2012年10月09日    初めての曳山大津祭

 10月7日、湖国三大祭の一つである大津祭に赴いた。JR大津駅の改札口をでると何時もは閑散としているが、この日は人で賑わっていた。駅前には、大津祭の臨時案内所が設けられていた。様子をうかがっていると、背中に「大津祭 長柄衆」と書かれた法被を着た人が近寄ってきた。
 「曳山巡行を見学したのだが・・・・」と問いかけると
 「大津祭見て歩きマップ」を示して丁寧に道順を教えながら、大津祭のパンフレットを差し出してくれた。 続けて、初めてなので、曳山の見どころを聞いてみた。
 「13基の曳山が巡行されます。俗に狸山と言う「西行桜狸山」が先頭です。というのは、祭日の天気を守ることになったのです。それに因んで、この山は毎年くじ取らずで、先頭で巡行するようになったんです。龍門滝山の見送りは、ゴブラン織りで重要文化財に指定されています。刺繍などの伝統ある豪華な幕が飾られます。最後が「月宮殿山」です」と3基の曳山の説明を受けた。中央大通りを通り、早足で中町通りを目指した。

 中央大通りは湖岸に向かって縦方向になだらかに下っており、琵琶湖に対して平行に3本の道路がそれを交わるように走っていた。この横軸の三筋が京町通り・中町通り・浜通り曳山の巡行路になっていた。

 初めての曳山大津祭 中町通りの道路は、いささか狭いように思えた。道路を挟んだ両側に町家が並んでいた。何か、いにしえの雰囲気が漂うところであった。二階の窓が開けられ、軒先に白と赤の幕が張られている家があった。その時、何なのかわからなかった。

 西方向に向かって人を掻き分けながら進んでいった。しばらくすると、かねや横笛などで囃子を奏でながら「コンコンチキチン」が聞こえてきた。西行桜狸山と書かれた「のぼり」を持った一行に出くわした。この曳山祭りが始まったとされる塩売治兵衛の狸面の伝承を持つ先頭集団であった。

 所望との声がかかり、曳山が止められた。なぜ止まったのかわからなかった。責任者の方が五色布を結んだ指揮棒をつきあげ、これを合図に「からくり」が動き出した。この「からくり」を披露するために止まったことが判った。 演技が終わると見ていた人達から一斉に歓声と拍手が起こった。私もじっとしているのも「ばつ」が悪いので、皆と同じように手を叩いた。こうすることが、「からくり」を見物するための作法であり、行動を共にすることにより、いち早く祭りの雰囲気に馴染めることも分かってきた。
「大津祭見て歩きマップ」を眺めると、この所望場所が、辻や各曳山町など24箇所で決められていた。

 この曳き手は、年々人気が高まり、毎年公募されているようだ。この曳き手の中に、外国人も混じっていた。法被姿になると違和感なく、日本人に溶け込み綱を引っ張っている姿が微笑ましかった。

初めての曳山大津祭
初めての曳山大津祭

 初めての曳山大津祭 曳山の高さが結構高い。家の二階からのながめが絶好の桟敷になっていることがわかった。涼しい顔をした人の家へ向かって、何やら投げ入れていた。不思議な行為であった。
 「粽(ちまき)撒き」である。天孫神社の宮司さんのお祓いを受けた粽は、玄関先や軒下などにつるしておくと、無病息災・厄除けになると言われているものであった。

 たまたま「湯立山」の後をつけていた。この曳山は 天孫神社の祭事に湯を奉献する行事がある。このことからつけられた名前である。からくりはお湯を捧げる神楽舞を納める舞で、からくりが終わったとき、曳山の乗り手から五穀豊穣、悪疫退散、商売繁昌する縁起を祝って、湯に見立てて紙吹雪がまかれた。見物客が大勢いたのでサービスのつもりで、「どっさり」とまかれた。裃を着け取り仕切っている人の頭に紙吹雪が降りかかってしまった。曳山の乗り手に向かって「まき過ぎ」と叱責する一場面もあった。(笑い)

初めての曳山大津祭
初めての曳山大津祭  時には、路上にも投げられていた。中年女性が、「夫が今年厄年」と言いながら、懸命に縁起物の「ちまき」を投げて貰えるように手を振っていたが、中々手にすることができなかった。中には、何本もの「ちまき」持っている若い女の子もいたのだが・・・・。

 誰もが欲しがっていた「湯立山のちまき」が、ついに私の周辺に投げられ、何人もが殺到したが、幸運にも手にすることができた。いいことが起こるかもしれないと願いつつ、わが部屋に飾って置くことにした。

 このような古い仕来りの「ちまき」投げは、大津祭の華やかさに彩りをそえる粋な計らいであった。

 最後の曳山が「月宮殿山」。見送り幕は、龍門滝山と同じのベルギーのブリュツセルで織られた毛綴で重要文化財に指定されたものである。この乗り手がもっとも祭りを盛り上げ目立っていたのでパチリと写真に収めた。 市街地を巡行し、正午ごろ中央通りに全13基が勢ぞろいした。
今日は、日ごろ行かない大津の古い町家に触れ、古の時代に舞い戻り、ゆったりとした気分になった。さらに、子供のころ味わった祭りの「ウキウキ」感の余韻にしたって、家路についた。

初めての曳山大津祭





















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Posted by nonio at 11:47 │Comments( 0 )
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