2012年03月29日 三島由紀夫の金閣寺
友人が三島由紀夫の代表作ともいわれている『金閣寺』を読んでいるというので、本棚を探し、読み始めた。1950(昭和25)年、林養賢による金閣寺放火事件を題材にしたものである。
この小説は、名作と言われるだけあって、読むのに骨が折れた。そこで、読み方として、素読み後、金閣の「美」に絞って精読してみた。この小説は、私小説ふうではないが、三島自身の美学が語られている。
作者は吃音に悩み、心に暗いかげりを抱く醜い青年僧侶を通して、その対極である美の極致とした金閣を語っている。現実の金閣と心に描く金閣を行き来しながら、青年[私」は、金閣の美しさが絶対的な美として心の中に支配していくにしたがい、この幻影が自らを追い詰めていく。そして醜い[私」と美の象徴である金閣と繋ぐ方法を見出した。この二つが同化するには、金閣もろとも焼く以外にないと決意した心の葛藤を綴っている。
作者は「どうあっても金閣は美しくなければならなかった」そして「金閣そのものの美しさよりも、金閣の美を想像しうる私の心の能力に賭けられた」と語っている。「私」が金閣を美しいと信じたのは父の言葉であって、実物には美しい感動がなかった。超越的な観念とか言葉が、感性的な経験・日常的な現実より優れている。こうして「美」に対する観念を深めていくのだが、現象を超越し、その背後にある形而上学の存在論的な本質的の「美」に踏み込んだ難解な小説である。何でこれほど難しく、難しく書くのか。
三島由紀夫が語る美学とは何だろうか、小説を読んでも「しっくり」理解できない。現実の金閣を視ても、三島が描く「美」の概念の金閣に近づくことが出来ないかもしれないが、京都盆地の西北部、衣笠山の山麓にある金閣寺、正式名を北山鹿苑寺(ほくざんろくおんじ)へ訪れることにした。
JR嵯峨野線の円町駅からぶらぶら歩きながら、わら天神などに寄り道をしながら金閣へ向かった。大勢の観光客が向かう方向に従って進んでいくと黒門があった。さらに木々の間の道を歩き総門へ。「総門」をくぐり、受付で、400円を支払うと「金閣寺舎利殿 御守護」と書かれたお札を貰った。お札は有り難いものであるが、後始末が気がかりになり、札専用の回収箱に捨ててしまった。
金閣は京都でも人気の観光スポットである。大勢の人で動きが取れない。警備員の誘導で、右手に曲がると鏡湖池(きょうこち)から金閣を眺められるスペースに導かれた。
双眼鏡を持ち出し、早速、三層の楼閣建築を覗いてみた。このキンピカの建築物は「わび・さび」を尊ぶ京都に馴染まないと思ったが、その存在感は充分であった。建物は3層構造になっており、1層は寝殿造り、2層は武家造り、3層は禅宗仏殿造りと色んな様式を取り入れた欲張った構造であった。鳳凰は、足利義満が自らを天子になぞらえたということであろう。
三島がこの小説で、最もこだわっていたのが最上階であった。双眼鏡で、ここをくまなく眺めていると、扁額が眼に入った。ここに書かれている漢字をたどると「究竟頂」の文字であった。
ここが、金閣の最上階にある金箔が張りつめられた最後に行きつくところ極楽浄土、所謂終極であるのかと思いながら、暫し眺めた。
三島由紀夫が語る「金閣(美)が向こうにおり、私がこちらに居る」の言葉が読み終えた後も、なぜか妙に気になった。
日本列島に寒気団が襲い、滋賀県・京都まで深く侵入して雪をもたらした。その日、急いで雪の金閣へと向かった。この情景を視れば、また新たな理解ができるとの思いで出かけた。
この美しい事物を眺めていると、作者が言う超越的な心像とか言葉より、事物自身に美しいものが内在しているようにさえ思えた。
「私」が人生で最初にぶつかった難問は、「美」と言うことだったと述べている。すでに「美」というものが存在しているという考えに不満と焦躁を覚えると言っていた。そして、たどり着いた結論は・・・・。
まさに、火をはなとうとした時、絶対的な「美」の本質を考え抜くと「美」の正体は「虚無がこの美の構造」であった。その柱、その勾欄、・・・その法水院、その潮音洞などすべての「美の予兆を示す事象」には何物も真に存在せず、その根底は虚無であるとの認識に至っていた。
そして[私」が金閣に火を放った後、究竟頂を自分の死に場所と夢見ていたとこである。だが、最上階の三層にある「究竟頂」は鍵がかかり入れないとして、三島は最後まで、「決して一体化を許さない」とした。そこは金箔が張りつめられた心像の拠り所とした究極の場所である。
