2010年06月15日   雪の下の桑實寺・なんじゃもんじゃの沙沙貴神社

  安土ウォーキング(桑實寺・観音正寺)
  安土ウォーキング(安土城) 
 
 最近、安土周辺ウォーキングに行く機会が多くなった。安土山(190m)から安土考古博物館や信長の館のある近江風土記の丘に寄り、繖山(きぬがさやま)(432.7m)の中腹ある桑實寺から沙沙貴神社に至るレイカのフォトウォークに参加した。
 同じところに訪れると、風景も同じで飽きてしまうと思われ勝ちだが、視点も変わり新しい発見もある。それ以上に季節がめぐり草木の様子も変わり色々な楽しみ方が出来るものだ。

 安土城跡を案内も兼ねてひとしきり散策して、桑実寺に向かった。「貴人に差しかざす衣蓋(きぬがさ)のようにふんわりした美しい山容」と名付けられた繖山を目の前にすると幾度歩いても心が和む。

 山の裾野を歩いて立派な門構えの桑実寺の参道入口にやってきた。この背後に石段が待っていた。

 急勾配の石段を見ると、誰もがここから本堂まで行くのにどのくらいの段数になるのであろうと思う。参道入口から500段の石段と紹介されているが、本当であろうか…。勘定することにした。それも、正確を期するため、仲間2人でお互いに「ひとつ、ふたつ」と声を出し合った。途中、橋を渡ってしばらく進み、本堂近くの坂は一段と厳しい、やっとの思い出で最終石段を踏んだ。

462段であった。納経所のおじさんに息を整えて確認すると「450段」との返答があった。

 桑實寺の本堂の右手に道標があった。この道標は少し離れたところにひっそりと建ってあったので、前回訪れた時には全く気づかなかった。

是より くわんおんじ 江 八丁   
     多賀大社   江 四り半                

この変体仮名は、レイカの仲間M女史に解読を願った。

 「くわんおんじ」とは、観音寺へ通じる道しるべである。距離にして約870mである山道。「木曽路名所圖會」に見る桑実寺でも「是ヨリ観音寺ヘ至ル」と書かれていることからして、旅人が通ったところだが、今はかなりの難路である。

 一方、多賀大社まで17.6kmとかなり遠い。ここから、地獄追越えから雨宮龍神社の山越えをして朝鮮人街道を経て多賀大社までを示したものと推察されるが、なぜこんな山奥のところに「多賀大社」への道しるべがあるのか不思議でならない。この道標についてはもう少し調べなければならないこともある。

 自然積みの石段は趣があるが、歩き難い。特に下りは、踏み外さないようにと気を配らなければ。この石を踏んで、次はあの石にと一段一段下った。当然、足元に意識が集中する。このような折に出くわすのが、山野草である。それは、「雪の下」。 
        
 この花は小さく、一杯咲くので見過ごしてしまうが、ひとつひとつ眺めてみると中々の美人である。花は 5 弁で下の 2 枚が白く大きく,上の 3 枚は薄紅色で濃い赤紫の点が艶やかで愛くるしい。長い雄しべも目立つ。この花、初夏に咲いているのに、「雪の下」と呼ばれているのはどうしても解せない。2つの下にのびた白色花を雪に言い換え命名したようだ。



 ここ桑実寺には信長が関わった悲しい事件も起きていた。
『信長公記』巻十四(三)によると1582年には 信長が小姓衆5~6人を従えて竹生島に参詣した。遠出で泊まりと思っていた安土に残った女房衆は、信長の留守をいいことに桑実寺への薬師参りに出かけているものもいた。ところが、信長はその日のうちに安土城に帰還した。怒った信長が女房、擁護した桑実寺の高僧たちも殺害してしまった。
 
 田園地帯を真っ直ぐに延びた景清道は退屈する。この信長の出来事の昔話をし、気を紛らしながらJR安土駅に向かった。

 更に南の方向にある沙沙貴神社を目指した。
 この神社は日本すべての「佐々木氏」の総本山である。佐々木氏は宇多天皇の後裔で、源頼朝の旗揚げに際して、大活躍をして、鎌倉幕府成立後、各地の守護職に補されて一大勢力を築きあげた人物である。

 老杉の生い茂る森の中に、茅葺きの楼門に吊ってあるちょうちんに4ケの四角の模様がつけてあった。佐々木氏の家紋は「四つ目結」として世に知られている。神紋も「七つ割四つ目結」で、石柱に、瓦に、本殿前の賽銭箱、はては車止まで神社の至るところに見かけられた。現代のデザインでも通じるシンプルでかつ斬新な紋様である。一目で惹きつけられる絵柄だ。

