた。






 今迄、気づかなかったのだが、アジサイのイメージの形は、四角いものであり、丸いものではなかった。

 山で出会う野生のアジサイの花の付き方は、中央に小さい花が密集しており、この花を引き立つように周辺に4弁の花が飾りたてている。まるで、辺りと視覚的に切り離しをする額縁を取り付けたようなつくりになっている。だから、”ガクアジサイ”と呼ばれている。
この四角い形は、花と昆虫の関係にとって、気の遠くなるほど長い年月をかけて築きあげたてきた姿である。

 でも、我々が日頃、目にするアジサイは丸いものである。江戸時代後期に広まった品種である。ガクアジサイの変わり物だが、あじさいと言えば、この丸い花を指すようになった。
人間の好みによって、自然界で培われてきた形が四角から丸に激変したのだ。

 アジサイには「七変化」という異名がある。つぼみのころから咲き終わるまでに、淡緑色から白・藍・淡紅色と変わるので、この名がある。
同時に、花名も紆余曲折してきた。
 
 古くは、本物の藍で染めたような色の花がたくさん集まって咲くという意味で「集(アズ)真(サ)藍(アイ)」が語源のようだ。”安治佐為”・”集真藍”・味狭藍”とも表記。
平安時代中期に、「紫陽花」が日本の書物に登場した。中国の似た花の”紫陽花”の文字を当てしまいこの字になった。「紫陽花」という文字が美しく、あじさいのイメージにぴったりなため、定着してしまった。学者たちの異論もあるが、今さら、改名することもあるまい。

  今では、日本各所のアジサイ寺で大事に育てられている。が、化花 幽霊花と忌嫌われたり、反面門守りにして厄を除ける風習やお金が貯まるという俗信もあり、気の毒なぐらいややこしい扱いをされてきた。






Posted by nonio at 06:54Comments(0)四季山野草

2017年03月29日   早春に咲く梅花黄連/希望が丘

  
 早春のある日、Kさんから「希望が丘にも”梅花黄連”が巡ってくる時節・・・」との便り。この4文字の漢字は何なのか一瞬戸惑ったが、声を出して読むと「バイカオウレン」。耳にしていた花名である。
私は出合ったことがないが、気にかかっていた山野草のひとつだった。ところで、Kさん、ただ「探して」としたためてあった。咲いている場所がわからないのであろう。

 折角、この山野草に出会うには、場所・時期の2ツが分からないと。
ひっそりと自生している正確な場所は判らないが、仲間内の話の端々からほぼ予測はついていた。問題は、時期だ。山野草の花の盛りは驚くほど短く、タイミングが肝要である。

 早速、Hさんに確認したところ、
「この10年、3月25日には開花している」との貴重な情報をもらった。その後更に、「何株が開花した」との連絡を受けた。人に出来るだけ出会わない平日、いそいそと奥深い希望が丘へと向かった。 
 柔らかい日射しが射し込む渓谷の水は温み、辺りの草木の芽吹きもちらほら、一歩また一歩と、季節が動いていた。
小川が、右から左へたゆたゆと流れ、幽かなせせらぎの音だけの世界が広がっていた。 「細流(せせらぎ)」とつぶやくだけで、なぜか穏やかな気持ちになる。 明るい谷筋を、眼を凝らしながら、川の流れる際をゆっくり、丁寧に歩いた。愛しい恋人と待ち合わしているかのような高揚感に包まれた。

 この花は、”梅花黄連”。白色で、丸みのある白梅に似た花が咲くので「梅花」と呼ばれている。黄色い根から「黄連」と呼ばれ、舐めると、苦く、漢方薬に用いる生薬らしい。手がかりは、根が黄色らしが、掘って探すわけにいかなない。手がかりは、白い花と葉が深く切れ込んでいる山野草だ。

 何回も日参して、辺りの地形も分かるようになったある日、樹木越しに微かに咲く白い花を見つけた。近寄ってみると、 まだ寒いこの時期に早くも春を告げるバイカオウレンだった。

 これで、希望が丘・三上山周辺の31番目の山野草になった。













2016年11月29日   小さな小さなドウダンツツジの紅葉/三上山

 
 今まで、御上神社から三上山に登っていたが、このごろ、近江富士花緑公園『ふるさと館』から登ることが多くなった。このルートを愛用している人も見かけ、知人もできてきた。

 山麓辺りには、群生とまでいかないが、ドウダンツツジ(灯台躑躅)が自生している。色彩が乏しくなる晩秋になるにつれて、葉っぱが色づき、もえるような深い紅色が際立った。

