2020年01月23日   三上山頂上から光芒を望む

   自然の営みは、時折、雲のすき間から、光の帯が放射状に降り注ぎ、神々が降臨するかのような幻想的な世界を演出してくれる。
 世界中の誰もが、美しいと認めているこの自然の贈り物に、「光芒」とか「天使の梯子」と美称したり、レンブラント光線とも呼んでいる。
この一名は「光と影の魔術師」という異名を持つ画家レンブラント・ファン・レインの名前に因んでつけられたものである。彼の画風は宗教的な荘厳さ・神秘性を印象づけるため、何条もの光帯を好んで描いていた。まさに、「レンブラント光線」との呼び名は、うってつけである。

 とは言え、日頃天空に興を魅かれている人にとって、この現象は、さぼど珍しいものでもない。
太陽の角度が低くなる早朝や夕方に、雲が太陽光線をさえぎるくらいの厚みがあって、かつ切れ目があれば、出現してくるものである。
 さて、私の出会ったレンブラント光線だが、とにかくスケールが小さく迫力が今一つ。どうしても、レンブラントが描いた壮大な「レンブラント光線」に程遠いものであった。
日の入り前の三上山山頂からの眺めは、いかがなものになるのかと、思い立ち、日参してみた。

 その日が突然訪れた・・・・。

 その日は、天気予報では、曇り時々晴れで、積層雲が空をおおっていた。「積」はかたまり状雲、「層」は広く空を覆う雲を意味している空模様になり、「レンブラント光線」が現れると期待が持てた。 
 移動速度が結構速かったことから、低い雲と推測された。地表の影響も受けやすく、厚く大きな黒っぽい塊の雲がくっついたり、離れたりして雲の形をドンドン変えていった。白い雲の切れ間から青空も見え隠れしていた。
 
 頂上にある磐座近くの展望台から見下ろせるところで、窺っていると、膝辺りに一条の光を感じ、スポットライトを浴びたように辺りが急に明るくなった。その瞬間、巨大なレンブラント光線が三上山に向かって対峙するかのように眼前に現れた。目に見えない浮遊していた水滴に乱反射した光の筋は放射状になっていた。

 あわてて、カメラの絞りをF9に設定。光景の明暗差に迷ったが、薄明光線を強調するため露出をちょっとアンダー目にセットした。瞬く間に、元の世界に戻っていく中で、シャッターを夢中で切った。
この出来事、2~3分だった。

 身近にこれほど美しい自然の贈り物があるとは、驚きであった。











Posted by nonio at 06:21Comments(0)滋賀県の山三上山

2019年08月11日   樹の節のオブジェ/三上山

 
 嫁の兄貴が言うには、「俺のところにくるなら、せっせと歩け」、と「健康診断は今までの結果に過ぎない」。
だから、自分の健康管理は三上山に登れることを一つのバロメーターにしている。

 ここには、老若男女を問わず大勢の常連者が来られている。御上神社から頂上に登り、反対側の希望が丘に向かって下山する。そして再度登り返すのが正規ルートである。単に頂上に達して下山する人を「ハーフ」と呼んでいる。
 私はハーフの勘定だが、昨年、3日に1回だった。8月現在まで、3.5日とピッチがおちてきている。太平洋高気圧にチベット高気圧が重なり、この猛暑にほとほと・・・・。

 さて、私は頂上までいかず少し手前を到着点と定めている。林間を通り抜けてくる涼風が吹き抜けてくるので、休息場と決めている。ここには、座り心地のいい出来合いの石座もある。 

 7月末、市街では、クマゼミがけたたましく鳴いているが、ひんやりとした森林に覆われたここでは、秋を呼ぶ「ひぐらし」が鳴き始めた。
何処かの高木の一匹が鳴き始めると、それに合わせるかのように何匹も鳴き始め、大合唱となる。やがて、指揮者がいるかのようにぴたりと鳴き止む。ひとしきり静寂がやってくる・・・・・・。
やがてどこからともなく鳴きはじめる。
甲高く、「カナカナカナ…」の鳴き声は、物悲しい響きである。

