2011年02月12日 厳冬期高野山・明神山・白鹿背山
東近江・高野山~白鹿背山縦走
日付 2011年1月22日
山名 高野山・明神山・白鹿背山
コースタイム 永源寺高野町登山口(水道施設地)9:10 八大竜王祠 12:30~13:00
鉄塔14:00 白鹿背山15:00 東近江開閉所下山17:00
滋賀県東近江市の第十二番札所東光寺には、一度秋に訪れたいところである。ここは、紅葉狩りで有名な湖東三山と永源寺の間に挟まれた穴場の古刹である。
2008年12月、季節はずれの東光寺には静寂が漂っていた。ここで、「白鹿背山」と言う珍しい言葉を知った。「はっかせ」と読む。
「ひしめく幾千の獣を大鹿の背を踏ませて、向こう岸を渡らせた」大鹿と兎の物語から来ている。「白鹿背山」は寺の名前の上に付ける山号で、寺の正式な呼び名は浄土宗「白鹿背山東光寺」である。聖徳太子が開基とされ、当時盛大であったが、今は面影もなくひっそりとしていた。
大覚寺・東光寺の寺院を訪れた後、鈴鹿山系が近江に張り出している山裾を眺めながら永源寺へと走らしていた。たまたま、余りのも無粋な送電線が通っている山容を見つけたので、写真に納めた。ここが、白鹿背山であった。この山に続いて、明神山・高野山と並び、その山の端は愛知川へと没していた。
この山については、関心もなくそのままにしておいたが、「鹿」「背」の言葉であり、無造作に引かれた送電線が強く脳裏にあった。
その後、この山々は時折眺める事があった。鈴鹿山系へ出かける時、永源寺町役場が我々のひとつの集合になっているのだが、ここから山並みを一望する程度であった。このあまり知られていない山域に行くことになった。
コースは、東近江市永源寺高野町から入山し、高野山(684m)明神山(707m)白鹿背山(755m)へと縦走するものだ。
昨年無雪期にこのコースの下見をしたS氏によると、9時ごろ出発して13時半には下山したと言っていたが、今回は、辺りが暮れかけた17時となった。なぜなら、例年にない大雪のため、ワカンを着けた男衆4~5名が、入れ替わり雪を踏み固めながらの苦行の進行となったからだ。
簡易水道の管理施設のあるところから登りだした。ゆっくりとした足取りで順調に進んだ。P509mを少し通り過ぎた辺りから尾根筋の山道を辿った。薄ら雪化粧した雑木やブッシュが途絶えたところで、眼下には東近江平野が手に取るように広がり、集落は雪に埋まっていた。空気が澄みきり、遠く琵琶湖まで見通せた。
高度が上がるに従い、積雪量が急激に増え出した。先頭軍団は雪との戦いが始まった。一番手はルートファイテングに神経を使いながら、雪を踏み込み、2~3番手がさらに踏み固めルートを切り開いていった。
いつの間にか、高野山を通り越していた。急降下し鞍部から急登に変わるところがあったので、通過してしまったことが分かった。尾根通しを進んだので、大幅なずれはないが、高野山のピークを僅かにずれてしまい、気づかなかったかもしれない。 後日談であるが、「高野山」周辺の地形が気になったので詳細に調べている内、「ヤフー地図」で、標高685m地点で明神山と記されていた。ここは、明らかに高野山であり、間違いである。滋賀県 明神山←クリック
植林帯のアップダウンの繰り返しが続いた。いつ終わるとも知れないラッセルに嫌気がした。ただひたすら前進した。直ぐ眼の前に集落がある里山であるにも拘らず、多量の雪があると、一歩前進するにも大変である。
既に12時をまわってしまった。雪山では、安全を規するためタイムリミット12時を設けているが、今日のS氏リーダは最後まで行くつもりのようだ。
そうこうしている内に、明神神社の祠の屋根と「八大竜王雨宮明神社」石碑と見られる一部を見つけた。この地点は明神山近くと思われ、昼食とした。この山は国土地理院の1/25000地図に記銘がなく、684.7mピークを高野山とし、その北707mピークとの間にある山である。おまけに深い積雪のため、明神山のピークは確認できなかった。
ワカンをつけた者は早々に昼食を終わり、先行して道つくりを開始した。急な坂を登りきるとコブが現れた。明神山最高点(707m)を通過していった。
やがて、鉄塔監視路との出合に出た。「ここから時間的にも余裕もないので下山しょう」との意見もあったが、下見の際、鉄塔監視路を下山していないので、そのまま計画通り白鹿背山の頂を目指した。
大きな鉄塔の下に出て一休み後、第二、第三の鉄塔下を通過していった。
白鹿背山頂755mに立ったのは、14時であった。展望もなく閉塞的なところであったので、すぐさま巡視路を辿って下山にかかった。
鉄塔沿いに下り、途中、右に振り行くところを直進したため、イバラのブッシュ帯に踏み込み悪戦苦闘となった。山麓には、関西電力の開閉所が右手に見え、かなりずれてしまっていたが、今更戻る気もなく下り続け、林道に出た。
17時、東近江開閉所付近のデポしてある自動車のところまでたどり着いた。やっと1日が終わった。

