2023年07月20日   オオバノトンボソウの楽園:三上山の攪乱地帯での共生の物語

 三上山の中腹には、山地の斜面が裸地になっている一帯があります。毎年の真夏になると、ラン科のオオバノトンボソウ(大葉ノ蜻蛉草)が、ほぼ同じ場所に姿を現します。「今年も暑くなってきたなぁ」と四季の移り変わりを感じさせられます。

 この周辺は常に土砂が崩れ落ち、土壌が流されていく場所です。その状態を「攪乱」と言います。大木が倒れ、日が射し込む場所です。成熟した森林で、新たな植物が競って発芽し・育つことができる、またとない場所なのです。人間社会において、このような災害が頻発する地域は心配されるかもしれませんが、逞しい植物にとっては、すばやく進出し、若干の危険を伴いながらも力強く成長する場所でもあります。

 さて、オオバノトンボソウは、自らの生存のために攪乱された地に進出するのかどうかはわかりませんが、草丈35センチくらいのトンボソウが根を張り生き抜いています。先日、友人に自生しているオオバノトンボソウの写真を送ると、周囲を探し回ったようで、4枚もの写真を返信してくれました。オオバノトンボソウにとって、この傾斜部一帯が楽園になっているようです。

 「蜻蛉草(トンボソウ)」という名前は、まるでトンボが枝に並んで止まっているようにも見えることから付けられました。同様に、千鳥の野鳥にちなんだチドリや、鈴虫に関連したスズムシソウ、そして蜘蛛に因んだクモキソウなど、山野に生える花には小鳥や昆虫の名前がつけられることがあります。なぜこれらの植物がこのような姿をしているのか不思議でならないです。大自然の奥の深さを感じさせられます。

 それにしても、植物の花は虫を引き寄せるために黄色や赤色、紫色など鮮やかな色をしています。しかし、トンボソウは地味な草色で目立ちません。このままでは虫が寄ってこないのでは、と心配になります。

 小さな蜘蛛が、トンボソウの一か所に住み着き、虫を捕食するための糸を張っていました。少し突いて意地悪をすると、一旦逃げ出しましたが、翌日になると、同じ場所に隠れ気味に構えていました。私には、迷惑な蜘蛛と思えたが、トンボソウにとっては案外共生しているのかもしれません。写真機のファインダー越しに、微笑ましい姿を眺めていると、神秘の世界にのめり込んでしまった。




 










 



















2023年01月01日   逆さ近江富士

 

 雪がひとしきり降った。
 静安を待っていると、みなもに近江富士が現れた。

 そこには、二つの近江富士と僕がいた。










Posted by nonio at 06:09Comments(0)滋賀県の山三上山

2022年08月25日   ひぐらしに想いを寄せて

 
 三上山に登るのが、私の健康のバロメーター。ただ、上って下ってくるだけの質朴としたものである。 そんな中、四季の移ろいが、強く感じ取れる時宜もある。それは、真夏のヒグラシの大合唱である。
 
 鳴き声がどんなんだったか。 「ソワソワソワソワ…」「カラカラカラカラ…」だったのか。そうだ「カナカナカナカナ…」だ。“しっくり”する文字にするには、ひと手間かかる。
 この涼しげな鳴き声は、単に秋が迫っている事を教えてくれるだけでなく、私にはどうしたらいいか分からないぐらい、そこはかとなく物悲しく聞こえる。同時に、これといった深い訳けもないのだが、何とも心地よい音色でもある。

 ヒグラシの寿命は、長くて7年、セミの成虫になって、2週間程度と言われている。その一生は、ながながと2555日を薄暗い地中で暮らしている、地上にはわずか14日間。そういう訳で、その余命を全うするため、いちずに、鳴き声に込めているのであろうか。

