2012年03月14日 甲津畑町春の妖精セツブン草
山野草をこよなく愛でている友人から「3月10日付け京都新聞に、『滋賀県東近江市甲津畑町の田んぼにセツブンソウが咲いている』との記事が載っていたが、見に行かない」と携帯メールがあった。その日は都合がつかないので、後日妻と行くことにした。
甲津畑と云えば、滋賀県から杉峠・根の平峠を越えて三重県菰野町千種へ至る「千種越え」があるところだ。この村には、古来からそれぞれの時代を反映した人々が行き来した。織田信長が伊勢へ進攻した際の武士、物資を運搬した近江商人、木を求めた杣人、そして銅山、マンガンの鉱山の鉱夫とにぎやかであった。だが、今は、登山者が通る閑寂な山道となった。甲津畑とは、「千種越え」の入口にあたるところである。
友人にセツブンソウの咲いている場所を電話で確認した。
「甲津畑の集落に入り、川沿いを進む。民家が少なくなったところ左折し・・・・田んぼの石垣の土手のところ」。言葉で説明し難いところは「ああ行って、こう行って」と説明されるも「そおいって、こういって 」と受け答えた。小生も友人も、鈴鹿山系の雨乞岳、イブネ、タイジョウなどの登山でここを訪れているので、地形のイメージができていたので通じ合った。
セツブンソウとの出会いは、数年ぶり。滋賀県側の茶屋川を遡行し、西尾根の秘境ルートで藤原岳を目指した時、フクジュソウの群生帯に出合った。このフクジュソウが咲き誇っている中で、一輪の清楚な花が咲いていた。この時、これがセツブンソウであると教えられた。
甲津畑へ自動車で行く途中、妻に「セツブンソウと言うのは、豆まきの頃に咲くのでセツブンソウ」というのだと得意になって話した。すると妻は「セツブンを漢字で書くと『節分』。本来、季節を分けること、つまり、季節が移り変わる時に咲く花だから」と。そうだなーと口に出して言わなかった。
仕方なしに「2~3月に直径2cmの白い花を咲かせる。白く花弁に見えるのは花びらでなく萼(がく)である。中央の黄色い部分が花びらで、退化したものだ」と学があることを一言いい、小生の立場を保った。
野洲を出かける時に、雪が降っていた。甲津畑の寒村に近づくと一層降雪が酷くなってきたが、友人が指示した近くまで車を進めた。丁度、人なつこいおばあさんに出会った。
セツブンソウが咲いている場所を尋ねると「雪埋まっているので見えないよ」との返事であった。
「折角出かけてきたので、一目みたい」と懇願すると、雪かき用シャベルを持ち出してきて案内してくれた。法面の雪を払い落とすようにして、可憐なセツブンソウを見せてくれた。
「昔は、ずっと向こうの土手までセツブンソウが、咲いていた。最近では、この一角になってしもうた」と心配げに話していた。「昔は、杉峠までセメントをせたろって鉱山に関わる仕事をしていた。その頃、セツブンソウなどの花も気にしていなかった」と話していた。一昔前では、幾らでもその辺に咲き乱れ、自然が豊かであったのであろう。

一昨年12月、この生息地が県から保護区に指定し、レッドデータブックで絶滅危機増大種に指定された。「多くの人に見てほしいが、抜かずにしてほし」とおばあさんが話していた。
このセツブンソウは、次のように訴えているように思えた。
「何十年、何百年、もっとももっと時間をかかって、やっと、この場所に根を降ろしたの」
「私を引き抜いて、持ち帰っても、私、直ぐに駄目になってしまう」
「もし貴方が、私を元気に育ててくれたとしても、貴方の孫、ひ孫、ずっと私の面倒をしてくれると約束してくれるの」
「出来ないならば、私を連れて帰らず、このままにしておいてちょうだい」
「そうすれば、来年、ここでまた会えるから」