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日付 2011年1月22日
山名 高野山・明神山・白鹿背山
コースタイム 永源寺高野町登山口(水道施設地)9:10 八大竜王祠 12:30~13:00
鉄塔14:00 白鹿背山15:00 東近江開閉所下山17:00
滋賀県東近江市の第十二番札所東光寺には、一度秋に訪れたいところである。ここは、紅葉狩りで有名な湖東三山と永源寺の間に挟まれた穴場の古刹である。
2008年12月、季節はずれの東光寺には静寂が漂っていた。ここで、「白鹿背山」と言う珍しい言葉を知った。「はっかせ」と読む。
「ひしめく幾千の獣を大鹿の背を踏ませて、向こう岸を渡らせた」大鹿と兎の物語から来ている。「白鹿背山」は寺の名前の上に付ける山号で、寺の正式な呼び名は浄土宗「白鹿背山東光寺」である。聖徳太子が開基とされ、当時盛大であったが、今は面影もなくひっそりとしていた。
大覚寺・東光寺の寺院を訪れた後、鈴鹿山系が近江に張り出している山裾を眺めながら永源寺へと走らしていた。たまたま、余りのも無粋な送電線が通っている山容を見つけたので、写真に納めた。ここが、白鹿背山であった。この山に続いて、明神山・高野山と並び、その山の端は愛知川へと没していた。
この山については、関心もなくそのままにしておいたが、「鹿」「背」の言葉であり、無造作に引かれた送電線が強く脳裏にあった。

その後、この山々は時折眺める事があった。鈴鹿山系へ出かける時、永源寺町役場が我々のひとつの集合になっているのだが、ここから山並みを一望する程度であった。このあまり知られていない山域に行くことになった。

昨年無雪期にこのコースの下見をしたS氏によると、9時ごろ出発して13時半には下山したと言っていたが、今回は、辺りが暮れかけた17時となった。なぜなら、例年にない大雪のため、ワカンを着けた男衆4~5名が、入れ替わり雪を踏み固めながらの苦行の進行となったからだ。

高度が上がるに従い、積雪量が急激に増え出した。先頭軍団は雪との戦いが始まった。一番手はルートファイテングに神経を使いながら、雪を踏み込み、2~3番手がさらに踏み固めルートを切り開いていった。
いつの間にか、高野山を通り越していた。急降下し鞍部から急登に変わるところがあったので、通過してしまったことが分かった。尾根通しを進んだので、大幅なずれはないが、高野山のピークを僅かにずれてしまい、気づかなかったかもしれない。 後日談であるが、「高野山」周辺の地形が気になったので詳細に調べている内、「ヤフー地図」で、標高685m地点で明神山と記されていた。ここは、明らかに高野山であり、間違いである。滋賀県 明神山←クリック

既に12時をまわってしまった。雪山では、安全を規するためタイムリミット12時を設けているが、今日のS氏リーダは最後まで行くつもりのようだ。
そうこうしている内に、明神神社の祠の屋根と「八大竜王雨宮明神社」石碑と見られる一部を見つけた。この地点は明神山近くと思われ、昼食とした。この山は国土地理院の1/25000地図に記銘がなく、684.7mピークを高野山とし、その北707mピークとの間にある山である。おまけに深い積雪のため、明神山のピークは確認できなかった。

やがて、鉄塔監視路との出合に出た。「ここから時間的にも余裕もないので下山しょう」との意見もあったが、下見の際、鉄塔監視路を下山していないので、そのまま計画通り白鹿背山の頂を目指した。
大きな鉄塔の下に出て一休み後、第二、第三の鉄塔下を通過していった。

鉄塔沿いに下り、途中、右に振り行くところを直進したため、イバラのブッシュ帯に踏み込み悪戦苦闘となった。山麓には、関西電力の開閉所が右手に見え、かなりずれてしまっていたが、今更戻る気もなく下り続け、林道に出た。


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Posted by
nonio
at
11:56
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滋賀県の山
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