2017年12月04日   伊賀紅葉の白藤滝

 
 過日、三重県名張市の赤目四十八滝に行ってきた。四十八滝というだけあって、色んな姿形をカメラに収めた。が、私の写真技術の未熟により、低速シャッターによる白い糸が引くような幻想的な滝が一枚も撮れなかった。

 日を改め先日、K氏から、「伊賀市山畑の白藤の滝が紅葉の見頃になっている」との情報を得て、小雨だったが、再挑戦した。 
名阪国道下柘植ICから南へ走った。やがて、左手にある白藤の滝の道標にしたがって、人気のしない山道を上って行くと、「ようこそ白藤滝へ」の標示板を目にした。道路幅が少し広くなった所に自動車を止め、休憩所・トイレの横を通って階段を下って行った。

 赤い橋が川をまたいで架けられていた。ここから特別なところであると強調したいのか、丸く反った太鼓橋が据え付けられていた。滝は、垂直に切り立った断崖の落ち口から真っ直ぐに落ち、両側の木々は、聞いていた通り紅葉していた。

 水しぶきがかかる滝前の大きな岩まで近づくことができ、妙な感じがした。10m以上の落差がある滝なので、勢いついた水が地面を叩き、掘れるはずなのにと思いつつ、三脚を据え付けて、カメラの諸設定を行った。

 特に、 シャッター速度の違いによって、水の流れが様々な表情を見せるので、シャッター速度を念入りに調整した。
スローシャッターにしても明るくなり過ぎないように露出を暗めにしながら、自分なりに満足できる風情のある画を取り込むことができた。

              水の流れが白く、絹のように滑らかな白藤の滝
 滝の降り口のところに、「白藤の 如く懸かりし 滝仰ぐ」と書かれた句碑があった。

この俳句は、滝を仰ぎ見ると、この流れ落ちる滝の水流が真っ白な藤の花が垂れ下がった房状のようだと称えている。

白藤の季語は春。白藤の滝は新緑の頃が見頃になるのかな~。

     


   


 






Posted by nonio at 06:52Comments(0)四季

2017年11月28日   銀色のススキそよぐ曽爾高原

 
 ススキの名所として知られる曽爾(そに)高原は、奈良県東北部と三重県の県境にある。ここに、行く機会を狙っていた。が、滋賀県から遠く離れた辺鄙なところでもあり、季節の巡り合わせとかで、中々行けなかった。

 ところで、私はどうしたものか、ススキに対していささか思い入れがある。
そろそろ秋も終わりの頃になると、赤っぽく染まった花穂から、白い綿毛が銀色に輝いてくる光景が、脳裏に去来してくる。そんな折、チャンスがめぐり、国道針インターから曽爾高原へと向かっていた。
  曽爾高原内のゆるやかなスロープに沿ったススキの草原は、予想にたがわず、秋風と共に花穂を持ち上げ、風にそよいでいた。

 かつてススキは、花穂が獣の尾に似ていることから”尾花”といい、”カヤ”ともいった。 
この山奥の集落では、ススキは屋根を葺く材料や、炭俵の材料等、家畜の餌など生活に切り離せない植物である。中でも、カヤぶき屋根に最適。多分、耐水性に優れているススキを”カヤ(茅)”と言っていたのであろう。

 カヤぶき屋根を作るには、特定の森林を切り開き、広いカヤ場が必要であった。毎年、山焼きを行い、木々の侵入を食い止めながら、ここを村人達で守ってきた。 人々の営みによって、ススキが覆い尽くす空間を出現させたのだ。

 自然の景観は美しいと言われるが、僅かに残されたカヤ場は、より繊細で美しい。

  

 「曽爾高原山灯り」と言って池の周囲900メートルを囲むように灯篭が立ち、風流な演出がされていた。


ハイキングコースの上から、高原中央にひょうたん型のお亀池が一望


曽爾高原の地図を描いてきた幼い女の子


 ついでに、 日本300名山で曽爾村の最高峰倶留尊山(標高1038メートル)にも立ち寄った。

 亀山峠から、ヤセ尾根を北に向かって登っていくと小屋に至った。折角ここまで登ってきたこともあって、私有地の倶留尊山・二本ボソの入山料500円を手渡した。ここには簡易モノレールが敷設され管理人が行き来しているようだ。