 ここは、私の魅せられた居場所である。

 不思議な形をした「樹の節」がある。
その時の気分や体調であったり、天候によっても様々の姿に変貌している。
荒れ狂った動物・三上山の守護神・意地悪な精霊にみえたり、思わず自分の忿怒の形相にも重ね合わせたりもした。
自然が織りなすこの造形物には、独特な力が存在し、不思議な世界に導いてくれるものだ。

 今まで見過ごしていただろう、これらの造形物に興味をもったのは、2017年、鯖街道沿いの葛川細川過疎集落で行われた「遺された村の美術館」の案内状の背表紙に写された一枚の写真であった。これを機に、樹の枝が幹から分岐する「節」に心を留めるようになった。

 尚、遠路はるばる東京から辺鄙なこの会場に訪れてきた人に出合った。近くの知人の山小屋に招き、バーベキューで、ひと時の楽しい時間をもった。













Posted by nonio at 16:59Comments(2)滋賀県の山三上山

2018年08月10日   アジサイにホバリングする熊蜂



 三上山の山麓に、手入れもされず半野生化したガクアジサイが植えつけられていた処を見出し、熊蜂などが飛びまわり、カナブンが花粉にまみれていた。こんな身近なところに、とてつも長い時の連なりをした自然に触れることができ、一週間ほど、熊蜂を追い続けた。

 望遠カメラ越しに熊蜂を覗き込んでみると、
つぶらな瞳まんまるな胴体に黄色い胸が何ともおしゃれだ。ずんぐりした体型に似合わず、花から花へとせわしなく飛びまわっていた。
真黒な個体でブーンと羽音をたて威嚇をしてきたが、襲うことはしなかった。

 初日、一匹の熊蜂が蜜を求めて、自らのテリトリーの花から花へと飛びまわっていた。一頻りこの作業が終わると、急に空高く舞い上がっていった。蜜を巣に持ち運んでいたのであろう。半時間ほど、あたりを伺っていると、いつの間にか舞い戻っていた。
次の日は仲間を連れてきたのか二匹になった。でも何だか仲が悪そうだった。
その後は、また一匹となった。なんとなく、私の存在を認めたようになった。彼を追っかけて何枚もの写真を撮った。




  鬱陶しい長雨の季節になり、我が家の庭にアジサイが咲きだした。
紫陽花の花を求めて、余呉駅から北に3㎞紫陽花と達磨寺として知られている全長寺へ向かった。更に余呉湖畔の「あじさい園」まで足をのばした。

 全長寺には色とりどりのアジサイが植えつけられていたが、最盛期には早すぎだった。余呉湖畔では京都新聞の者だと名乗り、「写真を撮っている姿を撮ってもいいか」と話しかけてきた。意外にも人で賑わい、記事取材まで行われていた。
 その後も、あじさい園・あじさい寺などに赴いたが、人ひとだった。その殆どの花は、極彩色に彩られゴージャスな大輪の丸形であった。

 ところが、私にとってのアジサイ花のイメージとは、随分かけ離れていた。

  かつて、三重県~滋賀県の山へ出かけて、山深い谷筋から流れ出る清流沿いの斜面に楚々と咲くアジサイと出合った。その形は、四角であった。中央に雄しべと雌しべの小さい花が密集しており、この花を引き立てるように飾り花が周辺部を縁取っていた。この形、額縁に似ているのでガクアジサイと呼ばれている。

