2018年04月23日    青垣山の桜井から天理まで山の辺の道

 
  桜井駅から天理駅まで続く「山の辺の道」を辿った。桜井駅の観光案内でマップを貰い、大神神社・ 桧原神社・石上神宮へと忠実に歩いた。距離16km、歩数にして3万5千歩だった。
  平日だったが、色んな人に出会った。
旗を持ったガイドに連れられた一行。万葉集の石碑の拓本を採って、臨書の手本にすると言っていた若者グループ。山沿いの道には無人販売所が点在しており、どこが安いのか、量がどうかと思案しながら歩いているおばちゃん。無人販売所の一角で、疲れたのかビールで宴会していた人達、十人十色の楽しみ方でそぞろ歩きをしていた。

 商店街を北に歩き出すと、すぐに「山の辺の道」の案内碑を見つけた。次々と探し、見つけながら円錐形の美しい姿をした三輪山が見えるところへと導かれ、懐かしさがこみあげてきた。

 太平洋戦争真っ最中の幼い頃を思い返していた。
 私一人が、母親の親元の「くんなか(国中)」に預けられ、幼少時を祖父母に育てられていた。朝は、決まって木綿の茶袋に焙じた粉茶を入れて炊きだされた茶粥の「おかいさん」だった。そしてみんな鍬をかかえ田畑へ出かけ、昼食後は決まって昼寝、また田畑・・・・・。

 私のすべき日課は陽が上ると、数十羽の鶏を追って川沿いの鶏小屋へ、夕方になると、母屋にある鶏小屋に連れ戻した。 太陽の動きにあわせて、三輪山の日の出と、二上山の落日が生活の基軸になっていた。大阪では空襲が激しくなり、焼の原になっていたのに、ここでの暮らしは退屈なぐらい毎日が、穏やかであった。 
神奈備の三輪山
青垣山の桜井から天理まで山の辺の道
雄雌岳からなる特異な姿をした二上山
青垣山の桜井から天理まで山の辺の道
盛り上がって見える山が、生駒山
青垣山の桜井から天理まで山の辺の道

青垣山の桜井から天理まで山の辺の道  檜原神社を少し過ぎると、左手の視界が開け、道の脇に立つ「大和の青垣」案内板には、古事記にうたわれた「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる大和し 美わし」と記されていた。

 取り巻く山々が、青垣根のように囲み、東の垣根の中心が三輪山であり、西の垣根は二上山であった。
幾重にも緑の垣根に囲まれている山々を眺めていると、ここは、ヤマトタケル(日本武尊)に、「大和はまほろば」と言わしめた聖地だと実感し、今更だが、日本国の発祥の地であったことを感受した次第である。

  大神神社から石上神宮に至る一帯は、我が国が出来上がっていく最も早い時期に、第10代天皇に組み入れられた崇神帝が出現したところである。日本を築き上げた神武天皇から数えて今生天皇まで125代だ。男系継承が驚くなかれ2000年続く、世界に類例がない皇統になっているのだ。

 最近、天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」が進められている。この話題、今まで無頓着だったが、ここを訪れた契機に、多少とも関心を持ってみょうと思った。 


 

 



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Posted by nonio at 16:33 │Comments( 0 ) ウォーク
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