2010年06月20日    天寧寺五百らかん(彦根)

  中山道の鳥居本宿から高宮宿へ足を運んでいた時、「天寧寺五百らかん」の道標が目に入った。何となくこの文字が私を呼び込んでしまい、日を改めてやってきた。原町の外れ、国道306号と交わる所に八幡宮があり、この街道沿いに道しるべが建っていた。天寧寺五百羅漢の地図

 この道標には、正面「天寧寺 五百らかん 江 七丁餘」側面「すぐ ひこ祢」「天保十五年甲辰」と深く彫られ風化が進んでいなかった。第3回目滋賀県中山道(鳥居本~高宮)

天寧寺の五百らかんへは距離にして約800m。真っ直ぐ進めば彦根の町に行けることを示し、作られたのは、江戸末期1844年と結構年期も入った道標であった。

天寧寺五百らかん(彦根) 五百羅漢が祀られた天寧寺は、城下町を一望できる里根山の中腹にあった。この寺から、正面に彦根城が眺められ、この城と因縁があるかのような位置にあった。

 天寧寺のお上さんがその訳を話してくれた。「彦根城での出来事であった。男子禁制の中、腰元若竹が、子供を宿していると云う事がわかった。噂が彦根城主井伊直中公の耳に入った。激しい拷問も行なわれたが、相手の名を何度も問いただした。しかし父の名を明かさなかった。このため、腹の子と共に手打ちされた。だが、若竹の死後、その不義の子の父親が、直中公の長子直清であったことがわかった。

 初孫を殺したことを知ってしまった。苦悩した直中公は、若竹とその子(つまり自分の孫)を不憫に思い、お城が見える里根山に天寧寺を建立し、そこに五百らかんを安置した」と話してくれた。
  
 天寧寺五百らかん(彦根) 仏堂に入るとひんやりとしていた。 室内は、紙障子越しの優しく、温もりのある明かりがある中に、驚くほど多くの羅漢さまが祀られていた。

 ほのかに光が射しこんで来る面を背にして、木造五百羅漢は、南向き中央に如来さまと十の弟子が祀られ、これを取り囲むように五百羅漢が安置されていた。少し大きな羅漢像が16体、全部で527体あった。この壮大な像に圧倒された。

 「亡き親子供いとしい人に会いたくば五百羅漢にこもれ」と言われるほど色々な顔があると言われていたが、こちらの羅漢さんもあちらの羅漢さんからも見られているようで落ち着かなかった。
必ず自分の探し求める人の顔があると言われていたが、それどころでなかった。この雰囲気に慣れるまで暫し、時間がかかった。

 少し慣れてくると一体一体ゆっくりと眺めていくと素朴で表情豊かな顔が徐々に直視できるようになってきた。
 
 菩薩さまのような、完成された柔和な顔つきと違って、笑った顔、怒った顔、困った顔、悲しそうな顔など様々な顔をしていた。前列の左方に余りにも悲しそうな顔は心に留め、もっとも嬉しそうな顔を写し撮った。
天寧寺五百らかん(彦根) 羅漢さんは、お釈迦様の下で修行したお坊さんで、修行の様々な姿を見る事ができて庶民と同じような世界におられ、むしろ親しみを持って接する事ができた。



著名な羅漢図/羅漢像












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Posted by nonio at 18:55 │Comments( 0 ) ウォーク
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