 昆虫と花の共生関係は、人類が地球上に存在すらしていない中生代の後期、白亜紀 まで遡る。年数にしてなんと1億年とも言われている。
受粉の手助けをしてもらうため、気の遠くなる歳月をかけて四角の形に進化してきたのであろう。 
ところで、日頃街並みで目にする丸いアジサイは 江戸時代後期、より美しいものを求めて、野生植物の栽培化と品種改良が行われきた。昆虫を誘引する役目をしていた飾り花を球状に肥大化させたものである。今や、丸形が主流なり、手毬アジサイと呼ばれて、大勢の人に愛でられている。
 「昆虫と花」の共生から花が多彩に進化してきたが、 「人と花」の関係が生まれて、その形を四角から丸に激変させたのだ。それも、短期間に・・・・・。

 その結果、人好みに作られた丸形アジサイには人が集まってくる。だが、昆虫が全く寄り付かない妙な世界が出現している。

 三上山の山麓に、手入れもされず半野生化したガクアジサイが植えつけられていた処を見出し、熊蜂などが飛びまわり、カナブンが花粉にまみれていた。こんな身近なところに、とてつも長い時の連なりをした自然に触れることができ、一週間ほど、熊蜂を追い続けた。

 望遠カメラ越しに熊蜂を覗き込んでみると、
つぶらな瞳まんまるな胴体に黄色い胸が何ともおしゃれだ。ずんぐりした体型に似合わず、花から花へとせわしなく飛びまわっていた。
真黒な個体でブーンと羽音をたて威嚇をしてきたが、襲うことはしなかった。

 初日、一匹の熊蜂が蜜を求めて、自らのテリトリーの花から花へと飛びまわっていた。一頻りこの作業が終わると、急に空高く舞い上がっていった。蜜を巣に持ち運んでいたのであろう。半時間ほど、あたりを伺っていると、いつの間にか舞い戻っていた。
次の日は仲間を連れてきたのか二匹になった。でも何だか仲が悪そうだった。
その後は、また一匹となった。なんとなく、私の存在を認めたようになった。彼を追っかけて何枚もの写真を撮った。

 私が最も気に入った日陰のアジサイを選び、カメラのISO感度4000まで上げて、熊蜂を待った。
やっと撮ったが、シャッタースピードが1/250秒では羽根の写りが悪かった。
翌日、羽根が見えるように1/640秒にセットして、連写を試してみた。これが悪かった。連写音を警戒しだし、すぐさま、空高く舞い上がってしまった。
 それ以降私を完全に毛嫌いされてしまったようだ。私の存在を知るや空高く舞い上がっていくことが多くなった。それでも、密を見つけ夢中にむさぼっている時には、連写を許してくれた。

 何日も通っていると、周縁の飾り花がだらりと下がってきた。熊蜂も素通りしていくようになった。
この花には密がなくなったことを知っているようだ。 ありのままの自然界に自生している紫陽花に心癒された。

 手毬アジサイが結実しない無性花。雄しべや雌しべは退化し、人間の手によって挿し木や株分けで増やされている。
だから、勝手に一人歩きできないようだ。太古の昔から綿々と繋がってきた生態系を乱さないことを祈る。

ガクアジサイ(シャッタースピード1/640秒)

ガクアジサイ(シャッタースピード1/250秒)


ガクアジサイに集まる昆虫達


装飾花の球状に咲く艶やかな手毬アジサイ達


 







 




