近江の里山を歩いていると、磨崖仏によく出会う。
三上山の北尾根伝いに、妙光寺山(267m)がある。この山の山腹に、鎌倉後期(1324年)作の妙光寺地蔵磨崖仏が雑木林に囲まれて、ひっそりと佇んでいた。
まず、目に付くのは、直立した花崗岩に等身大の彫られた地蔵菩薩が異様に白い。この切り込まれた周りには、コケが生(む)しているが、彫り込まれた地蔵菩薩はコケもなくみがきあげられている。多分誰かが、手入れをしているようだ。
ここに彫られている姿は、我々が目にする僧侶の姿に近い菩薩像である。良く見ると、剃髪しており、衣を着て、右手に錫杖、左手に如意宝珠を持っている。菩薩とは明らかに異なり、身近に感じられる姿である。この親近感が、今でもこのように地蔵菩薩を大事にしているようだ。
野洲町観光協会の表示板に「宝珠(ほうじゅ)、錫杖(しゃくじょう)を持ち‥‥」と記載されている。
右手の錫杖は、頭部に遊びのある環をつけ杖を突くと音がするように作られたもので、このシャクシャ(錫々)という音から錫杖の名がつけられたともいわれる。この音には、獣や毒蛇の害から身を守る効果があり、托鉢の際に門前で来訪を知らせる意味もあるという。錫杖の長さは通常170cm前後である。 左手の如意宝珠は、「意のままに様々な願いをかなえる宝」である。
古式の地蔵菩薩は錫杖を持たなかったが、平安時代の後期から宝珠、錫杖を持った姿が確立した。地蔵菩薩が地獄に入って衆生(しゅじょう)を救ったことが説かれて地蔵信仰が庶民に広まったようだ。
そして「地蔵が両足に沓(くつ)をはいているのは珍しい」と書かれているので、ここをしっかりと眺めてみた。花崗岩に長方形の切り込みを作り、切り込みの下には、仏像を安置する台座蓮華座が彫られ、ハスの花弁もしっかりと刻まれている。この切り込みの縁を覗きこむと確かに、沓(くつ)が彫られていた。
この点に注目して、今後近江の磨崖仏を探索しょうと思っている。

ここに行く手順を示した。
JR野洲駅南口から直進道路を進み、新幹線手前の中山道を辿る。稲荷神社池跡地を過ぎて右折して8号線を渡り、野洲中学の裏の道を歩く。 交差する道路から200メートルほど歩くと、開閉自由の柵が設けられている磨崖仏への入り口にやってくる。
ここから山道になる。この斜面は山の北側にあるので湿気が多く、道の脇にはしだが茂っているがかまわず登っていくと岩神神社にでる。少し右側に進むと、地蔵磨崖仏がある。
三上山の北尾根伝いに、妙光寺山(267m)がある。この山の山腹に、鎌倉後期(1324年)作の妙光寺地蔵磨崖仏が雑木林に囲まれて、ひっそりと佇んでいた。
まず、目に付くのは、直立した花崗岩に等身大の彫られた地蔵菩薩が異様に白い。この切り込まれた周りには、コケが生(む)しているが、彫り込まれた地蔵菩薩はコケもなくみがきあげられている。多分誰かが、手入れをしているようだ。
ここに彫られている姿は、我々が目にする僧侶の姿に近い菩薩像である。良く見ると、剃髪しており、衣を着て、右手に錫杖、左手に如意宝珠を持っている。菩薩とは明らかに異なり、身近に感じられる姿である。この親近感が、今でもこのように地蔵菩薩を大事にしているようだ。

野洲町観光協会の表示板に「宝珠(ほうじゅ)、錫杖(しゃくじょう)を持ち‥‥」と記載されている。
右手の錫杖は、頭部に遊びのある環をつけ杖を突くと音がするように作られたもので、このシャクシャ(錫々)という音から錫杖の名がつけられたともいわれる。この音には、獣や毒蛇の害から身を守る効果があり、托鉢の際に門前で来訪を知らせる意味もあるという。錫杖の長さは通常170cm前後である。 左手の如意宝珠は、「意のままに様々な願いをかなえる宝」である。
古式の地蔵菩薩は錫杖を持たなかったが、平安時代の後期から宝珠、錫杖を持った姿が確立した。地蔵菩薩が地獄に入って衆生(しゅじょう)を救ったことが説かれて地蔵信仰が庶民に広まったようだ。
そして「地蔵が両足に沓(くつ)をはいているのは珍しい」と書かれているので、ここをしっかりと眺めてみた。花崗岩に長方形の切り込みを作り、切り込みの下には、仏像を安置する台座蓮華座が彫られ、ハスの花弁もしっかりと刻まれている。この切り込みの縁を覗きこむと確かに、沓(くつ)が彫られていた。
この点に注目して、今後近江の磨崖仏を探索しょうと思っている。

ここに行く手順を示した。
JR野洲駅南口から直進道路を進み、新幹線手前の中山道を辿る。稲荷神社池跡地を過ぎて右折して8号線を渡り、野洲中学の裏の道を歩く。 交差する道路から200メートルほど歩くと、開閉自由の柵が設けられている磨崖仏への入り口にやってくる。
ここから山道になる。この斜面は山の北側にあるので湿気が多く、道の脇にはしだが茂っているがかまわず登っていくと岩神神社にでる。少し右側に進むと、地蔵磨崖仏がある。