2014年04月23日 霧氷の養老山
日付 :3月21日
山名 :養老山
コースタイム :近鉄養老駅 9:30 養老の滝 10:20 登山口 11:10 三方山 11:50
養老山 12:40 小倉山13:20 登山口14:20 近鉄養老駅 15:20
名神高速道路の養老インターを通過するたびに、存在感のある山容を見かけた。この近くには、よく知られた養老の滝がある。が、この滝を見たこともなかった。無論養老山も行ったことがなかった。
この日、滋賀・京都方面の天気予報は優れず、かろうじて、岐阜県の養老山地周辺が晴れマークになっているので、出かけることになった。養老山にいくには、JR野洲駅から米原経由して、大垣駅へ、更に近鉄養老線へと乗り継がなければならない。
乗車直後、車窓の窓ガラスに雨粒が叩きつけ、鈴鹿の山々は雲にかすみ不安な出足となった。米原駅に降り立った時にも、依然強い雨が降り薄暗く肌寒かった。ところが、大垣に近づいてくると、幾分雨雲も薄くなり、時折柔らかな日差しが射してきた。養老駅まで来ると青空が見え始めた。
鈴鹿山脈・養老山地などひと山越えると、これだけ天気が様変わりするものかと、その時は実感し、そして天気予報通りになったことにも感心した。だが、天気はそんなに簡単なものでなかった。山中は荒れに荒れた。山行の天気予報は平地と違い慎重でなければと痛感させられた山行となった。
JR米原付近の雨降り 近鉄養老線の晴れ


近鉄養老駅のホームに降り立つと、瓢箪が所狭しと吊るされていた。多分、養老の滝に関わることだろうと思ったが、その言われが分からなかった。 駅前の店屋に瓢箪が売られていたので、おかみさんに聞いてみたところ「孝行息子が、瓢箪に水を汲んで父にもち帰ったところ、酒になったという言い伝えから、瓢箪は当地の代表的な土産物になったのです。今では、角のない曲がった形からして、無病・夫婦円満として買い求められます」と、謂れを話してくれた。
近鉄養老線養老駅に吊るされた瓢箪の出迎え

養老の滝

通行止めをされた林道を通り、沢を渡ったところに登山口と記された古い標識があった。直ぐにジグザグが延々と始まった。この交互に折れ曲がった道が終わると同時に法面を登りきり、平坦部となった。ここには一休みできるベンチも備えられていた。この辺りまでは天気について気にもならなかった。だが、丸太を敷いた階段状の尾根道を登り高度があがっていくに従って氷雨が降りだし始めた。同時に、下山してくるハイカーがいた。上の状況を聞いてみると「風が強くなり、視界も悪なってきたので下山してきた」と言っていた。
兎に角、天候の様子を見ながら、我々は三方山まで登ってみることにした。 この地点の標高は730m。養老の頂上859mからすると苦しい登りは終わっていた。でも、すでに12時に迫っていた。我々チームの約束ごととして冬季では、12時をタイムリミットとして引き返すことにしていたが、階段付の幅広い散策路であり、頂上まで安全に辿りつけるとの判断から、前進することにした。
いきなりのつづら折り

ジグザグが終わり一息入れられベンチ

三方が見えることから三方山

笹原峠から小倉山に向かった。この辺りでは、急登もなくうねうねした道になった。天気が良ければ展望もよく楽しいところであろう。しかし、視界が悪く、行く先が見えなくなってきた。三方山付近では、かなりのハイカーの姿もみられたが、ここまで登ってくると全く見られなくなった。彼らは危険を感じ、頂上を踏まずに下山してしまったようだ。 登るにつれて一段と霧が辺りを覆っていった。見る見るうちに野山を真っ白に覆いつくしていった。霧は、瞬く間に枯草であり、樹の葉であり地物でありあらゆるものに纏わりついて、真っ白な世界へと変貌させていった。多分、霧は0℃を下回っているに違いない。だから、ものに触れると瞬時に氷に変身していくのであろう。
笹原峠から小倉山を目指す

林道を回り込んで養老山を目指す

養老山から小倉山へ下山中


この休憩時、強風が吹き荒れ、帽子や・手持ち品が飛ばされた。突然辺りがあわただしくざわついた瞬間、雲や霧が、あとかたもなく消えうせ、足元から広がる海岸線も現われ来た。
今日の天気は、目まぐるしく変わった一日であった。
小倉山から視界広がる雲散霧消の時

駅近くから養老山を望む

登山口の受付でもらった案内地図

Posted by
nonio
at
06:25
│Comments(
0
) │
岐阜の山
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。