Posted by nonio at 07:32Comments(0)希望が丘三上山

2017年06月14日   ウラジロの美しい紋様/三上山

  
 春先に、三上山のウラジロの新芽が伸びてきました。
親になる前の美しい紋様をとらまえました。

写真設定は、被写界深度が深く、ケルビン温度を低めに。

幻想的な若葉のシダ群落/三上山

K友人から
「自然の美しさは、何とも言えませんネ。
しかも、それが貴重なものではなく、みんなにちょっと煙たがられている植物でも。
すばらしい!」

E友人から
「自然界の規則性に触れて、その不思議さに感銘」

写真クラブのメンバーから
「風景写真を撮ってきた。が、この写真は新しい構図だ。ぜひ、写真展へ」







Posted by nonio at 17:47Comments(0)滋賀県の山三上山

2016年02月03日   岩を抱え込んだ樹/三上山

  
岩を抱え込み、何年になるのだろうか
大地まで根を張ろうと
動けぬ僕は、ここで生き抜いてきた


太い強靱な根をした檜


     太い強靱な根の全体像           辺りの倒木


  三上山は四季を問わず、何時も青々とした山容をしているのは、常緑樹の檜が育っているからだ。この山中で、巨木でなく、過酷な条件下で育っている檜を探し求めた。その姿は岩をしっかりと抱き込み、太い強靱な樹根を大地にねじ込んでいた。

 生きとし生けるものの中で、樹は、動物のように、自由に移動できない。一旦、根を下ろしたところで、何があっても一生を全うする。与えられ環境に逆らうことなく、その中で、最善を尽くす。これが植物の生きる姿。

 光を求めて天を突こうとする巨幹をささえるために、樹根は力の限り四方へ広げているのであろうが、この急峻な地形では、少しの根の力のバランスを欠くと、倒木となっていた。

 この厳しい環境下で、落ち着きが備わったこの檜に近づくと、人と同じ生物として何かを伝えているようだ。



タグ :三上山樹根


Posted by nonio at 17:05Comments(0)三上山樹木

2015年09月01日   三上山の秘中の花「ミヤマウズラ」

  
 三上山には色んな人がやってくる。・・・・近江富士と呼ばれる美しい姿の山に一度登ってみたい人、毎日朝早くから身体を鍛える人、また、休日に、森林浴のため、子供ずれの家族ずれ。そんな中、三上山の秘中の花、ミヤマウズラの開花を心待ちにしている一握りの人達がいる。私もその仲間だ。 

 このミヤマウズラの葉は濃緑色の地に白い網目の斑が入り、ウズラの羽の模様に似ているので、深山の鶉と呼ばれている。この模様の入り方が個体により様々あるので、マニアの収集対象になっている。美しいものは「錦蘭」と呼ばれ珍重されているようだ。

 私は、網目模様には関心がないが、小花を一目見た時から愛でている。
 鳥が翼を広げたような形をした淡い桃色の小花はいくら眺めていても飽きない。世の中で可憐さを表すものを探すと、北極海の寒流域に棲息する「クリオネ」を思いだす。この海の妖精に対してミヤマウズラは森の妖精だ。
 
三上山に咲く森の妖精「ミヤマウズラ」



 昨年、三上山にミヤマウズラの存在を仲間を通じて知り、ずうっと育っていく様子を見守っていた。今回、風通しの良い別の林床に、ひっそりと咲く姿を見出し、軽い驚きと嬉しさを感じた。

 殆どの人達にとっては、この山に登れたと言うことに満ち足りるだろう。が、ミヤマウズラを見守っている一握りの人達は、余り知られたくない秘めた別世界に踏み込んでいく快感があった。

 同じ風景を通過して行っても、全く違った世界が存在していることが、何とも不思議に思えた。




2015年08月19日   富士の名がつく滋賀県の山

 
  希望が丘の職員の方々は、自然に親しみを持ち、豊かな感性を身につけた人が多いように見受けられる。名前が存じ上げないのでX氏としておく。

突然、「滋賀県で別名富士とつく山が7つあるが、知っているか」と尋ねられた。
彼は、日本各地にある「富士」と呼称される数多くの山に訪れていた。おらが富士と自慢していた麓の集落は、代々続いてきた裕福な家並みが並んでいた、と一言付け加えていた。

 私は、今まで滋賀県で登った美しいと思った山をあてずっぽうに、並べていくと、ほぼ当たっていた。
 
 X氏が挙げた山名は、次のとおりである。
近江富士/三上山(432.0m)
  三上山の 山容が美しい姿をしている富士山に似ていることから、別名「近江富士」とも言われている。その姿は美しいと言う言葉がピッタリ。私は、御上神社の森越しに見える姿が最も、美しいと思っている。
三上山の「姥の懐」のご案内
御上神社の森越しの三上山を望む
 