 「三上山のみ夏知れる姿かな」と 18世紀の後半の三上山の光景を”士朗”が詠ったものだが、今なお三上山は、樹木に覆われ黒々している。
昼間なのに森林に覆われ登山路は薄暗く、登っていくと、ヒグラシの鳴き声に包まれる。
 どこからともなく、ヒグラシが鳴き出すと、森林を包み込むような大合唱が起こる。ひとしきり鳴くと、汐が引くように鳴きやむ。鳴き疲れるのであろう。一瞬途切れ辺りが静まり返る。そして、再び合唱する。
どこかに指揮者がおるかのように、はじめと終わりが揃っているがとても、謎めいている。

 このゆったりとした「ゆらぎ」が、私の生体リズムにあっているようだ。

 さて、山道で仰向けに足を閉じ気味に転がっていた。
ひらいあげると、いきなり羽根をばたつかせた。
そっと、草むらにほり投げてやった。が、再びひっくり返ってしまった。
 死んだふりをしているわけではない。死期が近いのである。悲しいかな、背中に重心があるのでセミは必ず仰向けになる・・・・。







Posted by nonio at 17:08Comments(0)三上山

2021年10月22日   小さい秋/ベニナギナタタケ

  私は、野山でキノコを見つけた時、「これ食べられる?」と聞き直すのが口癖だった。
友人が「観賞用キノコだ」との返答で、見方・考え方が一変したことがあった。

 三上山の希望が丘側の登山口で「ベニナギナタタケ」を見つけたとSさんがメールしてきた。 「このキノコは食べられるそうです。でも、食べる気にならない」と。
 
 送ってきた写真を見ると、鮮やかな紅色をした小さなキノコが、林内の樹の根に沿ってあちらこちらに束生していた。
カサや柄といったものがなく、ひょろひょろと伸びた奇妙な形状である。キノコとは言い難い。
その上、猛毒キノコ「カエンタケ」とも思われる赤みが気になった。野洲市の注意を促す表示板には、「赤いキノコは食べないこと、また、さわらないこと」との呼びかけもあり、出かけるのに躊躇いがあった。

 数日後、訪れた時には遅くに失してしまい、キノコが消え伏していた。
その後、雨が降ったりした時に、何度か再訪してみたが、その姿を見る事がなかった。
三上山に日参しているKさんも「今年はこの辺り一面に群生し、赤く染まっていた。が、急に消えていった」と教えてくれた。

 この「ベニナギナタタケ」達は、同時期に一斉に地上に姿を現したようだ。
皆で寄り集まって胞子を放出し、出会いを多くしながら、次の世代へと命のバトンタッチをしていたのだ。
こうしてみると、Sさんは、食べる・食べないと言うことではなく、知らず知らずに、野生の神秘な一コマを見ていたようだ。

 次に、Sさんが、山頂近くにある洞窟のある「姥の懐(ウバガフトコロ)」の山道で、黄色のナギナタタケを見つけたと、意味ありげに連絡してきた。

 このキノコの色は、紅色だけと思っていた。ところが、紅色のベニナギナタタケ・純白のシロソウメンタケ・黄色のナギナタタケ、そして出合ってないがムラサキナギナタタケなど多彩な色合いがあることが分かってきた。
 ナギナタタケ同志が互いに、色を競い合っているかのように見えるのだが、無毒のベニナギナタタケは、赤色の毒キノコ「カエンタケ」に似せた色・姿に擬態し、誰かに向かってアッピールしているようだ・・・。
 まさか人間に対して、警戒色を発しているわけ(理由)ではない。が、ひとは、このベニナギナタタケの気持ち悪さ・不思議さに惹きつけられていくようである。Sさんもしかりかも。 
いずれにしても、なぜ色を変える必要があるのかわからないが、自然界の多様性には驚かされる。

  だれかさんが だれかさんが
  だれかさんがみつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋みつけた

