2009年05月30日 湿原を擁する峰床山
日付2009年5月9日
山名 峰床山
コースタイム 野洲駅 7:40 葛川学校前 9:10 二叉出合 9:45
中村乗越 10:55~11:05 オグロ坂峠 11:20
峰床山頂上 11:50~12:40 二叉出合 14:30 葛川学校前 15:00
ルート地図 地図 →葛川学校前
峰床山(970.0m)は、京都府の最高峰皆子山に次ぐ高さである。と言っても、僅か1.5mの差である。ここには、八丁平という高層湿原があり、関西の尾瀬とも呼ばれ親しまれている。この峰床山へのルートは、色々ある。滋賀県側からは、葛川学校前から伊賀谷を遡り中村乗越(のっこし) を経由して八丁平を経るのが最もポピュラーな登山路である。このコースが計画され参加した。
琵琶湖大橋を渡り”途中”を経由して敦賀街道国道367号線に入った。直ぐに、曲がりくねる道路になり高度を上げ花折れトンネルと向かった。助手席に乗っていても「坂道になるとアクセルを踏み、急カーブになるとあわててブレーキを…」と頭の中で忙しく運転をしているようだ。トンネルを通り過ぎると安曇川を挟んで比良山系に突き上げている急峻な谷は、付け根から真っ直ぐ空に向かい、迫力を感じ、緊張感が走った。この感覚は、何回通っても背筋がピンとする。なぜなら、これから始まる比良山系の出足の登りは、慣れることがなく辛い。
ところで、対峙している左側の谷は、正直言ってあまり見ていなかった。今回は、違っていた。下坂下、木戸口を越えると谷にヘバリ付くように葛川学校が建っていた。古めかしい狭い橋を渡り目的地に着いた。ここは、伊賀谷の入口部である。
葛川学校前の駐車場に全員が集結することになっていたが、我々は、最も早く着いたようだ。 狭い駐車場に他のメンバーの自動車も入ってきた。八丁平に行く人、釣り人等などで予想以上ににぎわった。時間もあるので辺りを散策すると、谷下に、釣り師が渓流釣り竿に”毛ばり”を付け準備にかかっていた。安曇川越しに出町柳からきたバスがやってきた。誰か降りるかなと思いつつ眺めていると、登山のいでたちの夫婦と思われる2人がバス停に降り立った。バスで来れば、もとに戻ることなく花脊方面に抜けることも出来そうだ。
そうこうしていると、我がチームも揃い出発準備も整い、大勢が、新緑の林道を辿っていった。林道は、峰床山・八丁平を源流とし安曇川に流れ込む支流沿いにつけられている。数日前の雨のため豊富な水が流れ、瀬音を聞きながらさわやかな出発となった。30分ほどで大岩がある林道終点に着き、ここで丸木橋を渡って伊賀谷に入った。
大岩のある二叉出合

沢沿いに歩き、飛び石伝いに何回か渡渉を繰り返し、やがて谷を離れ植林帯を登ることになった。この作業道は、非常に歩き易い。斜面をジグザグに登るのだが、曲がり角は急な勾配が付けられているが、その続きは平坦の道になり、息が整えられる工夫が凝らされている。何回か繰り返している内に、人工林からいつの間にか自然林になり、以外に早く中村乗越に着いた。ここが京都、滋賀の府県境である。
のびやかに育った木々の中を下っていくと、八丁平の回遊路にでた。六尺道である。この道は戦国時代、武将が逃げ延びた道であり、かって若狭小浜から花背・鞍馬をへて京へ塩鯖を運んだ旧街道の一部で由緒ある古道である。
「京都の自然二百選」の標識があった。京都府は「優れた自然については将来にわたって保存すべき」として選定している。また、「京都市自然100選」もあり、自然を保護する意識が非常に高い。
北に向かって緩やかに登っていくと2人組みの腕章を付けた監視員に出会った。栗の殻が多いことを話すと「ここは、動物たちが住んでいる」話してくれた。「八丁平は、大昔、湿原が形成され、アカマツ、ミズナラが生育し浮島が出来てきた」ことなども説明された。
八丁平「京都の自然二百選」の標識

八丁平の自然林

六尺道は歩き易い道である。オグロ坂峠へ向かっていくと、峠にはお地蔵さんが祀られていた。ここからは、尾根伝いに、八丁平側を巻くようにして高度を上げていき、峰床山に着いた。
昼食後、先ほど登って来た道の右側の道を下ると展望がよいところにやってきた。真正面に見えるのが皆子山である。今までに2度登っているが、非常に昔であるがすごい熊笹で、皆子山の頂上に立ったが、ここが頂上かと思うほど狭いところで何も見えなかったことを記憶している。当時、京都府で最も高い山であることもあまり知られていなかった。この山は、1923年今西錦司が皆子谷を詰め、初登頂し、その後、自分の娘の名を「皆子」としたのは、有名な話。
2年ほど前、皆子山に行く機会があった。北の方角のヤブが切り払われて、比良の山々が少し見えていた。峰床山は、位置的に足尾谷を挟んでいるので見える筈だが、よく分からなかった。正確には、峰床山の山の存在すら定かでなく、全く興味もなかった。 しかし、逆に、峰床山から皆子山を眺めていると、峰床山の丹波高地は、比良山地の蓬莱山、権現山と対峙しており、2ツが親近感を持って近くに感じられた。そして、この一帯を散策したい衝動にも駆られた。
峰床山から皆子山を望む
関西ではめずらしい木道
湿原
クラガリ谷への分岐があり、左折し木の階段を下ると八丁平の周遊道出会いを右に向かった。八丁平の風景を楽しみながら湿原を守るための木道を進んだ。まもなく道は八丁平の南端の分岐に差し掛かり、左折して中村乗越へと帰路についた。
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山名 峰床山
コースタイム 野洲駅 7:40 葛川学校前 9:10 二叉出合 9:45
中村乗越 10:55~11:05 オグロ坂峠 11:20
峰床山頂上 11:50~12:40 二叉出合 14:30 葛川学校前 15:00

