2009年06月09日    野洲ウォーキング

日付 2009年5月28日(木)
コースタイム  野洲駅 9:00  三上神社 10:00  近江富士花緑公園 12:00~12:20
          銅鐸博物館 14:00 甲山古墳 14:15  野洲駅14:50


ウォーキングマップ       コース 
野洲ウォーキング 野洲ウォーキング  我が野洲市は、円錐形の三上山の横に野洲川が流れる風光明媚なところである。三上山(標高432m)は秀麗な山容から「近江富士」ともよばれ多くのハイカーがその姿に魅せられ四季折々に訪れてくる。

 今回は、三上山の頂上に登らず刻々山の姿が変っていく麓を一周することにした。この道は、日頃慣れ親しんで歩いているところでもある。昔に視点を置いてウォーキングを試みたところ、日頃気にもとめてなかった事柄に新しい発見を見出した。
 朝鮮人街道は、徳川家康のお気に入りの吉道で、参勤交代にも使わせない道であったことや、庄屋土川平兵衛(つちかわへいべえ)と言うリスペクトされていた人物が野洲に存在したことを知った。更に、篠原大岩山の銅鐸、甲山古墳の石棺の出所などから古墳時代まで想いを馳せることが出来たウォーキングとなった。

 このルートは既に三上山11変化

 
 さて、野洲南口駅から、朝鮮人街道の分岐点の三叉路に向かった。写真の右側が中山道で左側が朝鮮人街道の表示板が立ってあった。
 小生は、大阪で生まれ野洲市に引っ越してきたので、幼少時代に培われる土地感もなく、且つ、歴史的な背景も持ち合わせていない。これが幸いして出合うひとつひとつが真新しく興味深い。
 「朝鮮人街道は日本国を大きく見せるための蛇足の道…」との風評を聞いたことがあり、付け足しのイメージが強い街道と思っていた。よく調べてみるとただ単なる脇街道だけではなかったことが分り、安直に判断を下してはいけないと思った。
 この街道は、徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利し、京都に上洛時に用いられた。その後、将軍が上洛の際に使われた吉道となった。そして、朝鮮人街道と呼ばれるようになったのは、朝鮮からの慶賀使節団である朝鮮通信使に使用するようになってからである。 滋賀県野洲市行畑で中山道から分岐し、八幡・安土・彦根を経由して、滋賀県彦根市鳥居本で再び中山道に合流している。織田信長の時代は、城下安土を通り、もっとも琵琶湖に近くて、景色のよい街道でもあったと伝えられている。由緒ある街道であったことを改めて知った。
          
                    朝鮮人街道の分岐点                                                             
野洲ウォーキング
                        
  更に、進んで行畑(ゆきはた)に大小2つのお地蔵さんが並んでいたのは知っていたが、素通りしていた。背くらべ地蔵の名の由来が書いてあった。お地蔵さんと背くらべをして、小さいほうのお地蔵さんと同じくらいの背になれば、「もう一人前だ」と言われたそうだ。

                       「背くらべ地蔵」


 8号線沿いに御上神社があり、この神体山・三上山は、俵藤太のムカデを弓矢で退治したという伝説で知られている。山は二つの峰からなり、男山・女山とよばれ、頂上には信仰の山の例に漏れず巨石の盤座があり奥宮が祀られる。
 三上山初登山大会
                         三上山
野洲ウォーキング


 三上山野洲ウォーキングの裏登山路の入口に「天保義民碑」が立てられていた。天保の飢饉の際、庄屋土川平兵衛らの偉業をしのぶ碑であるが、甲南をウォーキングするまでは、あまり関心もなく、単なる歴史上の石碑の類であった。
 一昨年、JR草津線甲南駅の北西1キロほど行った矢川神社の入り口に、10mを越す巨大な石燈籠が建てられていた。この指導者が野洲の出身であったことを、そこで始めて知り、親近感を覚えた。
1842年、旧甲賀郡、旧野洲郡 旧栗太郡の総勢約数千人の農民がいっせいに蜂起し、三上村に向かい、検地役人のいる三上村を包囲した。これが、歴史的に有名な天保一揆である。                    
短い測量竿で測り、従前との増加面積を年貢として取り立てる不正な検地に対しての抗議であった。