 私は、この歌を思い浮かべながら、丹念に三上山を散策。最盛期を終わり散生していた「ベニナギナタタケ」・「黄色のナギナタタケ」に出合えたのは、幸運であった。

打越付近でベニナギナタタケ


姥の懐付近で黄色のナギナタタケ


 「ベニナギナタタケ」の名前、私にとってはどうしても覚えにくい。
漢字にしてみると、「 紅長刀〈薙刀)茸」である。「長刀」または「薙刀」と書いて”なぎなた”と読ませている。
 誰が付けたのか知らないが、 ─ 薙刀とはね。──
その字が表すように長い刀で相手を薙ぎ倒す長い柄の先にそり返った刃をつけた様子が、“ナギナタ”に似ているらしい。時代がかった大層な命名である。地の人は、その姿が素麺に似ていることからソウメンタケとも言われている。わかり易いのだが。











Posted by nonio at 19:14Comments(0)四季三上山

2021年02月04日   伸びやかな斜面をみせる三上山

 
 この三上山は、琵琶湖の東岸にある平野部の残丘にあるので、どこからでも目にすることができる。

 さて、三上山に関して18世紀頃の江戸時代に書かれた『近江輿地志略』(おうみよちしりゃく)に興味深い記述がある。
 「俗呼て近江の富士と云。 山勢略富士に似たり、然れども富峰に比すれば、萬分の一なり、此山西南より望めばよく、東北よりは恰好(かっこう)あし【堯孝道の紀】」。寒川辰清によって近江国の自然や歴史等について、まとめられた貴重な地誌である。
 

  三上山は、小ぶりだが、富士山に似た姿から近江富士とも呼ばれている。西南から眺めると、いい山容である。が、東北からは格好が悪いと。確かに、西南方向では女山が男山と重なり、端正な近江富士に見える。

 ところで、「東北よりは恰好あし」となっているが、本当だろうか。 
辻ダムのところから撮った写真でも、三角錐の主峰から伸びやかな山並みが実に美しい。厳冬期の真っ白なスロープが一段と映える。
 










 







Posted by nonio at 09:34Comments(0)三上山

2020年11月23日   小さい秋を求めて

 
 地軸のちょっとした傾きが、四季のうつろいをうみだしたのか・・・・。

 小さい秋を求めて、山野の探景に出かけることにした。
生きとし生けるもの、すべて平等に秋がやってきていた。
言っても詮無いことだが、「すべて国民は、法の下に平等」と明記しなければならない人間社会とは大違いだ。
 
数センチに達しない、いたいけな草木も、秋を感じ取っていた。
紅葉や黄葉して冬支度。また、次の世代へとわずかに実もつけていた。

 
 大木にしがみついているツタ類を、広角レンズを装着のまま撮っていた。ピント合わせや深度調整に手間取っていた。

「何を撮っているの」と近寄ってきた人がいた。
「小さな秋をとっている」と返答すると怪訝な顔をしていたが、ツタの可憐な黄葉した葉っぱを見て納得したようだ。
このツタの名前がわからなかったので、そのひとと「ツルもみじ」となづけた。

 誰も、気に留めない小さな山野草に興味を示したので、少し話し込んでみた。
このあたりの生息しているランの話に及んだ。春ラン・柿ラン・コクランなど・・・・。
自生している場所が、驚いたことに、私の把捉しているところにほぼ一致していた。

この人は旧知だった。 
旧知と言っても私の一方的なこと、野洲図書館ギャラリーの「一本の木」の写真を通して。 





  




 
 




タグ :小さい秋


Posted by nonio at 07:23Comments(0)四季三上山

2020年09月15日   今年も咲いたミヤマウズラ/三上山

  
 私にとってミヤマウズラは、気になる山野草のひとつ。
今年も、Kさんから「19ケも咲いた」とうれしい便り。
いそいそと、三上山の知る人ぞ知る別世界へ。

いつもの場所より奥まったところで、花を咲かせていた。
シダ類の中にひそまって、2本の顔を出していた。
先だって、いつものところからも、3本にょきにょきと伸び、花を咲かせた。

