2009年08月27日 安土ウォーキング(桑實寺・観音正寺)
日付 2009年8月上旬
場所 安土ウォーキング(桑實寺・観音正寺)
コースタイム 野洲駅 9:00 安土駅 9:10 桑實寺 10:30
観音正寺 11:10 日吉神社 11:35~12:00
教林坊 12:25 沙沙貴神社 13:30 安土駅14:00
地図安土ウォーキング(桑實寺・観音正寺)
安土駅の「JR滋賀を歩こう」には、「近江源氏ゆかりの地 日本最大規模の山城へ登る」と「天下統一の夢の跡 織田信長が築いた安土城の城下町」の二つのコースがあるが、今回は前者の近江源氏が国内最大級の山城を築いた繖山周辺を散策した。
9時、安土駅に降り立った。駅舎は木造、しかもかわらぶきで趣があり、跨線橋(こせんきょう)は、木造で昔懐かしい構造である。この駅は、1912年(明治45年)に完成した約100年もの年季の入った現役の駅舎である。近江八幡市では、「安土駅は観光の玄関口でもあり、新しいまちの顔にもなることから改善したい意向」とのこと。たしか、近くの篠原駅も古い。
安土駅から地下道を通って反対側

案内図に従って、まず目指したのが繖山(きぬがさやま)山麓にある西国薬師第46番霊場・桑實寺。繖山は山容が絹でおおったようにゆったりと見えることから、「繖山」と名がつけられたようだ。なだらか山容をなめながら田園風景の中、ゆったりとした気分で桑実寺集落についた。行き止まりのようなところから、急な坂道を進むと、いかにも由緒がありそうな門構えの桑實寺(くわのみてら)の参道入口に着いた。
なだらかな繖山(きぬがさやま)
この門を通過するとチャイムが鳴り、上の納経所に人が来たこと知らせる仕掛けがあるようだ。年期の入った石段が上まで続いていた。お坊さんが、ひとつひとつの石段を丁寧に掃除されていたので、少し会釈をして登っていった。はじめ石段数を勘定していたが、途中、石橋があるところから、結構キツイ階段となり、数えるのを止めてしまった。両側に坊跡の残る石段を上り切ると、優雅なつくりの寺が現れた。納経所で拝観料300円支払い、きつい登りの一服を兼ねて、住職のおかみさんと世間話をした。
この階段どの位あるのと尋ねると「500段ほど」
このお寺はどうして作られたのと尋ねると
「今から1300年程前、その始まりは、あべ姫が湖国で流行していた疫病にかかった。天皇は中国への留学経験のある和尚に法会を営ました。すると、湖から薬師如来が現れ、その光明に当たった人々・姫の病も直ったと言う。この薬師如来を本尊として祀った。そして、桑實寺と呼ぶようになったなり染めは、和尚が桑の実を唐より持ち帰り、この地で最初に養蚕を広めた事による」といきさつを教えてもらった。ところで、この辺りには、蚕のための桑の木が多くあったのであろうか…?
更に続けて、「本堂が国指定の重要文化財なのです。これを守るのは、中々大変なことです」と語っておられました。門前でお坊さんにお逢いしたことを話すと「息子なのです。サラリーマンでしたが、父親の跡を継ぐ修行中なのです…」
おかみさんから、「そこの梅の木から採り漬けた梅干だ」と言って手渡されたので、ほおばってみると昔食べた塩気が良く効いた懐かしい味であった。
その後、本堂を参拝して再び、おかみさんのところに行って、ご本尊が見当たらないことを告げると、OUMI HISTORY Graphicsを手渡された。この資料によれば、12年に一度、ご本尊が御開帳され、たまたま来年度がこの年に当たり3月1日~6月30日、9月1日~11月30日」となっていた。
この資料によれば、749年には、水田100町与えられ、米・麦など3000石となり奈良の薬師寺へ300石納めていた。一山寺には、十分な量であった。往時は、2院16坊の僧坊があり、山中に砦を持っていたらしい。今では、歴史の中でかっての賑わいを失ってしまっているが、辺りから息吹きが感じられる寺であった。
桑實寺の参道入口 桑實寺

