2017年11月28日 銀色のススキそよぐ曽爾高原
ススキの名所として知られる曽爾(そに)高原は、奈良県東北部と三重県の県境にある。ここに、行く機会を狙っていた。が、滋賀県から遠く離れた辺鄙なところでもあり、季節の巡り合わせとかで、中々行けなかった。
ところで、私はどうしたものか、ススキに対していささか思い入れがある。
そろそろ秋も終わりの頃になると、赤っぽく染まった花穂から、白い綿毛が銀色に輝いてくる光景が、脳裏に去来してくる。そんな折、チャンスがめぐり、国道針インターから曽爾高原へと向かっていた。
曽爾高原内のゆるやかなスロープに沿ったススキの草原は、予想にたがわず、秋風と共に花穂を持ち上げ、風にそよいでいた。
かつてススキは、花穂が獣の尾に似ていることから”尾花”といい、”カヤ”ともいった。
この山奥の集落では、ススキは屋根を葺く材料や、炭俵の材料等、家畜の餌など生活に切り離せない植物である。中でも、カヤぶき屋根に最適。多分、耐水性に優れているススキを”カヤ(茅)”と言っていたのであろう。
カヤぶき屋根を作るには、特定の森林を切り開き、広いカヤ場が必要であった。毎年、山焼きを行い、木々の侵入を食い止めながら、ここを村人達で守ってきた。 人々の営みによって、ススキが覆い尽くす空間を出現させたのだ。
自然の景観は美しいと言われるが、僅かに残されたカヤ場は、より繊細で美しい。

「曽爾高原山灯り」と言って池の周囲900メートルを囲むように灯篭が立ち、風流な演出がされていた。



ついでに、 日本300名山で曽爾村の最高峰倶留尊山(標高1038メートル)にも立ち寄った。
亀山峠から、ヤセ尾根を北に向かって登っていくと小屋に至った。折角ここまで登ってきたこともあって、私有地の倶留尊山・二本ボソの入山料500円を手渡した。ここには簡易モノレールが敷設され管理人が行き来しているようだ。
二本ボソ山の岩頭に立ち、ここから鞍部まで降下、登り返して、頂上に立った。ここからの眺望は、標高1000m前後の山々が独立峰のように隆起する火山群が一望。亀山峠で目にした特異な景観をしていた鎧岳を探したが、分からなかった。



ところで、私はどうしたものか、ススキに対していささか思い入れがある。
そろそろ秋も終わりの頃になると、赤っぽく染まった花穂から、白い綿毛が銀色に輝いてくる光景が、脳裏に去来してくる。そんな折、チャンスがめぐり、国道針インターから曽爾高原へと向かっていた。
曽爾高原内のゆるやかなスロープに沿ったススキの草原は、予想にたがわず、秋風と共に花穂を持ち上げ、風にそよいでいた。
かつてススキは、花穂が獣の尾に似ていることから”尾花”といい、”カヤ”ともいった。
この山奥の集落では、ススキは屋根を葺く材料や、炭俵の材料等、家畜の餌など生活に切り離せない植物である。中でも、カヤぶき屋根に最適。多分、耐水性に優れているススキを”カヤ(茅)”と言っていたのであろう。
カヤぶき屋根を作るには、特定の森林を切り開き、広いカヤ場が必要であった。毎年、山焼きを行い、木々の侵入を食い止めながら、ここを村人達で守ってきた。 人々の営みによって、ススキが覆い尽くす空間を出現させたのだ。
自然の景観は美しいと言われるが、僅かに残されたカヤ場は、より繊細で美しい。

「曽爾高原山灯り」と言って池の周囲900メートルを囲むように灯篭が立ち、風流な演出がされていた。

ハイキングコースの上から、高原中央にひょうたん型のお亀池が一望

曽爾高原の地図を描いてきた幼い女の子

ついでに、 日本300名山で曽爾村の最高峰倶留尊山(標高1038メートル)にも立ち寄った。
亀山峠から、ヤセ尾根を北に向かって登っていくと小屋に至った。折角ここまで登ってきたこともあって、私有地の倶留尊山・二本ボソの入山料500円を手渡した。ここには簡易モノレールが敷設され管理人が行き来しているようだ。
二本ボソ山の岩頭に立ち、ここから鞍部まで降下、登り返して、頂上に立った。ここからの眺望は、標高1000m前後の山々が独立峰のように隆起する火山群が一望。亀山峠で目にした特異な景観をしていた鎧岳を探したが、分からなかった。



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