 沙沙貴神社には、雪が降り積もったかのような真っ白な花をさかせる「なんじゃもんじゃ」木があると聞いていた。 ここにやってきたのは、この奇妙な言葉に引かれて、来たのかもしれない。
「あの木は何の木じゃ」「あの木は何と言う物じゃ」と言う内にひっくるめて「なんじゃもんじゃ」になったのであろう。うまく命名したものだ。「ヒトツバタゴ」と言う正式名があるのだが…。

 しかし、5月末では、とき既に遅しで花の盛りが過ぎていた。高いところに僅か花が見られただけであった。やはり、5月の半ばまでのようだ。



 





Posted by nonio at 11:48Comments(0)山野草

2010年04月13日   エイザンスミレそれともヒゴスミレ

  昨年、スミレと言えば、濃紅紫で、葉はすらっとしたへら形と決め付けていましたが、希望ケ丘(滋賀県希望ケ丘文化公園)へ行く途中、この僅かな道中で数々のスミレに出会い感動を覚えました。
スミレの仲間探し

 このことをウォーキング仲間に話していたら、一株のスミレを譲り受けました。名前もわからないまま、育てたものです。この時まで出会ったスミレの葉っぱの形状は、すらっとしたへら形・ハート形・円形などでありましたが、もらった株はスミレとは思えない鋭い切り込みのある葉っぱでした。

 彼女は長年、野洲市の地元で暮らしてきたヒトで、「この辺りの野山で採取した」と言っていました。こんな葉っぱのスミレはこの辺りで見たことがありませんでした。

 夏場には、木陰など半日陰になるような場所に移動して、毎日水遣り、液肥やりなど結構手間がかかりました。冬には枯れてしまい駄目かと思いそのまま放置しておいものです。今年になり立派に花を咲かせることが出来ました。



  
 早速、山野草に詳しい友達に写真のメールを送ったところ、葉っぱの切れ具合から「エイザンスミレ」との返答がありました。和名の由来は「比叡山に生える菫」ということからつけられたらしい。

 この言葉を頼りに、図書館で調べました。山野草の図鑑を眺めている内に、葉がエイザンスミレよりもさらに極端に細裂する点と花色が白い点が気になり始めました。

 もう一度、葉っぱを観察すると5裂。どうやらスミレの名前は、「ヒゴスミレ」ではなかろうか?
 

 
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Posted by nonio at 11:51Comments(3)山野草

2009年09月28日   希望が丘のヒナノシャクジョウ希少野生動物種

 鏡山山麓の滝不動の岩場周辺で「ミミカキグサ」を探していたところ、30~40mm程度の白い花が咲いていたので、とりあえず、写真に撮ってみた。花名が分からないので、小生の花好きの友達に問い合わせたところ、分からないとの返事であった。少し経ってから、希望が丘HA氏からEメールがあった。「ヒナノシャクジョウという名前だそうです。翌々日HIさんが写真をとりにいかれたら、もうイノシシに荒らされてなくなっていたそうです」との連絡があった。はじめて、ヒナノシャクジョウとの名前が分かった。

 よく調べてみると、森林の自然が豊かでないと生えないため、環境の指標ともなっている貴重な植物であることが判った。森林の林床で夏場に咲くため、一般にはほとんど目にすることはない。鏡山山麓は、まだまだ人手に染まらない貴重な自然が残っている証しでもあった。

 葉緑素を持たない小型の腐生植物で、日陰に生え、葉は退化している。小型で姿が僧侶の持つ錫杖に似ているのでこの名がある。

壷状白い花が並んでいる姿は、なかなか愛らしい。

 ヒナノシャクジョウは、ふるさと滋賀の野生動植物の希少野生動物種に指定されている。

              ヒナノシャクジョウ(ふるさと滋賀の野生動植物)







Posted by nonio at 12:17Comments(2)山野草

2009年09月12日   希望が丘のサギソウ

 小生、希望が丘ハイキングのサポータ-をやっていますが、第2回四季のハイキング「希望が丘を歩く」9月19日(土)9:00~16:00計画の実施にあたり山道の整備に参加した。

 従来、青年の城から、鏡山へのルートは、野外活動センターを経由して山頂を目指していた。ほぼ3年前に、希望が丘文化公園の青年の城担当H氏により「鏡山新道」が切り開かれた。この新道が、少し遠回りになっているので、ひとつ手前にルートを造りたいとのことであった。この作業が比較的早めに終わったので、参加していたT氏の案内で「サギソウ」を見に行くことになった。T氏は、希望が丘周辺を熟知し、山野草を育て監視ている人です。 この鏡山の山麓は、小川が流れており、広くは無いが湿地帯があります。そう言ったところに山野草が咲いています。

