2012年05月08日 イカリソウが咲く七七頭ガ山
最近、喧騒な山を避けて物静かな山並みを求めるようになった。向かうのは湖北・福井が多くなった。雪解け時期になると、白・ピンク・黄・赤と多彩な山野草が一斉に開花して、辺りが一挙に華やかになる。
4月30日、「七七頭ガ山」の山道で「イカリソウ」の一群に出合った。この花弁は4つあり、いずれも細長い筒状で先が尖っている。この形が船の錨(いかり)に似ていることから何時しか「錨草」と呼ばれるようになった。
山麓を少し登ったところから山頂近くまで、道脇に次から次へと我々を待ち構えているかのように現われてきた。「見てちょうだい」と言わんばかりに咲いていた。今まで、何回も「イカリソウ」を目にしているが、一山で出会う「イカリソウ」は、たかが数本。今回、これほど見事に咲き誇った景色に出会えたのは驚きであった。 この話、余りしたくなかったが、見事であったので、敢えて、披露した。

”七”が二つも続く「七七頭ガ山」へ行かないかと携帯メールが入った。この山名は「七頭ガ山」であり、多分”七”が誤字であろうと思っていた。調べてみると、やはり「七七頭ガ山」であった。7ケの山が集まった複雑な形をした山であろうと想像していた。
北国街道(国道365号線)から杉本余呉線(284号線)を通り、上丹生と摺墨の分岐点あたりで、前方にこれから登る端正な山容をした山を確認した。地元ではこの山が富士山のように美しい姿なので「丹生富士」と呼ばれているようだ。

上丹生から少し行ったところに駐車場があった。気心が知れた山仲間4人で出発していった。 登山口には『七七頭岳観音参道』と刻まれた石柱があった。この山の山頂には伊香西国三十三観音第29番札所があるので、お参りの方のための道標が建てられていた。
高時川沿いの植林内の平坦なところを進み、山頂から南に張り出している尾根筋に向かってジグザグの急な登りになった。「←七七頭ヶ岳」という標識をみやって、進んでいった。山道は深くえぐれた溝状に掘れ込んでいた。信仰の山でもあり、よく踏み込まれたのであろう。標高380m辺りまでやってくると、稜線に出た。左側に展望が開き、眼下に余呉町の高時川の支流摺墨川に沿って拓けた集落が見えた、少し休止。
山桜が道際に咲いていた。七七頭ガ山から摺墨川に向かって落ち込んでいる西斜面のあっちこっちに、山桜が見られた。木々は芽吹いて山全体が青味色をおびているが、ところどころに、薄赤く染まっている個所がみられたので、そう思った。これから桜が咲く時期に入ったようだ。また、赤いコバノミツバツツジの花も咲き始めていた。
登り始めて1時間弱で、巨木のブナに出合った。更に山頂近くを登り詰め、最後にまわりこむように登って行くと、「西林寺」という額がかかっている観音堂に着いた。
山頂付近に『るり池』の標識があった。ここで、昼食をとるため下っていった。この水は女性の肌を美しくするという伝説があるそうだ。名前だけ聞くと、きれいな池を想像したが、山の急斜面に水が滴っている単なる水場であった。しかし、地元では、霊泉といわれ万病に効くと言い伝えられているので、そのように思っておくことにした。
下山は、観音堂の裏から菅並の集落へとのびていた。慎重に下っていくと、眼前に聳える横山の姿は圧巻であった。最後の急斜面を下ると、「七七頭観世音参道」と手書きされた鉄枠を越え、菅並の集落に出た。そこには、周辺の田畑と山々の緑を背景として、入母屋造のトタンで覆われていた屋根の民家が整然と並んでいた。この屋根の形は昔からずっと変わらないのであろう。この急勾配の三角屋根からして、雪深い里山での暮らしぶりがうかがい知れた。
高時川上流に位置する菅並集落周辺には、山菜がふんだにあった。集落の村人は、山菜をむやみに採らない。自然から与えられた恵みを必要量少し頂く。来年、再来年と育てている。だけど、町からやって来る人は、山菜を見つけると、根絶やしするまで採りつくしてしまうので、嫌われるのだ。
よく分っている仲間は、山麓にある山の恵み「ヤマブキ」を少し頂いた。更に、高時川の川沿いまで下って、わらび・こごみ摘みとなった。皆さん完全に「主婦の顔」。今晩の夕餉の一品と山菜採りに余念がない。ひとしきりして、高時川沿いの道路を4kmほど先の自動車を駐車させている上丹生へ向かった。
この界隈、色んな遊び方をしている人達に出合った。高時川の急流に数隻のカヌーが、我々追い抜いていった。急カーブに差し掛かると、先頭カヌーは全員が無事通過するまで留まる様なこぎ方をして、後続艇を待ち、一団となると隊列を組んで過ぎ去って行った。