 二本ボソ山の岩頭に立ち、ここから鞍部まで降下、登り返して、頂上に立った。ここからの眺望は、標高1000m前後の山々が独立峰のように隆起する火山群が一望。亀山峠で目にした特異な景観をしていた鎧岳を探したが、分からなかった。









Posted by nonio at 16:00Comments(0)四季三重県の山

2017年09月20日   ススキあれこれ

 
 通り抜ける風もひんやり感じ始め、虫の鳴き声も聞かれる季節になった。この気配をいち早く気づくのが、「ススキ」。

 尾花がさやさやと風になびき、葉ずれのそよぐ音が、秋の訪れを知らせてくれる。 そのうち穂は白くなって、秋風にほほけて、ほわたが飛び散っていくだろう。
人の背丈ほどのススキは、古来より馴染んできた風景で、枯淡・閑寂の言葉が当てはまる。

 ところで、最近であったススキは手に負えないほど「どでかい」。

 野洲市にある近江富士花緑公園に立ち寄ってみた。
花の端境期になるのか目ぼしい花も少ない折り、私の背丈を遥かに高く花茎を長く伸ばし、絹糸のような光沢をした銀白色の花穂が、しなやかに風にそよいでいた。  
「パンパスグラス」だ。アルゼンチン~ブラジル南部にかけて広大な大草原(パンパス)に生えている草(グラス)という意味である。

 どでかい図体に似合わず、花穂がキラキラと光彩を放っていた。花言葉が、光輝と呼ばれている。

 私は、従来のススキの花穂には持ち合わせていない美しさを持つパンパスグラスを、ススキとして受け入れることにした。




 草津市志那町に鎮座する三大神社から惣社神社の田園帯を散策していた時、大きな緑の塊の上に無数の白い穂が見えるパンパスグラスを見つけた。花穂をつけた姿は見栄えがするのか、公園・花壇や道路分離帯などでも見かける。

 日本には明治に持ち込まれたと言われているが、既に帰化植物となった。

 一昔前、ススキ(芒、薄)は、屋根を葺く材料であったが、今では、パンパスグラスが切り花やドライフラワーとして、室内のインテリアとして用いられている。

 単なるススキだが、時の流れを感じる。  



 私は秋になると妙に、ススキに反応してしまうようだ。

野洲川の「ススキ」に似た風にそよぐ「オギ」




 




Posted by nonio at 03:22Comments(0)四季

2017年07月14日   2000年後発芽した大賀ハス/弥生の森歴史公園

  
 読売新聞の光画アルバム四季彩々に「大賀のハス」が咲いているとの記事を見たので、地元の野洲市弥生の森歴史公園にでかけた。

 古代の竪穴住居を背後にして、一輪の薄桃色の大輪が咲いていた。
このハスは、 2000年も長い間、種子が地中に埋もれていたのだが、大賀一郎博士によって、みごとに蘇生、開花したものを譲り受けたものでる。
地下約6mの泥炭層からハスの種子3粒が発掘された。このうち1粒の発芽に成功し、「大賀ハス」と名づけられた。このハスは「世界最古の花」として、海外でも大きい反響を得ている。

 一口に2000年前と言うけれど、日本人がまだ、文字もない時代である。
狩猟生活を経て集団で定住し始め、竪穴住居の近くには、このようにハスも咲いていたのであろう・・・・。 

 いつの日か当てもないのだが、日の目を見るため生き続けていたのだ。これ程、植物の胚芽が丈夫に出来ていたのか、と驚かされ、太古の眠りから覚めた植物の力強いパワーに圧倒された一日であった。

