2010年07月27日 西の湖水郷めぐり
近江八幡市内の「水郷めぐり」は数社あるが、何時も同じところに行ってしまう。北之庄町にある豊年橋の「近江八幡和船観光協同組合」だ。と言うのは、「日本一遅い乗り物」手漕ぎ船があるからだ。滋賀で近江鉄道ほど遅い乗り物はないと思っていたが、なお、遅い乗り物である。近江独特のゆったりとした時間を楽しむ文化が息づいているようだ。
和船は、後部に櫓杭(ろぐい)の突起を、入子(いれこ)に差込、水を切って漕いでいくのだ。
一定のテンポの櫓の漕ぐ音を聞きながら、あちこちから野鳥のさえずりを聴く。舟遊びほど優雅で贅沢な遊びはない。
近江八幡の水郷は、秀吉の甥、豊臣秀次が八幡山城を築かせ、同時に琵琶湖を行き来する船を城の内堀ともいうべき八幡堀に引き入れた。東は北之庄町より、西は長命寺湖畔近くまで全長5kmある。ここは、大津・堅田と並んで三大港と呼ばれていた。湖上を往来する北陸と関西の物資を満載した船は、八幡港に寄港し大いに賑わっていた。今も土蔵・倉庫群は往時の繁栄を物語っている。
この運河に雅な宮中の舟遊びに似せて、豊年橋から広がる水郷地帯へ船めぐりをしたと伝えられており、これが今に伝わる近江八幡水郷めぐりの発祥だと言われている。
ところで、待合室には、元祖と名乗っている所以を示すためか、有名な人が訪れた証しとして古ぼけた写真・サインなどが壁に所狭しと掲げているのが、いささかつや消しだ。
それにしても、常々思っていることだが、船頭さんが櫓を漕ぎながら案内をされるのだが、どこをどういって帰ってくるのか見当が付かない。狭い水路には名前が付けられているようだ。瓦用の泥が取れる「かわら堀」、桜並木のある「サクラ堀」、田が焼けたと言う「やけた」、花嫁を乗せた「嫁入り水道」など、説明されると、そのときは納得するのだが。西の湖を行って帰ってくる水路を辿っているのに違いないのだが、迷路のように迫ってくる風景を眺めていると方向が分からなくなってくる。
話がそれるが、南アルプス北岳・甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳などに入山するには、戸台~北沢峠まで長谷村村営バスを利用しなければならない。このときに南アルプススーパー林道沿い咲いている山野草を運転しながら懇切丁寧に説明してくれた。あるときにはバスを止めてまで。
最後に運転手は「山野草の名前はすべて忘れてください」少し間をおいて「山野草の名前を忘れたら、もう一度、ここにやってきてください」と名台詞を思い出した。
水路の行く先は、調べないでベールに包まれているほうが風情を楽しめるようだ。
水の通り道がいくつもつながっている水路を奥に進むと、また別の湖が現れる。
舟遊びは、座って観覧するので、水面近くから見上げるようになる。そして限られた視点から辺りを窺うので、風景が大きく見える。ゆっくりと船が進むに連れて風景が、本のページを繰るように変わっていく。この贅沢な風景の移っていく様に堪能した。
内湖の水辺には、ヨシ原が続き、鳥や魚が、生活や産卵の場所として利用し、生命のゆりかごになっている。ヨシに囲まれた水面には「かいつぶり」が泳ぎまわっていた。ヨシの茂みに目をやると今いたと思った瞬間に潜ってしまい、思わぬところに、すずしい顔をして泳いでいた。余りにもすばしこく動くので目で追うのが難しい。
この水路には、「やなぎ」が自生している。 やなぎと云えば、 枝が垂れ下がった細長の「しだれ柳」と思っていたが、これとは一見してとても違った姿をしていたが、大木を指して「川柳」と船頭さんが説明された。
実際には、一般の人々が考えるよりヤナギの種類は多く、ヤナギ属で日本に自生するものには、ネコヤナギ、カワヤナギ、タチヤナギ…などがあるそうだ。
以前、「早崎内湖ビオトープ」について、村上宣雄氏から「やなぎ」の話を聴いたことがあった。
豊かな自然を取り戻すため、干拓田を元の内湖に戻そうとする動きが進み、拓田の4分の1を灌水し調査を行われていた。
観察結果から アカメヤナギは平成16年の秋頃から急に増えて、平成17年から群落を形成したと話されていたことを思い出した。川原では、柳がいち早く生育することを知った。
実際、至る所の水路に、柳が繁茂していることを目にして、生命力の強い植物であることを改めて分かった。
突然、船頭さんから「あしとよし」は違うとの説明があった。ここに来るとこの話が出てくる。
近江八幡の葭業者はヨシの近くに生えているヨシによく似た荻などをアシと呼ぶらしい。
ヨシは枯れた茎の中が空洞のため軽くて優れた素材であるが、荻は海綿状のものが詰まっていて役に立たないので悪しと言う。司馬遼太郎の「街道をゆく」でも「ヨシ」「アシ」の論議で違うとの立場のようだ。
アシ博物館館長・西川嘉廣氏に言わせると「ヨシ」「アシ」は植物学的には同じである。
先生、万葉歌約4500首を丹念にしらべたようだ。『奈良時代には「アシ」と歌われた言葉が多く見かけられたが、「ヨシ」と言う言葉がなかった。さらに、平安末期に、「なにはわたりには、あしとのみいひ、あずまのかたには、よしといふ」と記されていた。つまり、関東では「アシ」を「ヨシ」と言っていた。その後、アシが「悪し」と同音なのを嫌い「善し」に通じるヨシに変わってきた』と言うのである。その結果、現在では「ヨシ」と言うのが主流になったというのである。この説は、代々西の湖で「アシ」の卸商を営んできた生家の西川嘉廣氏より直接聞いた話である。
西の湖ヨシ刈り体験

