2011年10月16日 小関峠でなく小関越え
私の子供の頃、学校が終わると家にも立ち寄らず、日が暮れるまで野山を駆け巡っていた。あの山の向こう側の景色はどうなっているんだろう。まだ見ぬ未知の光景に憬れた。山路の向こうにある峠に来て立ち止まると、今まで吹かなかった風が吹き、光景もがらりと変わった。そして気分もがらりと変わっていた。
峠は、小さい頃からの憬れの地点であった。
小関越えの頂上付近

山科と大津の札の辻までを結ぶ道の一つに、「小関越え」がある。ここには、京都・滋賀でウオーキングをしている人であれば一度は訪れる人気のあるルート。大津市北国町通りから小関峠を越え、琵琶湖疏水に沿って 横木一丁目の東海道までのおよそ4kmの古道である。
「小関越え」と呼ばれたのは、近江から京都への東海道において、逢坂山の山越えが「大関越え」として知られている。その裏道にあたる坂越えとして北国・近江と京都を繋ぐ小関越えがあった。大関に対比して小関(こせき)と呼んでいたようだ。
一般に、地形的に上りから下りに転ずるところを峠と呼ばれているが、時には、「~越え」「~坂」といった名前も付けられている。
道標にも、「小関越」と言う文字が彫られ、「小関峠」と呼ばれなかった。峠とは、地形的に上りから下りに転ずる地点を表す言葉である。この「小関峠」にしては、山科と大津の間の峠として言い表すには、物足りなかったのであろう。大津から山科まで行くには、ひと山越えなければならない。その総称として「〇〇越え」と称したのであろう。
因みに、「~坂」と言う峠もある。
近江坂は、若狭の「能登野」と近江の「酒波(さなみ)」をつなぐ山間部を切り開かれた長大な峠道である。なぜかこの道、近江峠とは言わない。なだらかな頂上を持つ大御影山を山越えして行くのだが、「坂」が延々と続いているので「~坂」と呼ばれている。
峠一辺倒でなく、その地形の特長を捕えた言い方のほうが、味がある。
「小関越え」の道標は、大津側の小関町に、三井寺へ向かう道の分岐点にある。
三面には
「左り三井寺 是より半丁」
「右小関越 三条 五条 いまくま 京道]
「右三井寺]と刻まれている。
江戸時代中頃の建立されたもので、その当時から小関峠は「小関越え」として親しまれ、この峠を通過すると、三条・五条 いまくま・京道に通じる行き先が刻まれ、刻銘の「いまくま」は第十五番札所の京都今熊野観音寺のことで、巡礼者の案内をしていた。また、北国海道にも通じ、物資の運搬にも京都と近江・北国を結ぶ役割もあったところだ。
高さ約95cmの道標は、川べりに何気なく立っているが、大津市指定文化財・有形民俗文化財に指定されて、いにしえを伝える重要な役割を持っている。
もうひとつ横木1丁目の東海道に「小関越」の道標がある。
この道標の左側面には、「小関越」の文字がみられる。京から西国札所の三井寺への最短でもあることから、三井寺観音道とも呼ばれることから、正面には「三井寺観音道」と彫られていた。右側面には、「願諸来者入重玄門」。
文政5年に大阪・江戸・京都の定飛脚問屋によって建立された。高さ約2.5メートルの大きい道標であった。1822年には、「小関越」と呼ばれていた。
舗装された坂道を上り詰めると、峠手前左手に、”峠の地蔵さん”として親しまれている「喜一堂」が祀られてある。地元の有志が世話をしており、いつ行っても花が手向けられている。このあたりの山路には、昔峠の茶屋でもあったのだろう。風情が漂っていた。

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峠は、小さい頃からの憬れの地点であった。
小関越えの頂上付近

山科と大津の札の辻までを結ぶ道の一つに、「小関越え」がある。ここには、京都・滋賀でウオーキングをしている人であれば一度は訪れる人気のあるルート。大津市北国町通りから小関峠を越え、琵琶湖疏水に沿って 横木一丁目の東海道までのおよそ4kmの古道である。
「小関越え」と呼ばれたのは、近江から京都への東海道において、逢坂山の山越えが「大関越え」として知られている。その裏道にあたる坂越えとして北国・近江と京都を繋ぐ小関越えがあった。大関に対比して小関(こせき)と呼んでいたようだ。
一般に、地形的に上りから下りに転ずるところを峠と呼ばれているが、時には、「~越え」「~坂」といった名前も付けられている。
道標にも、「小関越」と言う文字が彫られ、「小関峠」と呼ばれなかった。峠とは、地形的に上りから下りに転ずる地点を表す言葉である。この「小関峠」にしては、山科と大津の間の峠として言い表すには、物足りなかったのであろう。大津から山科まで行くには、ひと山越えなければならない。その総称として「〇〇越え」と称したのであろう。
因みに、「~坂」と言う峠もある。
近江坂は、若狭の「能登野」と近江の「酒波(さなみ)」をつなぐ山間部を切り開かれた長大な峠道である。なぜかこの道、近江峠とは言わない。なだらかな頂上を持つ大御影山を山越えして行くのだが、「坂」が延々と続いているので「~坂」と呼ばれている。
峠一辺倒でなく、その地形の特長を捕えた言い方のほうが、味がある。

三面には
「左り三井寺 是より半丁」
「右小関越 三条 五条 いまくま 京道]
「右三井寺]と刻まれている。
江戸時代中頃の建立されたもので、その当時から小関峠は「小関越え」として親しまれ、この峠を通過すると、三条・五条 いまくま・京道に通じる行き先が刻まれ、刻銘の「いまくま」は第十五番札所の京都今熊野観音寺のことで、巡礼者の案内をしていた。また、北国海道にも通じ、物資の運搬にも京都と近江・北国を結ぶ役割もあったところだ。
高さ約95cmの道標は、川べりに何気なく立っているが、大津市指定文化財・有形民俗文化財に指定されて、いにしえを伝える重要な役割を持っている。

この道標の左側面には、「小関越」の文字がみられる。京から西国札所の三井寺への最短でもあることから、三井寺観音道とも呼ばれることから、正面には「三井寺観音道」と彫られていた。右側面には、「願諸来者入重玄門」。
文政5年に大阪・江戸・京都の定飛脚問屋によって建立された。高さ約2.5メートルの大きい道標であった。1822年には、「小関越」と呼ばれていた。
舗装された坂道を上り詰めると、峠手前左手に、”峠の地蔵さん”として親しまれている「喜一堂」が祀られてある。地元の有志が世話をしており、いつ行っても花が手向けられている。このあたりの山路には、昔峠の茶屋でもあったのだろう。風情が漂っていた。

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Posted by
nonio
at
09:56
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峠
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