2011年04月01日 雪が降る比叡山回峰行登山
日付 2011年3月26日(土)
山名 比叡山
コース 穴太駅8:30 壷笠山9:30 夢見ケ丘10:00 桜茶屋11:00
明王堂11:50 阿弥陀堂13:00~13:30 紀貫之の墓14:20
庄の辻15:30
3月26日、Sクラブの比叡山回峰行に参加した。この日は、天台宗の僧侶による「比良八講荒れじまい」の法要の日であった。 比良山系から吹く「比良八荒」と呼ばれる強い風が止むとされる日であった。が、天気は荒れ放題となった。そんな中、一瞬だが、自然の穏やかな顔も見せてくれた。
計画された登山コースは、穴太駅・壷笠山・鳥居の柱・明王堂・阿弥陀堂・紀貫之の墓・庄の辻。
穴太駅~壷笠山~鳥居の柱間のルートが、荒れ気味で、SAリーダーは下見に4回訪れやっと通り抜ける道を見つけたと言っていた。壷笠山へ行くには、四ツ谷川沿いの林道を辿り、少しまわり込めば何てことは無いが、直接、壷笠山へ行く「近江から京へ出る白鳥越え」にこだわったようだ。穴太駅から少し南に向かい住宅街から山中に入り、山腹を巻く様にして壷笠山北側の鞍部に出るコースである。
このルートは、国土地理院2万5千分の一の地図に示されているが、利用している人はいないようだ。倒木も多い難路で、二度と同じコースを辿れない。途中で道が崩落していたので、関西電力の巡視路を登り詰め高圧線鉄塔下に出た。更に壷笠山(標高421m)へと目指した。
この山城は浅井長政が信長に抗して築城したとのことで、寄り道をしてみたが、ただの雑木林であった。続いて、鳥居の柱・夢見ケ丘・桜茶屋と通り過ぎていった。この間、くねくねと平坦な山道であった。
この日は「晴れたかなーと思っていると、にわかに雪が降りしきる」荒れ気味の天気であった。
無動寺谷の明王堂にやってきた。ここは、千日回峰行の時の中心のお堂で、不動明王と一体となることを目指す「行」が行われている。この日は、雪が深々と降る中で、総ての障子が閉められていたが、腹に染み入るような読経が辺りに響き渡り、独特の緊張感が漂っていた。
勝手な推測であるが、深夜二時に出発。約30キロを巡拝する後、不動明王に向かいながら勤行(ごんぎょう)が行われていたのであろか‥‥。 先日見た車谷不動磨崖仏←クリックの不動明王は、両手に縄と剣を持っていた。それは衆生を迷いから救うための道具といわれている。だが、ここでは、「生半可な気持ちで不動明王に接するなら、縄で首を吊り、剣で自害せよ」との意味らしい。
昨年6月、比叡山延暦寺で千日回峰行を満行した藤波源信・阿闍梨の話を聴く機会があり、ここには、常々行ってみたいところであった。阿闍梨が死に直面するほどの苦行であるのに淡々と語られたことがとても印象深かった。
阿弥陀堂で少し遅めの昼食後、ケーブル延暦寺駅から下山にかかった。途中紀貫之の墓を経由して、庄の辻に着いた。
山名 比叡山
コース 穴太駅8:30 壷笠山9:30 夢見ケ丘10:00 桜茶屋11:00
明王堂11:50 阿弥陀堂13:00~13:30 紀貫之の墓14:20
庄の辻15:30
3月26日、Sクラブの比叡山回峰行に参加した。この日は、天台宗の僧侶による「比良八講荒れじまい」の法要の日であった。 比良山系から吹く「比良八荒」と呼ばれる強い風が止むとされる日であった。が、天気は荒れ放題となった。そんな中、一瞬だが、自然の穏やかな顔も見せてくれた。
計画された登山コースは、穴太駅・壷笠山・鳥居の柱・明王堂・阿弥陀堂・紀貫之の墓・庄の辻。
穴太駅~壷笠山~鳥居の柱間のルートが、荒れ気味で、SAリーダーは下見に4回訪れやっと通り抜ける道を見つけたと言っていた。壷笠山へ行くには、四ツ谷川沿いの林道を辿り、少しまわり込めば何てことは無いが、直接、壷笠山へ行く「近江から京へ出る白鳥越え」にこだわったようだ。穴太駅から少し南に向かい住宅街から山中に入り、山腹を巻く様にして壷笠山北側の鞍部に出るコースである。
このルートは、国土地理院2万5千分の一の地図に示されているが、利用している人はいないようだ。倒木も多い難路で、二度と同じコースを辿れない。途中で道が崩落していたので、関西電力の巡視路を登り詰め高圧線鉄塔下に出た。更に壷笠山(標高421m)へと目指した。
この山城は浅井長政が信長に抗して築城したとのことで、寄り道をしてみたが、ただの雑木林であった。続いて、鳥居の柱・夢見ケ丘・桜茶屋と通り過ぎていった。この間、くねくねと平坦な山道であった。
この日は「晴れたかなーと思っていると、にわかに雪が降りしきる」荒れ気味の天気であった。
無動寺谷の明王堂にやってきた。ここは、千日回峰行の時の中心のお堂で、不動明王と一体となることを目指す「行」が行われている。この日は、雪が深々と降る中で、総ての障子が閉められていたが、腹に染み入るような読経が辺りに響き渡り、独特の緊張感が漂っていた。
勝手な推測であるが、深夜二時に出発。約30キロを巡拝する後、不動明王に向かいながら勤行(ごんぎょう)が行われていたのであろか‥‥。 先日見た車谷不動磨崖仏←クリックの不動明王は、両手に縄と剣を持っていた。それは衆生を迷いから救うための道具といわれている。だが、ここでは、「生半可な気持ちで不動明王に接するなら、縄で首を吊り、剣で自害せよ」との意味らしい。
昨年6月、比叡山延暦寺で千日回峰行を満行した藤波源信・阿闍梨の話を聴く機会があり、ここには、常々行ってみたいところであった。阿闍梨が死に直面するほどの苦行であるのに淡々と語られたことがとても印象深かった。
阿弥陀堂で少し遅めの昼食後、ケーブル延暦寺駅から下山にかかった。途中紀貫之の墓を経由して、庄の辻に着いた。
Posted by
nonio
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11:47
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滋賀県の山
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