一定のテンポの櫓の漕ぐ音を聞きながら、あちこちから野鳥のさえずりを聴く。舟遊びほど優雅で贅沢な遊びはない。

この運河に雅な宮中の舟遊びに似せて、豊年橋から広がる水郷地帯へ船めぐりをしたと伝えられており、これが今に伝わる近江八幡水郷めぐりの発祥だと言われている。
ところで、待合室には、元祖と名乗っている所以を示すためか、有名な人が訪れた証しとして古ぼけた写真・サインなどが壁に所狭しと掲げているのが、いささかつや消しだ。
それにしても、常々思っていることだが、船頭さんが櫓を漕ぎながら案内をされるのだが、どこをどういって帰ってくるのか見当が付かない。狭い水路には名前が付けられているようだ。瓦用の泥が取れる「かわら堀」、桜並木のある「サクラ堀」、田が焼けたと言う「やけた」、花嫁を乗せた「嫁入り水道」など、説明されると、そのときは納得するのだが。西の湖を行って帰ってくる水路を辿っているのに違いないのだが、迷路のように迫ってくる風景を眺めていると方向が分からなくなってくる。
話がそれるが、南アルプス北岳・甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳などに入山するには、戸台~北沢峠まで長谷村村営バスを利用しなければならない。このときに南アルプススーパー林道沿い咲いている山野草を運転しながら懇切丁寧に説明してくれた。あるときにはバスを止めてまで。
最後に運転手は「山野草の名前はすべて忘れてください」少し間をおいて「山野草の名前を忘れたら、もう一度、ここにやってきてください」と名台詞を思い出した。
水路の行く先は、調べないでベールに包まれているほうが風情を楽しめるようだ。

舟遊びは、座って観覧するので、水面近くから見上げるようになる。そして限られた視点から辺りを窺うので、風景が大きく見える。ゆっくりと船が進むに連れて風景が、本のページを繰るように変わっていく。この贅沢な風景の移っていく様に堪能した。
内湖の水辺には、ヨシ原が続き、鳥や魚が、生活や産卵の場所として利用し、生命のゆりかごになっている。ヨシに囲まれた水面には「かいつぶり」が泳ぎまわっていた。ヨシの茂みに目をやると今いたと思った瞬間に潜ってしまい、思わぬところに、すずしい顔をして泳いでいた。余りにもすばしこく動くので目で追うのが難しい。