都の富士/比叡山(848.3m)
 比叡山は、滋賀県大津市と京都府京都市北東部にまたがる山である。この山を「都の富士」と呼ばれている。京都の庭園の風景に比叡山を取り込んだ“借景”が、余りにも美しいので、こう呼ばれたのであろうか。烏丸半島から眺めた姿は、左右対称の流れるような裾野を持った三角錐状である。
本坂を辿り大比叡
第3回歩いて歩いて琵琶湖一周にて比叡山


湖北富士/山本山(324m)
 山本山は、奥琵琶湖の賤ヶ岳(しずがだけ)から南に延びる細い丘陵の先端にあり、別名湖北富士とも呼ばれている。田んぼの中の美しい姿が一層映える。
観音の里・山本山から賤ヶ岳縦走
賤ヶ岳へ縦走時、登山口付近から山本山を望む


甲西富士/菩提寺山、竜王山(363.3m)
 近江富士(三上山)の南側に位置する菩提樹山。この山は甲西富士とも呼ばれている。
歌川広重の石部宿の田楽茶屋「いせや」には、菩提寺山が大きく描かれ、遠くに 小さく三上山。当時の旅人にとっては、この菩提寺山が一つの目安になっていた。
滋賀を歩こう:近隣山より三上山
希望が丘の天山から近江富士花緑公園への下山時の眺望


丹生富士/七七頭が岳(693.1m)
 7ケの山が集まった複雑な形をした山であろうと想像していた。が、北国街道(国道365号線)から杉本余呉線(284号線)を通り、上丹生と摺墨の分岐点あたりで、これから登る端正な山容をした山を見た。地元では「丹生富士」と呼ばれている。
イカリソウが咲く七七頭ガ山
上丹生辺りから七七頭が岳を望む


元富士/ 奥島山(322.8m)
 奥津島神社近近くの集落から奥津山を眺めた。「元富士」と呼ばれている。
長命寺から奥島山
奥津島神社近くから 奥島山を望む


杉野富士/墓谷山(738m)
 墓谷山は格好のいい三角形の山から杉野富士と呼ばれている。この墓谷山は、横山岳から南へ張り出した尾根続きにある。横山岳の三高尾根コースの鳥越峠から1時間半で行けるところまで近づいたことがあった。が、その後この名前から何と無く行く気にならなかった。
湖北 横山岳のブナ林に遊ぶ
墓谷山の登山口から望む




 



2015年08月01日   三上山のノギラン

   体力作りやアンチエイジング( 抗老化)のために、スポーツジムやフィットネスクラブへ通っている山仲間、がいる。確かに、筋肉を鍛えるための機器や道具などが揃っており、科学的で合理的な鍛え方ではある。が、私にとって、屋内型の運動施設は息苦しい。特に、屋内でランニングやウォーキングを行うための健康器具には、乗る気になれない。
 暑い・寒い時、天気の良し悪しなど色んな条件に身を置き、自然の吐息を肌で感じながらの身体づくりは、単に肉体を酷使するだけでなく、心の癒しも出来る健康づくりであると思っている。だから、山野へでかけている。 

 7月末、ひんやりとした森林に覆われた三上山の山麓には、既に秋を呼ぶ「ひぐらし」が鳴き始めていた。
何処かの高木の一匹の鳴き始めると、それに合わせるかのように何匹が鳴き始め、そして大合唱となる。やがて、指揮者がいるかのようにぴたりと鳴き止む。どうして同時に鳴き止めるのか、興味深い。
ひとしきり静寂がやってくる・・・・・・。
再び鳴きはじめる。
甲高く、「カナカナカナ…」の鳴き声は、爽やかで、さっぱりして清々しい心持ちにしてくれる。そのハモニーは、物悲しい響きがする。
 