2000年前の古代日本を彷彿させる風景


古代の色合いをしていた大賀ハス







Posted by nonio at 15:59Comments(0)四季野洲ぶらぶら

2017年06月25日   七変化のアジサイあれこれ

 
 2017年6月7日 近畿地方の梅雨入りが宣言された。だけど、空からは一滴の水滴すら落ちてこない日々。カエルが「雨、降れ降れ」とケッケッケッケッの鳴き声すらしなくなって久しい。
確かに、暖かい空気、冷たい空気のかたまりがぶつかっている境目が、日本列島の南の海上にできていることからして、海には雨が降っているのであろう。
でも、日本列島に降らない梅雨入りは、「梅雨入り」と言うのだろうかと陰口を叩いたら、土砂降りとなった。

 この時期の花はやっぱり、アジサイだ。
我が家の小さな庭にも咲いている。毎年咲くのだが、庭の片隅で申し訳なさそうに。昨年、家庭菜園用のぼかし肥を作った際、アジサイの根元に残ったものをやったのか、大きな花を幾つも付けた。






 今迄、気づかなかったのだが、アジサイのイメージの形は、四角いものであり、丸いものではなかった。

 山で出会う野生のアジサイの花の付き方は、中央に小さい花が密集しており、この花を引き立つように周辺に4弁の花が飾りたてている。まるで、辺りと視覚的に切り離しをする額縁を取り付けたようなつくりになっている。だから、”ガクアジサイ”と呼ばれている。
この四角い形は、花と昆虫の関係にとって、気の遠くなるほど長い年月をかけて築きあげたてきた姿である。

 でも、我々が日頃、目にするアジサイは丸いものである。江戸時代後期に広まった品種である。ガクアジサイの変わり物だが、あじさいと言えば、この丸い花を指すようになった。
人間の好みによって、自然界で培われてきた形が四角から丸に激変したのだ。

 アジサイには「七変化」という異名がある。つぼみのころから咲き終わるまでに、淡緑色から白・藍・淡紅色と変わるので、この名がある。
同時に、花名も紆余曲折してきた。
 
 古くは、本物の藍で染めたような色の花がたくさん集まって咲くという意味で「集(アズ)真(サ)藍(アイ)」が語源のようだ。”安治佐為”・”集真藍”・味狭藍”とも表記。
平安時代中期に、「紫陽花」が日本の書物に登場した。中国の似た花の”紫陽花”の文字を当てしまいこの字になった。「紫陽花」という文字が美しく、あじさいのイメージにぴったりなため、定着してしまった。学者たちの異論もあるが、今さら、改名することもあるまい。

  今では、日本各所のアジサイ寺で大事に育てられている。が、化花 幽霊花と忌嫌われたり、反面門守りにして厄を除ける風習やお金が貯まるという俗信もあり、気の毒なぐらいややこしい扱いをされてきた。






Posted by nonio at 06:54Comments(0)四季山野草

2017年05月11日   春は苦味を味わう季節「フキノトウ・ウド・タケノコ」

 
 既に今年も5月5日の立夏を過ぎ、暦の上では夏。既に春が終わり夏を迎えようとしています。この春は、自分で育てたり、採って来たりした山菜を頂き、 「春は苦味を盛れ」とも言われる春の食材を満喫しました。

 フキの地下茎は、柿木の半日陰下を、気ままにあっちこっちと。 雪解け時に、フキノトウ(蕗の薹)は、芽を持ち上げ春の兆しを知らせ、苞で包まれた花芽をいただくと、ほろ苦さの中に仄かな香りが口に広がった。
ほんの僅かしか食さないから、白い花が一面に。今は、その際からフキの新芽が伸び、葉っぱで辺りを覆いつくしています。

 4年前野洲川の竹伐採のボランティアの時、ウド(独活)を見つけ、畑に植えつけています。新芽の時は、小ぶりだが、日が経つにつれてウドの大木化。夏の終わりから秋にかけて花を咲かせて枯れ、地中に花芽を持ちます。春になるともみ殻を敷いた軟化床で若芽がすくすく。
若い茎を素早くむいて、酢漬けは独特の芳香があり、淡泊で甘味まで感じる風味のある一品だ。
 