実際には、一般の人々が考えるよりヤナギの種類は多く、ヤナギ属で日本に自生するものには、ネコヤナギ、カワヤナギ、タチヤナギ…などがあるそうだ。

豊かな自然を取り戻すため、干拓田を元の内湖に戻そうとする動きが進み、拓田の4分の1を灌水し調査を行われていた。
観察結果から アカメヤナギは平成16年の秋頃から急に増えて、平成17年から群落を形成したと話されていたことを思い出した。川原では、柳がいち早く生育することを知った。
実際、至る所の水路に、柳が繁茂していることを目にして、生命力の強い植物であることを改めて分かった。
突然、船頭さんから「あしとよし」は違うとの説明があった。ここに来るとこの話が出てくる。
近江八幡の葭業者はヨシの近くに生えているヨシによく似た荻などをアシと呼ぶらしい。
ヨシは枯れた茎の中が空洞のため軽くて優れた素材であるが、荻は海綿状のものが詰まっていて役に立たないので悪しと言う。司馬遼太郎の「街道をゆく」でも「ヨシ」「アシ」の論議で違うとの立場のようだ。
アシ博物館館長・西川嘉廣氏に言わせると「ヨシ」「アシ」は植物学的には同じである。
先生、万葉歌約4500首を丹念にしらべたようだ。『奈良時代には「アシ」と歌われた言葉が多く見かけられたが、「ヨシ」と言う言葉がなかった。さらに、平安末期に、「なにはわたりには、あしとのみいひ、あずまのかたには、よしといふ」と記されていた。つまり、関東では「アシ」を「ヨシ」と言っていた。その後、アシが「悪し」と同音なのを嫌い「善し」に通じるヨシに変わってきた』と言うのである。その結果、現在では「ヨシ」と言うのが主流になったというのである。この説は、代々西の湖で「アシ」の卸商を営んできた生家の西川嘉廣氏より直接聞いた話である。
西の湖ヨシ刈り体験
琵琶湖の鳥たちとの出会い/浮御堂
薹の文字から見るフキノトウ
「新春の光を追いかけて――比叡山と三上山の風景から」
四つ葉のクローバーが教えてくれたこと
水位の低下が紡ぐ琵琶湖の幻の道
三上山でホトトギスとの出会い
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Posted by
nonio
at
11:44
│Comments(
2
) │
滋賀を歩く
この記事へのコメント
パルさん
こんばんは
ここ西の湖は、埋め立てられず、水郷めぐりをやっています。
私は、すき焼きを食べた事がないので、一度食べてみたいと思っています。
「ヨシ」「アシ」の論議は、司馬遼太郎の「街道をゆく」でも触れられていますが、西川嘉廣氏の説が正しいように思っています。
こんばんは
ここ西の湖は、埋め立てられず、水郷めぐりをやっています。
私は、すき焼きを食べた事がないので、一度食べてみたいと思っています。
「ヨシ」「アシ」の論議は、司馬遼太郎の「街道をゆく」でも触れられていますが、西川嘉廣氏の説が正しいように思っています。
Posted by nonio
at 2010年07月31日 00:22

今日は凌ぎやすくホッとしています~♪
昔 一度だけ和船に乗り、すき焼きを頂きながら安土まで行きました!
何故かその時「潮来花嫁さん」♪の歌が浮かんで、こうして船に揺られて~と想像してました!
ヨシは「悪(あし)」 なので「善(よし)」と云うようになったとnonioさんに教えて頂いたように思っています。
昔 一度だけ和船に乗り、すき焼きを頂きながら安土まで行きました!
何故かその時「潮来花嫁さん」♪の歌が浮かんで、こうして船に揺られて~と想像してました!
ヨシは「悪(あし)」 なので「善(よし)」と云うようになったとnonioさんに教えて頂いたように思っています。
Posted by パル at 2010年07月29日 15:10
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