2011年05月25日 千利休作の妙喜庵
今回、京都検定の1級に挑戦している者・平家物語5巻目を輪読している才女など、小生のように野外に親しんでいる者とは異方向の人達に誘われ、「京都西京」を探訪することになった。山崎の妙喜庵と言うところだ。小生にとっては、聴いたこともなく、例え、聴いても一人ではまず行かないところである。
話が少しそれるが、いきさつを話そう。
仲間のひとりは連歌俳句に興味を持ってしまった。平安時代末期から鎌倉時代、和歌の上の句(五七五)と下の句(七七)をそれぞれ別人が詠むという連歌が流行。1466年、滋賀県生まれの山崎宗鑑が身近な題材や自由で連歌のルールを簡素化したことで、「連歌の始祖」とし知られるようになった。彼は、この宗鑑に関心を持ったようだ。
宗鑑が、山崎に居住し、山崎を姓として風月を友として連歌三昧をしたところが、ここ妙喜庵である。
その後、時代が進むが、1582年、山崎の天王山合戦が起こり、羽柴秀吉は明智光秀を討とうとして姫路より軍を進め、山崎に至り、陣中に千利休を招いて茶室をつくらせた。利休は秀吉に茶を点じ陣中の苦労を慰めたと言われる。その後に、解体され妙喜庵に移されたとの寺伝がある。
この茶室は千利休独特の構想で建てられ、現存する茶室としては、日本最古で、千利休の遺構としては唯一の建物である。

ここを見学するには、その日に来ても拝観することが出来ない。1ヶ月以上前に往復はがきで複数の日(午前・午後)を記入し、申し込みの必要がある。その上、団体と高校生以下は謝絶と敷居が高いところだ。見学するだけで志納金(一人千円)。
無粋な小生にとって、待庵は、ただのくすんだ二畳しかない薄汚い小部屋としか見えない。「にじり口」は小さく、現代の大男にとってはにじり寄るには窮屈な間口であった。ただ、当時平均的な身長150cm程度と言われる秀吉には、丁度良かったのであろう。更に、室内の明るさを考えての「連子窓」・「芝山手水鉢」などを彼らに説明を受けながら、1時間いや2時間ほどの時間をかけて、ゆっくりと拝観していた。
たったこれだけのものを、彼らは「ここを引き上げ、次の行く場所、善峯寺・十輪寺へ行こう」とは言わない。小生、いらだたしい気持ちを押し殺してその場に佇んでいたが、彼らは縁側にたたずみ、静かに庭の秀吉の衣が触れた三代目の松を、杉戸に狩野山雪が描いた雪中古木と尾長鶏の絵を、一輪の赤い花を観ては四季の微妙な変化を、さらに床の間の掛け軸をいつくしむように時間をかけて、観賞していた。
この日常のありきたりの素朴で質素で色味も薄い地味な待庵は、華美さや豪華さは微塵も感じない。が、彼らには、そこはかとなく伝わってくる質的に優れた美しさをこの中に見出し、この美意識の世界に浸る時間に値打ちを感じ、ここを去りがたいのであろう。
小生には、深くは理解できていないが、2畳という極小の小宇宙に、天井の高さ、天井の仕上げ、窓の配置、その他あらゆる点の利休の工夫に非凡さを感じとっているようだ。
何回か、彼らと行動を共にすれば、少しは「わび・さび」の意味が理解できてくるかも知れないが、小生にとっては、ついていけない異方向の世界かもしれない‥‥。


話が少しそれるが、いきさつを話そう。
仲間のひとりは連歌俳句に興味を持ってしまった。平安時代末期から鎌倉時代、和歌の上の句(五七五)と下の句(七七)をそれぞれ別人が詠むという連歌が流行。1466年、滋賀県生まれの山崎宗鑑が身近な題材や自由で連歌のルールを簡素化したことで、「連歌の始祖」とし知られるようになった。彼は、この宗鑑に関心を持ったようだ。
宗鑑が、山崎に居住し、山崎を姓として風月を友として連歌三昧をしたところが、ここ妙喜庵である。
その後、時代が進むが、1582年、山崎の天王山合戦が起こり、羽柴秀吉は明智光秀を討とうとして姫路より軍を進め、山崎に至り、陣中に千利休を招いて茶室をつくらせた。利休は秀吉に茶を点じ陣中の苦労を慰めたと言われる。その後に、解体され妙喜庵に移されたとの寺伝がある。
この茶室は千利休独特の構想で建てられ、現存する茶室としては、日本最古で、千利休の遺構としては唯一の建物である。


無粋な小生にとって、待庵は、ただのくすんだ二畳しかない薄汚い小部屋としか見えない。「にじり口」は小さく、現代の大男にとってはにじり寄るには窮屈な間口であった。ただ、当時平均的な身長150cm程度と言われる秀吉には、丁度良かったのであろう。更に、室内の明るさを考えての「連子窓」・「芝山手水鉢」などを彼らに説明を受けながら、1時間いや2時間ほどの時間をかけて、ゆっくりと拝観していた。
たったこれだけのものを、彼らは「ここを引き上げ、次の行く場所、善峯寺・十輪寺へ行こう」とは言わない。小生、いらだたしい気持ちを押し殺してその場に佇んでいたが、彼らは縁側にたたずみ、静かに庭の秀吉の衣が触れた三代目の松を、杉戸に狩野山雪が描いた雪中古木と尾長鶏の絵を、一輪の赤い花を観ては四季の微妙な変化を、さらに床の間の掛け軸をいつくしむように時間をかけて、観賞していた。
この日常のありきたりの素朴で質素で色味も薄い地味な待庵は、華美さや豪華さは微塵も感じない。が、彼らには、そこはかとなく伝わってくる質的に優れた美しさをこの中に見出し、この美意識の世界に浸る時間に値打ちを感じ、ここを去りがたいのであろう。
小生には、深くは理解できていないが、2畳という極小の小宇宙に、天井の高さ、天井の仕上げ、窓の配置、その他あらゆる点の利休の工夫に非凡さを感じとっているようだ。
何回か、彼らと行動を共にすれば、少しは「わび・さび」の意味が理解できてくるかも知れないが、小生にとっては、ついていけない異方向の世界かもしれない‥‥。



Posted by
nonio
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05:36
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京都
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