 深みのある真っ赤な紅色は、まことの紅で『真紅色』、ふかい紅で『深紅色』と書き、両方とも「しんくいろ」と読む。
ドウダンツツジの紅葉は濃く冴えた紅色なので、私は『深紅色』の漢字の方が相応しいと思っている。

「ふと」眼を落とすと、数センチに満たない実生なのであろう、育っていた。 
発芽したところが運が悪い。石ころだらけ。誰が見ても、定めは決まっている。
でも、親離れし、紅葉していた。
 
 紅葉は、「成熟した木になるものと思ったが、小さくとも紅葉するものだ」、とこの日、気づいた。
 しかし、よく考えてみると、ドウダンツツジは落葉樹。寒くなると、幹から葉っぱを切り離して命を繋いでいく木だった。だから、紅葉させていた。

 この健気な紅葉が、より一層美しかった。

希望が丘側の山麓は桧の林床にウラジロが群生

点在するドウダンツツジ(灯台躑躅)

小さな小さな紅葉





Posted by nonio at 11:51Comments(0)山野草

2016年06月18日   希望が丘のギンリョウソウ

 
 

 久しぶりに、希望が丘のかえでの森へ行く金曜ウォーキングに出かけた。皆との遅れを詰めるため、薄暗い森を通って近道を辿った。辺りは緑一色の中に、林床に純白の植物を見つけた。

 ギンリョウソウ(銀竜草、学名:Monotropastrum humile )別名ユウレイタケ。つぶさにみると、竜の顔や胴体に似ている。ここから、銀色の竜と呼ばれるようになったようだ。
 この花言葉は「はにかみ」、「 そっと見守る」。奥ゆかしい花のイメージとして、好意にとらまえるような人もおられる。だが、わたしにとっては、森で出会っても、脱色した植物だとして、気持ち悪さが先に立ち、見向きもしなかった。

 ここ、希望が丘・三上山周辺の28番目の山野草になるので、写真に収めることにした。


 





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2016年04月09日   希望が丘にて春蘭見出す

  
希望が丘にて咲く春蘭
    四季折々に咲く、 希望が丘・三上山周辺の山野草をずっと追っかけてきた。だけど、自生している春蘭の花には出会うことがなかった。 シュンランは漢字で「春蘭」と書き、文字通り春に咲く野生ランの代表格である。

 希望が丘の滋賀県文化振興事業団で、長年務められていた職員の話では、「昔、希望が丘一帯に掃いて捨てるほど見かけた。ツボミを酢の物にして食して、春の到来を味わったものだ」と話されていた。
 ここ5~6年、人づてに、「尾根筋に咲いている」との噂があったが、希望が丘のどこそこに春蘭を見たと言う人はいなかった。幾ら仲間であっても、滅多に観られない山野草については、居場所を中々明かしてくれないこともある。だから、何処かで自生していても、私が見出せないだけである。いずれにしても、かつて身近な花であったが、今や見かけることもできない幻の山野草となっていた。

 今年になって、山仲間から「昨年、〇〇に春蘭が咲いていた」と写真付きのメールをもらった。この吉報で自生していることが分かった。が、在りかが分からない。春蘭が好む、水はけがよく、日当たりの南東に面した風通しの良い斜面を徹底的に探したが、徒労に終わった。兎に角、探すとなると、難しいものである。

 何回、山を分けいっただろうか。そうこうしている時、探している近くを知人が通りかかった。「春蘭を探しているのだが知らないか」と尋ねると、咲いているところに連れて行ってくれた。

 一株に4ツの花を精一杯咲かせていた。やわらかな包葉に包まれた花茎は、ひょろりと伸び、その先に一花を付けていた。元々ラン科の花は、華やかで優雅なものが多い。しかし、この花は、少し下向き加減に咲く姿が、日本人女性を感じさせ、つつましやかである。この清楚な佇まいを醸し出す姿は味わい深い。

 花に近づき、舌弁などを間近に眺めてみると、淡緑色の花色の中に、赤紫色の斑点が、わずかに彩りを添えていた。清潔感を漂う淡緑色に、神秘性が伴う赤紫色とは、不思議な組み合わせである。どうしても花弁の奥はどうなっているのであろうかと、異色の斑点を伝って引き込まれてしまう。そもそも美しい花は虫たちを引き寄せるための物である。人も同じように感じることが面白い。 
 
 さて、人は、余にも美しいものを見るとひとり占めにしたい衝動に駆られるものである。春蘭にとっては、ここを安住の地として、根を下ろしたところだ。ここを移動させられる事は、甚だ迷惑なことである。

