2018年05月09日 ほっておけない顔/富川摩崖仏
「近江の美」(朝日新聞大津支局編集)の写真をパラパラめくっていると、高貴とは言い難い阿弥陀如来の顔が目に留まった。
でかい鼻・左右が不釣り合いの目・おちょぼ口と大ぶりな眼鼻立ちである。でも、なぜか引き寄せられる顔様だ。 そもそも、磨崖仏は渡来人が持ち込んだもの、彼等の思い入れも潜んでいるのであろうか・・・・・・。
早速、どんな姿の磨崖仏なのか、確認するため出掛けた。鹿跳橋(ししとび)から信楽川に沿って2kmほど進み、「岩屋耳不動尊」の道標のあるところに、自動車を一時駐車。「勢多川漁協」の建物のある橋を渡り、対岸の階段道を登っていった。すると、一人の先客がおられた。
奈良から電車・バスを乗り継いで、この阿弥陀如来に出合うために来た、と話しかけてきた。話の内容から、ここに、奈良興福寺の学僧らが修行していた聖地があったようで、この磨崖仏が本尊だったことを説明・・・・。
ところで、私は、ただ、ニヤリとさせられる顔立ちの阿弥陀如来像を目の当たりにしたかっただけであった。
信楽川沿いの山腹に巨大な大岩壁(30mHx20mW)が垂直にそびえたち、中央に阿弥陀如来の本尊。向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が配置されていた。阿弥陀如来像の周りは、像と周りの境をしっかりと仕切るため、結構深く彫りこまれていた。この像は線の切りこみで図柄を描いているように予想していたが、そんなものでなかった。貨幣などに多くみられるように模様や形を薄く板面に浮き上がらせる手の込んだものであった。
さて、本尊だけ世俗的な顔つきで描かれている。だが、両菩薩は、高貴な顔立ちである。このギャップがいささか気になり、ますます謎になった。そしてこの尊顔が忘れられない石仏となった。




地元のひとが、「耳だれ阿弥陀」と呼ばずに、「耳だれ不動」の愛称で呼ばれていることに、少し割り切れなかった。
忿怒の形相をした不動と言った方が、障害を打ち砕くようで、御利益があるように思えたので、そう呼んでいたのではないかと思っていた。
だが、本尊に向かって左側に、「阿弥陀三尊像」以外に、かなり風化し傷んでいる「不動明王立像」を見つけ、何と無く納得した。
写真の説明:板彫風の薄肉彫の阿弥陀如来・線刻の不動明王立像・表示板



でかい鼻・左右が不釣り合いの目・おちょぼ口と大ぶりな眼鼻立ちである。でも、なぜか引き寄せられる顔様だ。 そもそも、磨崖仏は渡来人が持ち込んだもの、彼等の思い入れも潜んでいるのであろうか・・・・・・。
早速、どんな姿の磨崖仏なのか、確認するため出掛けた。鹿跳橋(ししとび)から信楽川に沿って2kmほど進み、「岩屋耳不動尊」の道標のあるところに、自動車を一時駐車。「勢多川漁協」の建物のある橋を渡り、対岸の階段道を登っていった。すると、一人の先客がおられた。
奈良から電車・バスを乗り継いで、この阿弥陀如来に出合うために来た、と話しかけてきた。話の内容から、ここに、奈良興福寺の学僧らが修行していた聖地があったようで、この磨崖仏が本尊だったことを説明・・・・。
ところで、私は、ただ、ニヤリとさせられる顔立ちの阿弥陀如来像を目の当たりにしたかっただけであった。
信楽川沿いの山腹に巨大な大岩壁(30mHx20mW)が垂直にそびえたち、中央に阿弥陀如来の本尊。向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が配置されていた。阿弥陀如来像の周りは、像と周りの境をしっかりと仕切るため、結構深く彫りこまれていた。この像は線の切りこみで図柄を描いているように予想していたが、そんなものでなかった。貨幣などに多くみられるように模様や形を薄く板面に浮き上がらせる手の込んだものであった。
さて、本尊だけ世俗的な顔つきで描かれている。だが、両菩薩は、高貴な顔立ちである。このギャップがいささか気になり、ますます謎になった。そしてこの尊顔が忘れられない石仏となった。
阿弥陀如来

勢至菩薩 観音菩薩



地元のひとが、「耳だれ阿弥陀」と呼ばずに、「耳だれ不動」の愛称で呼ばれていることに、少し割り切れなかった。
忿怒の形相をした不動と言った方が、障害を打ち砕くようで、御利益があるように思えたので、そう呼んでいたのではないかと思っていた。
だが、本尊に向かって左側に、「阿弥陀三尊像」以外に、かなり風化し傷んでいる「不動明王立像」を見つけ、何と無く納得した。
写真の説明:板彫風の薄肉彫の阿弥陀如来・線刻の不動明王立像・表示板



Posted by
nonio
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09:08
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磨崖仏など石仏
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