2008年09月22日 五個荘ウォーキング
五個荘商人のふるさとを散策しました。
日付 2008年9月15日(日)
公称距離 約8.5Km 万歩計 18,000歩
タイムコース JR能登川駅 9:30出発 石馬寺 10:15~10:30
近江商人屋敷めぐり 11:30
大城神社 12:00 近江商人博物館 12:30~13:00
近江鉄道五箇荘駅 13:30着
五個荘の案内図をクリック

JR能登川駅から まず石馬寺に向けて、出発した。

正面の商店街を抜けきぬかさコースを辿った。
休耕田のコスモスなどを眺めながら、急ぐとも
なく進んだ。
途中、やってくる自動車にふと、眼をやってみる
と、珍しく着物を着た女性が運転していた。
このゆったりとした風景とゆったり流れる時間
を楽しんだ。
繖山(きぬがさやま)から猪子山(いのこやま)に至る峰々の
中央付近の山麓に石馬寺があります。
この名前の由来は、聖徳太子がこの山麓の松の木に
馬をつなぎ、山上に霊地を探し、戻ってくると、馬が石になって
池に沈んでしいました。
驚いた聖徳太子は、その山麓に寺院を建てたのだといいます。
これが石馬寺の始まりです。
苔生す古い石組の階段を登っていった。
石組は、でこぼこの石が無造作に敷き詰
められ、いかにも歩き難い。
相当年季の入った階段です。
歩き易いように修理がされないのが非常に気に入った。もう一度訪れて
踏みしめてみたい。
右に石馬寺、左は六所神社、前方奥には龍神社の鳥居が見えてきた。
真っ直ぐ登って行くと、雨宮瀧神社に通じる道であることが分かったので、
右手に回り込み石馬寺にたどりついた。
石馬寺には、平安・鎌倉時代に作られた
数多くの重要文化財が所蔵されています。
古木の緑に覆われ、訪れる人もなく、
物音もしない静寂の世界に迷い込んで
しまった。
この空間は、千年の歴史を感じさせてくれます。

石馬寺に通じる道路沿いには、集落があり、
古老が畑で作業をしていた。話を聞くと、「鋭く尖った山頂には、
雨宮瀧神社が祭られおり、雨乞いをしていた」とのこと。
山の容を見て、やっぱり、雨宮瀧神社へ行くのを断念してよかったと
思った。
再び、石馬寺から、五個荘商人のふるさを目指した。稲穂が既に垂れ、刈り取り前
の薄黄色に色付きはじめた田園地帯を進んだ。
金堂の町並みに近づくと、「敬老の日」の祭日のため、何人かの観光客が見受けられた。
町並みの風景を写生している人もおられ、「写真ではダメだ。忠実に描くのではなく、
このようにまげて風景を写し込むのが味がある」とデッサンペンで描いてくれた。
五個荘は近江商人の発祥の地として広く知られ、白壁と舟板塀の土蔵・屋敷など、
昔の日本の現風景をそのまま残していた。この風情を表現したかったのであろう。
まず、外村宇兵衛邸を訪れました。東京・横浜などに支店を有し呉服類の販売を
中心に商圏を広げ、近江を代表する豪商としての地位を築いた屋敷を見学した。
次に、作家外村繁の生家の近江商人の屋敷、続いて近江商人屋敷(中江準五郎邸)の
「百貨店王」と呼ばれた三中井一族の邸宅を見てまわった。
その中で,目を引いたのが近江商人の真髄の言葉「三方よし」が、展示されていた。
麻布商の中村冶兵衛が1745年、養嗣子にのこした「書置」であるという。その後、
家訓として受け継がれたのであろう。


