自生している「シュンラン」が、山野草を愛でる見知らの人から、伊吹山麓にあることを聞いた。春蘭が咲く時期は、「わらび」が芽生えてくる頃と友人から教えてもらっていたので、4月13日、原生場所もはっきりしていなが、兎に角、当てのない蘭探しに一人で出かけた。
春蘭は、山に行っても中々出会えるものでもない。今まで出会ったのは、湖北の日計山、鈴鹿の鞍掛峠から焼尾岳の奥と数えるほどすくない。
目にするのは、深鉢に瀟洒な姿をした春蘭であった。丹精を込めて栽培されたのであろう、洗練された気品が漂っていた。しかし、わたしにとっては、如何に美しくとも、それはそれだけであった。栽培しょうとする気にはならなかった。
春蘭は、日本代表する野生ランで、山より里山や人里に近い山地の雑木林などに自生しているようである。 春蘭は水捌けの良い、日当たりの良い南東に面した風通しの良い斜面等に自生しているので、この条件に見合う伊吹山麓を探し求めて歩き回った。
伊吹山の山頂には雪が残ってまだ時期が早かった。一株だけだが、清楚な淡黄緑色の花を見つけた。中央に一際大きい長女その両脇に次女達、合わせて仲の良い三姉妹なのであろうか、ひっそりとしていたが、精一杯に花を咲かせていた。野生の蘭は格が違っていた。私達は「ここにいるよ」という顔をして、私を呼び込んでいた。


弓なりの姿から腰がまがったおじいさん・おばあさんに例えて、”ジジババ”とも言われている。

春蘭は、山に行っても中々出会えるものでもない。今まで出会ったのは、湖北の日計山、鈴鹿の鞍掛峠から焼尾岳の奥と数えるほどすくない。
目にするのは、深鉢に瀟洒な姿をした春蘭であった。丹精を込めて栽培されたのであろう、洗練された気品が漂っていた。しかし、わたしにとっては、如何に美しくとも、それはそれだけであった。栽培しょうとする気にはならなかった。
春蘭は、日本代表する野生ランで、山より里山や人里に近い山地の雑木林などに自生しているようである。 春蘭は水捌けの良い、日当たりの良い南東に面した風通しの良い斜面等に自生しているので、この条件に見合う伊吹山麓を探し求めて歩き回った。
伊吹山の山頂には雪が残ってまだ時期が早かった。一株だけだが、清楚な淡黄緑色の花を見つけた。中央に一際大きい長女その両脇に次女達、合わせて仲の良い三姉妹なのであろうか、ひっそりとしていたが、精一杯に花を咲かせていた。野生の蘭は格が違っていた。私達は「ここにいるよ」という顔をして、私を呼び込んでいた。


弓なりの姿から腰がまがったおじいさん・おばあさんに例えて、”ジジババ”とも言われている。

3月20日(水)、滋賀県野洲市の鏡山の山中に、あまり知られていないが何本かの「タムシバ」の木がある。仲間と入山したのだが、花が咲くには時期が早かったようだ。この時、Hさんが「土山に自生している瀧樹神社の『ユキワリイチゲ』を知っているか」と話しかけてきた。
先日、伊吹山麓で初めて出合った「あずまいちげ」の語尾と同じであったので興味を持った。一華とは一本の茎に一本の花が咲いていることを示す言葉である。漢字で一花といえばよいのに一華を使うのであろうか。調べてみると、花の形を表す象形文字として”華”ができ、その後、”花”という形声字ができた。つまり、花の形を表すのにふさわしい文字が一華というわけだ。
さて、雪を割って花が咲くことから、「雪割」というのだろうが、すでに温かくなったこの時期に本当に咲いているのだろうか疑問であった。
兎に角、24日(日)半信半疑で、妻を誘って、野洲川沿いの瀧樹神社へ行ってみた。
新名神高速道の土山ICを出て、野洲川に架かる橋を渡り終わった左側に、こんもりとした森があった。その中に由緒ありそうな瀧樹神社があった。鳥居を潜り、本殿には行かずに野洲川の川べりに出たところに、茎の高さは10-20cm、直径3-3.5cmの花が群生していた。
妻は一言「やかましいほど咲いている」とはしゃいでいた。

