2010年09月06日 北アルプス 大日岳・奥大日岳
立山には、何回も訪れている。昭和46年、黒部アルペンルートが開通する何年も前に、友人2名と私は立山連峰を通り、目と鼻先に剣岳が一望できる別山乗越に初めて立った。
それも、上高地から何日もかけて穂高から槍が岳、雲の平を越えて、薬師岳そして剣岳まで縦走してきた。無論、テント泊である。
その後、積雪期に雄山から真砂岳、別山を通り、岩と雪の剣岳を前にした別山乗越に立ったこともあった。この別山乗越は、私にとってはとても思い出のある懐かしいところだ。
当時の写真(下段の続きを読むをクリック)
近代化された山小屋の建物、商店などは、一昔前訪れた時と比べると随分様変わりしていたが、ぐるりと取り囲む立山連峰の景観は、記憶にあった映像と何ら変わらなく、直ぐに馴染むことができた。ただ、立派な石畳の遊歩道が至るところに張り巡らされ、ホテルさながらの山小屋につながっているのには、驚かされた。ここは、登山基地であったのだが、ハイヒール姿でも支障がない山岳観光地として変貌していた。
我々は2班に分かれた。浄土山、一の越そして雄山を目指す班と室堂平を散策する班である。無論、後者を選んだ。まだ行った事がないと言うより、素通りしていた玉殿の岩屋、旧室堂建物を見学したかったからだ。
急な坂を下っていくと崖のところに祠が祭られている岩屋が二箇所あった。奥の岩屋が「玉殿の岩屋」であった。立山開山の祖、有頼がこの岩屋にこもって修行中に、阿弥陀如来に立山を開くように告げられたと伝えられている。この原点と言うべき箇所を見る事ができ、立山とは、奈良時代から人びとが自然に対して畏敬の念を持って、ここに分け入ったことを知った。この一帯は信仰の対象であった。最高峰の大汝山・主峰の雄山・富士ノ折立の3つの山からなり、雄山の山頂には雄山神社本宮が祀られた古い歴史を持っていたことを再認識した。
ミクリガ池を通り今夜泊まる雷鳥沢ヒュッテに向かった。
この辺りに雷鳥が棲息していたので、雷鳥沢と呼ばれたのであろう。だが、今回一度も見かけなかった。雷鳥は、霧や雷雨で視界の良くないときに出てくるのだが、当時ヒトを天敵と思わず怖がらずに登山路にも現れ、ニワトリのように砂浴びをしていたことを、今更のように思い出した。何匹もの子供連れだ。
昔と山容が変わらずとも、微妙に自然が損なわれてきていることを「じわっと」感じ取った。
今回、Sクラブでは、別山乗越から別山と大日岳・奥大日岳に行く2コース計画された。懐かしい別山乗越に赴いてみたかったが、散々迷った末、後者を選んだ。
当時ケーブルカーの駅美女平駅から立山高原バスは、弥陀ヶ原までしか行かなかった時代だ。室堂に入るにも1日かかりであった。その結果、弥陀ヶ原越しに見える優雅な山並みの大日岳と奥大日岳を眺めながら「てくてく」と歩いたものだ。「ぜひ未踏のところに登ってみたい」と想いが以前から募っていた。
この山塊は、立山・剣岳と尾根続きでありながら、縦走路から外れているので、別山乗越から室堂に下山してしまい、訪れる機会が失ってしまい、今日に至っている。このようなことから、大日岳と奥大日岳に行くことに決めた。
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大日岳山塊は、剣岳と立山を南北に結ぶ稜線から西に延びる尾根の上にあり、脚光を浴びる山々の支峰になるため、訪れる人が少なく、静かな山旅を期待した。
写真は雷鳥沢ヒュッテ前から早朝に写したものだ。中央の無名山(2511m)まで登り詰め、右側の最高峰奥大日岳(2,611m)に回り込み、最後に、左側の大日岳(2501m)の征服を目指した。雷鳥沢ヒュッテをベースにしているので、大日岳をピストンしょうと言うのである。
標高差はそれほどないが、往復するので10時間は、優に越えることを覚悟した。今夏、異常気象とも言われるこの炎天下では、水が最も大切であり、尾根筋では水分補給がままならないので、3リットルを準備して朝早く出発した。
雷鳥沢の橋を渡って少しの登りで新室堂乗越の稜線に出た。途中、振り向くと雷鳥沢には何張りものテントがあり、浄土山が朝日で「すっく」と顔をみせ、さわやかな1日の始まりとなった。朝のこの時間帯は、山が、一番明るい顔を見せるときだ。
新室堂乗越沿いに進むと、鋭い剣岳が圧巻であった。積雪期の剣岳への登山ルートでもある早月尾根を駆け上がる剣岳は、黒い谷筋を幾条も落とし、どこから見ても人を寄せ付けない凄みがあった。これを上回る頼もしい二人の女性も同行した。