今年は、なぜ、こんなに咲かせるのだろうか?
来年、再来年も、ずっと咲くようにと、願うのだが・・・・・。









2020年05月25日   ツツジ咲く三上山に寄せて

 山仲間のNさんが、S機関紙に次の俳句を寄せた。

    コロナ渦  収束願う 暮の春

 この句で、「『コロナ禍』でなく、なぜ部首を“氵”の『コロナ渦』にしたのか?」気になったので尋ねてみた。「世の中が渦潮のような混沌とした状態に、陥るのではないかとの思いで、この言葉を選んだ」と受け答えてきた。 Nさんはすでに将来を見据え、「終息」でなく、取り敢えず収まるようにと「収束」と深読みしていた。
「新型コロナウイルスへの対策は長いマラソンです」と山中伸弥さんが指摘されているように、共存の道を歩むことになるようだ。

 ウイルスは細胞がなく、タンパク質でできた殻のなかに遺伝子情報となる核酸が収められている単純な構造である。生きのび増殖していくには、他の生命体に住み着くしかない。やっかいにも、人という安住の場所を得たようだ。暴れ過ぎると、人を死に追いやる暴挙に出るから、たちが悪い。
どのみち、このウイルスは単独では生きられず、人から人に移り住んでいくようだ。かくして、最近の小生、人混みを避け、三上山への日参が日課となってしまった。

 ヒノキに覆われた山中は、樹木が発散する自然ならではの「香り」がある。
この香りの揮発性成分(フィトンチッド)には、殺菌力をもっているので、よかれと思い足繁く出かけた。雨後の林内は保湿され、ことさら、かぐわしさが増すので、少々の雨でも出かけていった。

 3月末頃の鶯の鳴き声は、いかにもたどたどしくケキョケキョ。この鳴き声を聞くと、「春めいてきた」と心が弾む。今まで気づかなかったのが、「フィー、フィー」という口笛のような「カジカガエル」の鳴き声である。
非常に警戒心が強く、私が近づくと鳴き止んでしまうが、気配を消すと、再び合唱しだした。
奥深い清流にしか住まないカジカガエルが、人里近くの谷筋に生息しているとは、思いもよらない発見であった。

 いくら世の中、コロナウイルスに侵されようが、規則正しく四季が巡り、ヤマツツジが咲きだした。
全山をくまなく散策していると、些細なことも知ることになった。
 
 花の色合いが微妙に違う花弁を眺めていく内に、花弁から伸び出したおしべの本数が5本・10本と、違いがあることに気づいた。そして、山をすみわけるようにして、2種類のツツジが分布していた。
 
 希望ヶ丘側のツツジは、枝先に三枚の小さな菱形の葉がついているので、ミツバツツジと呼ばれている。その上、葉が小型であるため「コバノ(小葉の)~」と名付けられている。花弁の色だが、紅紫色と淡紫色の2色が見られたけれど、同種のようだ。
 このコバノミツバツツジは、ウラジロが群生しているところに多く見られ、”ベニシダ”と”トウゴクシダ"だと思われるシダ一帯には全く見られなかった。両者間の相性が悪いと思っていたが、そうでもなかった。単に、コバノミツバツツジは、暗い谷筋よりも尾根の明るい林を好むようだ。

 御上神社側のもひとつのツツジは、葉や茎がネバネバし、触れると指が貼り付くことから、餅あるいは鳥もち(黐)に擬えてモチツツジと名付けられている。葉っぱが4~5枚で、5本のおしべなので、その違いはすぐにわかった。

 結局、コバノミツバツツジは、3月末から咲きだし、1か月遅れに咲きだしたモチツツジが、5月中ごろ最盛期を迎えていた。
長きに渡ってヤマツツジによって、コロナ騒動の陰々しい日々を和ましてもらった。