  「ふるさと会館」の駐車場から三上山への登山路を登って行くと、明るい森林帯がある。その脇に気になる山野草が10株ほど、花をさかせていた。
 知人のKさんに名前を確認すると、『「ノギラン」かと////。特徴は、ショウジョウバカマと 同じような葉っぱです』との返答。
 
 道端に生える山野草だが、私にとっては希望が丘・三上山周辺で24番目に出会った大切な山野草である。
花がイネ科の花の外殻にある針のような突起のように見える芒(のぎ)に似ており、ランのような雰囲気があるので、ノギランとなづけられたようだ。

穂状に多数の淡緑色の


 




2015年07月01日   三上山のヤマブキ

 
 6月末、三上山を登り、希望が丘側へ下って行くと、明るい森林帯の林床に「シダ」が生い茂っているところがある。林道の脇まで溢れんばかりだ。
 この脇の一角に、群生するほどではないが、細く、柔らかい枝に鮮やかな黄金色の花を付けている低木があった。 



 この赤みを帯びた黄色をした花が咲いていたところに、「ヤマブキ」の表示板があった。

 「ヤマブキ」は、しなやかな枝が風にゆれる様を万葉集に詠われ、ヤマブキを「山振(やまぶり)」といわれていた。
 






2015年05月28日   幻想的な若葉のシダ群落/三上山

 
  歳を重ねてきても、自分を自然の中に置くようにしている。それも高山に出かけるより、身近な三上山に出向くことが多くなった。この山、結構岩場が多い。何回も訪れていると、どこに岩があり、足をどう運べば、最も簡単に登り切れるかまで分かってくるものだ。何より、しみじみとした四季の移ろいも楽しみにしている。

 生命あふれる初夏の季節になると、三上山のあっちこっちで、「シダ」が一斉に芽吹いてくる。中でも、希望が丘側の裾野の林床には、溢れんばかりに生い茂り、脇役が主役になっていた。

 昨年までの濃い深緑色の葉色をした親の葉っぱから、一本の茎が、立ち上がり、その先端から新たに左右に一対の葉がすらりと伸びていた。この一帯は若葉によって黄緑色の大海原となっていた。 シダとは、葉が垂れている姿と結びついて「下垂れる」という意味である。が、この溌剌として伸び盛りの若葉の姿は、横に限りなく真っ直ぐであった。

  一つひとつの若葉が、一斉に私を見詰めるようで嬉しくなる。時たま「イケズ」な向きをしているものもあるが、人間ほどでない。お互い僅かな光を分けあって住み分けながら、日が射す方向に行儀よく開いていた。
 いずれの角度も同じ120度位であった。規則正しく同じ角度をしているのは、この植物にとっては大事なことなのであろう。この幾何学模様は神秘に満ち溢れていた。このようにして毎年葉を延ばし、2枚の葉の段が何世代か積み上がっていた。 写真に切り取った光景は、何時頃から始まったのであろうか。私の一生だけ ・・・。いや気の遠くなるほど太古から繰り返されてきた光景なのであろう。昨日今日、知った私が、あれこれ詮索するのが、烏滸がましい。

 この山に来ると、色んな人に出会う。子供ずれの家族一家のハイキング、本格的な登山前のトレーニングで来る人、日課として来る人といろいろだ。私は、身体を鍛えるのでなく、ただ健康を維持するためである。 

 美しさに目を奪われ、シダの写真を懸命に撮っていると、「何を調べておられるのですか」と知人が近寄ってきた。
「シダだヨ」と返答すると、
 葉っぱをひっくり返しながら「シダに違いないが、裏が白いので、ウラジロ」と呼ばれていると教えてくれた。
裏が白いとは、日本人の大切な心がけを表している言葉。正月飾りに使われている、あのウラジロであった。
 
気に入るまで撮り続けた中の1枚写真















Posted by nonio at 02:34Comments(0)四季山野草三上山