 友人の山小屋の周辺の竹藪から野生の小さな孟宗筍を掘った。”旬”に竹がんぶりをつけて”筍”をタケノコと言います。年中作物が収穫されるご時世、まさに旬にしか食べられないものだ。
 エグ味は掘ってから一昼夜置くと2~3倍増えます。だから、朝掘りのタケノコと称して売られていますが・・・。いつ採れたものか?
兎に角、筍の味と香りは、新鮮なものに限ります。

 山の木々が芽吹き始める頃、野性味豊な味ほろ苦さは、冬の間鈍った体に最適な食材です。  
柿の木の下に自生しているミョウガが萌芽しだしました。更なる四季のうつろいを楽しみにしています。

 
      蕗の薹                 ウド            タケノコ(孟宗)
  




 
 







Posted by nonio at 17:18Comments(0)四季家庭菜園

2017年03月06日   愛嬌あるヌートリアでも害獣/琵琶湖の内湖にて

 
 春めき温かくなった日、琵琶湖の周辺の内湖を散策していた。枯れた葦が茂っている水辺からカサコソと音がした。ふと眺めると、動いているものを見つけたので、近寄ってみると、ずんぐりとした愛嬌のあるヌートリアだった。以前、単身赴任していた岡山で、この小動物に何回も出会っていたので、それ程驚きも感動もなかった。

 日中は巣穴で休息していることが多く、見かけることがすくないのだが、よほど腹が減っていたのであろう。緑色の茎を選んで食べていた。好んで、水生植物の葉や地下茎を食べるようだ。

兎に角、近づいても逃げない。

 でも、写真機をあまり近づけると、「ぷい」と横を向き、じっとしてしまう。微動だにせず死んだふりをして、同色の枯れた葦に身を隠しているつもりなのであろう。
私も、写真機を持ったまま、押し殺していると、外敵が去ったと思うのかどうかわからないが、瑞々しい茎を探しては、グイグイと食べ始めた。
再び、物音に気付くと、横を向き、眼を閉じるようなしぐさで、動かなくなった。
ひとしきり食べると、そそくさと水辺にもどり、姿を消していった。

 この間、私を威嚇して襲ってくるしぐさもしない、おとなしい小動物であった。

 ところで、滋賀県内で、ヌートリアは水辺植物の葉・茎・根等を食べ、農作物では水稲の苗の食害があり、「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」の特定外来生物に指定されている。

 ヌートリアは、自分の意志で日本に来たのでなく、人によって連れてこられ、増えすぎ害獣となった。人を主体とした害獣と言う言葉は、なんだろう・・・・・・・?

 夫婦中もほどほどに・・・。子供を増やさないことを祈るだけだ。







タグ :ヌートリア


Posted by nonio at 04:45Comments(0)四季

2016年12月12日   懐かしい高雄/かわら投げの錦雲峡

 仲間から高雄フリー乗車券を手渡され、京都駅よりJRバスに乗り込んだ。京都市北西部の紅葉の名所として知られる高雄に向かった。 ここに訪れるのは、何年ぶりかになるのか余りにも年月が過ぎ去って、勘定もままならない。

 どこをどう走っているのか、細かいことはわかっていないが、碁盤の目をした京都市内の道路を北西の方向に横切りながら、周山街道の方向にバスが走った。 山間にさしかかり、道路が大きくまがったところの「山城高雄」バス停で下車した。
バスを降り立つと、山間の澄んだ”すがすが”しさが、引き金となって昔日の想いがよみがえってきた。 

 バス停から道路を少し戻ってところに、清滝川への降り口があった。
降り口の周辺には店屋もなく、たしか、市バスの「高雄」バス停の標識だけがポツンとあっただけで、何の賑わいもない寂しいところだった。清滝川に向かって降りる道は、ジグザグに付けられ今にも消えそうな小道。 清滝川にかかる橋を渡ってから、神護寺の楼門まで約350段と言われる階段も金堂・多宝塔・地蔵院なども、記憶から飛んでいた。ただ、山中を平に切り開かれた境内がやたらに広かったことを妙に覚えていた。高雄の確かな記憶は、瓦投げだけだった。
 