2511mのピークを越え、巻くようにして高度を上げていった。お花畑あり、剣岳の西面、立山、遠くに薬師岳が望め、退屈しなかった。尾根の南側山腹を登るようになり、ここを登りきって稜線の上に出ると奥大日岳頂上に出た。頂上は花崗岩の石が積み重なっていて、絶好の展望台となっていたので、全員で写真を撮った。
次の目標は、大日岳である。手前にある赤い屋根の山小屋が見えるが、中々近づかない。直線距離にすると僅かなのであろうが、一旦ザレた急斜面を下り、崩壊地には備え付けのハシゴを通過して、登り返さなければならない。七福園の巨石のある自然庭園を通り抜け、中大日岳(2500m)には気づかず、大日小屋広場にたどり着いた。ここまで奥大日岳から1.5時間も費やした。
尚、私は、それほど山のピークを大切に思ってなったが、最近、色んな事が重なり数回ピークに立ってなかったので、是が非でもとの思いで大日岳の頂上を踏んでおいた。
本来、ここから大日平に下山して、称名滝へのコースを辿るのだが、我々は、もときた道を引返していった。リーダーを含め2~3名は元気であったが、全員疲労が積もってきた。こうなると人によって心臓と脚力の強さによって遅い、速いができてくる。私は体調が芳しくないので、全体の迷惑がかからないように、休み休み帰路についた。もはや、ルートには新鮮味がなくなり倦怠感も襲ってきた。
気持ちの切換えが大事だ。このルート沿いには、意外にもあっちこっちに「野いちご」が実っていた。少し黒味かかった果実は甘味であったが、赤い粒は、まだ完熟していないのか「すっぱみ」があった。疲れは酷かったが、できるだけ色んなものに目をむけ、楽しみを見つけては、疲れを和らげるように心がけた。
新人の自称「マ-ちゃん」は、風貌と大違いで、結構気立てが優しいようだ。喋り方がキツイのは、照れ屋なのであろ。このルートに「野いちご」をいち早く見つけ出したのは彼女であった。自分で食べたらよいものを、大粒を摘み取っては、みんなに手渡していた。無論、私にもくれた。
いずれにしても、帰路は極度の疲労感に襲われ一歩が辛かった。
奥大日山の山塊を右から巻くようにして登りきると、後は降りとなり、幾分楽になった。地獄谷が見えるところまでもどり、全員無事に雷鳥沢ヒュッテに下山した。すぐさま、脱水症状を解消するため、ビールで乾杯となった。この一杯のビール、体に沁み込み、堪えられなかった。この日、ビールをあわせて水分4リットル以上となった。
3日目は、雷鳥沢ヒュッテから地獄谷を通り、天狗平にやってきた。ここから全長で2.4Kmの美松坂コースを辿り、弥陀ヶ原ホテルまでウォーキングを行った。弥陀ヶ原高原は標高約1,600~2,100m、南北2km、東西4kmにわたり広がる静かな大高原だ。美松坂コースで視界が広がったところから眺めは素晴らしかった。
弥陀ヶ原ホテルで昼食となった。食事まで時間があったので、新聞を開いていると、「8月22日 北アルプスの雷鳥坂にある登山路で新潟県加茂市 K氏が下山中転倒。県消防防災へりで運ばれた」との記事があった。この時、我々も丁度、下山中の出来事であった。無事に搬送されたことに「ほっと」した。
長野県警山岳遭難救助隊の数名が、代わる代わる足を固定した男性を背負って下ってきた。雷鳥沢の川原まで運び出し、ヘリを待った。このキビキビした救助隊員達には好感が持てたが、2名の報道陣であろう、負傷者に対して遠慮なくカメラを向け取り続けた。それも笑いながらの撮影には、我々も「むっと」なった。
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別山乗越からの写真。当時若かったので、山に入山しながら体調を整えていった。10日強になると、自然に体が出来上がっていったものだ。
岩場をやっていた友人K氏は、この写真の右にある岩は、今でも現存していると言っていた。真偽が判らないので、是非確かめたいものだ。

この時、長次郎雪渓から剣岳を登攀した。
陸軍参謀本部陸地測量、官柴崎芳太郎が剣岳を測量した際、測量隊を陰で支えた宇治長次郎が案内し、登頂させたルートである。現在、彼の名にちなんで長次郎谷・長次郎雪渓とばれているところだ。薬師岳で出合った信州大学の女子山岳部の連中と長次郎コルへと向かった。

雄山山頂の写真であるが、右横にあるのが雄山神社本宮と思われる。現在では、社務所の北側の岩峰に祠があり、拝観料を払わなければ立ちいれないようだ。

積雪期の別山乗越から雪に埋もれた堂々とした剣岳を望む。気温マイナス15℃を体感。