 希望が丘で見つかっている春蘭は、この一株だけ、末永く見守っていきたい。これで、希望が丘・三上山周辺の27番目の山野草となった。
 
むっくと蕾を出した春蘭3/25

半開きの春蘭3/30

4本とも開花した春蘭4/4
 




2015年12月01日   山門水源の森の「 みやまうめもどき」本番

 
 晩秋になり、紅葉が見頃になると、名高いところは出掛ける人・人でうんざり。その点、山門水源の森は、滋賀県北部の県境に位置するのか、出向く人も限られてくるようだ。
数年前の春、ここを訪れ、新緑の爽やかなブナの森に魅了されたことがあった。今回は、晩秋の山門湿原はどのような光景になっているのか見てみたかった。
枝に鈴なり実を付けたミヤマウメモドキ
 山門水源の森の入口の楽舎(まなびや)で、ボランティアの方々から「みやまうめもどき(深山梅擬)」 が、見ごろとの説明を受けた。

日本固有種のミヤマウメモドキの群生は、本州の日本海側でしか見ることのできない貴重な植物で、絶滅のおそれが高い。日当たりの良い湿地に、まれに生える高さ2-3m落葉低木で、冬には葉が落ちて枝と赤い実だけになる」。

 説明を聞かなければ見過ごすところであったが、このような説明を受けると、どのような樹なのか、興味が湧いてくるものである。

 誰かが、京都の庭園でも見かけることもあり、庭木・盆栽や生け花などにも用いられると言っていた。どうも昔から愛でられてきた素朴な植物らしい。梅ではなく、葉っぱや枝が似ているので「モドキ」と言うらしい。

 兎に角、もみじ・かえでのような派手な紅葉と異なり、趣が異なったしっくりとした紅葉狩りとなった。

湿原のあちらこちらに見られる真っ赤な実を付けたミヤマウメモドキ

 
 特に感心させられたのは、コースの道に木材を細かく粉砕されたチップが敷かれていた。歩きやすく、足に負担も感じなかった。

 入り口付近で木片がいれられた袋が積み上げられ、チップ材づくり・チップ運び上げが行われているようである。湿原復元のため「次の世代に引き継ぐ会」などのボランティア協力により、影で維持保存されていた。何気ないこのようなことから、環境に配慮され、ご苦労されていることが、感じ取れた。

       山道に粉砕されたチップ                       積み上げられたチップ袋









Posted by nonio at 09:02Comments(0)山野草ウォーク

2015年11月15日   野洲川の「ススキ」に似た風にそよぐ「オギ」

 
 倶留尊山(くろそやま)にいく予定だった。晩秋のススキを楽しみにしていたのだが・・・・。
 この山麓の曽爾村(そにむら)に泊まったことがある友人が、しみじみ語っていたことがあった。「ススキが夕日を受け、波打つ黄金色に染まった光景が、何時までも心に焼き付いている」と。

 少し肌寒くなった夕方、野洲川河川敷に出掛けてみた。ススキに似た「オギ」があちらこちらに群生していた。私の背丈175㎝をはるかに超えていた。このオギはススキに酷似した銀色の花穂をつけるが、花穂は長めで、密でふっくらしており、風にそよぐ様はススキより風情がある。

  「荻の葉のそよぐ音こそ秋風の人に知らるるはじめなりけれ」 ( 『拾遺集』 秋・紀貫之) と歌われ、かつて荻の葉のそよぐ音で秋の訪れを知った。今では、ススキもオギの区別も曖昧で、オギすら知られていない。
1000年も前から、ススキは漢字で”薄”、オギは”荻”と書き、区別され知られていた。

 既に季節が移ろい、比良山から琵琶湖を渡ってきた風が容赦なく顔に吹きつけていた。「オギ」は、「風聞き草」とも呼ばれている、風の吹くに任せて、葉擦れの音が、一層深い秋の到来を伝えていた。

野洲川河川敷から比良山系を背景に風にそよぐ「オギ(荻)」

陽が沈む直前の風聞き草とも呼ばれるオギ

 





Posted by nonio at 07:51Comments(0)比良山山野草

2015年09月01日   三上山の秘中の花「ミヤマウズラ」

  
 三上山には色んな人がやってくる。・・・・近江富士と呼ばれる美しい姿の山に一度登ってみたい人、毎日朝早くから身体を鍛える人、また、休日に、森林浴のため、子供ずれの家族ずれ。そんな中、三上山の秘中の花、ミヤマウズラの開花を心待ちにしている一握りの人達がいる。私もその仲間だ。 