「美」は虚無であると認識している。したがって絶対「美」である現実の究極場所「究竟頂」を燃やしても、燃やさなかっても、何れも虚無の世界である。三島はどちらでもよかったのであろうが、「私」をここで終焉させなかった。三島のこだわりがあるのであろう。小生には理解が深化していないのか、分らない。
『金閣寺』の最後は月並みに終わっている。
「別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った」。実録でも生きているのでそうしたのかも知れないが、単純には受け取れない。
既に金閣は消滅した。「虚無がこの美の構造」ですべての価値観も葬り去ったうえで日常的に「生きよう」としている。不可解であり、不気味さえ感じる。
三島の超越的対象である虚無の存在の中に「彼方への永遠」と言う概念が包含しているのであろう。
三島由紀夫の小説には、溝口(主人公)・鶴川(友達)・有為子(片思いの人)・柏木(悪友)など色々な登場人物が出てくるが、金閣の「美」に関わる個所に絞って、その美しい文体で描かれた文章を紹介しょう。
初めて金閣との出会い
私は鏡湖池のこちら側に立っており、金閣は池をへだてて、傾きかける日にその正面をさらしていた。漱清は左方のむこうに半ば隠れていた。藻や水草の葉のまばらにうかんだ池には、金閣の精緻な投影があり、その投影のほうが、一そう完全に見えた。西日は池水の反射を、各層の庇の裏側にゆらめかせていた。まわりの明るさに比して、この庇の裏側の反射があまり眩ゆく鮮明なので、遠近法を誇張した絵のように、金閣は居丈高に、少しのけぞっているような感じを与えた。
「どや、きれいやろ。一階を法水院、二階を潮音院、三回を究竟頂と云うのんや」
敗戦後の金閣
敗戦の衝撃、民族的悲哀などというものから金閣は超絶していた。・・・・
内部の古びた金箔もそのままに、 外壁に塗りたくった夏の陽光の漆に護られて、 金閣は無益な気高い調度品のようにしんとしていた。 森の燃える緑の前に置かれた、 巨大な空っぽの飾り棚。 この棚の寸法に叶う置物は、 途方もない巨きな香炉とか、 途方もない 厖大な虚無とか、そういうものしかなかった筈だ。・・・・私の心像からも、否、現実世界からも超脱して、どんな種類のうつろいやすさからも無縁に、金閣寺がこれほど堅固な美しさを示したことがなかった。
・・・八月十五日の焔のような夏の光が見える。すべての価値が崩壊したと人は言うが私の内にはその逆に、永遠がめざめ、蘇りその権利を主張した。金閣がそこに未来永劫存在するということを語っている永遠。
雪降る金閣
雪に包まれた金閣の美しさは、比べるものがなかった。この吹き抜けの建築は、雪のなかに、雪が吹き入るのに委せたまま、細身の柱を林立させて、すがすがしい素肌で立っていた。・・・・・
立体的な金閣は、雪のおかげで、何事をも挑みかけない平面的な金閣、画中の金閣になっていた。両岸の紅葉山の枯枝は雪をほとんど支えないで、その林はいつもよりも裸かに見えた。おちこちの松に積む雪は壮麗だった。池の氷の上にはさらに雪がつもり、ふしぎにつもらない個所もあって、白い大まかなまだらは装飾画の雲のように大胆に描かれていた。
春の金閣
叡山の頂きは突兀(とつこつ)としていたが、その裾のひろがりは限りなく、あたかも一つの主題の余韻が、いつまでも鳴りひびいているようであった。低い屋根の連なりの彼方に叡山の山襞の翳りは、その山襞の部分だけ、山腹の春めいた色の濃淡が、暗い引き締まった藍に埋もれているので、そこだけが際立って近く新鮮に見えた。
焼失前の金閣
それは完全を夢みながら完結を知らず、次の美、未知の美へとそそのかされていた。そして予兆は予兆につながり、一つ一つのここには存在しない美の予兆が、いわば金閣の主題をなした。そうした予兆は、虚無の兆だったのである。虚無がこの美の構造だったのだ。それにしても金閣の美しさは絶える時がなかった!その美しさはつねにどこかしらで鳴り響いていた。・・・その音が途絶えたら・・・
今回は、金閣寺の美しさを主題について触れてみたが、恋焦がれるも絶対的な存在である健康的な美人である有為子と金閣の関係で一読するのも面白いようだ。