 本堂に行く仲間と外れて、兎に角、瓦投げを興じた昔の私の目線のところに立ちたいとの思いで、神護寺の境内の一番奥になる錦雲峡へ真っ先にいった。おもいっきり素焼きの皿を投げ、谷底にスーッと吸い込まれていった・・・・あの日を。

 神護寺では厄祓いとして古くからかわら投げをされていのだが、私にとってはどれだけ遠くに飛ばせるのかが、関心事であった。だがら、願い事も一切ない。正面から渓谷から吹き上げてくる風がある。この風に向かって投げると、浮力が生まれ、遠くまで運べるのだ。かっこよく見せるため、どのような投法がよいのか思案していたので、時が経っても覚えていた。 
 
神護寺の楼門

素焼きの皿の売店 

懐かしい錦雲峡を望む


 












Posted by nonio at 10:14Comments(0)四季ウォーク京都

2016年05月26日   湖北の近江今津の冬景色

 
  今年の真冬、湖北の近江今津に出向いた。既に5月末になると言うのに、湖を渡ってくる藻の匂い、水辺に、繰り返し寄せてくるさざなみの音など自然の囁きが、消えていなかった。そんなことから、この地を文字で紡いでおくことにした。

 滋賀に住んで長年になるが、湖西線を乗車することがあっても、湖北の近江今津駅までいくことが少なかった。たまに、滋賀県湖西地域の幹線道路である国道161号線を通っても、今津の街を大きく避けるように道路がつけられている。余り縁のないところであった。
 
 4年前、春を告げるザゼンソウが、咲くころ、ここに出向いたことがあった。晴天の空だと言うのに雪が降り、底冷えしていた。このことが妙に後々引っかかっていた。近江今津~塩津間のラッセル車の試運転がされたとのニュースを聞くと、なおさら、ここは、雪深いところであるとの思いがあった。でも、そんな、真冬に訪れたいと・・・・。

 JR近江今津駅の高架を降り立つと、意外にも道路の雪はとけていた。が、冬季に竹生島へ渡る人もなく船乗り場の桟橋には、雪が積もり、街中はがらりとしていた。ここで誕生した琵琶湖周航の歌が、朝早くから景気づけに聞こえてきた、なお寂しい。

竹生島行きの船乗り場の桟橋
 
 琵琶湖に沿った”浜通り”を歩んでいった。竹生島行の船が行き交うと、観光客で賑わうのであろう、今も現役の旅籠「丁子屋」をはじめ、湖漁の老舗魚屋・ 喫茶などが並んでいた。街並みの規模は、僅かだが、北国のしっとりとした風情があった。

 滋賀県には、大津・草津さらに今津・海津・塩津の湖北三津と、「津」の文字がつく地名が多い。津とは、河岸の船着き場があり、物資が集散し,集落が形成された事を示す言葉である。ここ近江今津も、天然の良港として大変栄えていた。しかし、北前船の西廻り航路が開拓されると小浜への陸揚げは激減し、今津を始め湖北の港町はことごとく衰退していった。

 家と家との間から琵琶湖がのぞきみられた。辻子を通って、寄せ返す波音がする周遊自然歩道の「近江湖うみの辺べのみち」に出た。湖畔から大海原が広がり、非常にのびやかな気分にさせてくれ、何とも心地よい・・・・・。この道は、琵琶湖の優れた景勝地や沿岸の観光地、文化財など湖岸緑地を結びながら、古くからある集落をつないだものである。この道を辿って北上した。

 近江今津から菅浦辺りの雪を被った山々は見られたが、対岸の長浜まで遠く見通せなかった。琵琶湖の最大の幅は、長浜市下阪浜町と 高島市新旭町饗庭との間22.80kmもある。琵琶湖は、昔、余にも大きい湖なので、「淡海の海」「鳰(にほ)の海」と呼ばれていた。ここに立てば、誰もが「海」と言う言葉を使うだろう。また、琵琶湖は別名「さざなみ」とも呼ばれていた。まさに打ち寄せる波の音を聴いていると、そう言いたくなる。

