2014年06月29日    かばた集落の「泥落し休業」

 滋賀県の湖西に位置する高島市新旭町に湧き水が出るところがある。この生水を利用して川端(かばた)というしくみを作り、昔から暮らしてきた集落がある。ここには何回か訪れていたので、レイカの仲間を連れていった。
 ガイドさんに案内されながら、一つひとつのかばたに寄って行った。入り組んだ路地を通っていくと、掲示板に不思議な文言を目にして、妙に気になった。

『「泥落し休業」 
六月七日八日 針江農事改良組合・・・・』
 
 私はこの「泥」と言う字に惹きつけられた。
どうしてと、いぶかしがるかもしれないが、私の子供の頃、学校から帰ってくると、ランドセルをほり投げ、夕方まで野外で遊び、泥だらけになった。この映像がすぐさま頭に浮かんできた。「どろ」と言う語感には懐かしさを感じ、むしろ慣れ親しんだ親近感さえ覚えた。
 最近の子供達にとっては、「どろ」は不衛生極まるもので、全く縁のないものである。好意的に使われていることとしては、精々、中高年の女性が愛用されている美容の”泥”パック程度である。が、私にとっては全く違っていた。
 
 さて、「泥落し休業」とは、文字通り「泥落し」と少し違和感のある「休業」と言う言葉の間にどんな関連性があるのか、分かるようで、はっきりしなかった。

 そこで、どういう意味なのか、横にいた仲間に尋ねてみた。即座に「田植えが終わってから骨休みをするのでしょう。泥まみれになった重労働を終えて、村中が一息つける休息日が決められているのでしょう」とあっさり解釈してくれた。流石、歴史・文化に関心のある仲間である。 私は、泥落しの言葉からその背景となる農耕社会まで考えが及ばなかった。当時の集落の生活基盤は米つくりである。この名残として、現在でも「泥落し休業」の風習が受け継がれていたのだ。

  針江の集落は張り巡らされた水路でつながっており、かばたで使った水は、下流の隣の家に引かれている。つまり、お互い心配りをしながら助け合う中で、集落の皆が暮らし易いようにと、”しきたり”が生まれたのであろう。水路にかかわりをもった風土と言うのか文化の一端を「泥落し休業」の文字から垣間見た。

今では見かけない焼杉板に付けられた掲示板
かばた集落の「泥落し休業」

 



同じカテゴリー(滋賀を歩く)の記事画像
タンポポ綿毛の幾何学模様
雑草の赤紫色の楽園
白い花の名前はタムシバ
琵琶湖の鳥たちとの出会い/浮御堂
薹の文字から見るフキノトウ
「新春の光を追いかけて――比叡山と三上山の風景から」
同じカテゴリー(滋賀を歩く)の記事
 タンポポ綿毛の幾何学模様 (2025-05-02 19:19)
 雑草の赤紫色の楽園 (2025-04-26 08:25)
 白い花の名前はタムシバ (2025-04-10 16:27)
 琵琶湖の鳥たちとの出会い/浮御堂 (2025-03-30 17:24)
 薹の文字から見るフキノトウ (2025-03-24 18:23)
 「新春の光を追いかけて――比叡山と三上山の風景から」 (2025-01-30 18:36)


Posted by nonio at 15:23 │Comments( 0 ) 滋賀を歩く ウォーク
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。