 小生の庭には、8月上旬にサギソウは咲きましたが、ここ希望が丘では8月20~30日が盛りであるらしい。このサギソウは、業者などにより「ごっそり」もって行かれると嘆いていました。野生のサギソウに出会ったのは、初めてでした。
 自然に育っているので一部枯れかかっていたが、花の上側に2枚の花弁がしっかりと立っており、シラサギの羽(唇弁)に見立てられる細裂したギザギザ部分は不揃いで迫力があった。


参考 サギソウシラサギそれともサギソウ(庭のサギソウ)

                    雑草の中に咲くサギソウ
               一部枯れながら、迫力ある野生のサギソウ
                 山道の切り開き作業



Posted by nonio at 09:16Comments(2)山野草

2009年08月26日   憧れの木曽御嶽山コマクサ

 2009年8月23日、木曽御嶽山に自生地している高山植物の女王「コマクサ」を見てきました。平年より咲き始めが遅かったようですが、大平原(賽の河原)と三の池の周辺の山並みに咲いていました。

               二の池から三の池の間にある大平原、(賽の河原)


                  日本最高所の最も深い湖三の池


 私が「コマクサ」に出合ったのは、青年時代、北アルプスの針ノ木峠から黒部湖の平ノ渡場に行く途中、蓮華岳(2799m)でした。尾根を登り詰、直角に曲がった足元に咲いていましたが、当時、ほとんど山野草に関心を持っていなかった私は、ここが、コマクサで有名な群生地であることも知らずに通り過ぎていったことがありました。その後、コマクサに出会っていたかも知りませんが、意識したことは、ありませんでした。この結果、花弁・葉の形作っている形状もイメージ出来ませんでした。ただ、淡いピンクの色彩だけが、あたかも残像のように深く刻まれて、そして、なぜか、気品を感じ憧れの花となっていました。

 火山土壌の荒れ地で常に砂礫が動き、他の植物がどうしても入れないようなところに、静かに咲いていました。しかし、土壌が肥沃になれば、他の植物にとって代わられる悲しい定めを持っています。その上、昔、コマクサは、古くから腹痛の妙薬として知られていました。御岳では登山記念として、コマクサを「オコマグサ」という名で、一株一銭で登山者に売られて、刈り取られていたこともありました。

 ところで、咲くところは、風の通り道で、花弁も直ぐに痛み、まともな花弁が中々見つかりません。探し探して、一番美しい顔をした可憐なコマクサです。恥ずかしそうに下を向いています。

            一番美しいコマクサの花弁
                                             よく見詰めてみると、花びらは4枚で外側2枚は、えらそうに先が反り返り、見事な曲線美をしています。内側2枚は、やや小さく、くっついてすんなり突き出していました。見れば見るほど奇妙で複雑な構造をしています。長年かかって進化してきた結果、不思議で魅惑的な姿に変身して見詰め返してきます。

 花が終わり果実を着ける頃には、風も益々強くなります。花茎は折れて、砂礫地を転がり、種子が辺りにばら撒かれます。種から花が咲くまでに7~8年かかります。 写真の立派に育ったコマクサは、なんと20年程度…。

 
                    コマクサ20年程度


 名前の由来は、「”コマ”は子馬が転じて”駒”」となったようです。確かに、写真で、可憐なコマクサの左後ろのつぼみは、馬面に似ています。そして、この花を「高山植物の女王」と呼ばれるようになりました。

 北海道層雲峡の名付け親でもある大町桂月は、北海道各地を旅行してその魅力を紀行文で紹介します。

『大雪山物語』でコマクサについて触れています。
「凌雲岳を右にして行くに、御花畑連続す。御山竜胆は紫也。雲間草は白也。蝦夷小桜草は紅也。兎菊は黄也。梅鉢草、岩桔梗、四葉塩釜など一面に生ひて、足を入るるに忍びざる心地す。石原の処には駒草孤生す。清麗にして可憐なる哉。これが高山植物の女王なるべしと云へば……」
この紀行文から「高山植物の女王」が定着したようです。

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Posted by nonio at 11:55Comments(1)山野草