 このミヤマウズラの葉は濃緑色の地に白い網目の斑が入り、ウズラの羽の模様に似ているので、深山の鶉と呼ばれている。この模様の入り方が個体により様々あるので、マニアの収集対象になっている。美しいものは「錦蘭」と呼ばれ珍重されているようだ。

 私は、網目模様には関心がないが、小花を一目見た時から愛でている。
 鳥が翼を広げたような形をした淡い桃色の小花はいくら眺めていても飽きない。世の中で可憐さを表すものを探すと、北極海の寒流域に棲息する「クリオネ」を思いだす。この海の妖精に対してミヤマウズラは森の妖精だ。
 
三上山に咲く森の妖精「ミヤマウズラ」



 昨年、三上山にミヤマウズラの存在を仲間を通じて知り、ずうっと育っていく様子を見守っていた。今回、風通しの良い別の林床に、ひっそりと咲く姿を見出し、軽い驚きと嬉しさを感じた。

 殆どの人達にとっては、この山に登れたと言うことに満ち足りるだろう。が、ミヤマウズラを見守っている一握りの人達は、余り知られたくない秘めた別世界に踏み込んでいく快感があった。

 同じ風景を通過して行っても、全く違った世界が存在していることが、何とも不思議に思えた。




2015年08月29日   雑草の女王「メヒシバ」に占領された畑

    野菜作りの畑仕事は、土を耕し、種を植え、肥料を施し、収穫することと思われている。その現実とは、春から夏にかけて雑草に追いかけられる日々。つまり、7~8割の作業が草刈りなのだ!

 夏本番の草刈りは過酷過ぎてハンパでない。だが、一度も除草剤で雑草をことごとく根絶しようと思ったことがない。除草剤を噴霧したとたんに、青々していた草が瞬く間に褐色化し死滅してしまう。この光景を目にすると空恐ろしくなる。

 だから、私はいくら手間がかかっても、手で刈っている。この作業には氷入りの水筒が欠かせない。そして、忘れてはならないのが、蚊取り線香。自然に対して謙虚に接しなければいけないと思っている。

畑の空き地にびっしりと雑草


 まず、畑に、わがもの顔で侵入し蔓延している2つの草の名前を知らなければ始まらない。ヒシバ(日芝)とは、日の当たるところによく生える芝のような草という意味で付けられ、頭に男と女の文字が付けられ区別されている。写真で示す通り強そうなのがオヒシバ「男日芝」。弱々しいのがメヒシバ「女日芝」。

 オヒシバにはしっかりとした茎があり、別名「チカラグサ」や「相撲取り草」と呼ばれている。 私の子供のころ、炎天下の野山で、丈夫そうなチカラグサを探してきては遊んだものだ。お互い花穂を茎に巻き付け、相手のチカラグサの結び目に自分の草の茎を通して、茎を引っ張り合う。花穂が結び目からちぎれ落ちると、勝負ありである。自然との付き合いの中で知った馴染み深い草であった。

オヒシバ「男日芝」

メヒシバ「女日芝」
 

 わが畑で、傍若無人の振る舞いをしているが、もう一つのメヒシバである。 畑の空き地があると、陸上自衛隊の匍匐(ほうふく)前進のように陣地を拡大していく。伸びていく節をつくりそこから根を張って、養分を補給しながら自分の居場所を確保すると、立ち上がってくる。ネギ・サツマイモなどの畝では、茎と張り合うように高さに負けまいと直ぐに立ち上がり、太陽を求めて伸びあがってくる。オヒシバと違って、したたかな生き方をしている。

 この節が曲者である。 茎に節を持ったことで、刈られても折られても節からまた生長してくるのである。例えばメヒシバを耕運機で耕しでもすれば、節をばら撒くようなものである。緑堆肥として、刈り取り放置しても再生してくる。
 厄介なのは茎の先に花穂をつける。種子は一株あたり2万∼ 6万粒種子を実らせると言われて、一度に発芽せず逐次発芽してくるから、取っても取っても生えてくる。だから、メヒシバは「雑草の女王」とも呼ばれる由縁である。

 この「雑草の女王」も太刀打ちが出来ない野菜がいる。「おくら」である。暑さにも強く草勢が強いオクラが育っている畝では、この「雑草の女王」も育たずひょろひょろ。女王の面影が見られない唯一の姿である。このことを活用できる手段がないものか現在思案中。

 今のところ、メヒシバが畑に侵入してくれば、花穂ができる前に、根から引き抜く以外の方法が見つからない。 

 前々から適切でない植物のネーミングがあったが、オヒシバ「男日芝」に対比して、オヒシバ「女日芝」とは、上手く言ったものだ。





Posted by nonio at 05:59Comments(0)家庭菜園山野草