2009年07月30日 南アルプス 鳳凰三山
日付 2009年7月18日(土)~20日(月)
山名 南アルプス 鳳凰三山
コースタイム
7月18日 青木鉱泉 テント泊
7月19日 青木鉱泉 6:30出発 薬師岳小屋 13:30着
7月20日 薬師岳小屋 6:00出発 観音岳 6:15 地蔵岳 8:45
五色滝 10:35 青木鉱泉 14:30着
鳳凰山は、最高峰観音山(2840m)を真ん中にして、北の地蔵岳、南の薬師岳の三山からなっている。そして、この三山を総称して鳳凰三山と呼ばれている。この山は、南アルプスの北部にある甲斐駒ヶ岳からアサヨ峰と尾根続きで、且つ南アルプス北部を代表する北岳、間の岳、農鳥岳の白峰三山と対峙する位置にある。そして、簡単に入山できる山域でもある。→地図
当初、夜叉神峠から鳳凰三山を縦走する計画を立てたが、自動車をデポする場所を青木鉱泉としたので、中道から登り、ドンドコ沢を下山するコースとなった。時期としては、7月18日(土)~20日(月)とした。三連休の高速道路料金土日祭日の1000円乗り放題の恩恵を受けたいことと、梅雨が明けて、太平洋高気圧に覆われ天気が安定し、夏山として最高の時期になると想定した。
ところで、出発の前日、ニュースで、「北海道大雪山系のトムラウシ山と美瑛岳で登山客らが相次いで天気悪化に伴い遭難。2009年7月17日までに死者は計10人にのぼった」との報道があり、緊張した出足となった。梅雨明けどころか、梅雨前線が東北北部まで北上する予想外の天気予報になった。
18日は、深い緑に囲まれた青木鉱泉でテントを張り、出来上がりのよい肉じゃがを8人でつまみながらワインで盛り上がった。早めに就眠。翌日、夜間、雨が降っていたが、早朝になっても雨がぱらつく曇天であった。重苦しい気分で濡れたテントの撤収となった。S氏の本格的な珈琲セットで立てもらった香り豊かなコーヒーとパンで贅沢な朝食となり、少しは気分を持ち直した。
木造二階建ての青木鉱泉建物の前に備えつけられたボックスに登山計画書を投函し、出発していった。ここには、係員がおり、登山者の案内をしていた。今日の天気を聞くと「日本海に低気圧、前線が居座り天気が悪化気味」との返事であった。
青木鉱泉の標高は、1150m、薬師岳2780mその標高差1630mの挑戦が始まった。道標に従って川を渡渉して、小武川沿いに付けられたゆっくりと登っていく林道をしばらく進むと、右に少し奥まったところに登山口の看板が見えた。「薬師岳には水場がない…。急登です。体力に自信のない方は、無理せず、引き返しましょう」と書いてあった。確か、青木鉱泉の係員も「青木鉱泉から中道を通って御座石から薬師岳に登る人は殆どいないよ。8割の登山者はドンドコ沢を登り、中道は、主に下山用として利用している」と言っていた。どうも中道は、森林帯に付けられ、展望もなくただ、上り詰める山道のようである。このことは、進んでいくにしたがって厳しさが分かってきた。
鳳凰三山山麓の森林地帯
道標から本格的な山道となり、いきなりジグザグになった。汗が一挙にふき出してくる。小生、こうなると折り返し地点で一回ずつカウントを始める。苦しさをまぎらすためだ。今回は14回目でつづら折れの急坂が終わった。
一汗かき、体も自然に順応してきた。すると野生的な感覚も鋭くなり、森林帯を包むような甘酸っぱい香りを感じとるこができた。深山でなければ、味わうことができない樹林帯の匂いである。山行きのひとつの楽しみにしている。鳳凰三山の裾野に広がる山麓は原生林に支配されている。倒伏した樹木は、手付かずのまま放置され、長い時間をかかって朽ちていくが、このときに放つ匂いである。そして、鬱蒼とした森林特有の冷気が漂っていた。
林道を横切り、一本調子の登りに少々飽きてきた頃、小さな笹原が現れ、視界が開けた尾根道にでた。雨雲が押し寄せ、天候が悪化してきているようであった。再び傾斜もきつい樹林帯に入った。
下山してくる何人もの人に出合った。一様に、「稜線は強風が吹き荒れ、立って前進できないので、急遽、下山してきた」と恐怖に満ちた顔で語っていた。