2009年08月03日   シラサギそれともサギソウ

鉢植えに咲いたサギソウ







Posted by nonio at 06:04Comments(1)山野草

2009年07月23日   稀少種キバナアツモリソウ

 前々から、ラン科植物の中でも唇弁が目立ち、妖えんなアツモリソウに出合いたいと思っていた。「野生ランの女王」と呼ばれている。
以外にも早く、7月20日、南アルプス鳳凰三山にてその時がやって来た。

 アツモリソウの仲間キバナアツモリソウである。
黄色に黒のスポットが入ったユーモラスな花を咲かせ、洋蘭のような顔立ちである。園芸的価値が高いアツモリソウには及ばないが、盗掘によって、絶滅の危機に瀕している稀少種である。

 アツモリソウの唇弁を平敦盛(あつもり)の背負った”母衣(ほろ)”に見立てて、「あつもりそう」と呼ばれた。この母衣は後方から流れ矢を防ぐ武具のことで、背中に球形に編んだ竹かごを布で覆った母衣を付けたことから名前が付けられた。

その内に、紅紫色のアツモリソウに出会うことを願っている。


                  南アルプス鳳凰小屋付近のキバナアツモリソウ


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Posted by nonio at 05:40Comments(2)山野草

2009年06月26日   カキツバタ 平池

 高島市今津町深清水の平池 には、約1万株のカキツバタが群生している。この湿地帯は箱館山の北に位置し、標高約550メートルの山中にある。咲き始めは平地より遅いが、「カキツバタの開花状況」については、リアルタイムで情報が発信されている。
  『6月19日(金)カキツバタの様子本日をもちまして今シーズンの「カキツバタ開花情報」の発信を終了』との情報を得て、6月20日(土)平池を訪れた。なぜなら、開花時期の案内が行き届き、超満員には”うんざり”。
 カキツバタが盛りを過ぎ、観光客など人もいなくなり、何時もと変わりないひっそりとした静けさを取り戻していることを期待しつつ、尚、残り花も当てにしながら出向いていった。何よりも、背丈が高いスギ林に囲まれた平池一帯には、木々から醸しでる芳醇な匂いがあり、深山に漂う特有の冷気がある。この雰囲気を味わうために…。
 
 家族旅行村「ビラデスト今津」の入口ゲートに近づくと、やたらと子ども連れの猿の群れが道路を横断していった。この辺り一帯が従前の自然に戻りつつあることを予感した。入場料および駐車料の代わりとして環境協力金として300円を支払って入場した。やはり予想通り、広い駐車場には、土曜日にも拘わらず数台しかなく、人の気配もなく閑散としていた。

 平池の成り立ちには、以前から興味があった。石田川・百瀬川が上流の河川を自分のものにしようとして、互いに争った。この争奪において、かつて石田川の源流だった河川を百瀬川にとられてしまった。その結果、上流を失くした石田川は、土砂を運べず埋積し現在の湿原台地を造ることとなった。このようにして南北に細長く、周囲が約500mの浅い水をたたえた平池が出来上がったといわれている。そして、カキツバタの花は、池の西側と浮島状になった中央部分などに咲き、昔から名所として知られてきた。

                 山の中に広がる平池(ひらいけ)


 写真は「ヘプリカム」ある。我が庭には、梅雨時期に咲くアジサイをはじめとして色んな花が競って咲いている。その中でひときわ目立ち、次から次へと咲き実を結ぶ。この花は人に可愛がられて、この美しさから栽培され子孫残す方法を手に入れたのであろう。土壌にはその植物に最も適合した肥料が施され、夕方になれば、人によって水が補給される。実が結ぶと大事に保管される…。

                 庭に咲く可憐なヘプリカム

 
 庭に咲く「ヘプリカム」然り、人間の手を借りて人為的につくられた植物は、人の趣味趣向によって運命が定められている。悲しい植物である。
 一方、大地に根を張って生きているカキツバタは、厳しい生育環境の下で、自然淘汰されながら自生し現在がある。カキツバタは、この植物の持ちうる生命力で生き延び、おかれた環境にある限りのある栄養素を取り込んで成長し、他の植物を寄せ付けず打ち勝ち水辺に膨大な時間をかかって群落を築いていったのだ。

 庭で見事に咲き誇った植物と比べて、自然淘汰された生き残った植物は、気品、生命力の点で格が違うと常々想い、敬虔な気持ちで接している。

 毎年梅雨に入る頃、青紫のカキツバタの花が一面に咲き、この青紫の帯が水面に反射し、二つの青紫の帯が織り成す幻想的な情景になるのだが、もう盛りは過ぎ、奥の方にしか咲いていなかった。ただ、この場所に立って見られたことに満足した。

