2015年10月07日 敦賀三山の一つの岩篭山/福井県
3ツの山を一括りにして出羽三山とか鳳凰三山などのように「〇〇三山」と呼ぶことがある。福井県のほぼ中央に位置する敦賀市にも3ツの山、野坂岳・岩籠山・西方ガ岳がある。敦賀の人達にとってこの三つの山は、特別な思い入れがあるのだろう、親しみを込めて「敦賀三山」と呼んでいる。今回、私は岩篭山に訪れ、これらの3山をこの数年で踏破することが出来た。
それぞれに特色があった。
敦賀市内から望める山の中でも、一際目を引くのが、敦賀平野の南にそびえ敦賀で最も高い山「野坂岳」。市街西部の沓見や関から眺める姿が富士に似ており、市民からは「敦賀富士」と呼ばれ、親しまれていた。登山道の途中に一ノ峰、二ノ峰などの呼び名があるが、かつて霊場のなごりである。
西方ヶ岳は敦賀半島に浮かぶ秀峰。名前の由来も、西方浄土のように見えたからであろう。 西方ヶ岳から蠑螺ヶ岳へと縦走した時、海上に浮かぶ白砂の水島が、特に美しかった。
岩籠山の沢沿いの道を渡渉しながら登り詰めると、なだらかに起伏するクマザサの平原が広がっていた。この変化に富んだ岩籠山は、敦賀三山の中でも、最も人気があるようだ。

日付:2015年9月5日(土)
山名:岩篭山(765m)
コースタイム:新疋田9:10 登山口9:50夕暮山分岐12:20(昼食)山頂13:20インディアン平原13:30夕暮山分岐14:20登山口16:30
新疋田17:09
新疋田駅は、塩津駅の次の無人駅であった、その次が、敦賀駅だ。福井県と滋賀県の県境にある身近にある駅である。駅舎は、チェーンソーやオノなどを使ったログハウスの平屋建てで、その内部は鉄道フアンにとって特別なところなのであろうか、賑やかに鉄道写真が飾られていた。 人気もなく閑散とした駅前には、岩篭山登山のコース案内板が目についた。この山を目指人が降り立つのであろう。

店屋も見かけない集落を通り過ぎ、登山口へと向かった。そこには既に数台の自動車が駐車していた。

登山路は、谷川沿いに付けられており、何回も渡渉を繰り返しながら登るルートである。 渡渉と言えば、腰まで浸かって川をわたるように思われるが、そんな大げさ物ではなく、飛び石を伝って渡る程度のものである。
数が多いと聞いていたので、勘定してみた。15回程度勘定していたが、途中から分からなくなってしまった・・・・・多分20以上あるのであろう。


沢を離れて、法面のジグザグの急登になった。ここを乗り切ると夕暮山と岩篭山の分岐点に到達した。ここまで来れば、ひと安心。時間も12時となり、昼食になった。

地図上では、直ぐそばに頂上があるのだが、山では回り込んでいかなければならないことがある。分岐からは、登りのはずが下りとなり不安になっていると、やれやれ登りとなった。尾根を進み、左手に山頂への道を辿って行くと山頂に達した。
日常生活の街並みは、邪魔ものがあれば橋をつけたり、トンネルを掘ったりして直線的で便利ある。でも、地形にそって付けられた山道は、くねくねしている。それでも山に行くのは何だろう。人は合理的な世界だけに、住めないようだ。不便でも自然の中に身を置きたくなるようだ。
養老孟司さんは「都会の人は田舎へ行き、田舎の人は都会へ」と言っている。「都会―田舎・参勤交代論」。

岩篭山頂上からササをかき分けて下って行くと、花崗岩の巨岩が点在していた。インディアンが出没するかのような風景からインディアン平原と呼ばれているようだ。敦賀湾まで見渡すことができ、街並みが眼下に広がっていた。
帰りは、元来た道を引き返した。足が疲れたのか、飛び石を上手く渡れず、何人も谷川にドボン。

それぞれに特色があった。
敦賀市内から望める山の中でも、一際目を引くのが、敦賀平野の南にそびえ敦賀で最も高い山「野坂岳」。市街西部の沓見や関から眺める姿が富士に似ており、市民からは「敦賀富士」と呼ばれ、親しまれていた。登山道の途中に一ノ峰、二ノ峰などの呼び名があるが、かつて霊場のなごりである。
西方ヶ岳は敦賀半島に浮かぶ秀峰。名前の由来も、西方浄土のように見えたからであろう。 西方ヶ岳から蠑螺ヶ岳へと縦走した時、海上に浮かぶ白砂の水島が、特に美しかった。
岩籠山の沢沿いの道を渡渉しながら登り詰めると、なだらかに起伏するクマザサの平原が広がっていた。この変化に富んだ岩籠山は、敦賀三山の中でも、最も人気があるようだ。

日付:2015年9月5日(土)
山名:岩篭山(765m)
コースタイム:新疋田9:10 登山口9:50夕暮山分岐12:20(昼食)山頂13:20インディアン平原13:30夕暮山分岐14:20登山口16:30
新疋田17:09
新疋田駅は、塩津駅の次の無人駅であった、その次が、敦賀駅だ。福井県と滋賀県の県境にある身近にある駅である。駅舎は、チェーンソーやオノなどを使ったログハウスの平屋建てで、その内部は鉄道フアンにとって特別なところなのであろうか、賑やかに鉄道写真が飾られていた。 人気もなく閑散とした駅前には、岩篭山登山のコース案内板が目についた。この山を目指人が降り立つのであろう。
店屋も見かけない集落を通り過ぎ、登山口へと向かった。そこには既に数台の自動車が駐車していた。
登山路は、谷川沿いに付けられており、何回も渡渉を繰り返しながら登るルートである。 渡渉と言えば、腰まで浸かって川をわたるように思われるが、そんな大げさ物ではなく、飛び石を伝って渡る程度のものである。
数が多いと聞いていたので、勘定してみた。15回程度勘定していたが、途中から分からなくなってしまった・・・・・多分20以上あるのであろう。
沢を離れて、法面のジグザグの急登になった。ここを乗り切ると夕暮山と岩篭山の分岐点に到達した。ここまで来れば、ひと安心。時間も12時となり、昼食になった。
地図上では、直ぐそばに頂上があるのだが、山では回り込んでいかなければならないことがある。分岐からは、登りのはずが下りとなり不安になっていると、やれやれ登りとなった。尾根を進み、左手に山頂への道を辿って行くと山頂に達した。
日常生活の街並みは、邪魔ものがあれば橋をつけたり、トンネルを掘ったりして直線的で便利ある。でも、地形にそって付けられた山道は、くねくねしている。それでも山に行くのは何だろう。人は合理的な世界だけに、住めないようだ。不便でも自然の中に身を置きたくなるようだ。
養老孟司さんは「都会の人は田舎へ行き、田舎の人は都会へ」と言っている。「都会―田舎・参勤交代論」。
岩篭山頂上からササをかき分けて下って行くと、花崗岩の巨岩が点在していた。インディアンが出没するかのような風景からインディアン平原と呼ばれているようだ。敦賀湾まで見渡すことができ、街並みが眼下に広がっていた。
帰りは、元来た道を引き返した。足が疲れたのか、飛び石を上手く渡れず、何人も谷川にドボン。
Posted by
nonio
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16:10
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福井県の山
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