2011年08月21日    群青色の奥琵琶湖菅浦

  数年前、何日も掛けて琵琶湖を徒歩で一周したことがある。だが、訪れていないところが、一箇所あった。何となく気がかりになっていた琵琶湖北岸の葛籠尾崎(つづらおざき)のつけ根にある菅浦。

 北陸本線木ノ本駅から湖西線永原間まで一日で踏破するには、余りにも距離が有りすぎたので、やむなく奥琵琶湖パークウエイを通らず、国道303号線を使って短縮を計った。これまで可能な限り琵琶湖の岸辺を辿るルートをとってきたのだが、・・・・。

 最近、滋賀県・福井県境の野坂山地(乗鞍岳・芦原岳)から琵琶湖の竹生島を眺めていると、琵琶湖にせり出している菅浦のある半島を見つけ、やはり、ここに行くことにした。

 92年、遠藤周作は、朝日新聞のコラム「万華鏡」に、「忘れがたい風景」と題して「私が年に一度はひそかに訪れると綴っている場所である」と、紹介している。
あまり多くの人に知られることを好まないと語りながら、「2月の午後、入り江のようなその地点の周りの山々は白雪に覆われ、冬の弱い陽をあびた湖面は静寂で寂寞としていた。まるでスウェーデンかノルウェーのフィヨルドに来ているような思いだった」と。その地名は明かしていない。が、これから冬にかけてそこを一人で訪れる方は、決して失望しないだろうと誘いかけているところだ。

 更に『私の「忘れがたい風景」のある場所は、芝木さんの本を読み、探し歩いて、「ああ、ここなのか」と見つけられることをお奨めする』となぞ賭けをしているところだ。明らかに菅浦である。

           野坂山地から菅浦のある半島を望む
群青色の奥琵琶湖菅浦 

 芝木好子長編小説「群青の湖」は、琵琶湖のほとりに嫁いで、旧家の重圧と夫の背信から、子供を連れ東京四谷へ戻る。心に残る"湖の美”の再現を夢み、染織の世界に生きる物語である。

 近江八幡は織田信長没後、豊臣秀次が築いた城下町である。古くから伝わる因習のある旧家を舞台にして重々しい話が展開していく中、四季折々の琵琶湖の情景がきめ細かく綴られている。文字と言う道具を使って、絵具をキャンパスに塗りたくるかのように、色彩豊な琵琶湖の様子が描かれている。

「群青の湖」に書かれた研ぎ澄まされた文章を抜粋してみた。 

「冬が来て、東京に雪の降る日が続くと、瑞子は琵琶湖の雪景色を思った。北の湖にしんしんと雪が降るとあたりは白い紗幕に蔽われてゆき、群青の湖のみは白いあられをのみもみながら、昏い湖底へ沈めていく。雪が止み、陽が射すと、雪でふちどられた湖は蘇っていよいよあおく冴えかえる。・・・中略・・・瑞子は湖の永遠に触れて、片鱗でもいい一枚の布にとどめたいと思うようになった」

「初秋の気配であった。湖水も空も縹色(はなだ)で小舟もない、鏡のような湖・・・・」
「湖は深海よりも透明で、藍が幾重にも層を成して底から色が立つ・・・・」
「奥琵琶湖の秘した湖は、一枚の鏡のように冷たく澄んでいる。紺青(こんじょう)というには青く、瑠璃色というには濃く冴えて、群青とよぶのだろうか」

最後に、
「いま 私に見えているのは、湖の生命と浄化の雪と枯葦の明るい茶なの。清らかな鎮魂の布が織れたら、私の過去から開放され自由になれそうな気がするの。そうしたらこの次は、あなたをおどろかすような魅惑的な真っ赤な蘇芳(すおう)や、妖しく匂う紫や、老いた女の情炎のような鼠茶や、いろんな色を糸に乗せて、思い切り織ってゆきたい」と結んでいる。

                 奥琵琶湖の菅浦
群青色の奥琵琶湖菅浦

 滋賀県の地名として大津、近江八幡、大原、朽木、安曇川、そして菅浦が登場してくる。特に、菅浦に関する場面は、3回ほど出てくる。作家芝木好子にとっては、最も気に入ったところであったのであろう。

 菅浦については次のように紹介している。
 岬へと進むほどに深山幽谷の眺めになって、町で見る湖とは趣が違う。つづら折りの湖畔をまわりきって、視界が変わり、広々とした湖の浦が現われた時、その岸辺に打寄せられたように小さな集落があった。
 風光の清らかな、寂とした、流離の里である。入り江に沿って漁船が舫っているが、人の姿はない。閉ざされた集落だが、どこからか侵入者を監視する眼を感じる。
 
 里の入口に湖に面して神社があり、石の鳥居が立っていて、鬱蒼とした木立の山を背に、奥深く参道が伸びている。鳥居の脇に古びた要塞門があって、由緒ありげな隠れ里を思わせる。雪の残る山は深く敬虔な雰囲気を持ち、浮世の外に取り残された流謫(りゅうたく)の哀しみが漂って、心が惹かれた。
石段を登っていると森閑として、左右の繁みの下から狐狸でも現われそうだが、振り向くと琵琶湖がみえる。参道は長い傾斜道で、しばらく登ると急な石段の上に白木の神社が現われた。
履物を脱ぐこと、と立て札がある。

この作品は、昭和35年当時の話であるが、今も言葉通りの情景が伝わってくる。やはり、ここは流離の里であった。
 余りにも寂としたこの場には居られず、友人に「もう帰る」とメールした。
  
                 須賀神社の参道
群青色の奥琵琶湖菅浦

群青色の奥琵琶湖菅浦

 今回は、作家芝木好子が綴った文字から琵琶湖・菅浦を見たが、次回は真冬の雪が降り頻る中、静寂で寂寞としていた菅浦を訪ねてみたい。この寂を味わいながら、自分の言葉で琵琶湖・菅浦を語ってみたい。 


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蛇足

 「群青の湖」の中で、奈良旅行で「秋篠寺の伎芸天がよかった。女体のふくよかさがいい、あの顔、好きだな」と染織科の学生に語らす一場面があった。
 秋篠寺は天皇家とも関連の深い寺院であり、由緒があるところである。小生も、不謹慎であったが、仏像を眺めて次のように表現している。 艶かしい伎芸天立像 ←クリック
 「伎芸天の右手は上げて人差し指と小指を伸ばし、首をげ、やや前傾して伏し目がちのふくよかな美人である。身体を腰で左にくの字に折って居る為に右のお尻が出ている。立像が不安定な中に魅惑を感じる不思議な姿である」と表現したことがあった。興福寺の阿修羅・秋篠寺の伎芸天の2ツが、大和の恋する仏像となったようだ。
 
 伎芸天の仏像を眺めて、芝木好子の感性と同じであったことが嬉しかった。



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Posted by nonio at 11:52 │Comments( 0 ) 書籍
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