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この小説は、名作と言われるだけあって、読むのに骨が折れた。そこで、読み方として、素読み後、金閣の「美」に絞って精読してみた。この小説は、私小説ふうではないが、三島自身の美学が語られている。
作者は吃音に悩み、心に暗いかげりを抱く醜い青年僧侶を通して、その対極である美の極致とした金閣を語っている。現実の金閣と心に描く金閣を行き来しながら、青年[私」は、金閣の美しさが絶対的な美として心の中に支配していくにしたがい、この幻影が自らを追い詰めていく。そして醜い[私」と美の象徴である金閣と繋ぐ方法を見出した。この二つが同化するには、金閣もろとも焼く以外にないと決意した心の葛藤を綴っている。
作者は「どうあっても金閣は美しくなければならなかった」そして「金閣そのものの美しさよりも、金閣の美を想像しうる私の心の能力に賭けられた」と語っている。「私」が金閣を美しいと信じたのは父の言葉であって、実物には美しい感動がなかった。超越的な観念とか言葉が、感性的な経験・日常的な現実より優れている。こうして「美」に対する観念を深めていくのだが、現象を超越し、その背後にある形而上学の存在論的な本質的の「美」に踏み込んだ難解な小説である。何でこれほど難しく、難しく書くのか。
三島由紀夫が語る美学とは何だろうか、小説を読んでも「しっくり」理解できない。現実の金閣を視ても、三島が描く「美」の概念の金閣に近づくことが出来ないかもしれないが、京都盆地の西北部、衣笠山の山麓にある金閣寺、正式名を北山鹿苑寺(ほくざんろくおんじ)へ訪れることにした。
JR嵯峨野線の円町駅からぶらぶら歩きながら、わら天神などに寄り道をしながら金閣へ向かった。大勢の観光客が向かう方向に従って進んでいくと黒門があった。さらに木々の間の道を歩き総門へ。「総門」をくぐり、受付で、400円を支払うと「金閣寺舎利殿 御守護」と書かれたお札を貰った。お札は有り難いものであるが、後始末が気がかりになり、札専用の回収箱に捨ててしまった。
金閣は京都でも人気の観光スポットである。大勢の人で動きが取れない。警備員の誘導で、右手に曲がると鏡湖池(きょうこち)から金閣を眺められるスペースに導かれた。
双眼鏡を持ち出し、早速、三層の楼閣建築を覗いてみた。このキンピカの建築物は「わび・さび」を尊ぶ京都に馴染まないと思ったが、その存在感は充分であった。建物は3層構造になっており、1層は寝殿造り、2層は武家造り、3層は禅宗仏殿造りと色んな様式を取り入れた欲張った構造であった。鳳凰は、足利義満が自らを天子になぞらえたということであろう。
三島がこの小説で、最もこだわっていたのが最上階であった。双眼鏡で、ここをくまなく眺めていると、扁額が眼に入った。ここに書かれている漢字をたどると「究竟頂」の文字であった。
ここが、金閣の最上階にある金箔が張りつめられた最後に行きつくところ極楽浄土、所謂終極であるのかと思いながら、暫し眺めた。
三島由紀夫が語る「金閣(美)が向こうにおり、私がこちらに居る」の言葉が読み終えた後も、なぜか妙に気になった。

日本列島に寒気団が襲い、滋賀県・京都まで深く侵入して雪をもたらした。その日、急いで雪の金閣へと向かった。この情景を視れば、また新たな理解ができるとの思いで出かけた。
この美しい事物を眺めていると、作者が言う超越的な心像とか言葉より、事物自身に美しいものが内在しているようにさえ思えた。

「私」が人生で最初にぶつかった難問は、「美」と言うことだったと述べている。すでに「美」というものが存在しているという考えに不満と焦躁を覚えると言っていた。そして、たどり着いた結論は・・・・。
まさに、火をはなとうとした時、絶対的な「美」の本質を考え抜くと「美」の正体は「虚無がこの美の構造」であった。その柱、その勾欄、・・・その法水院、その潮音洞などすべての「美の予兆を示す事象」には何物も真に存在せず、その根底は虚無であるとの認識に至っていた。
そして[私」が金閣に火を放った後、究竟頂を自分の死に場所と夢見ていたとこである。だが、最上階の三層にある「究竟頂」は鍵がかかり入れないとして、三島は最後まで、「決して一体化を許さない」とした。そこは金箔が張りつめられた心像の拠り所とした究極の場所である。
