2020年05月25日 ツツジ咲く三上山に寄せて
山仲間のNさんが、S機関紙に次の俳句を寄せた。
コロナ渦 収束願う 暮の春
この句で、「『コロナ禍』でなく、なぜ部首を“氵”の『コロナ渦』にしたのか?」気になったので尋ねてみた。「世の中が渦潮のような混沌とした状態に、陥るのではないかとの思いで、この言葉を選んだ」と受け答えてきた。 Nさんはすでに将来を見据え、「終息」でなく、取り敢えず収まるようにと「収束」と深読みしていた。
「新型コロナウイルスへの対策は長いマラソンです」と山中伸弥さんが指摘されているように、共存の道を歩むことになるようだ。
ウイルスは細胞がなく、タンパク質でできた殻のなかに遺伝子情報となる核酸が収められている単純な構造である。生きのび増殖していくには、他の生命体に住み着くしかない。やっかいにも、人という安住の場所を得たようだ。暴れ過ぎると、人を死に追いやる暴挙に出るから、たちが悪い。
どのみち、このウイルスは単独では生きられず、人から人に移り住んでいくようだ。かくして、最近の小生、人混みを避け、三上山への日参が日課となってしまった。
ヒノキに覆われた山中は、樹木が発散する自然ならではの「香り」がある。
この香りの揮発性成分(フィトンチッド)には、殺菌力をもっているので、よかれと思い足繁く出かけた。雨後の林内は保湿され、ことさら、かぐわしさが増すので、少々の雨でも出かけていった。
3月末頃の鶯の鳴き声は、いかにもたどたどしくケキョケキョ。この鳴き声を聞くと、「春めいてきた」と心が弾む。今まで気づかなかったのが、「フィー、フィー」という口笛のような「カジカガエル」の鳴き声である。
非常に警戒心が強く、私が近づくと鳴き止んでしまうが、気配を消すと、再び合唱しだした。
奥深い清流にしか住まないカジカガエルが、人里近くの谷筋に生息しているとは、思いもよらない発見であった。
いくら世の中、コロナウイルスに侵されようが、規則正しく四季が巡り、ヤマツツジが咲きだした。
全山をくまなく散策していると、些細なことも知ることになった。
花の色合いが微妙に違う花弁を眺めていく内に、花弁から伸び出したおしべの本数が5本・10本と、違いがあることに気づいた。そして、山をすみわけるようにして、2種類のツツジが分布していた。
希望ヶ丘側のツツジは、枝先に三枚の小さな菱形の葉がついているので、ミツバツツジと呼ばれている。その上、葉が小型であるため「コバノ(小葉の)~」と名付けられている。花弁の色だが、紅紫色と淡紫色の2色が見られたけれど、同種のようだ。
このコバノミツバツツジは、ウラジロが群生しているところに多く見られ、”ベニシダ”と”トウゴクシダ"だと思われるシダ一帯には全く見られなかった。両者間の相性が悪いと思っていたが、そうでもなかった。単に、コバノミツバツツジは、暗い谷筋よりも尾根の明るい林を好むようだ。
御上神社側のもひとつのツツジは、葉や茎がネバネバし、触れると指が貼り付くことから、餅あるいは鳥もち(黐)に擬えてモチツツジと名付けられている。葉っぱが4~5枚で、5本のおしべなので、その違いはすぐにわかった。
結局、コバノミツバツツジは、3月末から咲きだし、1か月遅れに咲きだしたモチツツジが、5月中ごろ最盛期を迎えていた。
長きに渡ってヤマツツジによって、コロナ騒動の陰々しい日々を和ましてもらった。
自然は、未知なるウイルスをまん延させるが、癒しも与えてくれる不思議な存在だ。





コロナ渦 収束願う 暮の春
この句で、「『コロナ禍』でなく、なぜ部首を“氵”の『コロナ渦』にしたのか?」気になったので尋ねてみた。「世の中が渦潮のような混沌とした状態に、陥るのではないかとの思いで、この言葉を選んだ」と受け答えてきた。 Nさんはすでに将来を見据え、「終息」でなく、取り敢えず収まるようにと「収束」と深読みしていた。
「新型コロナウイルスへの対策は長いマラソンです」と山中伸弥さんが指摘されているように、共存の道を歩むことになるようだ。
ウイルスは細胞がなく、タンパク質でできた殻のなかに遺伝子情報となる核酸が収められている単純な構造である。生きのび増殖していくには、他の生命体に住み着くしかない。やっかいにも、人という安住の場所を得たようだ。暴れ過ぎると、人を死に追いやる暴挙に出るから、たちが悪い。
どのみち、このウイルスは単独では生きられず、人から人に移り住んでいくようだ。かくして、最近の小生、人混みを避け、三上山への日参が日課となってしまった。
ヒノキに覆われた山中は、樹木が発散する自然ならではの「香り」がある。
この香りの揮発性成分(フィトンチッド)には、殺菌力をもっているので、よかれと思い足繁く出かけた。雨後の林内は保湿され、ことさら、かぐわしさが増すので、少々の雨でも出かけていった。
3月末頃の鶯の鳴き声は、いかにもたどたどしくケキョケキョ。この鳴き声を聞くと、「春めいてきた」と心が弾む。今まで気づかなかったのが、「フィー、フィー」という口笛のような「カジカガエル」の鳴き声である。
非常に警戒心が強く、私が近づくと鳴き止んでしまうが、気配を消すと、再び合唱しだした。
奥深い清流にしか住まないカジカガエルが、人里近くの谷筋に生息しているとは、思いもよらない発見であった。
いくら世の中、コロナウイルスに侵されようが、規則正しく四季が巡り、ヤマツツジが咲きだした。
全山をくまなく散策していると、些細なことも知ることになった。
花の色合いが微妙に違う花弁を眺めていく内に、花弁から伸び出したおしべの本数が5本・10本と、違いがあることに気づいた。そして、山をすみわけるようにして、2種類のツツジが分布していた。
希望ヶ丘側のツツジは、枝先に三枚の小さな菱形の葉がついているので、ミツバツツジと呼ばれている。その上、葉が小型であるため「コバノ(小葉の)~」と名付けられている。花弁の色だが、紅紫色と淡紫色の2色が見られたけれど、同種のようだ。
このコバノミツバツツジは、ウラジロが群生しているところに多く見られ、”ベニシダ”と”トウゴクシダ"だと思われるシダ一帯には全く見られなかった。両者間の相性が悪いと思っていたが、そうでもなかった。単に、コバノミツバツツジは、暗い谷筋よりも尾根の明るい林を好むようだ。
御上神社側のもひとつのツツジは、葉や茎がネバネバし、触れると指が貼り付くことから、餅あるいは鳥もち(黐)に擬えてモチツツジと名付けられている。葉っぱが4~5枚で、5本のおしべなので、その違いはすぐにわかった。
結局、コバノミツバツツジは、3月末から咲きだし、1か月遅れに咲きだしたモチツツジが、5月中ごろ最盛期を迎えていた。
長きに渡ってヤマツツジによって、コロナ騒動の陰々しい日々を和ましてもらった。
自然は、未知なるウイルスをまん延させるが、癒しも与えてくれる不思議な存在だ。
コバノミツバツツジ




モチツツジ

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