2010年11月25日    ナベクボ峠の自然石道標

 古来から日本では登り切った山道の上りと下りの境目を「とうげ」と言われてきた。この言葉を「山」「上」「下」を組み合わせて「峠」と言う漢字が作られた。所謂、漢字の字体にならって作られた国字である。したがってこの文字は訓だけで音読みがない。

 低い鞍部を古語で「タワ」「タオリ」「タル」「タオ」などと呼ばれていた。「トウゲ」は「タムケ(手向)」から「たうけ」に転化し、さらに「とうげ」になったと言われている。「たむけ」とは「手向け」と書き、神仏に物を供える意味である。

 要するに、峠には道の神がいると信じられ、特別なところであった。
かつて峠はクニ境であり、その先は異郷の地であった。そのため、峠は、これから先の無事を祈り、帰り着いた時の無事を感謝する場所でもあったことから、祠を設けている所が多い。道の神であるお地蔵さんや道祖神がまつられ、往来する安全を願うところであった。また外部からいろんな禍の侵入を防ぐ祈りも込められていた。  

ナベクボ峠の自然石道標  「ナベクボ峠」この峠、何となく縁がある峠である。今年だけでも、3回目指したことになる。
まず、ワカンビ谷に入ったつもりが、ひとつ谷を間違え、どうしてもたどり着けなかったこともあった。その後、根来峠から三国峠へ縦走した時は、難なくこの峠を通過していった。そして、「湖西の山ネット協議会」(壇上俊雄事務局長)の案内により3回目の「ナベクボ峠」に行く機会があった。

 二回目の時、この峠には、「おにゅう←ナベクボ峠 →三国峠」というしっかりとした標識が立っていた。今回、三国峠寄りに、少し上がった所にかなり風化した自然石の道標を紹介された。
 文字は「○経墓」と彫られてあった。この自然石の道標を観ていると、しみじみとした歴史的な峠であることを感じた。
 この峠は「鍋窪峠」とも呼ばれているが、これは若狭側の谷である鍋窪谷からつけられた名称である。一方「クチクボ峠」とも言われており、朽木の朽と鍋窪の鍋をとって「朽窪峠」と呼ばれているそうで、近江側からの呼称のようだ。

 さて「○経墓」の意味合いがどうしても知りたいので、守山市立図書館T女史を尋ねた。彼女、朽木町史など徹底的に調べた結果、結論を出してくれた。

 この自然石の道標については、参考文献もなく、口伝えでしか言い伝わっていないようだ。
謎めいた石碑の「○」は、奉納した人を識別するためのもので、単なる目印でそれ以上の意味合いはないらしい。なお、確認をしていないが、この道標と同じものが、岩谷峠、地蔵峠、朽窪峠にある。

 「墓」の文字は、どなたかを奉ったものであるが、単なる墓ではない。例えば、事故のあったところにお地蔵さんを奉るのと同じ程度のものである。また、「経」の文字が入っていると、旅人の安全を祈願したものと考えられるが、この文字が刻まれていないので、旅人に関わることを示していないようだ。

これ以上、探索しないで、謎めいたままにして置くのもよいようだ。
 ナベクボ峠の自然石道標 


 





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Posted by nonio at 11:55 │Comments( 0 )
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