気に入ったらクリック願います。

にほんブログ村
甲津畑と云えば、滋賀県から杉峠・根の平峠を越えて三重県菰野町千種へ至る「千種越え」があるところだ。この村には、古来からそれぞれの時代を反映した人々が行き来した。織田信長が伊勢へ進攻した際の武士、物資を運搬した近江商人、木を求めた杣人、そして銅山、マンガンの鉱山の鉱夫とにぎやかであった。だが、今は、登山者が通る閑寂な山道となった。甲津畑とは、「千種越え」の入口にあたるところである。
友人にセツブンソウの咲いている場所を電話で確認した。
「甲津畑の集落に入り、川沿いを進む。民家が少なくなったところ左折し・・・・田んぼの石垣の土手のところ」。言葉で説明し難いところは「ああ行って、こう行って」と説明されるも「そおいって、こういって 」と受け答えた。小生も友人も、鈴鹿山系の雨乞岳、イブネ、タイジョウなどの登山でここを訪れているので、地形のイメージができていたので通じ合った。
セツブンソウとの出会いは、数年ぶり。滋賀県側の茶屋川を遡行し、西尾根の秘境ルートで藤原岳を目指した時、フクジュソウの群生帯に出合った。このフクジュソウが咲き誇っている中で、一輪の清楚な花が咲いていた。この時、これがセツブンソウであると教えられた。
甲津畑へ自動車で行く途中、妻に「セツブンソウと言うのは、豆まきの頃に咲くのでセツブンソウ」というのだと得意になって話した。すると妻は「セツブンを漢字で書くと『節分』。本来、季節を分けること、つまり、季節が移り変わる時に咲く花だから」と。そうだなーと口に出して言わなかった。
仕方なしに「2~3月に直径2cmの白い花を咲かせる。白く花弁に見えるのは花びらでなく萼(がく)である。中央の黄色い部分が花びらで、退化したものだ」と学があることを一言いい、小生の立場を保った。

野洲を出かける時に、雪が降っていた。甲津畑の寒村に近づくと一層降雪が酷くなってきたが、友人が指示した近くまで車を進めた。丁度、人なつこいおばあさんに出会った。
セツブンソウが咲いている場所を尋ねると「雪埋まっているので見えないよ」との返事であった。
「折角出かけてきたので、一目みたい」と懇願すると、雪かき用シャベルを持ち出してきて案内してくれた。法面の雪を払い落とすようにして、可憐なセツブンソウを見せてくれた。
「昔は、ずっと向こうの土手までセツブンソウが、咲いていた。最近では、この一角になってしもうた」と心配げに話していた。「昔は、杉峠までセメントをせたろって鉱山に関わる仕事をしていた。その頃、セツブンソウなどの花も気にしていなかった」と話していた。一昔前では、幾らでもその辺に咲き乱れ、自然が豊かであったのであろう。

一昨年12月、この生息地が県から保護区に指定し、レッドデータブックで絶滅危機増大種に指定された。「多くの人に見てほしいが、抜かずにしてほし」とおばあさんが話していた。
このセツブンソウは、次のように訴えているように思えた。
「何十年、何百年、もっとももっと時間をかかって、やっと、この場所に根を降ろしたの」
「私を引き抜いて、持ち帰っても、私、直ぐに駄目になってしまう」
「もし貴方が、私を元気に育ててくれたとしても、貴方の孫、ひ孫、ずっと私の面倒をしてくれると約束してくれるの」
「出来ないならば、私を連れて帰らず、このままにしておいてちょうだい」
「そうすれば、来年、ここでまた会えるから」

気に入ったらクリック願います。

にほんブログ村
キッコウハグマの不思議と自然への探求/鏡山
彼岸花の多彩な色彩と意味
自然との調和:サギソウの美
オオバノトンボソウの楽園:三上山の攪乱地帯での共生の物語
ウツギの魅力と思い出/花緑公園にて
3年越しに「銀ラン」/野洲市
彼岸花の多彩な色彩と意味
自然との調和:サギソウの美
オオバノトンボソウの楽園:三上山の攪乱地帯での共生の物語
ウツギの魅力と思い出/花緑公園にて
3年越しに「銀ラン」/野洲市
Posted by
nonio
at
22:05
│Comments(
0
) │
山野草
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。