 自然は、未知なるウイルスをまん延させるが、癒しも与えてくれる不思議な存在だ。

コバノミツバツツジ




モチツツジ














 













Posted by nonio at 05:39Comments(0)滋賀県の山三上山

2020年01月31日   幼児小枝ストックで三上山

 
 三上山にはいろんな方がやってくる。
平日には、中高年のひとに出会うことが多い。なかには、超後期高齢者も元気いっぱいだ。
昨年の暮れ、顔見知りのAさんは、「今年の三上山登は600回になった」と自慢げに話しかけてきた。1年は365日というのに、可笑しなことだ思われるが、1日で2回も挑戦しての勘定である。

 いずれにしても、大変な励行である。わたし事だが100回と自負していたのに、その6倍である。まさに、彼にとっては、三上山が人生そのもである。

後日談だが、「大晦日の日、家にいると“うずうず”してきた」と。正確には昨年の実績は602回だそうだ。

 さて、土曜日・日曜日になると、出合う人が、がらりと変わる。幼い子供とその母親も見かけた。
3才ほどの“ぼくちゃん”に眼がいってしまった。

 小枝のストックを1本でなく2本持っているのがなんともいい。身のこなし、すでにいっかどの登山家であった。思わずパチリとなった。





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Posted by nonio at 07:23Comments(0)三上山

2020年01月23日   三上山頂上から光芒を望む

   自然の営みは、時折、雲のすき間から、光の帯が放射状に降り注ぎ、神々が降臨するかのような幻想的な世界を演出してくれる。
 世界中の誰もが、美しいと認めているこの自然の贈り物に、「光芒」とか「天使の梯子」と美称したり、レンブラント光線とも呼んでいる。
この一名は「光と影の魔術師」という異名を持つ画家レンブラント・ファン・レインの名前に因んでつけられたものである。彼の画風は宗教的な荘厳さ・神秘性を印象づけるため、何条もの光帯を好んで描いていた。まさに、「レンブラント光線」との呼び名は、うってつけである。

 とは言え、日頃天空に興を魅かれている人にとって、この現象は、さぼど珍しいものでもない。
太陽の角度が低くなる早朝や夕方に、雲が太陽光線をさえぎるくらいの厚みがあって、かつ切れ目があれば、出現してくるものである。
 さて、私の出会ったレンブラント光線だが、とにかくスケールが小さく迫力が今一つ。どうしても、レンブラントが描いた壮大な「レンブラント光線」に程遠いものであった。
日の入り前の三上山山頂からの眺めは、いかがなものになるのかと、思い立ち、日参してみた。

 その日が突然訪れた・・・・。

 その日は、天気予報では、曇り時々晴れで、積層雲が空をおおっていた。「積」はかたまり状雲、「層」は広く空を覆う雲を意味している空模様になり、「レンブラント光線」が現れると期待が持てた。 
 移動速度が結構速かったことから、低い雲と推測された。地表の影響も受けやすく、厚く大きな黒っぽい塊の雲がくっついたり、離れたりして雲の形をドンドン変えていった。白い雲の切れ間から青空も見え隠れしていた。
 
 頂上にある磐座近くの展望台から見下ろせるところで、窺っていると、膝辺りに一条の光を感じ、スポットライトを浴びたように辺りが急に明るくなった。その瞬間、巨大なレンブラント光線が三上山に向かって対峙するかのように眼前に現れた。目に見えない浮遊していた水滴に乱反射した光の筋は放射状になっていた。

 あわてて、カメラの絞りをF9に設定。光景の明暗差に迷ったが、薄明光線を強調するため露出をちょっとアンダー目にセットした。瞬く間に、元の世界に戻っていく中で、シャッターを夢中で切った。
この出来事、2~3分だった。

 身近にこれほど美しい自然の贈り物があるとは、驚きであった。











Posted by nonio at 06:21Comments(0)滋賀県の山三上山