白味を帯びた淡い紫色の花びらは、気品のある顔をしていた。日射しがすくなく半開きのようであった。


カメラを持った人が、この花を目当てに辺りをうろついていた。
一人の男性が「滋賀県に早春の花(スプリング・エフェメラル)を探しに来た」と妻に話しかけてきた。私も加わって話を聞くと「この神社にユキワリイチゲが自生していると知り、わざわざ金沢から300km走ってきた」と話していた。
帰りに、伊吹山の山麓の大久保に寄ってみると言っていたので、先日行った様子を子細に伝えた。 その見返りと言うわけではないが、伊吹周辺の土手に咲く春蘭の自生地を教えてもらった。
境内には、樹齢600~700年の御神木があり、歴史ある神社である。石灯籠の立ち並ぶ長い参道を通り、帰宅した。

先日、伊吹山麓で初めて出合った「あずまいちげ」の語尾と同じであったので興味を持った。一華とは一本の茎に一本の花が咲いていることを示す言葉である。漢字で一花といえばよいのに一華を使うのであろうか。調べてみると、花の形を表す象形文字として”華”ができ、その後、”花”という形声字ができた。つまり、花の形を表すのにふさわしい文字が一華というわけだ。
さて、雪を割って花が咲くことから、「雪割」というのだろうが、すでに温かくなったこの時期に本当に咲いているのだろうか疑問であった。
兎に角、24日(日)半信半疑で、妻を誘って、野洲川沿いの瀧樹神社へ行ってみた。
新名神高速道の土山ICを出て、野洲川に架かる橋を渡り終わった左側に、こんもりとした森があった。その中に由緒ありそうな瀧樹神社があった。鳥居を潜り、本殿には行かずに野洲川の川べりに出たところに、茎の高さは10-20cm、直径3-3.5cmの花が群生していた。
妻は一言「やかましいほど咲いている」とはしゃいでいた。

白味を帯びた淡い紫色の花びらは、気品のある顔をしていた。日射しがすくなく半開きのようであった。


カメラを持った人が、この花を目当てに辺りをうろついていた。
一人の男性が「滋賀県に早春の花(スプリング・エフェメラル)を探しに来た」と妻に話しかけてきた。私も加わって話を聞くと「この神社にユキワリイチゲが自生していると知り、わざわざ金沢から300km走ってきた」と話していた。
帰りに、伊吹山の山麓の大久保に寄ってみると言っていたので、先日行った様子を子細に伝えた。 その見返りと言うわけではないが、伊吹周辺の土手に咲く春蘭の自生地を教えてもらった。
境内には、樹齢600~700年の御神木があり、歴史ある神社である。石灯籠の立ち並ぶ長い参道を通り、帰宅した。

2月中ごろあれだけ真っ白だった伊吹山もすでに雪も融け、地肌が見えてきました。その山麓には、可憐な山野草が咲き始めていました。
滋賀県米原市で開催される「セツブンソウふれあい祭り」には、かなり辺鄙な里山にも拘わらず、大勢の人が押し寄せてきていました。昨年、3月17日では、セツブンソウが盛りでしたが、今年、同じ日であったが、もう終わりを告げていました。一週間ほど早まったようです。
伊吹山の裾の沿いの大久保集落より、少し奥に足を延ばすと下板並集落があります。ここまでくると、人出もまばらになり、ゆったりと坂道を上っていきました。小川のある土手に次の出番は私と言わんばかりに「アズマイチゲ」が咲いていました。漢字で「東一華」と書くそうです。あずまとは東の国を指し、「一華」とは一本の茎に一輪の花が咲いていることらしい。
ゆったりとした時間を過ごしました。



滋賀県米原市で開催される「セツブンソウふれあい祭り」には、かなり辺鄙な里山にも拘わらず、大勢の人が押し寄せてきていました。昨年、3月17日では、セツブンソウが盛りでしたが、今年、同じ日であったが、もう終わりを告げていました。一週間ほど早まったようです。
伊吹山の裾の沿いの大久保集落より、少し奥に足を延ばすと下板並集落があります。ここまでくると、人出もまばらになり、ゆったりと坂道を上っていきました。小川のある土手に次の出番は私と言わんばかりに「アズマイチゲ」が咲いていました。漢字で「東一華」と書くそうです。あずまとは東の国を指し、「一華」とは一本の茎に一輪の花が咲いていることらしい。
ゆったりとした時間を過ごしました。