また、夜叉神峠から縦走してきた2人ずれは、「夜叉神峠の入口で登山ツワーのチームは、断念して引き返した。我々は、薬師岳まで何とか来たが、これ以上は無理と判断して下山してきた。鳳凰三山を目指していたのだが…」とも話していた。
ところが、我々には、実感がない。原生林に守られた中道は、時折雨しずくを受ける程度で風は感じない。暫く頑張っていると眼前に大きな岩が現れてきた。御座石と呼ばれる地点にきた。この巨石を見遣って少し登ったところで昼食を取った。この辺から木々が少し細くなり、時折、風雨を受けるようになってきた。勾配も増してきたが、ゆっくりと高度を上げていった。シャクナゲが両側に目立つようになり、これを越え、樹林帯からハイマツ帯に変わった途端、強風で荒れ狂っていた。この豹変は、驚くほど劇的であった。
→小型写真はクリックすると拡大
可憐に咲くシャクナゲ 暴風のハイマツ帯
森林限界を越え稜線に出ると、西側の沢筋からか吹き上げてくる強風をまともに受けると身動きできない、少し風が弱まっては、移動とこの繰り返しをしながら薬師岳小屋へと向かった。ただ、かなり遠くまで見通せることができたので迷う心配はなかった。
身を屈めて前進
薬師岳小屋は、薬師岳と砂払岳の鞍部に建てられており、ダテカンバなど樹木で風雨から守られており一息ついた。小屋に逃げ込む人で一杯になっていた。
山小屋の就寝時間は早い。夕食をいただくとすることもないので、直ぐに布団・モーフに包まって寝てしまった。 夜中12時ごろ、用を足すため小屋を一歩出ると、あれほど荒れた天気が嘘のようだ。夜空を仰ぐと満天の星がまたたいていた。星のまたたきが激しくなると翌日雨になるとも言われているので、天気が回復することを祈って、再び睡眠に入った。
ご来光 (砂払岳から東方向の眺望) 19日、朝4時ごろ起床し、薬師岳・砂払岳で、神々しいご来光を観察することができ、天気も回復の兆しがしてきたように思った。
薬師岳頂上 (鳳凰三山2780m)
薬師岳小屋を6時出発し、ハイマツ帯を抜け滑りやすいザレ場に足を取られそうになりながら登ると、平坦で広々とした薬師岳に出た。昨日とは打って変わって風がなく目の前に白峰三山が手に取るように見えた。しかし、日本海に低気圧や前線が居座り予断が許されない状況であったが、取り敢えず、天気は持ちそうであった。富士山には、笠雲(天使の輪)が見られ、「天気が悪化することが多い」といわれているので、長居は禁物だ。上空には、強い風が吹いており、山越えする時、笠雲が出現するからだ。 →富士山
正面に北岳(日本で2番目に高い山3192m)
更に、岩とハイマツの稜線を進んだ。最後の登りを詰めて鳳凰三山最高峰の観音岳頂上2840mに着いた。三角点のある巨石が累々とした山頂に立つと甲斐駒ガ岳の姿が始めて見えた。多くの人達が、後ろを振り返ったり、横を見たり、めいめい思うがまま、360度の眺望を楽しんでいた。 我々も仲間に入れてもらい、座り込んで地図を片手にひとつひとつ山容を眺めていった。
赤抜沢ノ頭・地蔵岳の峰続き
観音岳山頂を後にして、白砂の鞍部まで下り、更に露岩帯を登り返すと赤抜沢ノ頭に着いた。
地蔵岳との鞍部へ下ると何体もの地蔵尊が置かれていた。
賽の河原
ここが賽の河原と呼ばれる場所である。お地蔵様を山からお借りし、子宝に恵まれると、お借りしたお地蔵様とお礼のお地蔵様を持ってくるのが慣わしであった。その際太鼓をドンドコ叩きながら登った事からドンドコ沢と言われているらしい。
ここに荷物を置いて地蔵岳頂上の岩塔オベリスクの先端部直下まで登ったが、高く長い直立の石柱は断念。青く澄んだ空を背景にして若者は、大岩塔を登りきった。
地蔵岳頂上の若い登攀者を確認
薬師岳を通過し白砂の稜線からシルエットのように見える八ケ岳が特に懐かしい。最も高いのが赤岳。地蔵ノ頭から深く積雪にステップを切って赤岳頂上まで登り切ったが、下山時、足が震えてしまったこと。厳冬期蓼科山から赤岳まで縦走し雪原をさ迷ったこと・蓼科湖でボート底部の割れで沈んでしまったこと・風雨で蓼科山にさえ登れず、シラフ(寝袋)を1日中野原で干しただけで帰ったこと・長い山麓の光景・松原湖…。遠くの八ケ岳連峰を眺めているだけで次から次と古い記憶が甦ってきた。