峰床山(970.0m)は、京都府の最高峰皆子山に次ぐ高さである。と言っても、僅か1.5mの差である。ここには、八丁平という高層湿原があり、関西の尾瀬とも呼ばれ親しまれている。この峰床山へのルートは、色々ある。滋賀県側からは、葛川学校前から伊賀谷を遡り中村乗越(のっこし) を経由して八丁平を経るのが最もポピュラーな登山路である。このコースが計画され参加した。
琵琶湖大橋を渡り”途中”を経由して敦賀街道国道367号線に入った。直ぐに、曲がりくねる道路になり高度を上げ花折れトンネルと向かった。助手席に乗っていても「坂道になるとアクセルを踏み、急カーブになるとあわててブレーキを…」と頭の中で忙しく運転をしているようだ。トンネルを通り過ぎると安曇川を挟んで比良山系に突き上げている急峻な谷は、付け根から真っ直ぐ空に向かい、迫力を感じ、緊張感が走った。この感覚は、何回通っても背筋がピンとする。なぜなら、これから始まる比良山系の出足の登りは、慣れることがなく辛い。
ところで、対峙している左側の谷は、正直言ってあまり見ていなかった。今回は、違っていた。下坂下、木戸口を越えると谷にヘバリ付くように葛川学校が建っていた。古めかしい狭い橋を渡り目的地に着いた。ここは、伊賀谷の入口部である。
葛川学校前の駐車場に全員が集結することになっていたが、我々は、最も早く着いたようだ。 狭い駐車場に他のメンバーの自動車も入ってきた。八丁平に行く人、釣り人等などで予想以上ににぎわった。時間もあるので辺りを散策すると、谷下に、釣り師が渓流釣り竿に”毛ばり”を付け準備にかかっていた。安曇川越しに出町柳からきたバスがやってきた。誰か降りるかなと思いつつ眺めていると、登山のいでたちの夫婦と思われる2人がバス停に降り立った。バスで来れば、もとに戻ることなく花脊方面に抜けることも出来そうだ。
そうこうしていると、我がチームも揃い出発準備も整い、大勢が、新緑の林道を辿っていった。林道は、峰床山・八丁平を源流とし安曇川に流れ込む支流沿いにつけられている。数日前の雨のため豊富な水が流れ、瀬音を聞きながらさわやかな出発となった。30分ほどで大岩がある林道終点に着き、ここで丸木橋を渡って伊賀谷に入った。
大岩のある二叉出合

沢沿いに歩き、飛び石伝いに何回か渡渉を繰り返し、やがて谷を離れ植林帯を登ることになった。この作業道は、非常に歩き易い。斜面をジグザグに登るのだが、曲がり角は急な勾配が付けられているが、その続きは平坦の道になり、息が整えられる工夫が凝らされている。何回か繰り返している内に、人工林からいつの間にか自然林になり、以外に早く中村乗越に着いた。ここが京都、滋賀の府県境である。
のびやかに育った木々の中を下っていくと、八丁平の回遊路にでた。六尺道である。この道は戦国時代、武将が逃げ延びた道であり、かって若狭小浜から花背・鞍馬をへて京へ塩鯖を運んだ旧街道の一部で由緒ある古道である。
「京都の自然二百選」の標識があった。京都府は「優れた自然については将来にわたって保存すべき」として選定している。また、「京都市自然100選」もあり、自然を保護する意識が非常に高い。
北に向かって緩やかに登っていくと2人組みの腕章を付けた監視員に出会った。栗の殻が多いことを話すと「ここは、動物たちが住んでいる」話してくれた。「八丁平は、大昔、湿原が形成され、アカマツ、ミズナラが生育し浮島が出来てきた」ことなども説明された。
八丁平「京都の自然二百選」の標識

八丁平の自然林

六尺道は歩き易い道である。オグロ坂峠へ向かっていくと、峠にはお地蔵さんが祀られていた。ここからは、尾根伝いに、八丁平側を巻くようにして高度を上げていき、峰床山に着いた。
昼食後、先ほど登って来た道の右側の道を下ると展望がよいところにやってきた。真正面に見えるのが皆子山である。今までに2度登っているが、非常に昔であるがすごい熊笹で、皆子山の頂上に立ったが、ここが頂上かと思うほど狭いところで何も見えなかったことを記憶している。当時、京都府で最も高い山であることもあまり知られていなかった。この山は、1923年今西錦司が皆子谷を詰め、初登頂し、その後、自分の娘の名を「皆子」としたのは、有名な話。
2年ほど前、皆子山に行く機会があった。北の方角のヤブが切り払われて、比良の山々が少し見えていた。峰床山は、位置的に足尾谷を挟んでいるので見える筈だが、よく分からなかった。正確には、峰床山の山の存在すら定かでなく、全く興味もなかった。 しかし、逆に、峰床山から皆子山を眺めていると、峰床山の丹波高地は、比良山地の蓬莱山、権現山と対峙しており、2ツが親近感を持って近くに感じられた。そして、この一帯を散策したい衝動にも駆られた。
峰床山から皆子山を望む

関西ではめずらしい木道

湿原

クラガリ谷への分岐があり、左折し木の階段を下ると八丁平の周遊道出会いを右に向かった。八丁平の風景を楽しみながら湿原を守るための木道を進んだ。まもなく道は八丁平の南端の分岐に差し掛かり、左折して中村乗越へと帰路についた。
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Posted by
nonio
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