「経済対策として給付金支給、三年後からは、消費税増税による税金の取り立て」 今も昔も御上のやることはあまり変らない。
                         
 
 三上神社付近から雨が降り出してきた。今日の天気予報では、午後4時ごろから雨予報であったが、午前10時頃から”ぽつぽつ”と降り出し、北桜では、かなり降り出した。三上山の周辺は、予報通りの天気にならない特別な地域だ。
麦畑の向こうにある菩提寺山(353.3m)は、雨の中霞んでいた。8号線沿いから見られる三上山は、端正な姿をしているが、裏の若宮神社横から眺めた三上山は、双耳峰である。だが、写真では滅多に紹介されていないのが不思議だ。田園地帯に溶け込んだ三上山は、なだらかな曲線を持ち、実に素晴らしい山並みをしている。 近江富士表裏

                      雨に霞む菩提寺山

 

 野洲市は銅鐸の里として知られているので、銅鐸博物館に寄ることにした。この建物の裏側に大岩山があり、中腹から銅鐸が見つかった。 明治14年に14ケ、昭和37年には、10ケ出土した。日本最大の高さ134.7㎝・重さ45.47㎏。銅鐸は、弥生時代に作られた青銅製の鐘で、祭祀に使用された。

 前々から、なぜ小篠原大岩山で24ケの多くの銅鐸が埋葬されていたのか長らく疑問を持っていた。たまたま広報”やす”「6月号大岩山銅鐸から見えてくるもの」でその解説があった。ここは、弥生時代の終わりから古墳時代への社会の移り変わりを示す地域であった。銅鐸は、米つくりが始まった弥生時代には祭器で重要な道具であった。ところが、3世紀後半、財力を蓄えてきた権力者が出現した。彼らにとっては、銅鐸が邪魔になり壊したり、かき集められて埋められたと推測されている。この大岩山は、昔の廃棄物処分場であった。

                        銅鐸博物館
野洲ウォーキング

 桜生(さくらばさま)史跡公園には甲山古墳があった。直径34㍍の円墳で低い入り口(羨道)を6㍍ほど入っていくと中は長さ6.6㍍、幅2.6㍍、高さ3.2㍍の石の部屋があり、そこには大きな凝灰岩を刳り抜いた家型の棺がおさめられていた。案内板には、「長さ2.6m幅1.6m高さ約2.0mの熊本県宇土半島の凝灰岩でつくられた家形石棺…」と書かれていた。この熊本県・凝灰岩で「おや」と思った。

 小生、岡山に単身赴任したことがあった。会社が休みになると、岡山市内から総社まで吉備路をよく歩いた。この一帯は、縄文時代に稲が持ち込まれ、弥生時代には集落が出来ていた。そして、古墳時代には、巨大な古墳を多くつくられていた。この中に巨大な前方後円墳の造山古墳の石棺が、阿蘇の凝灰岩でつくられたことを思い出した。当時九州の石材でつくられた石棺が瀬戸内海沿岸を通って岡山の内陸部までどのようにして運ばれたのか ...」と思いを馳せたことがあり、よく覚えていた。
今回、さらに奥深い近畿内までどうして運んだのか、更に疑問が出てきた。さらに、野洲のこんなところに権力が存在したのか益々分からない。
 なぜなら、吉備は、中国山地の風化した花崗岩があり、多くの砂鉄を含んでおり、「たたら跡」も多く見かけた。吉備は出雲をしのぐ鉄の一大産地だった。つまり、石器に代わって鉄製の鎌や鍬、鋤といった農業用具をいち早く普及させていた。古墳時代の吉備は、こうして得た豊かな経済力で多くの人口を支え、やがて大和に対抗しうる吉備王国になっていた。この結果、古墳群が出来上がったことが容易に推測できた。 それに引き換え、野洲の大岩山古墳群は、なにをバックに出来上がったのであろう。また、こんなとろまで「熊本県宇土半島の凝灰岩」の情報がどうして伝わってきたのか…次から次となぞが多過ぎる。深入りすると益々分からなくなってきた。

              桜生(さくらばさま)史跡公園の甲山古墳

野洲ウォーキング  



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Posted by nonio at 12:00 │Comments( 1 ) 滋賀を歩く
この記事へのコメント
こんにちは~!!
こんな話興味深くてロマンがあり、大好きです~♪
いつも丁寧に解り易く書いて頂きありがとう御座います。
   特に古代の話は好きです!!
不思議な事が沢山あり、いろいろ調べたら面白いでしょうね!
銅鐸・凝灰岩・・・・夢がありますね!!
コピーさせて頂いていいですか?
Posted by パルパル at 2009年06月10日 16:13
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