桑實寺から、山道を通って観音寺城跡・観音正寺に向かった。
薄暗い山道を辿っていくと、石垣の城跡らしい一角に来た。表示板があった。この表示板には「観音寺城は、近江守護六角氏の居城として築かれた日本を代表する山城である…など」
観音寺城を散策して観音正寺にやって来た。ここには、桑實寺と比べて、大勢の参拝客が見受けられたが、私には余り興味がなかった。 観音正寺の表参道降り口で11時を少し回っていたので、石段を下り日吉神社で昼食。更に教林坊に寄ってみたが、平日のため締まっていた。石寺楽市から安土役場を経由して沙沙貴神社に向かった。
安土役場の正面には、滋賀県の近江八幡市との合併反対運動に端を発した安土町長リコール(解職請求)住民投票が8月23日の垂れ幕を見遣りながら、安土駅の近くにある鬱蒼と茂った大きい鎮守の森に向かった。
この沙沙貴神社は、近江源氏佐々木の氏神として崇拝されてきた由緒あるところでした。宇多天皇の流れの汲む宇多源氏の子孫が、近江国の佐々木荘に住みつき佐々木を名乗り、鎌倉幕府で、近江の守護に選ばれた。佐々木氏とそこから分派した一族は要職につき、長く近江を支配した。佐々木氏の子孫は、全国で300万人にのぼるとされている。 毎年10月2日日曜日に行われる近江源氏祭には全国から訪れる。
ゆかりのある人とは、「佐々木」という苗字だけでない。 「六角」「京極」「三井」「乃木」「黒田」「竹腰」「谷」など二百二十余の姓が佐々木源氏の末裔だそうだ。この意味では、おおらか神社である。ちなみに、佐々木と言う苗字ランキング では、約716,000で14位 。
茅葺きの豪壮な楼門をくぐると正面に拝殿、権殿、本殿が建ち並び、由緒ある神社らしいたたずまいを見せていた。特に楼門は、かやぶきで独特の雰囲気を持っていた。
沙沙貴神社の楼門
場所 安土ウォーキング(桑實寺・観音正寺)
コースタイム 野洲駅 9:00 安土駅 9:10 桑實寺 10:30
観音正寺 11:10 日吉神社 11:35~12:00
教林坊 12:25 沙沙貴神社 13:30 安土駅14:00
地図安土ウォーキング(桑實寺・観音正寺)
安土駅の「JR滋賀を歩こう」には、「近江源氏ゆかりの地 日本最大規模の山城へ登る」と「天下統一の夢の跡 織田信長が築いた安土城の城下町」の二つのコースがあるが、今回は前者の近江源氏が国内最大級の山城を築いた繖山周辺を散策した。
9時、安土駅に降り立った。駅舎は木造、しかもかわらぶきで趣があり、跨線橋(こせんきょう)は、木造で昔懐かしい構造である。この駅は、1912年(明治45年)に完成した約100年もの年季の入った現役の駅舎である。近江八幡市では、「安土駅は観光の玄関口でもあり、新しいまちの顔にもなることから改善したい意向」とのこと。たしか、近くの篠原駅も古い。
安土駅から地下道を通って反対側

案内図に従って、まず目指したのが繖山(きぬがさやま)山麓にある西国薬師第46番霊場・桑實寺。繖山は山容が絹でおおったようにゆったりと見えることから、「繖山」と名がつけられたようだ。なだらか山容をなめながら田園風景の中、ゆったりとした気分で桑実寺集落についた。行き止まりのようなところから、急な坂道を進むと、いかにも由緒がありそうな門構えの桑實寺(くわのみてら)の参道入口に着いた。
なだらかな繖山(きぬがさやま)