 今季、冬の使者コハクチョウが琵琶湖岸に飛来する数が、激減していると伝えられていた。渡ってきているが、暖冬で南下してくる個体が減ったようである。ここでも、全く見られなかった。 

 遠くを眺めながら、湖面に目を凝らすと滋賀県の県鳥である「かいつぶり」が、頭から「くるっと」潜っていた。何回も繰り返していた。
鮎の稚魚で「氷魚」と書いて(ひうお)と呼ぶそうだが、湖国の春をよぶ「氷魚」が動き始めたのであろう。

 私はできるだけ、大自然に身を置くようにしている。 際立った山野の風景があるわけでもなく、どこまでも実に平凡な姿である自然の中に自分を溶け込ませ、穏やかな様相を感じ取っているのが好きである。自然界はもともと言葉のない世界。だから、私の五感が色んなことを教えてくれ、何より心豊かなになる。

遠くに菅浦などの山々を望む



 石田川を渡ると『白砂青松百選』に選定されている素晴らしい松並木に出会う。が、今回は、引返した。
琵琶湖岸には2千本を超える黒松が約8kmにわたって、ゆるやかな曲線を描きながら砂浜が続いている。その内、散策しようと思っている。











Posted by nonio at 11:08Comments(0)四季ウォーク

2016年01月16日   一ヶ月早い守山公園の菜の花/TBS「ひるおび!」

 
  TBS「ひるおび!」は、昨日今日起こったニュースを、恵俊彰さんの目線から疑問を投げかけ、呼ばれた専門家が掘り下げ答えていく。非常に分かりやすく、好感が持てる人気番組である。昼間の視聴率も 断トツらしい。そのなかで、天気予報士の「森さん」の解説が特に面白い。

 「滋賀・守山公園で菜の花が1ヶ月早く咲きだしている」との放映があった。早速、近い守山市今浜町地先に出掛けてみた。 ここは、比良山系の対岸に位置し、琵琶湖の東岸にある日本の渚百選にも選ばれた湖畔の自然公園である。約4000平方メートルにカンザキナバナという名前の早咲きの菜の花が、12,000本ほど既に開花していた。

 まだ小正月だと言うのに、黄色一色の菜の花が咲き乱れ、むせるような独特の甘い香りが辺りに漂っていた。まさに、日本文化にも深くかかわってきた四季が崩壊し、 季節感が薄れつつあるように思えた。

第1なぎさ公園の菜の花園を散歩するカップル
黄色一色の世界から三上山が顔を出していた


 さて、天気キャスター森朗のお天気の解説が、実にユニーク。

「今日は晴れると言っていたのに」と恵さんが森さんにツッコミを入れる。 間髪入れず、
「今週は暖かくなってくると言ったのに、今日は寒いじゃないか」と以前の予想を持ち出し、八代英輝弁護士がさらに上乗せをする。

 矛盾が生じるとその都度、言い訳をさせられるが、その背景となる気象に関する理屈を、開き直るわけでもなく・別段焦ることなく淡々として弁明している。が、鋭く攻められ、説明不能に陥ることもある。さすがに、黙して、目線が泳いでしまうこともある。

 一層のこと、気象予報は幾ら測定技術が向上し、精度も上がったようでも予報は予報である。気象を解析する方程式はいまだ解かれていなく、この方程式の「解」を近似的に求める数値シミュレーションが行われている。全国の観測された気温、気圧、風などのデータをもとにスーパーコンピューターで計算されている。が、この初期値のわずかな誤差が非常に大きなズレになってしまう。
 だから、気象庁の予測が悪いのだと、言ってしまえばよいものを、自分がすべてを引き受けるところが、森さんの良さなのであろう。
 
 模型を使うのはいいが、にわか作りなので失敗が多い。糸でつながった仕掛けが思い通りに作動しなくなったり、高気圧・低気圧などの小道具が板から外れたり、てんやわんやになる。最近かなり模型も改善されてきており、スムーズに作動すると私はほっとする。


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Posted by nonio at 11:23Comments(0)四季