「美」は虚無であると認識している。したがって絶対「美」である現実の究極場所「究竟頂」を燃やしても、燃やさなかっても、何れも虚無の世界である。三島はどちらでもよかったのであろうが、「私」をここで終焉させなかった。三島のこだわりがあるのであろう。小生には理解が深化していないのか、分らない。
『金閣寺』の最後は月並みに終わっている。
「別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った」。実録でも生きているのでそうしたのかも知れないが、単純には受け取れない。
既に金閣は消滅した。「虚無がこの美の構造」ですべての価値観も葬り去ったうえで日常的に「生きよう」としている。不可解であり、不気味さえ感じる。
三島の超越的対象である虚無の存在の中に「彼方への永遠」と言う概念が包含しているのであろう。
三島由紀夫の小説には、溝口(主人公)・鶴川(友達)・有為子(片思いの人)・柏木(悪友)など色々な登場人物が出てくるが、金閣の「美」に関わる個所に絞って、その美しい文体で描かれた文章を紹介しょう。
初めて金閣との出会い
私は鏡湖池のこちら側に立っており、金閣は池をへだてて、傾きかける日にその正面をさらしていた。漱清は左方のむこうに半ば隠れていた。藻や水草の葉のまばらにうかんだ池には、金閣の精緻な投影があり、その投影のほうが、一そう完全に見えた。西日は池水の反射を、各層の庇の裏側にゆらめかせていた。まわりの明るさに比して、この庇の裏側の反射があまり眩ゆく鮮明なので、遠近法を誇張した絵のように、金閣は居丈高に、少しのけぞっているような感じを与えた。
「どや、きれいやろ。一階を法水院、二階を潮音院、三回を究竟頂と云うのんや」
敗戦後の金閣
敗戦の衝撃、民族的悲哀などというものから金閣は超絶していた。・・・・
内部の古びた金箔もそのままに、 外壁に塗りたくった夏の陽光の漆に護られて、 金閣は無益な気高い調度品のようにしんとしていた。 森の燃える緑の前に置かれた、 巨大な空っぽの飾り棚。 この棚の寸法に叶う置物は、 途方もない巨きな香炉とか、 途方もない 厖大な虚無とか、そういうものしかなかった筈だ。・・・・私の心像からも、否、現実世界からも超脱して、どんな種類のうつろいやすさからも無縁に、金閣寺がこれほど堅固な美しさを示したことがなかった。
・・・八月十五日の焔のような夏の光が見える。すべての価値が崩壊したと人は言うが私の内にはその逆に、永遠がめざめ、蘇りその権利を主張した。金閣がそこに未来永劫存在するということを語っている永遠。
雪降る金閣
雪に包まれた金閣の美しさは、比べるものがなかった。この吹き抜けの建築は、雪のなかに、雪が吹き入るのに委せたまま、細身の柱を林立させて、すがすがしい素肌で立っていた。・・・・・
立体的な金閣は、雪のおかげで、何事をも挑みかけない平面的な金閣、画中の金閣になっていた。両岸の紅葉山の枯枝は雪をほとんど支えないで、その林はいつもよりも裸かに見えた。おちこちの松に積む雪は壮麗だった。池の氷の上にはさらに雪がつもり、ふしぎにつもらない個所もあって、白い大まかなまだらは装飾画の雲のように大胆に描かれていた。
春の金閣
叡山の頂きは突兀(とつこつ)としていたが、その裾のひろがりは限りなく、あたかも一つの主題の余韻が、いつまでも鳴りひびいているようであった。低い屋根の連なりの彼方に叡山の山襞の翳りは、その山襞の部分だけ、山腹の春めいた色の濃淡が、暗い引き締まった藍に埋もれているので、そこだけが際立って近く新鮮に見えた。
焼失前の金閣
それは完全を夢みながら完結を知らず、次の美、未知の美へとそそのかされていた。そして予兆は予兆につながり、一つ一つのここには存在しない美の予兆が、いわば金閣の主題をなした。そうした予兆は、虚無の兆だったのである。虚無がこの美の構造だったのだ。それにしても金閣の美しさは絶える時がなかった!その美しさはつねにどこかしらで鳴り響いていた。・・・その音が途絶えたら・・・
今回は、金閣寺の美しさを主題について触れてみたが、恋焦がれるも絶対的な存在である健康的な美人である有為子と金閣の関係で一読するのも面白いようだ。
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Posted by
nonio
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