2009年05月25日 雲の流れの赤坂山
日付 2009年5月14日(木)
山名 赤坂山
コースタイム マキノ高原管理事務所 8:40 木平 9:30 明王ノ禿 11:15
赤坂山頂上 11:45 頂上直下 12:10~ 12:30 マキノ高原管理事務所 14:00
新緑のメタセコイア並木道を通りマキノへ向かった。車窓の左側には、滋賀県と福井県の県境に位置する標高800~900m内のなだらかな尾根が遠くからでも確認できた。三国山・赤坂山・寒風山・大谷山と続いている。2年前寒風山から赤坂山間の稜線歩きは、実に素晴らしかった。膝ほどの背丈の笹が山並みを覆い、実にのびやかな尾根歩きであった。時折、強い風が柔らかな曲線に沿って吹き、これになびいてススキが揺れ動く中を進んだ。風の微妙な強さに応じてススの穂先が波打つ様子が実に美しい。眼下の琵琶湖を眺めながらの縦走は、想像していた以上に快適であった。
一方、ここは豪雪地帯でもある。今年、1月11日、寒風山を目指したが、歩行不可能におちいりP562mで時間切れで撤退を余儀なくされた。前日から降った雪は、ドカ雪となり、一歩踏み出すと足の付け根までめり込んだ…。戦いが終わり、ラッセルで深く掘れ込んだルートを下山していく時、雪景色の琵琶湖は、滅多に見られない美しさであった。→腰までのラッセル
ここ赤坂山一帯は、優しい顔と厳しい顔を持ち合わせた魅力あるところである。
マキノ高原管理事務所から高原を歩き出し、赤坂山と寒風山の分岐点で道標に示された通り右に向かった。1本松を過ぎた所にトイレとベンチがあり、ここが登山口だ。登山道を入るとすぐに丸太が付設された階段が続く。この辺りは、花崗岩質の風化が進み、階段内の土砂は流失され、丸太のみが残り非常に歩きにくい状態だ。殆どの人が階段を避けて歩くため、階段の脇の傾斜部には踏み跡が出来ていた。調子ガ滝分岐を過ぎると少し勾配が緩やかになって、木々の隙間から琵琶湖も見えた。小生の背丈175㎝より少し高い潅木にピンク色の花が咲いていた。この潅木に「タニウツギ」と書いた表示板が付けられていた。この潅木が群生しているのではないかと予想したが、その通り、次から次と現れた。よく観ると、花冠は5つからなり白い花柱が顔を覗かせていた。
タニウツギ
50分ほどでブナの木平(483m)に着いた。あずまやで休憩したがあまり落ち着かなかった。なぜなら、以前、この場所に張り紙がしてあった。”すずめばちで、近寄らないで…”。
鳥の声がさえずる新緑の尾根を過ぎると、沢沿いのせせらぎの音を聞きながらの登りとなった。堰堤を過ぎた辺りから沢を離れつづら折れの道になり、石畳みの趣のある道になった。この道はマキノと福井とを結ぶ粟柄峠(あわがらごえ)の古道である。
この峠道は飛鳥期の大昔に開かれ、若狭と近江を結ぶ交易路として海産物や木炭を運ぶ重要な峠道として利用された。牛の背に乗せて運んだと言われており、無理なくゆっくりと高度を上げていくように工夫され造られている。
この道に感謝しながら登っていった。この辺りの峠道の両脇には、イワカガミが見所の時期を迎えたのであろう、咲き乱れていた。葉に光沢があるので”カガミ”に見立てて「イワカガミ」と命名されているが、先日、蕎麦粒山ではイワウチワに出会った。葉はイワカガミ以上に光沢があったが、”鏡”でなく”うちわ”で命名されているのが、いささか矛盾を感じた。
それはそれとして、花の基部は10ケ以上の筒状の花が鈴なりになってみごとな色合いであった。赤味かかったものからピンク色そして白ぽいものまであった。それにしても、カタクリは1本も見られなかった。既に時期が遅いようだ。
イワカガミ
さらに、送電線の鉄塔を通り過ぎ高原状を進み笹原に出ると広々とした峠に着いた。ここまで登ってくると日本海からまともに吹きつける風が厳しい、横向きの風にさらされながら低木に覆われた斜面を登り詰めると見覚えのある頂上にでた。ここは、益々吹き荒れていた。ここで展望を楽しむ気にもなれず、そのまま明王ノ禿まで行き、再びもと来た道を引き返した。早々に下山した。
時間もあるので、マキノ高原管理事務所の駐車場の車上から、山陰から盛り上がってくる雲を飽きもせず眺めていた。退屈はしなかった。
発達してくる雲は次から次と湧き上がってくる。色んな形が出来上がり、変わって行き、消えていくのが実におもしろい。形を追っていくと無残にも消えてしまう。この無形の世界に引きずりこまれて行った。
「松下幸之助」翁の言葉がある。 「人の世は雲の流れの如し」 青い空に、ゆったりと白い雲が流れていく。 ...
移動する雲
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こんばんは、赤坂山再挑戦されたそうで良かったですね!
スキー場よりの丸木階段はどうしても端っこの道を登る方が楽なように思居ます、
天気が良くて良かったですね。