2016年11月02日 キツネが出現した鍋尻山
湖北の高室山から、鍋尻山を眺めたことがあった。文字通り鍋をひっくり返したような山頂をしていた。登山口”保月(ほうづき)”まで行けば、登り1時間下り40分のハイキング気分で登れる簡単な山である。ところが、廃村となった保月へ行くまでの道中がやっかいだと、仲間が言っていた。
高室山から鍋尻山を望む 鍋尻の奥が霊仙山
2016年9月3日、国道307号線を北進、多賀大社前の信号を越え、直ぐの久徳信号で右折し、県道139号上石津多賀線に入った。調宮神社を越えると直ぐに道幅は自動車1台がやっと通れる曲がりくねった狭隘道。対向車が来ないことを祈るだけだった。
路上の倒木は片付けられていたが、路肩には落石や土砂の崩落が見られ、柵もない深い谷が待ち構えていた。
鈴鹿山脈の北部を越える「五僧越え」は、かつて近江と美濃や伊勢を結ぶ間道であった。この旧道が一躍有名にしたのが、関ヶ原の合戦で西軍島津隊が敵中突破を行い、美濃から近江を抜け、堺から船で薩摩に帰還したことであった。
家臣が武将島津義弘を守り抜き九州に連れ戻したので、「島津越え」とも呼ばれている。この美談が引き継がれ、今なお、鹿児島県日置市の子供たちが「関ケ原戦跡踏破隊」として関ケ原から堺までの120㎞を5日間かけて完歩している。
以前、関ケ原の島津陣を訪れた時、島津越えのことを知り、何時か由緒ある道を辿りたいと思っていた。今回、車であるが一部実現できたことが、うれしかった。
「島津越え」と呼ばれた狭隘な県道139号
山沿いのくねくねした林道を進んでいくと、平地が現れ、人気のないしっかりとした建物が並んでいた。静けさがより奇異に思えた。ここが廃村になった保月集落だった。脇ガ畑小学校跡が鍋尻山の登山口の駐車場になっていた。
偶々、軽自動車が我々の車の後に続いていた。降り立ったのは、この集落のかつて住人であった老夫婦だった。挨拶にいった。
「週に3日程度、昔住んでいた家に帰ってきている。小さい頃からここで育ち、生活していたので、下界と違って落ち着く」と言いながら、建屋を修繕されていた。
長年住み慣れた土地なのであろう、「小学校、役場、郵便局など何もかも揃っていた」と、当時を思い浮かべながら語っていた。
ここには、40軒もの家族があったが、林業だけでは食べられなくなり、全員山を下りてしまった。保月は鈴鹿山系北部、滋賀県犬上郡旧脇ヶ畑村の中心をなした集落で、ほかに、五僧集落・杉集落の3集落があったようだ。
老夫婦が週に3日程度来ている家屋
廃村化して中には荒れ放題の家屋
駐車場の裏手の神社を見下ろすように付けられた登山路を上って行くと、森林が枯れ荒れ放題の一帯に出くわした。見捨てられた山ではないかと一瞬頭をよぎった。登って行くうちに、あちこちで動物の食害から守るためのネットが被せられた植樹が、施されていた。廃村に拘わらず、人手が入っていた。 予想もしなかった光景であった。
鍋尻山頂上には切り開かれた広場になっていた。が、頂上手前の急登を上り詰めると、展望所と呼ばれるところの眺望がよかった。ここで、一休みした。
存在感のある鈴鹿山系が目前にせまり、湖東平野や琵琶湖を遥かに望め、山深さを実感した。老夫婦が「あまり奥深く踏み込むとわからなくなるヨ」と助言されていたことを思い出した。
往路で 脇ガ畑小学校跡まで戻り、豪華な昼食となった。仲間の一人が、動物の狩りをしており、野生の猪・鹿肉を持参してきた。辺りに野生独特のコクのある匂いに誘われたのか、狐が一匹現われた。野生の動物に餌をあたえることは、いけないことであるが、余にもガリガリなのでつい・・・・。
野生動物は、警戒心が強く一定の距離を越えて踏み込んでいくと、牙をむき出し後ずさりした。動物園とは違った迫力があった。
野生の動物は、一度に食べないで獲物を隠すことを知っていたが、このことをはじめて目撃した。
狐は、肉を咥えてはあっちこっちと歩き回っていた。気にも留めずにバーベキューの肉を食っていると、右に行っては、帰ってきて再び左。更に上下と実に忙しく立ち回っていた。その内、遠くに行かずに身近で、懸命に土を掘り返した。
沢山の御馳走を一度に食べずに、あっちこっちに獲物を埋めていたのである。滅多に観られない野生の素顔を見られ、いささか興奮した。登山中、夜行性の”たぬき”にも遭遇した。ここは、野生動物の生息域であった。
イノシシ肉のバーベキュー
鹿肉のブロックに野菜を入れた猟師鍋
保月集落を訪れる手前に、立派な大杉があった。人影が途絶えたところだが、地蔵祠に手向けられた花は新しかった。この地蔵さんを乳地蔵だと言っていたあの老夫婦が活けたのであろう。乳の出が悪くなると拝みに行ったのであろうか、昔世話になった杉のあるお地蔵さんを、後生大事に見守っていた。
見事な三本の杉の大木が祠の周りを取り囲んでいた。手前に二本、後ろに一本。後ろの杉は、根元が別々の二本の木で、枝や幹が途中でくっついていた。
保月の地蔵杉(樹齢400年、樹高37m、樹幹周囲7.3m)
鍋尻山の場所
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