地蔵岳にやって来た時には、どうしても見ておかなければならない光景があった。昨年の夏、小生は、駒津峰から甲斐駒ガ岳に登った際、黒戸尾根からの登山者と出会った。日本アルプスの中でも屈指のハードコースであり、南アルプスの本来持っている重量感にあふれたルートであることを、改めて教えられた。→クリック甲斐駒ガ岳
体力的に無理なので目に収めておきたかったところである。しばし、切れ込んだ鞍部五合目小屋・刃渡りの辺りを眺めていた…。
八ケ岳連峰 黒戸尾根
賽の川原から長丁場の下りとなった。白砂の斜面を気持ちよく下りダケカンバの森林帯に入っていった。薬師岳小屋の人が言っていたが、「今年は、雪が遅くまで残っていて、花がまだ咲いていない」。そう言えば、あまり目にすることなく縦走してきたようだ。原生林の中ジグザグに下っていくと、鳳凰小屋についた。ここから、御座石鉱泉へ行く道を見送り、五色の滝、白糸の滝、鳳凰の滝、南精進ヶ滝の滝のあるドンドコ沢を選び、青木鉱泉に戻るコースを取った。
晴れ渡った五色の滝
小屋を通り過ぎたところにある道標を右に下っていくとドンドコ沢の川原に出た。この沢の左側沿いにしばらく進み、沢から離れて樹林帯を登り下ったところに最初の滝”五色の滝”の道標に着いた。
滝音がする脇道を伝っていくと、垂直の岸壁を落下する迫力ある滝に出合った。しばし見入った。滝の真下で激しく水飛沫が飛散し、太陽の光が射し込み微かに虹色がみえた。
ガスに覆われた白糸の滝
更に、下っていくと白糸の滝があったが、山裾からガスが迫ってきて、瞬く間に辺りを覆い尽くしてしまった。この間 、時間にして20分でこの様変わりである。改めて山の天気の恐ろしさを垣間見た。
これから現れてくる滝を見ている余裕もなくなり、長い長い下山道をひたすら歩いた。我々チームも疲れているが、他のチームも同様で、抜いたり抜かれたりしながら下っていった。こうなると、無言になる。ただ足を前にやり、坂になっているので足を下ろし地面につける。この行為を繰り返すだけである。尚、急激な段差がある時と岩場では、慎重に足場を選んで危険を避けた。兎に角、この行為を一万回いや、2万回以上を繰り返すことになる。
「馬鹿げた行為だ」となじる人も居れば、「なぜ山に行くのか」との問いもあるが、この繰り返すくだらない行為を行うことが、「人間の生きている証し」であり、それ以上のことも以下でもない。そこには「足を動かす強い意思」が働いているだけ。
オベリスクで出合った中年の夫婦も共に下山してきた。奥さんはいたって元気で跳ね回るように動いているが、若そうな旦那が辛そう。
声を掛けると「両膝が駄目なんです」
奥さんはいたわる様に「いつもこうなんです」
若そうな旦那「山を止めようと思うんですが、なぜか来てしまうんです」
「毎回、うまく登れるかなと思いながら来ているのです」続けて「自分の再発見をしているのです」
山に挑戦して自分の肉体の可能性を確かめるようにやってきているようだ。2本のストックに体を預けるように下山していった。
やっと、ドンドコ沢の川原が見える最後のつづら折れに辿り着いた。ここが戻り地点と思っていたが、そうではなく、川沿いの道が青木鉱泉までかなり続き、完全に膝が、ふくらはぎが悲鳴を上げた。
この鳳凰三山は南アルプスの入門コースと言われているが、想像していたより厳しい山であった。
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わか~い頃、単独行で登りました。
甲斐駒 黒戸尾根もやりましたよ。
今は、絶対いきません、っていうかもう、登れません。笑
厳しい山行だったみたいですが、ご無事でなによりです。

大雪山系の遭難があった時ですか?そんな天候ではやはり山は心配です。富士山の「天使の輪」や「キバナノアツモリソウ」に出会えたのも・・・
なんか ご褒美のようですね~♪
