2016年12月12日 懐かしい高雄/かわら投げの錦雲峡
仲間から高雄フリー乗車券を手渡され、京都駅よりJRバスに乗り込んだ。京都市北西部の紅葉の名所として知られる高雄に向かった。 ここに訪れるのは、何年ぶりかになるのか余りにも年月が過ぎ去って、勘定もままならない。
どこをどう走っているのか、細かいことはわかっていないが、碁盤の目をした京都市内の道路を北西の方向に横切りながら、周山街道の方向にバスが走った。 山間にさしかかり、道路が大きくまがったところの「山城高雄」バス停で下車した。
バスを降り立つと、山間の澄んだ”すがすが”しさが、引き金となって昔日の想いがよみがえってきた。
バス停から道路を少し戻ってところに、清滝川への降り口があった。
降り口の周辺には店屋もなく、たしか、市バスの「高雄」バス停の標識だけがポツンとあっただけで、何の賑わいもない寂しいところだった。清滝川に向かって降りる道は、ジグザグに付けられ今にも消えそうな小道。 清滝川にかかる橋を渡ってから、神護寺の楼門まで約350段と言われる階段も金堂・多宝塔・地蔵院なども、記憶から飛んでいた。ただ、山中を平に切り開かれた境内がやたらに広かったことを妙に覚えていた。高雄の確かな記憶は、瓦投げだけだった。
本堂に行く仲間と外れて、兎に角、瓦投げを興じた昔の私の目線のところに立ちたいとの思いで、神護寺の境内の一番奥になる錦雲峡へ真っ先にいった。おもいっきり素焼きの皿を投げ、谷底にスーッと吸い込まれていった・・・・あの日を。
神護寺では厄祓いとして古くからかわら投げをされていのだが、私にとってはどれだけ遠くに飛ばせるのかが、関心事であった。だがら、願い事も一切ない。正面から渓谷から吹き上げてくる風がある。この風に向かって投げると、浮力が生まれ、遠くまで運べるのだ。かっこよく見せるため、どのような投法がよいのか思案していたので、時が経っても覚えていた。



どこをどう走っているのか、細かいことはわかっていないが、碁盤の目をした京都市内の道路を北西の方向に横切りながら、周山街道の方向にバスが走った。 山間にさしかかり、道路が大きくまがったところの「山城高雄」バス停で下車した。
バスを降り立つと、山間の澄んだ”すがすが”しさが、引き金となって昔日の想いがよみがえってきた。
バス停から道路を少し戻ってところに、清滝川への降り口があった。
降り口の周辺には店屋もなく、たしか、市バスの「高雄」バス停の標識だけがポツンとあっただけで、何の賑わいもない寂しいところだった。清滝川に向かって降りる道は、ジグザグに付けられ今にも消えそうな小道。 清滝川にかかる橋を渡ってから、神護寺の楼門まで約350段と言われる階段も金堂・多宝塔・地蔵院なども、記憶から飛んでいた。ただ、山中を平に切り開かれた境内がやたらに広かったことを妙に覚えていた。高雄の確かな記憶は、瓦投げだけだった。
本堂に行く仲間と外れて、兎に角、瓦投げを興じた昔の私の目線のところに立ちたいとの思いで、神護寺の境内の一番奥になる錦雲峡へ真っ先にいった。おもいっきり素焼きの皿を投げ、谷底にスーッと吸い込まれていった・・・・あの日を。
神護寺では厄祓いとして古くからかわら投げをされていのだが、私にとってはどれだけ遠くに飛ばせるのかが、関心事であった。だがら、願い事も一切ない。正面から渓谷から吹き上げてくる風がある。この風に向かって投げると、浮力が生まれ、遠くまで運べるのだ。かっこよく見せるため、どのような投法がよいのか思案していたので、時が経っても覚えていた。
神護寺の楼門

素焼きの皿の売店

懐かしい錦雲峡を望む

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