先日、賤が岳に行った時、「せんぶり」に混じって可憐な花が群生していました。仲間から「この花、何という名前ー」と聞かれた。私に聞かれてもチンプンカンプン。
この花はよく見かける花であるので、兎に角、写真を撮っておいた。
私の知恵袋T女史に、数枚の写真メールを入れておいた。
返事がすぐにあった。「コウヤボウキ」。
何の関連もなしに、花と葉をみて名前が出てくる。よく覚えているもだと何時も感心させられる。
調べてみると、高野山に竹がなかったので、枯れた「コウヤボウキ」を集めて箒を作ったといわれている。
私にとっては、このことが分かって、始めて、その花の名前とその存在が認知できるのだが、彼女は、そのまま丸のみで、理解してしまう。私にとっては、まねできない能力。
この花はよく見かける花であるので、兎に角、写真を撮っておいた。
私の知恵袋T女史に、数枚の写真メールを入れておいた。
返事がすぐにあった。「コウヤボウキ」。
何の関連もなしに、花と葉をみて名前が出てくる。よく覚えているもだと何時も感心させられる。
調べてみると、高野山に竹がなかったので、枯れた「コウヤボウキ」を集めて箒を作ったといわれている。
私にとっては、このことが分かって、始めて、その花の名前とその存在が認知できるのだが、彼女は、そのまま丸のみで、理解してしまう。私にとっては、まねできない能力。

10月20日、HI女史に教えてもらった希望が丘の天山山ろくに群生して咲いていた「アキチョウジ(秋丁子)」の写真を撮ってそのままにしておいた。
その時、筒状の青紫色の花であることは覚えていたが、この花の名前もうろ覚えであった。
その後、たまたま、この花の話がでた。
秋に咲く代表的な花であることを知り、その姿と名前が一致した。
アキチョウジ花言葉は「秘めやかな思い」
希望が丘のアキチョウジ

「今日、山野草が綺麗に咲いていた」と耳にすることがあります。そんな時、私は「幸運だったね」と話します。
と言うのは、想い入れた山野草が花びらを開花させるまで、時間がかかるのです。それも長く続かず一時で萎んでしまいます。
何回も日参して、めぐり逢えるのです。だから、開花状態の山野草に出逢うことは、貴重な出会いなのです。
希望が丘の天山の山麓に、センブリの花が咲きました。半月ほど見守りました。花びらに淡紅色の筋が5本入っていました。この縦のストライブ模様により、花全体が引き締まり、清潔感が漂っています。秋に咲く希望が丘の中で、この花が一級品です。
センブリはどこにでも咲く山野草。でも、私にとっては、身近な希望が丘に咲いていることに、値打ちを感じているのです。「何時咲くのか。何時咲くのか」と楽しみに通います。

わずかに膨らんできたつぼみ

この山野草は胃腸の薬草でした。「良薬口に苦し」の謂れの通り、千振(せんぶり)は千回振りだしても、煎じ液は苦味が消えなかった。このことから、和名はせんぶりと言われるようになった。
それにしても、この気品に満ちた姿をしている山野草に苦いイメージのあるせんぶりの名前は、可哀そう。

と言うのは、想い入れた山野草が花びらを開花させるまで、時間がかかるのです。それも長く続かず一時で萎んでしまいます。
何回も日参して、めぐり逢えるのです。だから、開花状態の山野草に出逢うことは、貴重な出会いなのです。
希望が丘の天山の山麓に、センブリの花が咲きました。半月ほど見守りました。花びらに淡紅色の筋が5本入っていました。この縦のストライブ模様により、花全体が引き締まり、清潔感が漂っています。秋に咲く希望が丘の中で、この花が一級品です。
センブリはどこにでも咲く山野草。でも、私にとっては、身近な希望が丘に咲いていることに、値打ちを感じているのです。「何時咲くのか。何時咲くのか」と楽しみに通います。