                   カキツバタの湿原


 石田川の源流部のみ台地状の湿原で、その後は深い谷になっており、尻切れトンボのように不自然な地形である。これを確認するために、帰路は、ビラデスト今津から淡海池(処女湖)を抜けて石田川渓谷から石田川ダムを経由した。道路は落石も多く、はかなり傷んでいた。

 石田川ダムは、石田川沿いの洪水被害の軽減とかんがい用水の補給のために、石田川の上流に建設したダムであるが、今年は、雨が少ないのか、水がなかった。

                    水なしの石田川ダム



 





Posted by nonio at 18:16Comments(2)山野草

2009年05月29日   ヤマシャクヤク

 美人の形容に「立てば芍薬(シャクヤク),座れば牡丹,歩く姿は百合の花」というのがありますね。立てば芍薬の花は、花ビラが多数ある豪華なシャクヤクの花を見立てたものですが、ヤマシャクヤクは、この中国から渡来したシャクヤクに葉とつぼみが似ていることや、ヤマに自生していることから「ヤマシャクヤク」と呼ばれるようになったと言われています。

   現在、我が家の庭には、シャクヤクが咲いています。赤味かかったピンク色は最盛期を過ぎていますが、白色は、今が盛りです。
写真をクリックすると拡大
   我が家シャクヤク1           我が家シャクヤク2
 

 ヤマシャクヤクは、派手なシャクヤクと比べ、一重の花弁しかないとても清楚な花です。開いてしまうとすぐ散ってしまいます。したがって、見られるタイミングが中々少ないのです。5月9日、花は少し傷んでいたが、見られたのは幸いでした。

                  白色のヤマシャクヤク


 

 白色のヤマシャクヤクと紅色のベニバナヤマシャクヤクがありますが、峰床山の伊賀谷の沢で見つけました。奈良県の観音峰にはベニバナヤマシャクヤクが自生していますので、機会があれば探しに行きたいと考えています。 



Posted by nonio at 11:51Comments(1)山野草

2009年05月17日   赤坂山のオオバキスミレ

日付 2009年5月14日(木)
 希望が丘への散策で、3種類のスミレを見つけました。
スミレの仲間
このことがきっかけでスミレを探すようになりました。その後、安蔵山の林道、御池岳、鏡山などで新しい種類を見つけていますが、スミレと言えば「紫色」が主な色合いとのイメージを持っていました。
 山仲間との話の中で、「黄色のスミレ」を見たことがあると聞きました。それも、赤坂山にあることを知りました。スミレが開花するのは、4月中旬~5月中頃までですので、早速、行くことにしました。 

 赤坂山は、滋賀県の北西部、高島郡の最北端にある標高823mのさほど高くない山です。滋賀県と福井県の県境に位置し、日本海側と太平洋側気候がぶつかり、双方の気候に影響を受けて多彩な植物が自生する山地として知られています。
 
                      明王ノ禿
 「花の百名山」の登山ガイドによれば、オオバキスミレは、赤坂山頂上から少し斜面を下り鞍部辺りの砂礫地に群生していると書かれていたのですが、既に最盛期を過ぎているようで見当たりませんでした。更に進み明王ノ禿(みょうおうのはげ)の花崗岩が崩落した辺りにやってきました。ここで見事なオオバキスミレが咲いてを見つけました。それまで粟柄越えから赤坂山辺りの歩道脇にも咲いていましたが、小ぶりでした。

 オオバキスミレは、艶やかな黄色で茎に横向きに花を付け、大きな葉っぱの上に花弁が「チョコン」と乗っているように見えました。大きな葉は先端が尖った卵型で、基部はハート型に引っ込んでいました。そして縁に波状のギザギザがありました。既に花も散り実も付けていました。

                        オオバキスミレ
  

  

 その他の3種類のスミレも咲いていました。
シハイスミレの名前の由来は、紫背スミレと書いて、裏の葉の色が赤紫色です。希望が丘のサポートをしていますが、先日、鏡山でシハイスミレの葉の裏について教えてもらったところです。花の色は濃い紅紫色のものから淡赤紫色のものまでありますが、 ここでは、淡赤紫色でした。葉は細長い三角形〜ハート型で、先端を上に向けてぴんと立ち上がるのが特徴です。 後、2ツは、識別ポイントが分からず調査中です。 
写真をクリックすると拡大 

   シハイスミレ         タチツボスミレ?         ツボスミレ?                                                      

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Posted by nonio at 00:10Comments(3)山野草