2010年08月28日    西の湖・大中干拓地を歩む

  琵琶湖湖畔には、さまざまな自然が広がっています。その特質すべき景観の一つが、「内湖」です。浅く小さな湖沼は、琵琶湖と水路などで繋がっているのです。

 この内湖には、豊かな生命を育むアシが群生し、水路を伝ってやってきた魚の産卵場になり、稚魚の成育場として大切な役割を果たしてきました。そして、琵琶湖に点在する内湖の中で、近江八幡市と安土町にかけて広がっている「西の湖」が最も大きいようです。
 安土町、近江八幡市、能登川町にまたがる「サイクリングよし笛ロード」沿いの水辺からでは、のどかなヨシやエリのある風景が広がっています。が、私にとっては、やはり「西の湖」を一望できる安土城跡の捴見寺跡が最も気に入っているところです。丸山、長命寺山、八幡山などの山々が「西の湖」に浮かぶような景観は、琵琶湖の原風景と思えたのです。

 この辺りの内湖としては、「西の湖」と少し小さめの「伊庭内湖」だけが、遠い昔から長々と存在していたと思っていました。
西の湖・大中干拓地を歩む

 安土山の最高点の天守台跡のこずえの間からの眺めは、見渡す限りの田んぼが広がり、内湖も見当たらなく、人工的な要素さえ感じさせる平凡な風景でした。

 能登川から近江八幡にかけての平野の真っ只中にたたずむと、昔から邪魔する山塊もなく、この平地が存在し、大型農業機械を駆使し近代的な農業が営まれてきた田園地帯との理解をしていました。ここが埋めたてられたていたとは、ユメユメ知らなかったのです。 
 
西の湖・大中干拓地を歩む

 かって、戦国時代、織田信長が安土山に安土城を築城した折の眺めは、どうであったのでしょうか。 
 この地形図が明治26年測図(大日本帝国陸地測量部)です。安土山(安土城跡)は、伊庭内湖、安土内湖そして西の湖に囲まれ、その北には大中の湖があったのです。この間、土木機械もなく、たかが人力による土木工事が行われたとしてもたいしたこともないので、この地図通り安土城は、三方の山麓まで琵琶湖の内湖がせまり、半島状の突き出した地形に築城されていた。信長が思い巡らした水上城のイメージが浮かんできます。 

西の湖・大中干拓地を歩む
 
 琵琶湖湖畔には、大小いくつもの内湖を形成していたのですが、そのほとんどが、昭和32年に大中の干拓事業が始まり昭和39年に陸地化して湖は消えてしまったのです。大中の湖、安土内湖は跡形もなく陸地化され、伊庭内湖はほんの一部が残されているだけです。不思議にも西の湖は、殆ど残されています。
安土城は、水上に造られたものでしたが、全部陸続きに変貌してしまいました。それも昭和に入ってからです。 最も驚いたのが、大中の湖の大きさです。諏訪湖より大きい内湖であったのです。今は、「大中の湖」の名残から「大中」と呼ばれ農業が営まれています。

 食料増産と言う名目で、堤防で琵琶湖と切り離し、ポンプで水をくみ出して陸地にしていきました。いわゆる干拓工事がはじまったのです。 
 第二次世界大戦が起こり、食料増産・農地造成が叫ばれるようになると、昭和17年に始まった小中の湖(安土町)を皮切りに、松原内湖(彦根市)や、野洲川下流の野田沼と、干拓工事が進められていきました。昭和26年、野洲川下流では、野田沼(39.5ha)の他に繁昌池(33.8ha)も干拓されています。中でも大中湖干拓(安土町)の規模は1,145haと大きく、工事には21年間もの歳月を要しています。

この結果、琵琶湖周辺に存在した大小約40の内湖のうち、16ヶ所が干拓され、総干拓面積は2,521haの水域が消えてしまいました。

 お上は、「淡水の干拓には塩害の心配はありません。干拓後すぐに作付けすることができ、食料増産に大きく貢献できる事業との基に工事が進められました」と一仕事をした言わんばかりの態度はいただけません。確かに、終戦後、食糧難の時代であり、農地の確保は仕方がないとして、その背後にある長々と行われてきた土木工事がいかがなものかと思っています。

 「内湖を一度埋め立てると元に戻せない」のです。アメリカ、先住民であるインディアンに伝わっていることわざがあります。「土地は子孫の借り物
 いろんな自然の財産を引き継ぐと言うことは、祖先からの贈り物として、贈られてきたものを将来の世代に託していくのが、一般的な解釈なのですが、「まだ、この世に生まれていない将来の世代から自然を借りているのだ」と言うのです。この重みを分かるべきです。
 
 ところで、近畿農政局整備部の「水土里の近畿を次世代に」の次世代とはどのように理解しているのでしょうか。問うてみたいです。
 
 今から70年ほど前、米を作るために内湖を田んぼに作り変える工事が始まり、40年ほど前に、琵琶湖湖畔には、大小いくつもの内湖があったのですが、今は「西の湖」とわずかの「伊庭内湖」だけの地形に変貌したのです。 

まだ、この世に生まれていない将来の世代に、皆さんどう釈明しますか…。

 

参考ブログ
西の湖ヨシ刈り体験
安土ウォーキング(安土城) 




同じカテゴリー(滋賀を歩く)の記事画像
四つ葉のクローバーが教えてくれたこと
水位の低下が紡ぐ琵琶湖の幻の道
三上山でホトトギスとの出会い
彼岸花の多彩な色彩と意味
40年に一度の花が咲いた/水生植物公園みずの森
ウツギの魅力と思い出/花緑公園にて
同じカテゴリー(滋賀を歩く)の記事
 四つ葉のクローバーが教えてくれたこと (2024-06-18 07:17)
 水位の低下が紡ぐ琵琶湖の幻の道 (2023-12-28 03:47)
 三上山でホトトギスとの出会い (2023-11-17 09:38)
 彼岸花の多彩な色彩と意味 (2023-10-09 22:35)
 40年に一度の花が咲いた/水生植物公園みずの森 (2023-07-07 06:04)
 ウツギの魅力と思い出/花緑公園にて (2023-06-17 01:49)

Posted by nonio at 11:38 │Comments( 0 ) 滋賀を歩く
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。