2011年05月09日    早春の蓬莱山

 
期日         平成23年 4月24日(日)  天候 晴れ後雨(ヒョウ)  
山名及び山域   蓬莱山(1174m) 比良山系
コースタイム    蓬莱駅 9:00~15 金比毘神社10:10
            金毘峠11:40    山の神休憩所12:40~13:10
           小女郎峠13:30  薬師の滝14:50 蓬莱駅 15:40

 比良山系で2番目に高い山、蓬莱山(1,174m)はスキー場として関西圏の人たちに親しまれ、多くの人達がゴンドラで行けるところである。
 
 1965年、サンケイバレイとして開設。当初は全長約2kmの山麓と山頂を結ばれたカーレーターであった。ガタガタと振動しながら乗車時間が23分と長かった事が懐かしい。1975年10月には、代わってゴンドラリフトが開業して所要時間は約8分に短縮された。2008年2月9日には、121人乗りの大型ロープウェイが営業を開始した。秒速12m(時速43.2km)の運行が可能で「あっと」言う間に到着してしまう。但し、あまりにも速いので展望観覧のため速度を落として8分程度で運行されている。

 蓬莱山山頂に行く様々なコースが揃っているのに、登山の対象としての山ではなくなったことが残念だ。

あえて、比良らしい自然が一杯ある「金ピラ峠を越え、蓬莱山頂上を踏んで、小女朗谷道に戻ってくるコース」に挑んだ。比良山の琵琶湖側は急峻な斜面からなり、結構厳しい。雪解けの蓬莱山・権現山

  蓬莱駅から田園風景をみながら出発していった。山間に付けられた車道は山麓から急峻になる山際まで付けられていた。金比毘神社を通過して金ピラ登山道の表示のある出合いから、やっとジグザクの山道となった。 杉の森林帯から、いつの間にか自然林となっていた。山道の脇の大きな古木越しに見える鮮やかな黄緑色のバイケソウ(コバイケソウ)は、雪融け後のくすんだ景色の中で、際立っていた。

 やがて、金ビラ峠にやってきた。ここは峠となっているが、びわ湖バレイスキー場ゴンドラ山麓駅からの登山道との単なる合流地点であった。

 ここから、山肌はかなり崩壊が進み、傷んだ山道となった。更にクマササの中の残雪のある溝道を辿っていくと蓬莱山の南東支尾根通じていた。気に入らないのだが、人工物のフエンスを通りぬけ、スキー場に入り頂上へと向かった。あれほど人が詰めかけ賑わっていたところであったが、誰一人としていなかった。雪が融けて地肌が見え、スキー場は醜いところに変貌していた。
 日本海から吹き付けてくる強い風を避けるため、「山の神休憩所」に逃げ込み、昼食を取った。冬季の風雪が吹き荒ぶとき、この避難小屋は、天国である。

 昼食後、ドーム型の山容をした一等三角点のある蓬莱山山頂付近は天気が悪化する前兆かのように、一層強風が激しくなっていた。体調不良者もいたので、
小生、サブリーダーを任命された責任上、一刻も早くこの場を離れたかった。9体の石仏があるところから小女郎峠を目指し、雪融けた縦走路を下っていった。
   
 小女郎谷は、いつも遅くまで残雪があり、おまけに小石や土砂などが崩れているザレ場である。落石に注意を払いながら、ぬかるみの急斜面を慎重に降りていった。下りきったところから渓流沿いの森林帯になった。

 「薬師の滝」に出た。期待するほどの滝でもなかったが、しばし休憩をした。生憎、暗雲が立ち込め、雨がぱらついてきたので直ぐに出発となった。追い討ちをかける様に、大粒の雹がたたきつけるように降り出し、ずぶ濡れとなった。八屋戸の棚田は比良麓随一の規模を誇っているので、裾野一面に広がる棚田を楽しみにしていたのだが、掻き曇り視界もままならない状態となった。兎に角、この雨を振り切るように全員、先を急いだ。

 蓬莱駅近くまで下山してくると、急に雨脚が衰え小降りになった時、太陽の光が射してきた。その時、誰かが「ダブルの虹」と叫んだ。琵琶湖の方向を眺めると、見事なアーチを描いていた。
 
 下部のくっきりした虹の上に、ぼんやりとした虹がみられた。主虹は赤が一番外側で、紫が内側になっており、副虹はその順序が逆になっていた。不安定な天気のお蔭で、珍しい光景に出合った。雨(雹)と寒さに襲われたが、自然に向き合っていると面白いことも出くわすものだ。この写真は仲間のK氏の提供。

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Posted by nonio at 07:09Comments(0)滋賀県の山