この門を通過するとチャイムが鳴り、上の納経所に人が来たこと知らせる仕掛けがあるようだ。年期の入った石段が上まで続いていた。お坊さんが、ひとつひとつの石段を丁寧に掃除されていたので、少し会釈をして登っていった。はじめ石段数を勘定していたが、途中、石橋があるところから、結構キツイ階段となり、数えるのを止めてしまった。両側に坊跡の残る石段を上り切ると、優雅なつくりの寺が現れた。納経所で拝観料300円支払い、きつい登りの一服を兼ねて、住職のおかみさんと世間話をした。
この階段どの位あるのと尋ねると「500段ほど」
このお寺はどうして作られたのと尋ねると
「今から1300年程前、その始まりは、あべ姫が湖国で流行していた疫病にかかった。天皇は中国への留学経験のある和尚に法会を営ました。すると、湖から薬師如来が現れ、その光明に当たった人々・姫の病も直ったと言う。この薬師如来を本尊として祀った。そして、桑實寺と呼ぶようになったなり染めは、和尚が桑の実を唐より持ち帰り、この地で最初に養蚕を広めた事による」といきさつを教えてもらった。ところで、この辺りには、蚕のための桑の木が多くあったのであろうか…?
更に続けて、「本堂が国指定の重要文化財なのです。これを守るのは、中々大変なことです」と語っておられました。門前でお坊さんにお逢いしたことを話すと「息子なのです。サラリーマンでしたが、父親の跡を継ぐ修行中なのです…」
おかみさんから、「そこの梅の木から採り漬けた梅干だ」と言って手渡されたので、ほおばってみると昔食べた塩気が良く効いた懐かしい味であった。
その後、本堂を参拝して再び、おかみさんのところに行って、ご本尊が見当たらないことを告げると、OUMI HISTORY Graphicsを手渡された。この資料によれば、12年に一度、ご本尊が御開帳され、たまたま来年度がこの年に当たり3月1日~6月30日、9月1日~11月30日」となっていた。
この資料によれば、749年には、水田100町与えられ、米・麦など3000石となり奈良の薬師寺へ300石納めていた。一山寺には、十分な量であった。往時は、2院16坊の僧坊があり、山中に砦を持っていたらしい。今では、歴史の中でかっての賑わいを失ってしまっているが、辺りから息吹きが感じられる寺であった。
桑實寺の参道入口 桑實寺


桑實寺から、山道を通って観音寺城跡・観音正寺に向かった。
薄暗い山道を辿っていくと、石垣の城跡らしい一角に来た。表示板があった。この表示板には「観音寺城は、近江守護六角氏の居城として築かれた日本を代表する山城である…など」
観音寺城を散策して観音正寺にやって来た。ここには、桑實寺と比べて、大勢の参拝客が見受けられたが、私には余り興味がなかった。 観音正寺の表参道降り口で11時を少し回っていたので、石段を下り日吉神社で昼食。更に教林坊に寄ってみたが、平日のため締まっていた。石寺楽市から安土役場を経由して沙沙貴神社に向かった。
安土役場の正面には、滋賀県の近江八幡市との合併反対運動に端を発した安土町長リコール(解職請求)住民投票が8月23日の垂れ幕を見遣りながら、安土駅の近くにある鬱蒼と茂った大きい鎮守の森に向かった。
この沙沙貴神社は、近江源氏佐々木の氏神として崇拝されてきた由緒あるところでした。宇多天皇の流れの汲む宇多源氏の子孫が、近江国の佐々木荘に住みつき佐々木を名乗り、鎌倉幕府で、近江の守護に選ばれた。佐々木氏とそこから分派した一族は要職につき、長く近江を支配した。佐々木氏の子孫は、全国で300万人にのぼるとされている。 毎年10月2日日曜日に行われる近江源氏祭には全国から訪れる。
ゆかりのある人とは、「佐々木」という苗字だけでない。 「六角」「京極」「三井」「乃木」「黒田」「竹腰」「谷」など二百二十余の姓が佐々木源氏の末裔だそうだ。この意味では、おおらか神社である。ちなみに、佐々木と言う苗字ランキング では、約716,000で14位 。
茅葺きの豪壮な楼門をくぐると正面に拝殿、権殿、本殿が建ち並び、由緒ある神社らしいたたずまいを見せていた。特に楼門は、かやぶきで独特の雰囲気を持っていた。
沙沙貴神社の楼門

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Posted by
nonio
at
16:57
│Comments(
1
) │
滋賀を歩く
この記事へのコメント
こんにちは!
拝見してて桑実寺や沙沙貴神社へは一度訪ねたいと思いました。
養蚕の発祥の地なんでしょうか?
それから陸橋の事を「コ線橋」って呼んだんですか?・・
nonioさんは、やはり物知りですので、勉強させて頂いてます~!!
拝見してて桑実寺や沙沙貴神社へは一度訪ねたいと思いました。
養蚕の発祥の地なんでしょうか?
それから陸橋の事を「コ線橋」って呼んだんですか?・・
nonioさんは、やはり物知りですので、勉強させて頂いてます~!!
Posted by パル
at 2009年08月31日 14:52

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