わずかに膨らんできたつぼみ

この山野草は胃腸の薬草でした。「良薬口に苦し」の謂れの通り、千振(せんぶり)は千回振りだしても、煎じ液は苦味が消えなかった。このことから、和名はせんぶりと言われるようになった。
それにしても、この気品に満ちた姿をしている山野草に苦いイメージのあるせんぶりの名前は、可哀そう。
タグ :天山
ワレモコウとは、いつぞやこの文言に出会っているようだ。が、この言葉が単なる普通名詞なのか、それともどこかの固有名詞ではないかと思ったりしていた。
10月 14日希望が丘公園で、3回目自然観察会が行われるにあたって、下見を実施するとの連絡がHa氏からあった。講師がHi女史。彼女は、このあたりの丘陵地帯・里山の地形を掌握しながら自生している山野草を知り尽くしている。日ごろから、各季節に咲く山野草の居場所を駆けめぐっているひとである。何回か一緒したことがあるので、山野草に造詣が深いことは常々知っていた。
9日午後スポーツセンターから、天山の山麓・源流コースを辿り、山野草を求めて探索した。次から次と名前を説明してもらった。15程度の写真を撮りながら、メモを取っていった。そのうち、メモするのも諦め、聞き流しながらどんどん進んでいった。彼女に申しわけなかったが、ほとんどの名前は、忘却の彼方・・・・。
だが、ただひとつだけ、心に留まった名前があった。茎をすらーと伸ばした、その先の穂状の可憐な花を指しながら「これがワレモコウだよ」と説明された。どこかで聴いたことがある懐かしさが込みあがる言葉であった。
楕円形の穂は、暗紅色に色づいていた。よく観ると、なぜか寂しさが漂っていた。


9日午後スポーツセンターから、天山の山麓・源流コースを辿り、山野草を求めて探索した。次から次と名前を説明してもらった。15程度の写真を撮りながら、メモを取っていった。そのうち、メモするのも諦め、聞き流しながらどんどん進んでいった。彼女に申しわけなかったが、ほとんどの名前は、忘却の彼方・・・・。
だが、ただひとつだけ、心に留まった名前があった。茎をすらーと伸ばした、その先の穂状の可憐な花を指しながら「これがワレモコウだよ」と説明された。どこかで聴いたことがある懐かしさが込みあがる言葉であった。
楕円形の穂は、暗紅色に色づいていた。よく観ると、なぜか寂しさが漂っていた。

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」 と美人の姿や振る舞いを花に見立てて形容する言葉があります。百合の花が、風になびいて揺れるさまを優雅な女性にたとえたのでしょう。
さて、野洲川河辺林にある竹林のボランティア伐採作業をしている時、ユリにしては大ぶりな薄黄緑色した数個の花を見つけました。花弁は百合によく似ているので百合と思うのですが、何かが違っていた。この何かが分からなかった。
眺めている内に、わかってきた。日ごろ見慣れていた百合は、か細い茎に支えられた花弁をうつむき加減にして、控え目に風に揺れていた。が、この花弁は風にも動じない水平又は上向きにがっしりとしていた。そして、花を咲かしながら根元の葉が枯れかかっていた。どう見ても、百合と言えない、やぼったい容姿であった。
タキイに勤めていた仲間のS氏に「この花なんという名前」と尋ねると、即座に「うばゆり」と返事があった。
「『うば』とは老女の姥、それとも乳母」と聞きなおすと、
そうだな「姥と書くようだ。花が咲いている下の葉(歯)がぼろぼろと枯れているところか、”姥”とつけられた」と説明してくれた。

私は、山野草の名前を確認することにこだわってきた。名前の由来を聞くことにより、一層その植物に親しみが沸くからだ。 しかし、山野草の名前は、いい加減なものも多い。つけられた山野草が可哀そうにと思うこともある。ところで、この「うばゆり」は、つぼみを持っているのに、姥とつけられているのが、いささか気にもなるが、この花が醸し出す姿からすると、命名はうまく言い当てているようだ。
ところで、私は、乳母と書いた方がしっくりしているように思った。
すでに乳母という言葉は死語に近いが、遠い昔、宮廷貴族では、がっしりとした乳母が生母になり代わって、歯がなくなるまで生児のために授乳させた。このことにちなんで、「乳母ゆり」してはどうかと思った。
クマガイソウは滋賀県の絶滅危惧種41種に指定され、中々目にすることができない植物である。見つけると盗掘されてしまうので、クマガイソウを見ることは難しくなってきた。
この花の名前「クマガイ」は人の名前「熊谷」から付けられたものですが、 この花は、かわいいとか清楚と言った種類ではなく、一度みると「これ花・・・」と言いたくなるユニークな形をしている。「どのような構造をしているのか覗きこみたくなる」不思議な植物である。
5月30日滋賀県米原市奥伊吹山にて