大城神社は、近江商人博物館の向いに立ち、大木に覆われた風格のある神社です。
1185年佐々木定綱が築いた
観音城の鬼門にあたり、守護神として信仰を集めた。

最終地点 近江鉄道
五箇荘駅に到着。
「近江商人屋敷では、
五個荘の漢字である
が、近江鉄道では、五箇荘駅に、なっている。なぜだろう」
日付 2008年9月15日(日)
公称距離 約8.5Km 万歩計 18,000歩
タイムコース JR能登川駅 9:30出発 石馬寺 10:15~10:30
近江商人屋敷めぐり 11:30
大城神社 12:00 近江商人博物館 12:30~13:00
近江鉄道五箇荘駅 13:30着
五個荘の案内図をクリック

JR能登川駅から まず石馬寺に向けて、出発した。

正面の商店街を抜けきぬかさコースを辿った。
休耕田のコスモスなどを眺めながら、急ぐとも
なく進んだ。
途中、やってくる自動車にふと、眼をやってみる
と、珍しく着物を着た女性が運転していた。
このゆったりとした風景とゆったり流れる時間
を楽しんだ。

中央付近の山麓に石馬寺があります。
この名前の由来は、聖徳太子がこの山麓の松の木に
馬をつなぎ、山上に霊地を探し、戻ってくると、馬が石になって
池に沈んでしいました。
驚いた聖徳太子は、その山麓に寺院を建てたのだといいます。
これが石馬寺の始まりです。

石組は、でこぼこの石が無造作に敷き詰
められ、いかにも歩き難い。
相当年季の入った階段です。
歩き易いように修理がされないのが非常に気に入った。もう一度訪れて
踏みしめてみたい。
右に石馬寺、左は六所神社、前方奥には龍神社の鳥居が見えてきた。
真っ直ぐ登って行くと、雨宮瀧神社に通じる道であることが分かったので、
右手に回り込み石馬寺にたどりついた。

数多くの重要文化財が所蔵されています。
古木の緑に覆われ、訪れる人もなく、
物音もしない静寂の世界に迷い込んで
しまった。
この空間は、千年の歴史を感じさせてくれます。

石馬寺に通じる道路沿いには、集落があり、
古老が畑で作業をしていた。話を聞くと、「鋭く尖った山頂には、
雨宮瀧神社が祭られおり、雨乞いをしていた」とのこと。
山の容を見て、やっぱり、雨宮瀧神社へ行くのを断念してよかったと
思った。
再び、石馬寺から、五個荘商人のふるさを目指した。稲穂が既に垂れ、刈り取り前
の薄黄色に色付きはじめた田園地帯を進んだ。
金堂の町並みに近づくと、「敬老の日」の祭日のため、何人かの観光客が見受けられた。
町並みの風景を写生している人もおられ、「写真ではダメだ。忠実に描くのではなく、
このようにまげて風景を写し込むのが味がある」とデッサンペンで描いてくれた。
五個荘は近江商人の発祥の地として広く知られ、白壁と舟板塀の土蔵・屋敷など、
昔の日本の現風景をそのまま残していた。この風情を表現したかったのであろう。
まず、外村宇兵衛邸を訪れました。東京・横浜などに支店を有し呉服類の販売を
中心に商圏を広げ、近江を代表する豪商としての地位を築いた屋敷を見学した。
次に、作家外村繁の生家の近江商人の屋敷、続いて近江商人屋敷(中江準五郎邸)の
「百貨店王」と呼ばれた三中井一族の邸宅を見てまわった。
その中で,目を引いたのが近江商人の真髄の言葉「三方よし」が、展示されていた。
麻布商の中村冶兵衛が1745年、養嗣子にのこした「書置」であるという。その後、
家訓として受け継がれたのであろう。





大城神社は、近江商人博物館の向いに立ち、大木に覆われた風格のある神社です。
1185年佐々木定綱が築いた
観音城の鬼門にあたり、守護神として信仰を集めた。

最終地点 近江鉄道
五箇荘駅に到着。
「近江商人屋敷では、
五個荘の漢字である
が、近江鉄道では、五箇荘駅に、なっている。なぜだろう」
Posted by
nonio
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