「胡桃(くるみ)の名水」と表示のあるところに差し掛かったところ、この水を汲んでいる夫婦に呼び止められた。「全国に水を求めて回っているが、ここの水が2番目に美味しい」と言った。ところで、「一番美味しかった水は・・・」と聞くと。「わからない」との返答であった。
一杯ご馳走になって先を急いだ。結局、七七頭ガ山を一周して、1日を過ごしたことになる。

4月30日、「七七頭ガ山」の山道で「イカリソウ」の一群に出合った。この花弁は4つあり、いずれも細長い筒状で先が尖っている。この形が船の錨(いかり)に似ていることから何時しか「錨草」と呼ばれるようになった。
山麓を少し登ったところから山頂近くまで、道脇に次から次へと我々を待ち構えているかのように現われてきた。「見てちょうだい」と言わんばかりに咲いていた。今まで、何回も「イカリソウ」を目にしているが、一山で出会う「イカリソウ」は、たかが数本。今回、これほど見事に咲き誇った景色に出会えたのは驚きであった。 この話、余りしたくなかったが、見事であったので、敢えて、披露した。

”七”が二つも続く「七七頭ガ山」へ行かないかと携帯メールが入った。この山名は「七頭ガ山」であり、多分”七”が誤字であろうと思っていた。調べてみると、やはり「七七頭ガ山」であった。7ケの山が集まった複雑な形をした山であろうと想像していた。
北国街道(国道365号線)から杉本余呉線(284号線)を通り、上丹生と摺墨の分岐点あたりで、前方にこれから登る端正な山容をした山を確認した。地元ではこの山が富士山のように美しい姿なので「丹生富士」と呼ばれているようだ。


高時川沿いの植林内の平坦なところを進み、山頂から南に張り出している尾根筋に向かってジグザグの急な登りになった。「←七七頭ヶ岳」という標識をみやって、進んでいった。山道は深くえぐれた溝状に掘れ込んでいた。信仰の山でもあり、よく踏み込まれたのであろう。標高380m辺りまでやってくると、稜線に出た。左側に展望が開き、眼下に余呉町の高時川の支流摺墨川に沿って拓けた集落が見えた、少し休止。


山頂付近に『るり池』の標識があった。ここで、昼食をとるため下っていった。この水は女性の肌を美しくするという伝説があるそうだ。名前だけ聞くと、きれいな池を想像したが、山の急斜面に水が滴っている単なる水場であった。しかし、地元では、霊泉といわれ万病に効くと言い伝えられているので、そのように思っておくことにした。

下山は、観音堂の裏から菅並の集落へとのびていた。慎重に下っていくと、眼前に聳える横山の姿は圧巻であった。最後の急斜面を下ると、「七七頭観世音参道」と手書きされた鉄枠を越え、菅並の集落に出た。そこには、周辺の田畑と山々の緑を背景として、入母屋造のトタンで覆われていた屋根の民家が整然と並んでいた。この屋根の形は昔からずっと変わらないのであろう。この急勾配の三角屋根からして、雪深い里山での暮らしぶりがうかがい知れた。
高時川上流に位置する菅並集落周辺には、山菜がふんだにあった。集落の村人は、山菜をむやみに採らない。自然から与えられた恵みを必要量少し頂く。来年、再来年と育てている。だけど、町からやって来る人は、山菜を見つけると、根絶やしするまで採りつくしてしまうので、嫌われるのだ。
よく分っている仲間は、山麓にある山の恵み「ヤマブキ」を少し頂いた。更に、高時川の川沿いまで下って、わらび・こごみ摘みとなった。皆さん完全に「主婦の顔」。今晩の夕餉の一品と山菜採りに余念がない。ひとしきりして、高時川沿いの道路を4kmほど先の自動車を駐車させている上丹生へ向かった。
この界隈、色んな遊び方をしている人達に出合った。高時川の急流に数隻のカヌーが、我々追い抜いていった。急カーブに差し掛かると、先頭カヌーは全員が無事通過するまで留まる様なこぎ方をして、後続艇を待ち、一団となると隊列を組んで過ぎ去って行った。

「胡桃(くるみ)の名水」と表示のあるところに差し掛かったところ、この水を汲んでいる夫婦に呼び止められた。「全国に水を求めて回っているが、ここの水が2番目に美味しい」と言った。ところで、「一番美味しかった水は・・・」と聞くと。「わからない」との返答であった。
一杯ご馳走になって先を急いだ。結局、七七頭ガ山を一周して、1日を過ごしたことになる。

Posted by
nonio
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05:22
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滋賀県の山
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