この種の花に出会ったのは2度目であった。次は紅紫色のアツモリソウに出会いたいと思っている。稀少種キバナアツモリソウ
この花の名前「クマガイ」は人の名前「熊谷」から付けられたものですが、 この花は、かわいいとか清楚と言った種類ではなく、一度みると「これ花・・・」と言いたくなるユニークな形をしている。「どのような構造をしているのか覗きこみたくなる」不思議な植物である。
5月30日滋賀県米原市奥伊吹山にて


この種の花に出会ったのは2度目であった。次は紅紫色のアツモリソウに出会いたいと思っている。稀少種キバナアツモリソウ
先日、山野草を求めて伊吹山3合目に行った。帰りにとある伊吹山の山麓の山野草を見に連れて行ってもらった。
今回の観察会で、美しい形をしたもの、愛嬌のあるもの、滅多に出会わないものなど色々な植物に出会った。その中で、私を魅了するひとつがあった。
この山野草は、北海道から九州地方まで、広く分布する多年草で、乾燥地や林中の半日陰の草地で生育している。取り立てて珍しい花でもないと説明された。だけど、私にとっては、初めて眼にする魅惑的な山野草に思えた。
草丈15~20cmで花弁の姿はスマートと言い難く「ずんぐり」しているが、2色の色彩が異彩を放っていた。花びらの色合いが青色というより、青紫色。いや、言葉上、コバルトブルーがしっくりしているようだ。この色を背景にして、中央に白い星形の盛り上がったストライブが眼を惹き、私を誘ってきた。
自然界の色彩は、単純に、言い尽くせない色合いをしている。あえて、言葉で表現すると、青と白の色彩の組み合わせにより、清涼感のあるさわやさが漂い、清澄な気分にさせた。
5月15日、雨が降っていたが、この可憐な花を求めて再び伊吹山麓へ出かけていった。微かな地形の記憶を頼りに、案内された居場所を探し求めた。竜王~関が原インター間の時間より、倍以上の時間がかかってしまった。

この花は”ほたる”が付けられている。横から見ると赤みがある。これがホタルの光と例えた由来らしい。この言葉の後に”カズラ”が付けられている。漢字で「葛」、茎が地面を這って伸びる”つる”のことである。”ホタルカズラ”と呼ばれている。
この花言葉は「高潔・たくらみ」となっていたが、私には少しニアンスが異なるように思えた。清冽とか無垢・・・。

今回の観察会で、美しい形をしたもの、愛嬌のあるもの、滅多に出会わないものなど色々な植物に出会った。その中で、私を魅了するひとつがあった。
この山野草は、北海道から九州地方まで、広く分布する多年草で、乾燥地や林中の半日陰の草地で生育している。取り立てて珍しい花でもないと説明された。だけど、私にとっては、初めて眼にする魅惑的な山野草に思えた。
草丈15~20cmで花弁の姿はスマートと言い難く「ずんぐり」しているが、2色の色彩が異彩を放っていた。花びらの色合いが青色というより、青紫色。いや、言葉上、コバルトブルーがしっくりしているようだ。この色を背景にして、中央に白い星形の盛り上がったストライブが眼を惹き、私を誘ってきた。
自然界の色彩は、単純に、言い尽くせない色合いをしている。あえて、言葉で表現すると、青と白の色彩の組み合わせにより、清涼感のあるさわやさが漂い、清澄な気分にさせた。
5月15日、雨が降っていたが、この可憐な花を求めて再び伊吹山麓へ出かけていった。微かな地形の記憶を頼りに、案内された居場所を探し求めた。竜王~関が原インター間の時間より、倍以上の時間がかかってしまった。

この花は”ほたる”が付けられている。横から見ると赤みがある。これがホタルの光と例えた由来らしい。この言葉の後に”カズラ”が付けられている。漢字で「葛」、茎が地面を這って伸びる”つる”のことである。”ホタルカズラ”と呼ばれている。
この花言葉は「高潔・たくらみ」となっていたが、私には少しニアンスが異なるように思えた。清冽とか無垢・・・。

タグ :伊吹山3合目